2 エントロピー(後編)
すーっと空を飛んで門の近くまで戻る。
「マイヤー。僕のリュックを出してもらえる?」
「ソウタ様! はい、わかりました」
マイヤーは地面に片膝を突いてうつむいた姿勢で固まってたけど、僕が声をかけると急に動き出した。急に夢から覚めたみたいだ。
背負っていた鞄を素早く下ろし、中から僕のリュックを出してくれる。
マイヤーの鞄は見た目よりずっと多く荷物が入って便利だな。
「……ソウタ様は大丈夫ですか?」
「ん〜……。まだ、どうなるかわからないけど、何とかなりそうだよ」
「ご無事をお祈りしています」
「うん。ありがとう」
リュックから粘土を出して、少しだけちぎり取って残りを元に戻す。
再びリュックをマイヤーに預けて、エントロピーが待っている場所へと戻った。
「お待たせしました。早速作業に入りますね」
「僕の身体にふさわしいものが作れるのか、見せてもらうよ」
上司に見られながら仕事をする気分。
こういう環境で作業をするのはあまり好きじゃないけど、やることはいつもと同じだ。
エントロピーの服は春の女神や秋の女神の服とよく似ている。
つまり、前に女神像を作った時の経験をそのまま使えた。
顔は細部まで綺麗に整っていて、乱れた部分が一つも無い。
……整いすぎてて個性が薄い? 作る方としては楽でいいか。
椅子もテーブルもない状況で、空に浮いたまま粘土を使うのは初めての経験だったけど、大きな問題もなく作業が終わった。
「こんな感じでどうでしょうか?」
「粘土の扱いが得意という話は嘘じゃないみたいだね。この短時間でこれほどの物を作るとは……。これは、姉上よりすごいんじゃないか?」
完成した像は高さ十五センチぐらいの大きさだ。
見やすいようにゆっくり角度を変えてあげたら、エントロピーは顔を近づけて熱心に細部を観察していた。
「そんなことは無いですよ。前にも神様の像を作ったことがあったから、良い感じに作業が進んだだけで……。それじゃあ、仕上げの作業をするのでついてきてください」
「仕上がりが楽しみだな」
ふわーっと空を飛んで、戦闘の影響があまりない場所まで移動。
エントロピーは腕を組んだまま、僕の後をついてきた。
出来たばかりの像を地面に置いて、エントロピーの身長に合わせてサイズを調整する。僕より少し背が高い……。百六十五センチぐらいかな?
「どこか、気になる点がありますか? 今なら自由に修正できますよ」
「いやいや。これはもう、文句の付けようがない出来だよ。君は本当に粘土の扱いが得意なんだね。気に入った……。すごく気に入ったよ」
「良かったら、中に入って動きを確認してもらえますか?」
「んっ? あっ、ああ。そうだね。試させてもらおうか」
等身大の像の胸にエントロピーがそっと手を乗せた。
宙に浮いていた半透明の身体が吸い込まれるように消えて、僕が作った神様の像が動きはじめる。
「姉上の粘土で作った身体だから拒否されるかと思ったけど、そんなことはないみたいだな。動きにも問題ない……。これはすごいな」
指を動かしたり腕を回したり軽くジャンプしたりして、身体の動きを確かめているエントロピー。
どうやら、大きな問題は無いみたいだ。
これで作業は終了ということで、このまま納品して良いだろう。
壊しちゃった身体はこれで弁償するとして、あとはパーカーさんやマーガレットとの因縁をどうすれば良いのか……。何とか話し合いで、良い感じにまとまらないかな?
……いや、まてよ。この状況ってもしかして……。
「えっと……。問題がないようなら、このまま仕上げても良いですか?」
「うむ。任せるよ」
「それでは、仕上げの作業に入りますね。……生命創造」
エントロピーの背中に手をかざし、いつものように呪文を唱える。
ピカッと光る神像。その一瞬で、像の印象が微妙に変化した。
白い肌の下に血管が走り、黒い瞳に生気が宿る。
「んんっ⁉ 今、僕に何をしたんだい?」
「成功して、自分でもびっくりしたんですけど……。これで、エントロピーさんは人間になりました」
「……せっかく君を気に入ってたのに、馬鹿なことをしてくれたね。そもそも、入れ物が人間になったとしても、僕が神であることに変わりは——」
急に言葉が途切れ、エントロピーの身体から力が抜けた。
そのまま倒れ込みそうになるが、見えない糸に支えられて動きが止まる。
「……エントロピーさん?」
『マスターへの精神攻撃を感知したので私が魔法を封印し、同時にヤクモさんが糸で眠らせて対象を捕獲しました』
……なるほど、そういうことか。助かったよ、リンドウ。
「ヤクモもありがとうね」
さっきまで離れた場所にいたヤクモが、いつの間にか僕の前で可愛く手を振っている。
……いろいろあったけど、何とか丸く収まったかな?
「みゃああぁぁっ!」
「うわっ! ちょっと、ルビィ。んっ、んんんっ……。くすぐったいって」
いきなり胸に飛び込んできて、強く頬ずりしてくるルビィ。
白猫の姿で助かった。これが豹の姿だったら、地面に押し倒されて服が大変なことになってただろう。
「ソウタ君、大丈夫⁉」
「ソウタ様!」
「ソウタ殿。大丈夫ですか?」
エントロピーが眠って、みんな動けるようになったのかな?
ルビィを撫でて落ち着かせている間に、マルーンたちも駆け寄って来た。
「僕は大丈夫ですし、これで全部終わった……と思います。たぶん」
「何があったのか、説明してもらえるかしら?」
「説明するのが難しいんですけど……」
☆
仮面の男の中身が、白の女神の弟だったこと。
女神の弟はエントロピーと名乗っていて、本当の身体を姉に封印された状態で意識だけ抜け出して活動していること。
ブレスで壊した身体の代わりに、僕が粘土で新しい身体を作ったこと。
急に思いついて、エントロピーが入ったまま粘土で作った身体を人間にしたらうまくいったこと。
僕を攻撃しようとしたので、ヤクモが糸で眠らせたこと。
マルーンたちはエントロピーに声をかけられたところから、記憶が曖昧になってたみたいだ。
そこからエントロピーが眠るまでのやりとりを、簡単に説明しておいた。
「つまり、そこで眠っている少年が——」
「あっ、はい。身体は人間だけど、中身は灰色の神です」
話を聞きながら、パーカーさんはずっとエントロピーを警戒していた。
それだけ、いろいろと思うところがあるのだろう。
「……ソウタ君は灰色の神をどうするつもりなの?」
「僕がどうにかするのも違うと思うので……。どうすれば良いか、白の女神に判断を仰ぐのはどうでしょう?」
「そうね。それが一番良い方法でしょう。では、私から賢者様……。春の女神にお願いして、白の女神と連絡を取ってもらいましょう」
「結論が出るまで、こちらの少年を私どもで預かってもよろしいでしょうか? 冒険者ギルドにはこういう時に便利な施設もございますので。もちろん、乱暴な扱いは致しません」
「そうしてもらえると助かります。それでは、マルーンとパーカーさんに全てお任せしますね」
「ピーゥ! ピーゥピーゥ……」
話が一段落ついたのを感じたのかな?
大鷲の姿になったトパーズが、すーっと飛んできて僕の前に降りた。
優しく頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めている。
「今日は助かったよ、トパーズ。……ニンフェアもありがとうね!」
邪魔にならないように気を使ってくれたんだろう。
ニンフェアは上空から僕たちを見守っていた。
「マスターがご無事で何よりです」
……いろいろあったけど、何とか無事に終わったかな?
地面の形が大きく変わっちゃったのが気になるけど、これをどうするのかは明日考えれば良いだろう。
『マスター。ヤクモさんが、マスターに渡したい物があるそうです』
「えっ?」
リンドウの声を受けて周囲を見回すと、ソフトボールぐらいの大きさの珠を持ったヤクモがトパーズの横に居た。
「……これって、どうしたの?」
『灰色のゴーレムを糸で切った時、ここだけ切れなかったので取っておいたそうです。念のために検査してみましたが、危険な様子は見当たりませんでした』
しゃがみ込んでヤクモから珠を受け取る。
透明な水晶の奥に、大きな白い花びらが二枚入ってる。
小さい頃に持ってたビー玉にこんな模様の物があった気がする。
手に持った感触だと魔水晶っぽいけど……。これって何だろう?




