1 賢者の書
妖魔の森の上空を城が飛んだ日の翌日。
屋敷に戻ってきた僕は、午後のお茶を飲みながらのんびりしていた。
「はい、ソウタ君。忘れないうちに渡しておくわね」
「これって……何ですか?」
喫茶室に入ってきたマーガレットから手渡されたのは、十枚ほどのレポート用紙を厚手の紙で挟んで、太い糸でまとめた物だった。
表紙に書いてあるのはユーニスの名前と十五年ほど前の日付。
「礼拝室の魔方陣に興味を持ってたでしょう? あの魔方陣を作った時のメモをユーニスがまとめた物よ」
「あー……。ありがとうございます。リンドウが喜びます」
資料をパラパラめくっただけで、右手の腕時計から興奮してる気配が伝わってくる。
完成した魔方陣と、魔方陣を構成する文様の説明。
文様の組み合わせが大事なようで、実験で試したけど実際には使われなかったパターンについても丁寧にまとめてある。
……かなり高度な内容っぽいし、読むのは寝る前で良いかな。
「本当はね。魔方陣を作る時に参考にした本があって、それも一緒にプレゼントしようと思ったんだけど……。パーカーから止められちゃったのよ。危ないからやめておきなさいって」
「……そんなに危ない内容なんですか?」
話をしながらマーガレットが隣の席に座る。
会話の邪魔にならないタイミングで、マーガレットと一緒に引っ越してきたメイドさんが、マーガレットにお茶を出してくれた。
……紫色の髪はメアリーさんだっけ?
ずっと前からこの屋敷で働いているみたいに馴染んでる。
これもきっと、エミリーさんがうまくやってくれてるんだろう。
「参考にしたのは賢者の書の二巻なんだけど、前の持ち主がかなり苦労して手に入れたみたいでね。『この本は誰にも渡さない!』って言って、強力な呪いをかけて亡くなったの」
「こんなことを聞くのはいまさらですけど……。賢者の書って何ですか?」
「賢者の書は魔族帝国時代に作られた、魔法に関する辞典よ。一般に知られているのは一巻だけで、ソウタ君にプレゼントしたのも一巻ね。けど、実際には三巻まで出ているの」
……賢者の書についてもっと詳しく聞いて欲しいって、リンドウから催促された気がする。たぶん、気のせいではないだろう。
「二巻や三巻にはどんな魔法が載ってるんですか?」
「二巻は儀式魔法について。つまり、魔法使いが何人も集まって使う魔法について書かれた本ね。三巻は禁呪……。使っちゃいけないとされている魔法のまとめよ」
僕がもらった一巻でも、かなり貴重だってユーニスが言ってたっけ。
一般に知られてない二巻や三巻なら、もっと貴重なんだろう。
それこそ、死んでも手放したくないぐらい——
「呪いがかかってる本って、読んでも大丈夫なんですか?」
「抵抗に成功すれば問題なく読めるわよ。あとは、パーカーみたいに呪いの効かない体質の人も大丈夫ね」
「……それって、僕がもらっても読めなかったのでは?」
「そうかしら? ソウタ君ならどうにかしてくれそうだけど……」
呪いのかかった本を読む方法?
仮初めの石像で造ったゴーレムにページをめくってもらって、視界を借りて読めばいけるかな? 石像使いまで呪いが届く可能性は?
そもそも、ゴーレムの指でページがめくれるのか?
「呪いを解く方法はないんですか?」
「ん〜……。調べればあるのかもしれないけど……。呪いに関する話はあまり詳しくないのよね。そんなに困ったこともなかったし」
「そうなんですか……」
伝説の英雄ともなれば、呪いなんかに負けないのだろう。
長く続いた戦争を終わらせるのって、綺麗事だけでは不可能だろうし。恨まれたり呪われたりしたこともあったんじゃないかな? たぶん。
それでも平気だったから、ここでお茶を飲んでる訳で……。質問する相手を間違えたか。
「私も、お茶会に参加させてもらって良いかしら? ソウタ君」
「どうぞどうぞ」
会話の途切れたタイミングで、喫茶室にユーニスが入ってきた。
ユーニスにもお茶が出され、マイヤーが僕のお茶を入れ直してくれる。
正直に言って助かった……気がする。
同じ部屋にマイヤーもいるし、マーガレットと二人っきりになってる訳でもないんだけど、二人で話をしていると妙に緊張してしまう。
何度も抱きつかれたり、腕を組んだりされた影響かな?
ユーニスが隣に座ってテーブルに着いてるのが三人になっただけで、かなり気が楽になった。
まさか、硬くなっている僕を助けるために、誰かがユーニスを呼んだ訳じゃないと思うけど。
「ちょうど良いところに来てくれたわ。私が持っている賢者の書の二巻、ユーニスも知ってるでしょう?」
「あの、幻と言われている本ですよね? ギルドでも持て余して、マーガレット様のところに持ち込まれたって噂の……」
「そうそう。あれをソウタ君にプレゼントしようと思ったんだけど——」
「やめてください。危なすぎます。恩を仇で返すおつもりですか?」
「私だって、そのまま渡すのが危ないって事ぐらいわかってるわよ。でも、呪いを解いてからなら問題ないでしょう?」
「それはそうですけど……。あの呪いを解くのは、イムルシアの教皇でも無理だと思いますよ」
「あれって、そんなに強力な呪いなの?」
「一般人であれば、表紙を見ただけで呪われてもおかしくないレベルです。あっさり抵抗に成功して、普通の本のように扱っているマーガレット様が普通では無いことを自覚してください」
ユーニスとマーガレットが二人で話をしてくれて、聞いてるだけで済むのは楽なんだけど……。あれ? 話が逸れてる?
リンドウはかなり興味があるみたいだけど僕はそれほどでもなくて、呪われる危険を冒してまで本を読もうとは思わないんですが。
「そんなに危ない本なら、無理に読めなくても良いですよ。さっきもらった資料だけで十分ですから」
「そう? でも、せっかくソウタ君が興味を持ってくれたんだから、これぐらいどうにかしてあげたいんだけど……。あっ、そうだ!」
「先に言っておきますけど、呪いに勝てるようになるまでソウタ君を鍛えるのは無しですよ。マーガレット様」
「そんな面倒なことはしないわよ。そうじゃなくて、パーカーならあの本を読めるから、写本を作らせましょう」
「……それは良いアイデアですね!」
何故か、ここに居ないパーカーさんの仕事が増えた?
「少し時間がかかるかもしれないけど、楽しみに待っててね。ソウタ君」
「本ができたら私にも見せてね。ソウタ君」
「あっ、はい。わかりました……」
これって、僕が興味を持ったのが原因なのかなぁ……。
次にパーカーさんに会った時、こっそり謝っておこう。