5 古龍の涙
晴れ渡る空。澄み渡った空気。雪に覆われた山々。
結局、ベレッチさんが指示した高い山まで、トパーズに飛ばしてもらって三十分ほどかかった。
寒さを気にしなくて良いし、景色をゆっくり見られるし、トパーズに運んでもらって正解だったな。
「正面に見えている平らな場所に降りてもらってください」
高くて険しい山脈の山頂付近。
雪に覆われた崖の手前に、降りるのに良さそうな場所があった。
「あそこですね。……トパーズ、頼んだよ」
「ピーゥ!」
いつもなら滑らかに着地するトパーズが、不思議な動きを見せて……。もしかして、積もってた雪を羽ばたいて飛ばしてくれたのかな?
おかげで、背中から降りても雪に埋もれずに済んだ。
「どうぞ、こちらにお越しください」
全員がトパーズから降りるのを待って、崖の方へ歩き出すベレッチさん。
古龍らしき姿はどこにも見えないけど——
『よく来たな……。異世界人の少年よ……』
「……えっ?」
聞き覚えのない声が、どこからともなく聞こえてくる。
年月の重みが感じられる、渋い男性の声だ。
思わず辺りを見渡したけど……。驚いてるのは僕だけ?
ベレッチさんはもちろんとして、マーガレットもマイヤーもそれほどびっくりしてないみたいだ。
「ソウタ殿をお連れしました」
『顔が見たい……。もう少し近くに——』
「ふみゃああぁっ‼ みゃあみゃあ! みゃみゃみゃあっ!」
「どうしたの? ルビィ」
ずっとおとなしく抱っこされていたルビィが、いきなりわめきだした。
本気で怒ってる? オニキスに尻尾を踏まれた時でも、ここまで怒ってなかったと思う。目の前の崖を睨んでるけど……何故?
『そんなことを言われても……。いえ、決してそんなつもりは……』
「みゃああぁぁぁぁぁ……。ふぎゃああぁっ‼」
ルビィが叫ぶと目の前の崖が細かく揺れた。
ずっと高い位置からハラハラと、はがれた雪が落ちてくる。
『はい、はい……。申し訳ありません。私が悪かったです……』
……困ってる? ルビィに謝ってるの?
聞こえてくる声が、何かに怯えているように感じる。
「ふみゃあぁぁぁ……。みゃああぁぁぁ……みゃああっ‼」
『直ちに対応いたしますので……。お許しを……』
「……えっ? これは……?」
僕たちを取り囲むように、半球形の透明な結界が現れた。
同時に足元にも結界が張られ、そのままふわりと浮き上がる。
「ご安心ください。これはマスターの張った結界です」
「危害を加えるつもりはないみたいだし、成り行きに任せましょう」
ベレッチさんとマーガレットがそう言うのなら、大丈夫だろう。
——ゴッ……ゴゴゴッ……ゴゴゴゴゴゴッ……
崖が大きく震え、地鳴りのような音が聞こえてくる。
大量の雪が周囲に舞い散り、結界の外が見えなくなる。
すーっと雪が収まった時、目の前に巨大な竜の顔があった。
どうやら、崖のように見えていた場所が竜の脇腹で、雪に覆われた山頂だと思っていた場所が竜の翼だったみたいだ。
……周りに比較するものがないからわかりにくいけど、頭だけで巨人の姿になったオニキスと同じぐらいある? すっごく大きいよね?
『地面から角の先まで、現在の姿勢で五百メートルほどあります』
僕の疑問にリンドウがあっさり答えてくれた。
……ごひゃくメートル⁉
エジプトのスフィンクスみたいな姿勢でこの高さか。
頭から尻尾の先までで測ったら、軽く二キロを超えてると思う。
これだけ大きかったら、ベレス村からでも見えるのでは?
「こちらから招いておいて、顔も見せずに済ませようとするとは……。申し訳ないことをした。どうか、許してもらえないだろうか……」
立派な角。瑠璃色の瞳。大きな牙。
白から水色へと滑らかなグラデーションを描く鱗。
全体で見ると、いわゆる西洋のドラゴンに似ているようだ。
ずんぐりむっくりした身体に丈夫そうな四肢。太くて長い尻尾。
背中には翼が生えているが、身体のサイズに比べて翼はかなり小さい。
「あっ、はい。どうぞ、お気になさらずに。それより、その……。雪崩の方が心配なんですけど……」
僕たちは空に浮いてるから巻き込まれる心配はないけれど、山脈のあちこちで大きな雪煙が起きてるのが気になる。
こんな場所に生き物なんてそうそう居ないだろうし、心配する必要はないのかもしれないけど。
「ふむ……。では、これで……」
「おっ? おおぉぉ……。これはすごいですね……」
竜が軽く睨んだだけで、舞い上がっていた雪煙がすーっと静まり、地鳴りのような音も聞こえなくなった。
「みゃあみゃあっ」
あれほど怒っていたルビィの機嫌が、いきなり良くなった?
まるで、竜の活躍を自慢してるみたいだ。
視線を古龍の顔に戻すと、瑠璃色の瞳が僕を見つめていた。
宇宙へと続いていそうなほど青く、深海へと引き込まれそうなほど深い瞳。
……黒目の部分だけで、僕の身長ぐらいあるんじゃないかな?
巨人サイズのマルーンに近づいた時も自分が小さくなった気がしたけど、あの時よりもさらに大きさのギャップがひどい。
なんだか、蝶とか蜂に転生した気分だ。
「えっと……。何か、僕に用事があったのでは……?」
遙かに大きくて、遙かに長生きしている相手の視線。
僕を見下している訳ではない。冷静に観察している訳でもない。
何かに驚いているような喜んでいるような、不思議な表情。
細胞の一つ一つまで見透かされそうで、なんだか落ち着かない。
「そなたは……。母上に会ったのだな……?」
「えっ? えーっと……」
……この場合、古龍が『母上』って呼ぶのは白の女神のことだよね?
僕が会った白の女神は人間の女性っぽい見た目で、秋の女神のお姉さんぐらいの年齢にしか見えなかったけど、間違いないだろう。
「白の女神とは一ヶ月ほど前に会いました。僕が造った相棒を紹介して、粘土の扱い方を見てもらって、珍しい苗木の造り方を教えてもらいました」
「母上は、お元気そうだったか……?」
「はい。とても元気そうでしたよ」
「そうか……。そうか……」
古龍の目元から大粒の涙があふれ、すーっと頬を流れ落ちる。
僕だけでなく、横に居るマーガレットやベレッチさんからも、息を呑む音が伝わってくる。
「今日は良い日になったな……。とても良い日だ……。ソウタ殿……。そなたに感謝を……。ありがとう……」
「みゃあぁ〜」
古龍が小さく頭を下げ、何故かルビィが誇らしげに鳴いた。
この世界に戻ってくる前、白の女神は僕が生まれた世界に居たそうで、アニメやゲームの話で盛り上がったんだけど……。感動してるところに水を差すのも悪いし、この話は伝えない方が良いかな?