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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第一章
6/69

6

 足踏みミシンに向かう母に首飾り(ロケット)と秘密の手紙を見せると、母は顔を近づけて双方を交互に眺め見た。

「まああ……ずいぶん情緒的な甘い手紙ねえ。素敵だわ……」

 少女のようにうっとりとして言った。それから、そばに立つふたりを見上げ、

「それで、この宝物とやらを探しに行くの?」

「そう! 宝物だって、すごいだろ!?」

 得意顔の娘に呆れ気味の目を向ける。

「言い出しっぺはあなたね」

「もちろん」

 母はリュイを向き、溜め息交じりに言う。

「……ごめんなさいね、この子ちょっとおかしいの、頭の捻子が一本外れてるみたい」

 リュイはふっと吹き出してから、静かにうなずいた。

「宝物なんてあるかしら……」

 さも疑わしげに、母は首を捻る。

「あると思ってたほうが楽しいだろ。それに、なきゃないで別にかまわないんだから」

 旅の目当ては宝物じゃない、ふたりで歩いて行くことなんだから……ティセは心のなかでそうつぶやき、口角を上げる。


 母はふたたび首飾りの細密画を覗き込む。

「ずいぶん古い絵のようねえ。この女のひとが着てる服なら、母さん知ってるわ」

「なになに?」

 ふたりも一緒になって、白い衣装を纏う女の絵に見入る。

「この胸元の飾りかた、凝ってるでしょう。クルネーガリーっていう名前の型なのよ。娘のころ、お裁縫の先生に教わったわ」

 大きく開かれた襟ぐりが、ふんわりと膨らみをもたせた白い布地で縁取ってある。さらにそれは等間隔を空けて絞るように縫い縮められ、いくつかに分かれている。まるで、丸々とした白い腸詰め(ソーセージ)を一連、襟もとに取り付けたようにも見えた。そして、縫い縮めた部分には、小指の長さの可愛らしいふさが飾られている。

「クルネーガリー?」

「そう、クルネーガル風って意味よ。昔、上流階級のご婦人の間で大流行したそうよ。クルネーガルにいた有名な仕立て屋が考案したからそう呼ばれてるってはなし。もちろん、いまでは時代遅れの古くさい型だけどね」

「へえ! ……それってどのくらい前の話なの?」

 母は記憶を辿るように斜め上を見遣り、

「ううんと……どうだったかしら……一五〇年くらい前だったと思うけど……」

 ティセは目を輝かせてリュイを向き、

「それじゃあやっぱり、この女のひとと手紙はきっと無関係じゃないね。そのころクルネーガルにいて、そのあとシュウに行ってしまったこの女のひとに宛てた手紙かもしれない! この首飾りもそのころ作ったものに違いないよ」

「そうかもしれない」

「ほらほら! 宝物が現実味を帯びてきたっ! あるある、絶対ある!」

 リュイは可笑しげに笑みを零し、母はますます呆れ顔を深くする。ティセは母の両肩を揉むようにしながら、

「母さん、意外と物知りだなあ。役に立つー!」

「なによ、意外にって……。母さん怒るわよ?」

 母は唇を尖らせてティセを見た。






 ふたりは旅の準備に取りかかった。ティセはジャールに足を運び、入り用のものを揃えるとともに書肆へ行き、周辺諸国まで掲載されている地図を仕入れた。自宅でリュイと頭を寄せ合って地図を眺め、旅程を考える。


 クルネーガルはシュウの南西に位置する島国ランタリアの高原地帯の地名だ。歴史的にシュウととても関係の深い国だとリュイは言う。現在は独立を保っているが、古来幾度となくシュウの為政者による干渉を受けて属国状態にされてきた。そのうえ、さらに大陸の西にある大国が、シュウへの侵略の足がかりにランタリアを利用してきたという過去も持つ。

 大国の思惑に翻弄され続け、充分な国力を養えずいまに至るが、西の大国が手を引き、シュウが独立を認めている現在、国内は大きな動乱もなく平穏が保たれている。


 主たる住民は祖先からそこへ住むランタリア人だが、そのほか、シュウ南部からのイブリア族を含む移住者とその子孫、そして西の大国からの移住者の子孫も多い。

 島国だけあり漁業が盛んだが、農業も産業の大きな割合を占めている。とくに高原地帯で生産される茶葉は重要な輸出品だ。その高原地帯は風光明媚な地と知られ、富裕層の別荘が多く建ち並び、有名な避暑地、観光地となっている。観光産業もまた、近年のランタリアにとって重要な産業だ。


 リュイは地図を眺めながら粛としてランタリアを語った。おもむろに茶に手を伸ばし、ひと息入れる。ティセは感心の眼差しを向ける。

「……おまえ、ほんと物知りだよなあ……ランタリアへは行ったことあるの?」

 クルネーガルの茶葉と景勝はイリアでも有名なので知っていたが、ランタリアの国についてティセはほとんどなにも知らなかった。

「行ったことはない。ランタリアについては、子供のころに勉強した。間違っていることも相当含まれていたけれど。あとは、すべて読んだり聞いたりしたことだから、実際に行ってみないと本当のところは分からないよ」

 合点した。リュイはハジャプートの養成施設で自国のことはもちろん、とくに関係の深い国についてはよく教わっているのだろう。

「そっか……初めてか」

 ティセはついニヤニヤする。

「なにを笑うの?」

「いや、なんでもない」

 リュイが初めて訪れる国へ、同じく初めてともに訪れようとしていることが、ティセには嬉しかったのだ。前の旅では、スリダワルもタミルカンドも、リュイは初めてではなかった。ニヤニヤし続けるティセに、リュイは小首を傾げていた。



 まもなく、大まかな旅程が立った。

 ナルジャから一等近い駅へ向かい汽車に乗る。かつて村への帰還のために、アズハー一家と同乗したあの長距離鉄道を、今度は逆方向へ向かうのだ。工事が順調なら来年末頃にはシュウの最大都市バンダルバードまで開通する――――……アズハーは当時そう言っていた。しかし、工事は遅れに遅れ、いまだシュウの国境を越えていない。だいぶ手前の町はずれで頓挫したままだ。

 行けるところまで汽車で行き、そのあとは徒歩でシュウへ入国する。それから少し回り道になるのだが、南東部の地方都市カウゼンへ…………妹セレイの住むカウゼンを再訪する。

 セレイに会ったのち、大きな港を誇るバンダルバードへ向かい、そこでランタリア行きの船に乗るのだ。ランタリアからの帰路、もしも余裕があったなら、フェネに会いに行けたらいい。


 シュウへ戻ることについて不安はないのか、ティセはそっと尋ねた。逮捕される可能性が零ではないからだ。リュイは束の間黙したが、国境を越える際に少し緊張するけれど、それほど心配していないと答えた。脱走後、もう三度もなにも問題なく越境していることに加え、やはりセレイに会いたい気持ちが強いのだろう。


「船だって! すすすす、すっげ――――っ!!」


 地図の上、バンダルバードの位置を凝視しながら、ティセは感激に打ち震える。海に浮かぶ船に乗るのも初めてだが、海を越えていくのだと思うと、呆然としてくるほど心が高まった。かつて見つめた水平線……心が澄み渡っていくようにひたむきな、あのひと筋の線に向かい、進んでいく。それは、とてつもなく美しいことのように思われた。

 リュイは熱くなったティセの目つきを見てわずかに口角を上げ、それから、同じように地図上の一点を見つめた。瞳に感傷が滲む。カウゼンを見つめているのだと、すぐに分かる。

「リュイ、もうセレイに手紙書いたか?」

「いや……まだ。ちゃんと書く」

「じゃあ、これからティセとそっちへ向かうって、忘れずに書いといてね」

 切なげな瞳をしたまま、リュイは静かにうなずいた。



 前の旅で家出した際、ティセは母の隠していた金の三分の二を持ち出した。宿泊は安宿か食堂兼簡易宿、まれに野宿で過ごす日もあったうえ、乗合馬車すら乗らない旅だった。そのため、すべてを使い切ることなく帰還した。余った分は、当然母へ返していた。

 母は返された分と残りの三分の一を、ティセの手に渡してこう告げた。

「分かってるだろうけど、これはあなたの結婚資金だったのよ。あなたのために貯めたものだから好きに使えばいいわ。でも、もう結婚の面倒は一切見ないわよ、いいわね」

 ティセは居ずまいを正し、神妙に受け取った。

「……はい、分かっています」

 のち、ぼそりとつぶやく。

「……というか……結婚なんかするかなあ?」

 甚だ疑わしい。この村や隣町において、自分をもらおうなどという奇特なひとが果たしているだろうか。自分にはなんの関係もないことにしか、ティセには思えない。

 ほかに、母はここ数年の繁盛で貯まった分のなかから軍資金を用意してくれた。あとは、それほど多くはないものの、ティセが自分で貯めていた分を旅の資金に充てる。もしもそれで足りなければ、じつは資産家のリュイに借りれば済むだけのはなしだ。


 リュイはライデル一家の幹部に預けた残金を、いまだ受け取りに行っていないという。

「…………おまえ……ほんと、リザイヤいくらだったんだよ……」

「こういう旅を続けているだけなら、一生困らないくらいの額だった」

 涼しい顔で返す。けれどあれから、たまには働いていると言った。

「へえ! なんでまた?」

「相部屋になった男に誘われて、短期の仕事をしたのがきっかけだ。本当にたまにだけれど、機会があれば働いている」

「どんな仕事?」

「荷運びや土木工事とか……日雇いか短期の仕事ばかり」

 つまり人足だ。典型的な人足の風貌と気質を思えば、リュイにはひどく似つかわしくないと思った。が、人並みを軽く超す体力を持っているのを考えると、案外合っているのかもしれない。

「……そんなに金持ってるのに、どうして?」

 首をやや傾げて考えたのち、

「なんだろう…………働いていると気が紛れるようで、楽になるように思うんだ」

 リュイは薄く笑ってそう答えた。どうやら、積極的な考えによる行動ではないようだ。気を紛れさせたくなるなにかから逃避するように労働するのだろうか……。ティセは憐れみにも切なさにも似た、なんとも言えない思いを胸に覚えた。








 残り数日になった昼の勤務を終えて、いったん帰途へつく。商店街を抜けきる手前にある雑貨屋の店先に、ラフィヤカの姿を見つけた。ちょうど店から出てくるところで、身につけた薄桃色の衣服に真昼の陽が差して、ぱあっと明るいものが目に飛び込んできたように映った。

 先日のことがあったので一瞬ためらった。が、ティセは片手を軽く上げ、

「ラフィヤカ!」

 いつものように気安く声をかけた。

 ラフィヤカは顔をはっとさせ、こちらを振り向いた。ティセの姿を認めると、みるみるうちに表情を硬くした。先日と同じく怖い目で、ティセを睨み始める。いまにもほとばしりそうな不満を押し殺しているのか、唇が小刻みに震えていた。

「……ねえ、ラフィヤカ」

 諭すように呼びかけて歩み寄る。と、ラフィヤカはくるりと踵を返し、ふたたび店内へ戻ってしまった。

「……ああ……」

 ティセは独りごち、ボリボリと頭を掻いた。




 自宅へ戻り、三人で昼食を取る。

 母は平パンを適当な大きさにちぎりながら、そうそう、とティセへ尋ねる。

「ここんところラフィヤカ来ないわねえ、仕立てが進まないだけだったらいいんだけど、まさか具合でも悪いのかしら?」

 ティセはどきりとした。

「……私の仕事中にも来てないの?」

「来ないのよ。外で会わない?」

「……うん、ここんとこ見てない……」

 先ほどの怖い目を浮かべつつ、つい誤魔化した。

 母はリュイに目を向けて、

「ティセの親友なのよ、ラフィヤカ。とっても可愛くて優しい()なの。私のところに洋裁習いに来てくれてるのよ」

「はい、よく話を聞きました」

「そう。このまえカイヤたちが来たときも来てなかったみたいねえ、忙しいのかしら」

 ティセは心で溜め息をついた。


 ……困ったなあ……


 多少の不満は口にするだろうと予想していた。しかし、ここまで機嫌を損ねるとは思ってもみなかった。それほどまでに自分の旅立ちが――……自分がそばからいなくなることが気に入らないのだろうか。まるで、遠く離れていく恋人に恨みを抱いた女のようだ。とは思うものの、そんな女の気持ちはティセにはよく分からなかった。

 ラフィヤカは心根の優しい娘ではあるけれど、意固地なところもあり、ああなったらティセにもお手上げなのだ。出発までもうまもない。このまま旅立つのは非常に不本意だが、ラフィヤカを諭して慰める言葉は、なにひとつ頭に浮かばないのだった。


 ……女の子はむずかしいよ……


 自分も少女でありながら、ティセはつい頭のなかでつぶやいてしまった。









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