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昼過ぎに、船は十数人の客引きが待ち構えるハバラナガートの船着き場へ到着した。客引きたちは降りてくる乗客が宿を必要とする旅人だと瞬時に判断すると、先を越されてなるものかと、闘志を燃やして我先に声をかける。
「はいはい旦那さま! こちらに素晴らしいお部屋をご用意しております!」
「奥さま、当旅館は送迎・観光案内、すべてに専用馬車をご用意してございます」
懐具合があまりよろしくないと見れば、
「お客さん、安くて清潔な宿ならうちだよ!」
「一泊十ルピネ、ぽっきり!」
ハバラナガートはシュウ有数の観光地を抱える町だ。東方の森のなかに千年以上前に栄えた王国の遺跡がある。町自体はさほど大きくないが、観光の拠点としてそれなりに栄えている。
船を降りると、ふたりのもとにもすぐに数人の客引きがやって来た。馬に似た顔の長い男がリュイを口説きにかかる。
「お兄さん、うちの旅館へ是非! 部屋はきれいだし高台にあるから眺めが抜群だ!」
すると、後ろにいた獅子っ鼻の男がそれを遮るように前へ出て、
「いやいや、俺についてきな。うちの宿は最高に居心地よしときたもんだ!」
「なにをおっしゃる豚小屋が。泊まるならうちだ、食事も美味いよー」
客引きの苦手なリュイは若干煩わしげな顔をして、船着き場から町のほうへと歩いて行く。男たちはなんやかやと言い立てながらついてくる。こんなとき普段なら、代わりにティセが適当に客引きの相手をするのだが、とてもそんな気分にはなれない。とうとうハバラナガートに着いてしまった…………ティセは暗澹たる思いでいっぱいなのだった。
遺跡見物については、かねてから非常に楽しみにしていた。栄華の極みからたった一日で滅ぼされたという劇的な史実を持つ、ティセの好奇心をこれでもかと刺激する観光地だ。遺跡は広いため、急ぎ足で見物したとしてもたっぷり一日かかるという。とすると、ここには最低でも二泊三日……あるいはそれ以上の滞在になろう。そんなにも長い時間リュイとふたりきりで過ごさねばならない、その遣り切れなさ、居たたまれなさを思うともはや恐怖だ。このまま船に乗っていて、誰かほかの乗客を盾にしてリュイの視線から逃れていたかった、そして、その盾に隠れるようになって、リュイを見ていたかった――――……。
けれど、遺跡見物を取り止めようとは言えなかった。とても楽しみにしていたのをリュイは知っている。そんなことを言えばそれこそ不自然だ。理由を問われても、とてもではないが答えられない。それに、やはりせっかくの遺跡を見てみたい気持ちも強かった。もう二度とこんな機会は訪れないかもしれないのだから。
とはいえ、いまの状態で遺跡を巡るのを、ティセは心の底から残念で悔しく思っている。ただ見てみたいのではないのだ。感想を述べあい、共感しあい、感嘆の溜め息を交わしあい――――つまり、リュイと感動を分かち合いたい、そのための旅なのだから。いまの状態でそれは適うはずもない。早くこの嘆かわしい状態をなんとかしなければ、旅がだいなしになってしまう。それは、リュイとの関係を失うことの次に怖ろしい。
客引きの相手を代わらずに、ただ下を向いてぼんやり歩くティセを、リュイは訝しげな目でちらりと振り返る。このところいつにも増して暗く、そのうえどこかつらそうな顔をしている。
「……宿はどうする?」
どきりとして、少しだけ顔を上げた。
「え……っと……」
気づけば、つきまとっていた数人の客引きたちはすでに諦めて、ほかのカモを見つけに退散したようだ。たったひとり、ずいぶん気の弱そうな顔つきをした小男が残っていて、懇願するような目でふたりをじっと見ている。ほかの男たちの勢いに圧されてなにも言えずにいた男だ。ティセが目を合わせると、
「う、うちの旅館へ来てくだされ。静かで広くてきれいでっせ。食事もつきまっせ。洗濯もしまっせ。遺跡への送迎もしまっせ!」
頬を赤らめて慣れない様子で畳みかける。客引きに向かない性格なのだろう、ティセはなんだか哀れに思い、
「一泊いくらなんですか?」
「二食付きで三十ルピネでっせ!」
「三十!? それは高過ぎだなあ」
「じゃあ、十ルピネでっせ!」
「十……!?」
いきなり三分の一になる。ティセは呆れた。男は「来てくれないとどうしても困る」とでもいうふうに眉を寄せて言い募る。
「ハバラナガートでは有名な宿でっせ。たった十ルピネでっせ。ねえいいでしょう、お客さ~ん!」
ますます頬を赤らめる。面倒なうえ、なにやら可哀想になってきて、「分かった分かった」とその宿へ行ってみることにした。
中心街からは少し離れるが、遺跡のある森にはほど近いので観光には便利だと男は言った。東のほうへしばらく行くと、木立の間に田畑が見え始めた。農家がぽつぽつとある。人気が少なくてどうにも寂しげなところだと思っていると、男は古めかしい意匠をした大きな鉄門の前で止まった。
「ここでっせ」
ティセは驚いた。門の向こうには大変広い庭があり、その奥には豪邸が建っていた。
「え? ここ!?」
十ルピネというからには、いつも宿泊しているような安普請を想像していた。ところが、どっしりと重厚感のある大きな木造家屋で、さながら先祖代々住んでいる領主さまの屋敷のようだ。
「嘘? ほんとに十ルピネ?」
「本当でっせ」
男は背丈の倍ほども高さのある厳めしい門扉を「よいしょ」と開けた。すると、蝶番がギギギギィィィ……ひどく耳障りな音を立てた。よく見ると、門扉は全体がすっかりと錆びていて、そう遠くはない未来に朽ち果ててしまいそうだ。
「ささ、どうぞどうぞ」
ふたりをなかへ促すと、男は両手をパンパンとはたいて付着した錆を落とした。
「…………」
屋敷へ向かって十数歩も進めば、庭がとても荒れていることにすぐ気づく。造園自体は非常に洒落ていて、庭木や花壇の配置、中央にある池とその中心に立つ石像、優美な曲線を持った長椅子にあちこち設置された花の半円門など、隅々まで丹念に設計し贅を尽くした庭だと分かる。
しかし、庭木は長いこと剪定していないようでもじゃもじゃの伸び放題、花壇は雑草が生え放題、中央の池はアオミドロで真緑のうえに、飛来したさまざまなゴミが浮かんでいる。中央に立つ石像は土埃にまみれて炭鉱夫のように真っ黒だ。金持ちの異国趣味を物語る気取った長椅子は、鳩やカラスの糞だらけで座れる気がしない。浪漫的な半円門は花の代わりに蜘蛛の巣を飾り、糸にかかった虫の羽だけが風に悲しく揺れている。門から屋敷の玄関まで続く道も、掃き掃除を長らくしないのか、ゴミや落ち葉があちこちで吹き溜まりになっている。まるで廃屋の庭だ。
「…………」
屋敷は庭の有様を裏切らない。遠目に見たとおり、確かに家屋は立派である。馬車に乗ったままでも入れそうなほど大きな玄関は扉が開け放たれて、その奥に幅の広い階段がゆったりと二階へ続いているのが見える。いくつもあるらしい部屋の窓には木彫りの美しい枠が施され、二階部分をぐるりと囲む広い広縁はいかにも感じがよい。その木造の柵にも美しく彫刻が施されており、庭と同じく隅々まで凝った普請となっている。にも拘わらず、そのどこを見ても、古び、壊れ、朽ち始めていた。玄関前の車寄せの屋根に取り付けられた雨樋は、片端だけが地面に落下して斜めになっており、なんとも体裁の悪いままに放置されている。
「…………」
唖然とするティセを尻目に、男は静まりかえった屋内に向かって元気よく声をかける。
「お客さまでっせ~!!」
ややあって、奥からパタパタと足音が聞こえてきた。六十代と思しき白髪の女将が、猫を抱いたまま小走りに現れる。気軽に話せそうなほど愛嬌があるのに、どことなく気品も感じさせる女性だ。ふたりを見れば顔中を皺めて満面の笑みを湛え、
「まああああっ! よくぞおいでにっ! どうぞなかへお入りになって!」
甲高い声を上げた。その喜びようは、久しく宿泊客がないのを暗に語っている。ティセは小声で男に問うた。
「……ほんとに十ルピネ……?」
ただし、前の問いかけとは反対の意味合いだ。そうと気づかない男は、
「本当でっせ。二食付きで十ルピネ、安いっしょ」
にこりと笑んだ。よく見れば男の鼻の形は女将とそっくり同じ、どうやら親子のようだ。
もとより立派な宿に泊まりたいのでもなし、宿の状態はともかく二食付きでこの料金は良心的だ。案内された二階の部屋はそこそこ快適に過ごせそうなほどには手入れがしてあるようなので、ふたりは宿泊を決めた。
リュイは先に水浴びへ行った。ティセはほっとしつつ、さっそく屋敷を探索してみることにした。
玄関の奥に見えた幅の広い階段を先ほど上がったが、ひと足上がるごとにギイギイと軋み、踊り場は気のせいか揺れを感じた。段の隅と手すりにはほこりがみっちりと積もり、久しく掃除をしていないと分かった。手すりの支柱は何本もなくなっていて、小さな子供なら隙間から誤って落ちかねない。二階にはぐるりと巡る廊下に沿って部屋があるが、扉に板を打ち付けて封鎖してある部屋がいくつもあった。
「なんだこれ……」
鍵穴からなかを覗いてみれば、窓が割れて風雨の吹き込んだ荒れた室内の様子が目に飛び込む。ほかに、扉がなくなっている部屋も数部屋あった。呆れる思いで廊下の天井を見上げると、そこここに蜘蛛の巣がはりめぐらされ、霧でもかかったように白く見える。壁に設置されたいくつかのランプも、硝子のほやがことごとく割れている。
「……お化け屋敷だ……」
一階もひと巡りしてみた。二階とほぼ変わらない状態だ。玄関奥の左手は一家の居住空間で、その辺りと食堂だけがそれなりに手入れをしてあるようだった。食堂では下女と思われる若い女をちらりと見かけた。
数えてみれば、十を超す部屋のうち客室として稼働できそうな部屋は、ふたりのいる部屋を含めておそらく三部屋しかない。
続いて家屋の周りを回ってみる。外壁の塗装はあらかた剥がれ落ち、黒ずんだ壁板は日差しと風雨に痛むばかりだ。一階の割れた窓には板が打ち付けてあり、せいぜい泥棒から守っている。二階の窓の多くは先ほど鍵穴から覗いたとおり、嵐の折にでもやられたのか、めちゃくちゃに割れていた。西側へ回る。ふたりの部屋の広縁の下に来た。その辺りには花壇があるが、植えてあるのは宿泊客の目を楽しませる可憐な花々ではなく、ホウレンソウと蕪だった。
探索の結果分かったのは、この広い屋敷を管理し維持していける余裕がなく、そのための人員もいないのだろうということだった。これほど広い屋敷を維持していくには、何人もの使用人が必要だ。しかし見たところ、雇い人は食堂で見かけた下女がひとりきり、屋敷内は人声がまったくせず静まりかえっている。
これほど立派な屋敷なのだから、名士の家だったに決まっている。なにがあったのか知らないが、ここ数十年の間に零落してしまったのだろう。女将にどことなく気品があったのもうなずける。この家の当代は健在なのだろうか……と考えたら、あの小男のいかにも頼りない顔が浮かんだ。
「……ほんと……?」
他人事とはいえ、ティセは無性に切なくなった。ハバラナガートでは有名な宿だと言っていたが、ある意味有名に違いない。
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