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川辺の鄙びた集落をママラとともに散策し、干した桑の実をおやつに買った。それを口に放り込みながら、ティセは船着き場へのんびりと戻る。南の町へ向かう船はまだ出発には間があって、乗客の多くは岸辺の茶屋で休んでいる。船頭も助手も紫煙をくゆらせながら、茶屋の中年女と夢中で喋っている。リュイは船を降りなかったのだろうか、ティセが下船したときと同じように、屋根の付いている処に座して静かに読書していた。
ママラは船には乗り込まず、桟橋の上にしゃがみこむ。シュウの女の衣装である長い上衣の裾が、古びた板の上にふわりと広がった。これからまたしばらく船に揺られるので、ぎりぎりまで乗り込みたくないのだろう。ティセも倣って腰を下ろした。
工夫を凝らして髪をまとめ上げ、唇には色っぽく紅を差したママラは、せっかくの紅が落ちないよう気を使いつつ焼き芋を頬張って、
「う~ん、甘~い! やっぱりお芋と栗が最高なのよ! ね?」
にこりとしてティセに同意を求めた。小さくてまるい鼻の穴が上を向いていて、どことなく爬虫類を連想させる顔つきだが、活き活きとした豊かな表情が特徴的な、とても愛嬌のある女だ。
「芋も栗も美味いよね。でも、揚げ菓子の魅力にはかなわないな」
「あんた、揚げ菓子なんて油いっぱいで最悪なのよ。あんなの食べたらすぐ太っちゃう」
肥満とはいえないものの、ママラは身体全体がなんとなく丸みを帯びてやわらかそうに見える。年頃の女らしく体型が気になってしかたがないのだろう。芋だって太るだろ、と内心突っ込んで、ティセは曖昧にほほえみ返す。
「そんなにほっそりしてて、揚げ菓子が好物なんて、厭味よ!」
妬ましげな目を向けた。
昨日カウゼンを出発し、もう少しだけ南の町へ来た。バンダルバードへ直通する公共の船はないため、途中で何度も乗り継がねばならない。船はあちこちの集落で停泊し、客や荷物を積み替えてふたたび出航、陽が西へ傾きかけるころには差しあたりの終点に辿り着く。その先へ行く者はそこで一泊し、翌日改めて次の船に乗る。川の流れはゆるやかで、動力は人力だけというこの船はのんびりとたゆたうように行くのだった。また、川沿いの町や村にはそこそこ有名な観光地などもあって、もとより立てていた予定では寄ることにしていた。
ママラとは昨日の昼過ぎから一緒になった。歳が近いこともあり、ふたりはすぐに打ち解けた。馬が合ったというだけではない、リュイの視線から逃れていたいティセにとっては、ママラはまさに救世主だったのだ。この先の町に住む姉夫婦の家へ向かうのだという。五人の幼児を抱える姉から「怪我をして難儀してるから手伝いに来て欲しい」との便りがあったそうだ。それで、家族で一等暇にしているママラが派遣されることになったのだ。が、ママラは溜め息交じりにぼやく。
「ああ、明日にはもう着いちゃうわ。そしたら毎日子守よ。ほんと憂鬱……」
どうやら子供の相手は嫌いなようだ。焼き芋を食べ終えて、焦げのついた皮を無造作に川へ放り投げた。
「でもお姉さんに会うの久しぶりなんだろ。楽しみじゃん。怪我の具合はどうなの?」
「たいしたことなさそうよ。あのひとはいつも何だって大袈裟に言うひとだから、心配し過ぎたら損しちゃう」
あっさりと答えた。のち、急に顔つきを曇らせて、暗い声を出す。
「お姉ちゃんなんかよりずっと心配なことがあるのよ…………それを思うと、もう居ても立ってもいられないほど……」
いかにも憂慮たっぷりに沈んだ様子は、たったいま焼き芋を頬張って至福の笑みを見せていた女とは違う、別の人格が現れたのかと思うほどだ。ティセは怪訝顔で小さく問う。
「な、なにがあるの……?」
ママラは一瞬だけ口籠もり、それからおおいに眉を寄せて、泣き言を言うような口調で答える。
「彼氏が心配なのよっ……!! 地元に置いてきた彼氏が!」
「なんで? 病気なの?」
「違うわよっ! …………あのひと、ちょっと浮気っぽいの……私がお姉ちゃんのとこに行ってるのをいいことに、きっと浮気するわ……!」
「……そ、そっか……」
なんだかはっとしてしまった。そういった理由の心配ごとは、つい最近まで胸に芽生えたことがなかった。以前のティセならこんなとき、「なあんだ、そんなことか……」たいした心配ごとではないと取り敢わなかっただろう。けれど、スルジェに対してあんなに理不尽な思いを抱き、リュイを独り占めしたいと痛いほど思ったいまのティセには、ママラの不安や焦りが想像できるのだった。そんな自分に驚いていた。
ママラは泣き言を続ける。
「前にもあのひと……私が従姉妹の結婚式で一週間くらいいない間に、ほかの子に言い寄ってたのよ……ああ悔しい! 絶対許さないっ……!」
そのときの腹立たしさがよみがえったのか、声に怒りを滲ませた。許さないと言いながらいまも交際を続けているのだから、その発言は矛盾している。つじつまの合わない言動をさせるのが恋なのだ。どう返せばママラを慰められるだろうかと思案したが、そんな言葉はないとしか思えない。
「そっか……」
再燃した腹立たしさを鎮めるためか、ママラは川の流れに目を向けてしばらく黙っていた。午後の日差しが川面に反射してきらきらと光っている。鮒などの川魚がそこここに泳いでいるのがよく見えた。どこかから口笛に似た鳥の声がして、川風にのって流れていった。晩秋の川辺は少し肌寒いくらいだ。
なんとなく、ティセは尋ねてみたい気になった。
「あの……彼とはもう長いの……?」
「う~ん……もう二年にはなるわね」
その月日を回想しているような口調で答えた。すると嫌な記憶をよみがえらせてしまったようで、さらに泣き言を重ね始めた。
「そうよ……二年ちょっとの間に、あのひと何度浮気したかしら……あああっ! 絶対許さないっ……!!」
やぶ蛇だった……尋ねなければよかったと思った。
ママラはこちらを振り向き、思いも寄らないことを言う。
「ねえ、あんたの彼氏は浮気しないの?」
「ええっ!?」
ティセは驚いて目を見開いた。……誰のことを言っているのか、とも思うが、指している人物はそのひとしかいないはずだ。案の定、ママラは船の上で読書を続けるリュイのほうへ目を向けた。
「彼、目立つわねえ……。あんなに見た目の整ったイブリア初めて見た。あれだけ恰好よかったら、さぞかしモテるんじゃない? ね、浮気されたことないの?」
ふたりは恋人同士だと完全に誤解している。ティセはどきまぎしてしまう。まるで、誰にも内緒にしていた意中のひとを思いがけず言い当てられたかのように、にわかに動悸が激しくなった。にこやかに落ち着いて否定するつもりが、
「ち……違っ……そんなんじゃないよっ……!」
すっかり慌てて、意に反して声が上擦ってしまった。「好き」と言っているのも同然に思えて、顔がかあっと熱くなる。
ティセの返答は、ママラにはひどく意外だったようだ。一瞬、きょとんとしてから、
「あら、そうなの? だって、一緒に旅してるんじゃないの?」
「そりゃ……そうなんだけど……」
「じゃあなによ、ただの友達と旅してるってわけ?」
「…………変……かなあ……」
旅の始めのころには宿泊のたびに、ひとびとの向ける非難めいた目を気にしていたが、「堂々としていればいいのよ」と、いつかの女に肯定の笑みを向けられてから、まったく気にしないようになっていた。けれど、ティセはいま弱気になっていた。ふたりの関係性に、ティセ自身が揺れてしまっているからだ。
ママラは暫し不思議そうな顔をしていたが、すぐに気を取り直し、
「う~ん……変っていうわけじゃないけどぉ……。彼氏とか婚約者と一緒に旅をしてるっていうなら分かるんだけど……ただの友達とっていうのは聞いたことがないから……」
ただの友達、という言葉が、ひどく複雑な響きをもって胸に染みる。
「…………」
ついうつむいたティセとは反対に、ママラは斜め上に目を向けながらなにやら考えているようだった。難しそうに眉を寄せて私見を述べる。
「彼氏と一緒にいたってめんどくさいこと多いけど…………男友達と一緒に旅をするなんて……もっと大変そうだわ……考えただけでもめんどくさそう!」
「え……?」
ティセは顔を上げてママラを見た。
「そんなことなあい?」
「……大変っていうのは……どういう意味……?」
「なんていうかぁ…………友達のほうがいろいろと気を使うから……私はね」
ママラの言わんとしていることは、ティセにはよく分からなかった。恋人を持ったことがないからだ。ティセにとっては、仲の良い友達であればあるほど気を使わない存在だ。たとえば親友のカイヤに気を使うだろうか、考えるまでもない。
「……そうかなあ……」
「そうよ。彼氏なら、付き合い始めのころはそりゃあ気を使うけど、それなりに付き合いが長くなればなんというか開けっ広げになってきて、気を使わなくなるものよ。……ほら、長年連れ添った夫婦みたいにね、緊張感がなくなってくるの。でも、男友達だったらそこまではならないでしょ。一線引いて置きたいところとか、隠しておきたいところとか、どうしてもあるでしょう? たとえば生理で具合悪いときとか、言いづらいじゃない」
「…………」
「友達のままで旅してるより、いっそ好き合っちゃったほうがずうっと気楽のように思えるけどねえ、ま、私はね」
いとも簡単なことのように、ママラは言うのだった。
なんとも言えない気持になって、ティセはふたたび伏し目になった。水草の類がひとまとめになって、桟橋のすぐ近くをゆっくりと流れていくの見つめていた。
……いっそ好き合っちゃったほうが、だって……
胸のなかでくり返せば、反論のつぶやきがつい零れる。
「……そんな関係になることのほうが、難しいように思うけど……」
すると、ママラは小鳥のような機敏さで首を回し、ティセの顔を見て目をぱちくりさせた。声を大きくして、
「なあんだ! そんなんじゃないって…………要するに、いまはまだあんたの片思いってわけね」
心臓がどきーんと跳ね上がった。飛びかかるような気持と勢いで、ママラの口を慌てて塞ぐ。
「こっ……声が大きいっ……!」
その声も上擦っていた。口を塞ぎつつ、船上のリュイにそうっと目を向ける。その程度の声が聞こえるほど近くはないので、耳には届かなかったようだ。こちらを気にかける様子はなく、読書に没頭していた。ティセは心底胸を撫で下ろした。
塞いだ手をやわらかく押しのけたママラの表情は、もはや興味津々といったふうだ。恋の話が大好きなのだろう、耳まで真っ赤になったティセと、船上のリュイを交互に見遣る。にやにやと少々品に欠ける笑みを湛えながらも、ティセの要望には応えて囁き声で言う。
「告白してみればいいじゃない。一緒に旅をしてるくらいなんだから、向こうだって気があるんじゃないの」
こんなザマを晒したからには、片思いを否定するのはもうあきらめた。無理に取り繕ったところで、誤魔化しきれずにどんどん襤褸が出て、さらにみっともなくなるだけだ。真っ赤な顔を恥じらいつつ、ぼそりと返す。
「……ないかもしれないだろ……」
「そうかしらぁ……昨日から見てるかぎりじゃ、彼、とっても愛しそうにあんたを見てると思うけど」
セレイが言っていたのと同じようなことを言う。
「……でも……ないかもしれない…………そんなこと言ってもしも気がなかったら、どうしていいのか分かんないよ……」
最後は消え入りそうな声になった。顔中に憂いを満たし、しおれたようになったティセを、ママラは呆気に取られたように眺める。
「……あんた……そんな凛々しい顔してるくせに、意外に弱々しいこと言うのね……びっくりしちゃう」
自身、不甲斐ないと思っているので、なにも言い返せない。黙り込んだティセの沈鬱な様子をひとしきり眺めたあと、ママラは冷やかすような態度を改め、にわかに真面目な顔つきになった。
「勇気が出ないのも分かるけど…………でもねえ、そうやって迷い続けてなんにもしないのはいちばんよくないのよ」
恋の先輩ぶって諭すように言う。
「あのね、恋ってのは、時機というか相手との歩調というか、そういうのがとっても重要なのよ。いくら仲が良くって安心しきっていたとしても、ほんのちょっと時機や歩調がズレてしまっただけで、うまくいくはずだったものがうまくいかなくなっちゃったりするの。そうなったら、あとはもうどんどんズレて離れていって、元に戻るのは難しいの」
「…………」
「だからね、勇気を出して時機を逃さないようにしないと、彼、いつのまにか手の届かないひとになっちゃうかもしれないわよ。……これは、私の経験から言うんだけどね」
そんな失敗をして恋を失ったことがあるのだ、ママラは照れ隠しのように笑い、
「分かった? 分かったら頑張んなさい!」
ティセの肩をポンポンと叩いた。
手の届かないひと――――……このうえない相棒が、ぼやぼやしている間に離れていってしまうかもしれない…………ますます怖くなってしまった。時機を逃すなというが、いまが時機だとどうしていえるだろう……。まだ訪れていないとすれば、どうしたらその時機が分かるのだろう。ティセにはなにも分からない。
誰か、リュイの本当の気持を教えてよ――――……!
けれど、ティセには分かっていた、本当の気持ちは本人の口から聞いた言葉でなければ、誰がなにを言ったとしても、どうしたって信じられないのだということを。にも拘わらず、心の声はそうくり返す。
……なんて弱々しい、ティセ・ビハールはこんなじゃないよ……!
完全に自分を持て余していた。
船頭や乗客たちが茶屋からわらわらと戻ってくる。ママラは「出発ね」と、立ち上がって軽く伸びをした。リュイの近くへ戻らなければいけないのを苦痛に思いながら、ティセは重い足取りで船に乗り込んだ。
翌日の午前中に、ママラは姉の住む町に到着して船を降りていった。ティセもいったん桟橋に降りた。浮かない顔で見送りをするティセに、
「頑張ってねっ!」
ママラは片目をつむってみせた。それから船にいるリュイへ「じゃあね」、ニヤニヤしながら手を振り去っていった。
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