15
道の両側には民家が続く。小さな家屋や簡素な長屋のひしめく、セレイの住む裏町やイブリア街とは異なり、比較的大きな一軒家が適度な間隔を空けて建っている。皓皓と輝きだした月の光と、窓から漏れるランプの灯りで、夜道は意外と明るかった。寄り添って歩くふたりの影が道にはっきりと見えるほどだ。繁華街の賑わいはすぐに遠くなり、露店の売り声も、流しの売り子の吹くラッパの音ももう聞こえない。未舗装の道を行くふたりの足音と、ときおり民家から聞こえる子供の声、犬や猫の鳴き声が耳に届くのみとなった。
スルジェとの距離が近くなったことで、リュイは強さを増した香水の香りをおのずと意識した。春の風のようにまろやかに香る、決して鼻腔を刺さない良い香りだ。当世風の雰囲気を多分に纏うスルジェによく似合っている。けれど、長いこと包まれているとなんだか酔ってしまいそうにも思えた。酔う――――それはつまりその女にということなのだが――――リュイは媚薬の効果をまだ知らず、単純に酒に酔うように香りに酔いそうだと感じていた。
道すがら、スルジェは帰りたくない理由を静かに語り始めた。
「……今日はね、母さんのやってる居酒屋が休みだから、家に母さんの新しい恋人が来てるはずなのよ」
スルジェは母とのふたり住まいだ。セレイがこの町へ越してきたのと同じころ、南部のほかの町からふたりで越してきたという。実の父親は記憶になく、長いこと母とふたり、あるいはそのときの母の恋人と三人で暮らしてきたそうだ。ここしばらく母は寂しくしていたが、少しまえに新しい恋人ができて、いまとても幸せそうにしているとスルジェは微笑う。母の幸せを素直に喜びつつも、いい歳して……といったふうな、世間の批判を躱すための冗談交じりの笑いも含まれていた。
が、ふっと表情を沈ませてつぶやくように言う。
「でも…………そのひとのこと、私はちょっと苦手なの……。いいひとなのは分かるんだけど、なんとなく相性が合わないというか、打ち解けにくくって……。あちらでも私がいるとちょっとだけ居心地が悪いみたいだし…………」
「…………」
「それにね、まだつきあい始めてまもないから、母さんも本当はふたりきりになりたいんじゃないかと思って……。私ももう子供じゃないから、母さんのそんな気持ち分かるもの……」
そういった事柄について、リュイはよく理解が及ばないため「そう」とだけ返した。そういった話題からまた別の話題――――たとえば同年代たちの心を大きく占めているはずの自分たちの恋について――――になることをスルジェは期待していたのだろう、リュイのそっけない返答に、沼に杭を打つような手応えのなさを覚えたようで、束の間きょとんとしていた。
スルジェはどんどん郊外へ向けて歩いて行く。カウゼン北西部の山間に見える炭鉱場の灯が、町中で見るよりぐっと近くなった。やがて住宅が途絶え、黒々と葉を広げる林に辿り着いた。もう辺りにはひとっこひとり歩いていない。
スルジェはようやく立ち止まり、リュイの左手を引いた。
「ここ! この林のすぐ奥なの」
促されるまま、ふたりで木立を抜けた。下草を踏むザッザッという葉音が静けさのなかやけに響く。まもなく、橙の木が立ち並んだ向こう側が、ほのかに発光する靄のようなもので覆われているのが目に入った。それは…………沼沢に広がった、見渡す限りの葦の原だ。
スルジェはリュイの左手を握ったまま、
「着いたわ!」
予想通りの光景が広がっていたからだろう、満面の笑みを浮かべた。
惜しげなく降り注ぐ月の光と、星々の瞬きの下、漠漠と広がる葦の穂は豊かに波打ち、銀鼠色に輝いている。そのほのかな輝きは、さながら月明かりに照らされた、あえかなる雪原だ。話していたとおり、頗る見事な風景だった。リュイは感心して辺りをじっと眺め渡した。
こんなに広い葦の原を目にしたのは初めてだった。どこまでも続く稲穂の波や菜の花の絨毯を眺めたことはあったが、目の前に広がる光景は格別の印象をもたらせた。月の霜に揺れる銀鼠の穂は寂寥感に湿っている。風がそよ吹けば、穂は一斉に波打ってもの寂しさを囁いた。寂しい、懐かしい、慕わしい…………狂おしいほどの切なさを内にひそめながら、奥床しくそよいでいる。もののあわれに満たされた月夜の葦の原は、幽玄の国への入り口のごとく眼前に広がっている。
暫し、葦の原の囁きに耳を澄ませ、見えない結界が在るような異世界の入り口に立ちつくしていた。自分の持っている拙い言葉では言い尽くしがたい美しさと、そこはかとない畏怖を感じていた。するとふいに、ティセの顔が脳裏に浮かび上がった。
……ティセに見せたい……
無意識に胸の奥でつぶやいていた。そんなふうに思ったことはかつてない――――それが誰であれ、いちどもない――――……そんな思いがおのずと湧いたことに、リュイは少なからず驚いた。出会ったばかりのころに、ティセと「原始人の壁画」を見た思い出がよみがえる。「みんなに見せてあげたい」当然のようにそう言ったティセを見て、自身との甚だしい差異を知ったあのときを……。見せたい誰かなど、ひとりも持ってはいなかったあのころの自分を……。いまになって、あのときのティセの気持ちが分かるのだった。
冴え冴えとした月に薄絹のような雲がかかる。かすかに琥珀色を帯びてゆっくりと流れ、雲の近さと月の遠さを知らしめる。夜空に奥行きをもたらせる。スルジェはリュイの右手を離すと一歩前へ出た。舞うような身振りで右手を月へ差し伸べ、左手を胸元に押し当てる。そして、なにやら芝居がかった口ぶりで謡うようにこう述べた。
「おお、スリヴァーディヤ! そこが何処であろうとも、そなたの行方が我が行方。そなたの行方が永住の地……!」
それがなにかの真似であるのは分かったが、いったいなんの真似なのか、リュイにはまったく分からない。困惑をかすかに浮かべて黙っていた。スルジェは「ね?」と同調を求めるようにリュイを振り返り、思わぬ反応に目を丸くした。
「……やだ……分かんない?」
「分からない」
さらに驚きの目を瞠り、
「嘘……!? 『スリヴァーディヤ』の有名な場面じゃない! 知らないの!?」
「……知らない」
「…………ほんとに……?」
しばらくぽかんとしていたが、やがて、伝わらない独り芝居を堂々と演じたことが恥ずかしくなったのか、にわかに頬を染めた。その香るように染まった頬にほっそりとした指先を当て、長い睫毛を伏せ気味にして「……やだぁ……」とつぶやいた。つくづく女らしいとリュイは感じた。ティセならこんなとき、物知らずだと偉そうに悪態を吐くだろう。
「それはなに?」
問いかけを手助けと受け取ったのか、スルジェは気を取り直したようにリュイに正面を向けた。
「知らないひとがいるなんて思わなかった……。いまのは『スリヴァーディヤ』っていうお芝居の有名な一場面なのよ」
そして物語について説明をし始めた。
それは、ある程度の年齢になれば誰もが知っている、近世シュウの戯曲のひとつだ。物語の詳細を知らずとも、大まかな内容や有名な台詞、場面、主人公の名前程度なら知っているのが普通だという。有名無名の劇場や芝居小屋でくり返し上演されているうえ、人形劇や紙芝居などにも用いられ、あまねく親しまれ続けている。
物語の筋は単純だ。敵対する家同士の子息と令嬢が恋に堕ちた。ふたりの仲を裂こうとする一族の者の企てる様々な罠・困難をくぐり抜け、ふたりはついに駆け落ちを決行するときを迎えた。ところが、土壇場になって全幅の信頼を寄せていた親友に裏切られ、男は屋敷の最上階に軟禁されてしまう。なんとか脱出したものの、約束の河原での待ち合わせの時刻に半日遅れてしまう。女は待っていたが、男が辿り着く前に絶望に呑み込まれてしまった。気持ちが変わったのだと思い込んだのだ。家を捨ててきた女は、もうどこへも帰れない。絶望は女に死を選ばせた。葦の波打つ満月の河岸にて、男は女の骸を抱く。あえかに輝く葦の穂の波間へ、ふたりを乗せた白馬が消えて行く…………。
「最期にね、ちょうどこんな葦の原で、主人公が月に向かって叫ぶのよ!」
スルジェはもういちど冴え渡る月へ向かい、芝居がかった口調と身振りで先ほどの台詞を謡い上げる。
『おお、スリヴァーディヤ! そこが何処であろうとも、そなたの行方が我が行方。そなたの行方が永住の地……!』
そしてくるりと振り返り、リュイの両手をぎゅっと掴んだ。リュイは息が止まるくらいにどきりとした。抱きつかれたと感じるほどの近さに迫られたからだ。
「……!!」
スルジェは間近から、リュイの瞳をまっすぐに覗き込む。なにか特別な意味を込めた熱っぽい眼差しで見つめている。まるで物語のなかの恋人同士になりきって、愛の場面を再現しているかのようにだ。
夕刻には無垢な少女のように思わせたその生成色の衣服は、いまは月明かりを受けて艶めいた蜜色に染まっている。さながらスルジェそのものが蜜でできた甘い菓子のようだ。漂う香水の香りが、いまにも伝わってきそうな体温と混じり合い、しっとりと粘度を増してまとわりつくように感じられた。目の前で、舌触りのいいとろりとした菓子が甘く匂い立っているかに見える。それは抗しがたい誘惑……魔力だ。表情こそ変わらなかったが、リュイは内心強張った。どころか全身が強張っていた。スルジェから放たれた容赦のない魔力は、目を逸らすことを許さない。両手を握られたまま、湿り気と熱を帯びた眼差しを受けていた。時が止まったように長く、ふたりはそのまま見つめ合った。さらさらとそよぐ葦の原を背景に、じっと静止していた。
その濡れた瞳の色は、いつかの晩に見たある娘の眼差しを髣髴とさせた。リュイはあの晩のことをまざまざと思い出す。
もう一年以上前のことだ。とある国の地方都市の安宿に一週間ほど滞在した。家族経営の静かな宿だ。家族のほか、従姉妹と思われる若い女が手伝いをしていた。ちょうど同い歳くらいの、黒茶色の巻き毛がよく似合う娘だった。娘とは頻繁に目が合った。ふと気づけばこちらを見ているからだ。辺りにひと目がなくなると、必ずと言っていいほど話しかけてきた。他愛ない世間話や自分語りだ、リュイはそのたび素直に相槌を打っていた。とくに親しくもならず、通路で会えば会釈する程度の、客と従業員の関係を保っていた。ところが、明朝に出発という晩になって、娘は行動に出た。
宿中がもう寝静まろうかという夜更けだった。リュイもそろそろ本を閉じて、就寝しようと思っていた。すると、コン、コン――――扉を叩く音がした。とても小さな、けれど確かな意思と慎重さを感じさせるような音だった。こんな遅くに……リュイはにわかに張りつめて、雪融け水の温度を纏った。毎晩抱いて寝る短剣を片手に扉へ寄って、落ち着いた声音で誰何を問うた。娘が囁き声で名乗った。耳を澄ましたが、ほかの者の気配はなかった。
扉を開けると、娘はなにも言わず滑り込むように部屋へ入った。そして、後ろ手で扉の鍵を掛けた。思い詰めたような表情でひとしきりリュイの顔を見据えたのち、
……抱いてほしいの……――――
部屋の薄暗さに消え入りそうな声で言った。声だけでなく、娘自身が恥ずかしさのあまり消え入りそうに見えた。
リュイはそのとおりにした。望んだわけではないが、断る理由もないうえ、娘は充分に魅力を感じさせた。未明のまだ暗いうち、娘は速やかに衣服を纏い、忍び足で去っていった。去り際、ほんの小さく灯したランプに半分だけ照らされた娘の顔は、大きな恥じらいと、幸せな夢を見たあとのようなかすかな恍惚感を同時に浮かべていた。リュイは温かな毛布に裸のままくるまって、なんとも微妙な娘の顔つきを思いながら、心地よい眠気と快楽の余韻に身を委ねていた。
自ら鍵を掛け、自分をじっと見上げていた娘の眼差しと、いま目の前にいるスルジェのそれはほとんど同じに見える。ただひとつ異なっているように思うのは、スルジェの瞳には恥じらいや気後れの色が少しも見えないところだった。
…………もしかしたら……誘われているんだろうか…………
そう思い始めると、にわかに鼓動が高まった。すると気のせいか、紅を差したその唇が熟れた果実のように生々しい輝きを放ち始めた。やや大きめに開いた丸襟の襟もとの、そこから覗くきめ細かな浅黒い素肌が、月明かりに潤っていっそう瑞々しく目に映る。きれいに浮き出た鎖骨の下に隆起するほどよい胸のふくらみが、まるで脅迫するようにリュイの目と意識を捕らえていた。リュイはますます強張った。
もしも、そこへ手を触れてみれば――――……想像が首をもたげた途端、腹の奥がずくんと疼く。触れてみれば、自分の身体のどこにもないやわらかさと、はっとするような張りを同時に覚えるだろう。この艶めいた唇から切ない声が零れたら、奥底にある欲望の塊が激しく刺激されるだろう。たとえばもとより痛みを伴っていた腫れものが、容赦のない刺激にさらされて、さらに熱を帯び疼くのに似て、いや増した欲望に支配されてしまう。それは抗いがたい強さで自分を突き動かし、理性の目を閉ざすのだ。危機感にうっすらと包まれつつ、この状況をどうするべきなのか必死に考えていた。
けれど、スルジェはあの晩の娘とは違い、手を取って見つめてはくるものの、なにも訴えてはこない。それはあるいは、きっかけを充分に拵えたうえで相手の出方を待っていたのかもしれないが――――……あまりに長く黙っているので、誘われていると思ったのは考えすぎかもしれない…………リュイはそのように思い直した。
……ひととの距離を近く取るのが癖というひともいる…………スルジェもそういうひとなのかもしれない…………
すると、まだ閉じきっていない理性の目がまぶたを開けて、リュイを冷静にさせた。危機感が見るまに去っていく。媚薬の効き目が薄れたように、魔力が効力を弱めたように、たったいま色めいて見えたスルジェが、たとえば町なかですれ違っただけの美しい娘のひとりのように、ただそれだけのひとになった。
いまだスルジェはリュイの両手を握り、抱きついたといってもいいほどの近さで見つめている。が、リュイの動揺は消えた。握られた手をそのままに、普段どおりの暗さで言う。
「そろそろ戻ろうか」
ほんのかすかに、スルジェは顔をしかめたような気がした。やや間を置いたのち、にっこりと微笑みを返したので、それはやはり気のせいだとリュイは思った。
ようやく手を離し、スルジェは一歩後ろへ引いた。わだかまりのなさそうな明るい調子で返答する。
「そうね、ここ少し遠いから、そろそろ戻らないと真夜中になっちゃう」
それから、わずかに首を傾げて再度リュイを見上げ、
「ここ……気に入ってくれたかしら……」
「ん……とてもきれい」
「よかったあ……!」
まるで母親に誉められた幼子のような自然さで笑んだ。どこから見ても当世風の女という雰囲気にも拘わらず、スルジェは少女のような天真爛漫さをいまでも持っている――――……別のひとが見ればまた異なる解釈をするかもしれないが――――リュイはそう感じた。そして、誘われていると思ったのは、やはりただの考えすぎだと改めて思い直した。
ふたりは月夜の葦の原をあとにして、来たときと同じく、寄り添うような近さでもって帰り道を歩いて行った。
セレイの家へ辿り着いたのは、裏町が寝静まり始まるほど遅い時刻だった。折り戸をそっと開けて玄関に入ると、ティセが暗い廊下の奥からわざわざやってきて出迎えてくれた。
「どう? 楽しかった?」
そう問われ、リュイは少し戸惑った。目当てにしていた集まりはなかったのだし、好敵手アミタブとの対局は叶わなかった。けれど、葦の原は非常にきれいだったし、スルジェの話したセレイの思い出話はとても興味を引いた。少しも退屈はしなかった、つまらなかったわけでは決してない。リュイは暫し考えたのち、
「……ん、まあ……」
肯定した。そして、自身納得したような気持ちでゆっくりと瞬きをした。ティセは何故かひどく怪訝そうな顔をして、リュイをじっと見上げていた。
翌日は、蝋燭祭りと子供たちが呼んでいる年中行事があった。そういう行事があることはリュイも知ってはいたが、実際にするのは初めてだった。北部では盛んではなかったうえ、休暇と行事の日が重なることもなかった。いちど教練の一環で南部に遠征した際、ある町で行事の日にあたり、準備に勤しむひとびとを目にしたことがあった。その程度しか知らない。リュイの希有な境涯と異国から来たティセを慮り、セレイの家族は普段の年より手数をかけて行事を行ったのだが、ふたりはもちろんそんな心遣いには気づかなかった。むしろ気づかないほうが、家族も気が楽に違いない。
簡素で居心地のよい居間に家族全員がくつろいで、盤遊戯と雑談を楽しんだ。家族の団らんと呼ぶべきものに、よもや自分が加わることなど生涯ないと思っていた。本当の家族ではないとしても、父母と兄そして妹という構成は、リュイの本当の家族と同じなのだった。そんなことをつい思わせるほど、養家の三人はリュイを家族か近しい親戚のひとりであるかのように受け入れ、温かく接してくれる。なにかの間違いかと戸惑うほどに。
先ほど、「宿り」と呼ばれる依り代から蝋燭の灯りを繋いで、幸福の神さまを玄関へ招き入れた。養父が最後の蝋燭に火を灯し、一等大切な願い事を厳かに口にした。養父はそれを、リュイの瞳を見据えながら言ったのだ。
…………いまここにいる者たちが、みんな幸せでありますように…………
言葉はリュイの胸に、深く、深く沁みていた――――……。
リュイとの一戦に敗北し、養父は悔しがりながらも満足したように目元を微笑ませる。慈しみを滲ませる目尻の皺と、きちりと身につけたトルクのひだを眺めつつ、リュイは胸に沁みた言葉を反芻する。すると、もうひとつの笛を探せという、父親の遺言が浮かび上がった。何故、ハジャプートの自分にそんなことを言ったのか――――……長いあいだ抱いていた疑問を、以前、ティセが自分なりの解釈であっさりと解明してくれた。
――――たとえ、おまえがどんな運命にあったとしても、いつでも心安らかに……ようするに、幸せになれって言ったんだよ……――――
おそらく解釈は正しいのだろう。幸せに……リュイは再度くり返す。途端、なにか冷ややかなものが胸の奥からすうっと上った。たとえば、冷たい風が窓から吹き込んで心地のよい眠気がにわかに引いたときのように、目の前が急にはっきりとした気になった。
かすかに湯気の立つ湯呑みを口に当て、茶を呑む素振りで表面を取り繕いつつ、リュイはひそかに家族の顔を覗った。心の広さが顔に滲み出ているおおらかな養父、理知の光をさりげなく瞳に灯した都会の似合う養母、生真面目さと剽軽さを同時に顔に浮かべる気さくなトゥアン――――……。赤の他人であるリュイを、罪を背負うリュイを、養女セレイとのつながりだけで嘘のように温かく迎え入れる。罪をすべて知っているにも拘わらず、なにも知らないような顔をして、陽だまりに似た笑顔を向けている。
善意に満ちたその笑顔の下で、家族は意識して口をつぐんでいるように、リュイには感じられるのだった。それはむろん、感謝すべきことだと理解はしている。けれど、閉ざした口の奥――――沈黙の奥から、罪がじっとこちらを見つめている気がしてたまらない。いまでも少しも変わらずに、永遠に閉じ込めておきたい罪が、家族の顔を通して静かにリュイを見つめ、無言のまま責め立てているように思えてならないのだった。
妹と善きひとびとのいるこの家に過ごすことを、喜ばしいと感じるのと同時に、リュイには苦痛でもあった。ほっと息をつける場所でもありながら、息苦しさを覚えてもいる。相反する思いを抱く自分を、我ながらひどく厄介だと感じていた。
そして、ふと横を見遣れば、ティセがいる。セレイや養母と楽しげに料理の話をしている。リュイはその横顔を見据え、不思議な思いに囚われた。
十五のころ、永遠に閉じ込めておきたい罪を引き摺り出して、目の前に突きつけるに違いないと信じたティセは、恐怖そのものだった。不思議なことに、すべてを知っているいまのティセは、にも拘わらず家族とはまるで逆に、少しも罪を感じさせはしないのだ。どころか、すべてを知っていることが、むしろ自分を安心させる。そう…………ティセは罪を知っている、そして隣で笑っている…………リュイは心から息をつく。
なんて愛しいのだろう…………湯呑みを唇に当てたまま、溢れそうな想いを持てあまし、きつくまぶたを閉じた。
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