閑話休題 ある料理人の一日
俺の名前はカパル。
数年前から妖魔の森にある城で、料理人として働いている。
生まれた家が料理屋だったのがよかったのだろう。
野菜の皮むきや肉の下ごしらえなど基本となる部分が最初からできた俺は、料理長に気に入られて細かいテクニックまで厳しく仕込まれて、城で使われているレシピを教えてもらえるまでになった。
幼かった頃に絵本で読んだ英雄の話。
伝説の英雄に憧れて家を飛び出して、俺は冒険者になった。
仲間に恵まれ、そこそこの腕前の精霊使いになって……。俺は今、英雄が住む城で料理人として働いている。
これも何かの運命だろうか?
オヤジのような料理人になるなんて小さい頃は考えるのも嫌だったのに、気が付けばオヤジと同じような道を歩んでいる。
二度と家に帰らないつもりだったが、長い休みをもらえたら帰省するのも良いかもしれない。
料理長に教えてもらったメニューなら、オヤジも驚くはずだ。
……こんな風に落ち着いて考えられるようになったのも、冒険者として様々な経験をしたおかげだろう。
☆
朝食の後片付けを終え、昼食の下ごしらえをする時間帯。
ぼんやり考え事をしながら、大鍋でシチューを煮込んでいたところに、料理長から声をかけられた。
えっ? 夕飯のメニューが変更になるんですか?
午後からお嬢様が帰ってくる?
……これは、大変なことになったな。
お嬢様……。執事長のパーカー様を見習って、使用人の間で話をする時は伝説の英雄をそう呼んでいる。
そして、俺がこの城で働くようになってからずっと、お嬢様はこの城に居るのが当たり前だった。年に何度か仕事で出かけることはあるが、そうでない時はずっと城で過ごされていた。
そのお嬢様が三ヶ月ほど前、いきなり城を出て行かれた。
詳しい理由は聞かされていない。おそらく、俺たちには言えないような深い理由があるのだろう。
城で働く人間にできるのは、いつお嬢様が帰ってきても良いように、常に準備しておくことだけだ。
お嬢様が帰ってきた日には、正式な晩餐会が開かれる。
厨房に居る全員が腕によりをかけて、お嬢様が好きな料理を——
えっ? 今日はゲストに合わせた料理を中心にする?
前に出したライスが好評だったと……。わかりました。
任せてください。ライスの扱いには自信があります。
では変わり種のおにぎりなんていかがでしょうか?
そうです。この前、料理長に試食してもらったアレです。
俺の提案を料理長はあっさり許可してくれた。
どうやら最初から、俺の料理を出すと決めていたようだ。
まさかオヤジに仕込まれた技術が、英雄の城で役に立つとは……。
しかし、感傷に浸っている暇は無い。
まずは途中だった昼食の仕込みを、急いで終わらせる。
使用人のまかないが手抜きになったが、誰も気にしないだろう。
忙しくなるのは俺たちだけじゃない。執事もメイドも下働きも、お嬢様が帰ってくるとなれば大騒ぎのハズだ。
——ビイィィィッ! ビイィィィッ! ビイィィィッ!
急いで昼メシをかき込み、晩餐会の料理を準備していたタイミングで、耳障りなブザーの音が聞こえてきた。
『第一級非常事態宣言。総員、戦闘配置に付け。第一級非常事態宣言。総員、戦闘配置に付け。これは訓練ではない』
厨房に居る全員の動きが止まる。
抜き打ちの訓練は過去にもあったが、このアナウンスからは例えようのない真剣さが感じられる。どうやら本当に、訓練ではないようだ。
……こんな日が来るのを、パーカー様は予想してたのだろうか?
お嬢様が城を出てから使用人の訓練が激しくなったが、あれは八つ当たりではなかったんだな。
「全員、自分がやることをわかってるな? 急げ‼」
「はっ!」
料理長の声を受けて、再び全員が動き出した。
最低限必要な人数を残して、急ぎ足で厨房をあとにする。
この城で働いているのは、最低でもダイヤモンドランクの冒険者だ。
いざという時、慌てて動けなくなるようなヤツは一人もいない。
コンロに召喚したサラマンダーに火の扱いを指示して、俺も割り当てられた部署に向かった。
☆
「防御障壁展開」
「外部映像回路、接続確認」
「全回路正常。問題ありません」
張り詰めた雰囲気の司令室。
それぞれの魔術具を担当している者から報告の声が飛ぶ。
俺が担当しているのは、通信室とやりとりするための魔術具だ。
「メインスクリーンに溶岩沼の映像を」
「メインスクリーン、映像切り替えます」
部屋の中央で、腕を組んだ姿勢で立っているパーカー様が指示を出す。
「これは……」
「おおぉぉぉっ……」
「大きすぎるだろう……」
正面の壁に映像が映った瞬間、誰もが驚きの声を漏らした。
背中から炎の蛇が生えた、巨大なサラマンダー。
メイスを振るって炎の蛇を相手にしている鉄の巨人。
十本の腕にそれぞれ剣を持ち、サラマンダーと戦う巨大なお嬢様。
……これは本当に、現実の景色なのか?
溶岩沼は四百年ほど前に、炎の精霊が暴れた場所だと聞いている。
妖魔の森の見回りで、俺も前に行ったことが有る場所だ。
遠くに見える妖しい木も、岩だらけの地面も見覚えがあるが、それでも、中央に写っている存在が信じられない。
俺の目がおかしくなったんじゃ——
「巨人族の中でも最も激しい一族。ヘカトンケイル族の姫。あれが、お嬢様が本気で戦う時のお姿だ」
長い黒髪。白い肌。
見事な剣捌きでサラマンダーの舌を切り落とすお嬢様。
伝説の英雄の真の姿……。周りに比べる物がないからわかりにくいが、城に居る時の十倍ぐらいの身長だろうか?
腕が増えても、戦いの邪魔にはならないようだ。
「戦っている相手は、森を変質させたサラマンダーで間違いない。地下に潜んでいた精霊が、どうして急に出てきたのかは謎だが……」
見た目は俺の知っているサラマンダーと良く似ている。
しかし、サイズがおかしい。おかしすぎる。
普通のサラマンダーは、大きくても全長二十センチほど。
今、画面に映っているサラマンダーは……。尻尾の先端から鼻先まで、控えめに見ても三百メートルを超えている。
見た目が似ているだけで種族が違うのか?
それとも、何か理由があってこうなったのか?
何をどうすれば、ここまで精霊が大きくなるのか?
精霊使いとしてそれなりに経験を積んできたはずだが、俺の知らない何かがあるのか……。
「今、何かが光った辺りを拡大してくれ」
「はっ!」
パーカー様の指示を受けて、すっと画面が変化した。
映し出されたのは空に浮かぶ二人の人影。
メイド服の女と、全身鎧を着ているのは男か?
ぼやけた映像で細かいところまではわからないが、どちらも背中に大きな翼が生えている。
女が着ているメイド服は、城で使われている物と同じに見えるが——
「あの鎧はまさか……。んっ?」
空中に佇む二人の前に、いきなり『人の形をした氷の塊』としか表現できない物が現れた。
……あれは何だ? 少なくとも、俺が知っている氷の精霊ではない。
氷を出す魔法やブリザードを起こす魔法なら俺でも使えるが、あんなところに氷を出しても——
「えっ?」
「あれは……?」
部屋のあちこちから、小さな声が漏れ聞こえてくる。
氷の塊が銀色の鎧に敬礼して、お嬢様とサラマンダーが戦っている方に向けて飛んでいく。
少し離れたところでいきなり、人間ぐらいのサイズだった氷が十倍ほどの大きさに変化した。
「全浮遊石、魔力充填完了。執事長、いつでも城を動かせますが……」
「現状のまま待機。……我々が足を引っ張る訳にはいかないからな」
操舵を担当している若い執事が話しかけるが、パーカー様はスクリーンを睨んだままだ。
荒れ狂う風の音。何かが爆発した音。
画面越しに聞こえる激しい音に紛れて、つぶやくような声は最後まで聞き取れなかった。
お嬢様とサラマンダーの戦いが再び画面に映った。
勢いよく飛んできた氷の巨人が、氷のメイスで蛇を殴る。
その瞬間、鉄の巨人に噛みつこうとしていた炎の蛇が凍り付いた。
「そんな馬鹿な……」
「嘘だろう……」
……もう駄目だ。意味がわからない。
自分が見ている光景を理解できない。こんなことが有り得るのか?
椅子に座ったまま馬鹿みたいな顔でスクリーンを見上げている同僚たちも、同じような気分だろう。
降りだした雨。立ち上る蒸気。
炎の蛇を次々と凍らせていく、氷の巨人。
さっきまでサラマンダーの本体と戦っていた鉄の巨人も、いつの間にか氷の身体に変わっている。
信じられないほど巨大な鳥が飛んできて、口から出した衝撃波で凍った蛇を粉々に砕いた。
幾筋もの稲妻が、サラマンダーの頭に向けて降り注ぐ。
サラマンダーの正面に立つお嬢様。
十本の腕と十本の剣。
それぞれの剣に籠められた力が、映像からでも伝わってくる。
白く輝く剣がタイミングをずらして滑らかに振り下ろされ、伸びた光が大きな渦となり、サラマンダーの身体を貫いた。
ホワイトアウトするスクリーン。
少し遅れて、城全体が細かく揺れた。
「終わった、か……」
静まりかえった司令室で、パーカー様の声が不思議なほど大きく聞こえた。
白かったスクリーンが徐々に落ち着き、再び映像が戻ったが……。魔術具が壊れたのだろうか? それとも、何か他の理由があるのか。
ひどく乱れたり綺麗に写ったりを繰り返している。
どこかに向けて手を振っている、氷の巨人が二体。
空中に立っている白い豹と、舞うように空を飛ぶ大鷲。
お嬢様は地面に膝をつき、剣に手を乗せて休んでいるようだ。
サラマンダーの姿はどこにもない。おそらく、精霊界へと強制的に送り返されたのだろう。
「あの巨人の正体を、執事長はご存じなのですか?」
「おそらく……。いや間違いなく、ソウタ殿の造ったゴーレムだろう」
「ソウタ殿というのは、お嬢様が呼んだゲストの方ですよね? いつも、白い猫を連れている」
「巨人だけではない。稲妻を降らした白い豹も、衝撃波を放つロック鳥も、ソウタ殿が操っているモンスターだ」
画面に映るお嬢様に、二人の人影が空を飛んで近づいてきた。
一人は少し前にも見たメイド服の女。
もう一人は……鎧を脱いだのか? 背中に翼を生やした少年だ。
「お嬢様のパートナーとして、異世界から召喚された少年……。この部屋に居る者なら、その意味がわかるはずだ」
「それはそれは……。長老会のお偉方が喜びそうな話ですね」
ふわりと浮いたまま話をしていた少年が、お嬢様の手に降りた。
どこにでも居る普通の少年にしか見えないが、あれがパーカー様の話に出てきたソウタ殿だろう。
さっきまで真剣な表情で戦っていたお嬢様が、今は恥ずかしそうに頬を赤く染めている。
使用人には決して見せない表情だ。
大きく口を開けてスクリーンに見入っている俺たちを残して、映像が完全に消えた。
……今日、城に来るゲストというのはソウタ殿か?
これは気合いを入れて、晩餐会の準備を進めないと——
☆
俺が作ったおにぎりは、晩餐会で大好評だったそうだ。
正確に言うと、おにぎりに感動しているソウタ殿を見てお嬢様がものすごく喜んでいたと、わざわざパーカー様が厨房まで来て伝えてくれた。
そして俺はパーカー様と一緒に来た青い髪のメイドに、おにぎりのコツを教えることになった。
……あれっ? 昼間、ソウタ殿の横に居たメイドでは?
近くで顔を見て思いだした。
少し前まで冬の城で働いていたよね?
今はソウタ殿の専属メイドとして、ソウタ殿の屋敷で働いている?
……なるほど。
主が好む料理を覚えることも、専属メイドには必要だな。
コツと言うほど難しいことでもないが、俺の知っているおにぎりの知識を全て伝えよう。