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煙草の煙がそこここから立ち上り、食堂兼呑み屋のなかは心なしかうっすらと霞んで見える。殺風景でどこかうらぶれた雰囲気のあるこの店は、どちらかといえば食事より酒を供するのを商売としているのだろう。酒を呑み始めるのにはまだ早い、陽の落ちない時刻のためか客はひとりもいない。いるのは店の持ち主の青年と料理の仕込みを手伝うその妹、兄妹の友人たちである若い男が数人、そしてスルジェだけだった。全員がイブリアの民だ。若者たちは思い思いの席につき、歌留多や盤遊戯に興じている。食堂兼呑み屋であり、若者たちの溜まり場なのだった。
リュイの向かいの若者は、長く伸ばして脱色した前髪を掻き上げるようにしながら、盤上を熱心に見つめている。黒い瞳に野心の光が輝いている、活き活きとした、抜け目のなさそうな顔つきをした男だ。名はアミタブ、歳はリュイと同じ十八だという。やがて、考えが行き詰まってきたのか、それとも煮詰まってきたのか、左脚を揺すって調子を取り始めた。振動で、盤上の駒が動きかねない激しい貧乏揺すりだ。
「くうう……おもしろくなってきたあ!」
にやにやと挑戦的な笑みを過ぎらせる。すると、口の左側、まばらに生えた無精髭のなかにうっすらと残る、ミミズに似たひと筋の傷跡が生きているようにくねって見えた。昨日初めて会った際、アミタブは尋ねもしないのにそれについてを説明した。かつての喧嘩で作ったナイフの傷跡だと、どことなく得意げに。無頼の輩じみた彼の雰囲気に、傷跡はぴたりとはまっていた。
「いいね、きみ、手強いね、俺は最高に楽しい!」
興奮気味に言って、ついでのように駒を動かした。ところが、ついでのようなその一手が予想外も予想外で、リュイは一瞬息を呑む。アミタブはそのわずかな強張りを確かめて、してやったりとほくそ笑む。
「ねえ、きみ、いつここを出発するつもり? きみみたいな強い奴に出会ったのは本当に久しぶりだよ! たっぷり滞在して、もっと俺を楽しませてくれよう!」
実際、リュイも相当楽しいと感じていた。
「僕も久しぶりにこんなに強いひとに出会った。もっとも、イリア式の対局ばかりで、シュウ式の規則はまだ覚えたばかりだけれど……」
「そうは思えないなあ! だって、俺以外もう誰もきみに敵わないじゃないか!」
疑いの目を向ける。スルジェが笑いながら、ふたりに茶を運んできた。
「ほんとよ、アミタブ。つい三日くらい前に教わったばかりなの、私見てたもの」
はい、と熱戦のただ中にいるふたりの邪魔にならない位置に、湯気の上る硝子の湯呑みを置いた。リュイは小さく「ありがとう」と述べた。スルジェはニコッと返し、
「アミタブの言うとおりよ、この町でゆっくりしていけばいいわ。セレイとも久しぶりなんでしょう。そうしたら私もティセとたくさんお話しができるもの」
リュイは曖昧にうなずいて、返しの一手を考える。しばらくして、おもむろに駒を動かせば、
「うっ……!」
先ほどリュイがしたように、アミタブもわずかに顔つきを強張らせた。が、劣勢に傾いてすら楽しいのだろう、ますます挑むように笑い、
「待ってろ! いま最良の一手を絞り出して、あっと言わせてやるからな」
「……待っている」
昨日の昼下がりに、リュイは初めてここへ誘われた。セレイとティセが市場へ出かけたので、ひとり読書をしながら帰宅を待っていた。すると、前日にもそうであったように、スルジェが来て折り戸を叩いたのだ。セレイは不在だと告げると、
「そう、でも今日はセレイに用事じゃないの」
どことなく面映ゆげにリュイを見上げ、少女のように首を傾けて遠慮がちに言った。
「もしも気が向いたらでいいんだけど……私の友達の集まりがこれからあるの。一緒にどうかと思って、お誘いに来てみたの……時間が許すなら、どうかしら?」
自分に用事とは露ほども考えていなかったので、一瞬なにを言われたのかよく分からなかった。黙っていると、もの恥ずかしさが増したのか、顔を見上げたまま大きな目をパチパチと瞬いた。長い睫毛がばさばさと表情豊かに上下した。
「あの……気が向いたらでいいの……」
「……それならまた」
言葉少なに断った。人付き合いは得意でない。どう辞退すれば円滑に済ませられるのか、にわか仕込みで言い回しを身につけたつもりでいるが、リュイはいまだに慣れないでいる。こんなとき、かつてティセに言われた「ひとの心を凍らせるようなものの言いかたを平気でする」というきつくも的を射た指摘が、苦い思い出として胸を過ぎるのだった。
スルジェが少しだけ哀しげに目を伏せたので、気を悪くしたかと思ったが、ふたたびリュイの目を覗いて言った。
「無理に誘うつもりはないけど……だまされたと思ってぜひ来てみない? きっと……ううん、あなたなら絶対に気に入ると思うの……」
それを信じたわけではなかったが、時間は充分あるうえ、再度断るための特別な理由がなく、思いつきもしなかった。だから、リュイは誘いに応じて出かけることにした。分かった、と答えると、スルジェは思いがけない幸運に出会ったように、途端に顔つきをほころばせた。緊張感を孕んでそのときを待っていた蕾がひと息に花開いたような、態とらしさのないきれいな笑顔だった。
そうしてこの溜まり場へ案内されてみて、絶対に気に入ると言った理由がすぐに理解できた。盤遊戯の名手、アミタブがいるからだ。
先日のセレイの友人たちの集まりで、シュウ式の規則を初めて教わった。そのときすぐ隣にスルジェがいた。規則を教わりながら対局の行方を見つめる姿を見て、ずいぶん熱心だと感じたのかもしれない。それでアミタブを紹介したくなったのだろう。実際、リュイはあのときひどく熱中していた。ティセに教わったイリア式とは異なる規則で展開される盤上の戦いは、とても新鮮だった。未知の軌跡を描く駒たちは、まるで見えない透かし編みを盤上に編んでいるかのように映った。
春に、ティセの親友カイヤと対局して以来、真に手強いと感じる相手と指していなかった。ティセが相手ならもう負けることは決してない。無駄な負けん気を発揮するティセの顔をじっと眺めているのは、それはそれで愉しいのだが、対戦相手としてはまったく物足りない。強い相手と対局したい、ちょうどそう思っていたところだ。スルジェはそんなリュイの不満と期待を、初対面にも拘わらず見抜いたといえるのだった。
昨日、アミタブと初めて手合わせをして、リュイは戦慄を覚えるほどの愉しさを味わった。だから今日もこうしてやってきた。出かけ間際にティセを誘ってはみたものの、セレイからシュウの料理を教わるほうが重要らしく、誘いには乗らなかった。
その一局はアミタブが勝利した。
「いやっほ――――っ!! まいったか、こんちくしょう!」
リュイより若干浅黒い顔をくしゃくしゃにして、アミタブは快哉を叫ぶ。黒い瞳をますます活き活きと輝かせる。手放しに喜ぶさまを、店内の若者たちが「いかにもアミタブだ」と言いたげにニヤニヤと眺めている。
リュイは緊張から解き放たれて、少々の無念さと、心地よさのある疲労感を覚え、
「ふう……」
背筋を気持ち緩めて、長い溜め息をついた。アミタブは急に興奮を冷まし、荒々しい手つきで煙草をくわえると、マッチを乱暴に擦って火を付けた。唇を歪ませて隙間から漏らすようにだらしなく煙を吐きつつ、不服を訴える。
「きみとやり合うのはとんでもなく楽しいんだけどさー、ひとつ重大な欠点がある。……勝ってもそれほど嬉しそうにしないし、負けても全然悔しがらないところだよ!」
かつて、シドルやほかの同期生たちが言っていたのとまるで同じことを言った。やれやれとばかりに、アミタブは手のひらを広げて肩をすくめ、
「少しは悔しそうな顔してさ、もっと俺を楽しませてくれよう!」
スルジェが傍らでくすくすと笑う。
「勝った嬉しさが半減しちゃうわよねぇ……」
アミタブに同調しつつ、リュイに微笑んだ。悔しさをまったく感じていないわけではないので、リュイは曖昧に「ん……」と返す。
アミタブはすっかり冷めた茶をひと息に飲み干すと、気兼ねなど少しもない調子でスルジェに言い付けた。
「スルジェ、茶!」
「はいはい」
ふたりの醸し出す雰囲気にはまるで夫婦か、長く付き合う恋人同士のような遠慮のなさが滲んでいる。
そのほか、歌留多を使った遊びをいくつか、若者たちに教わった。リュイはとても愉しかった。勝ち負けがどうということよりも、その遊びの規則を覚えて展開を考えていくことにただならぬ興味を覚えた。だから、規則が複雑であったり制限が多くある遊戯ほど、リュイを夢中にさせた。勝てば無論嬉しいが、たとえ負けても充分に考察したと思えるならば満足できた。遊戯のさなかに見せるリュイの圧倒的な集中力に、若者たちは戦いていたほどだ。
戸口にかかる緑色の暖簾の隙間から覗く往来が薄暗くなってくるころ、若者たちはひとりふたりと帰宅をし始めた。代わりに、夕食を取りに来た客がぽつぽつと入り始める。昨日は夢中になりすぎて帰りがつい遅くなり、夕飯に間に合わず、ティセに責められてしまった。アミタブが「じゃなっ!」と帰ったところで、リュイは静かに立ち上がった。
「僕も帰る」
すると、店主の妹とお喋りをしていたスルジェが、厨房から足早に寄って来た。
名残惜しげにリュイを見上げて、小さな声で問う。
「ね、よかったら夕飯食べていかない? ここの煮込み、とても美味しいのよ」
「いや、帰ったら食べると言ってあるから」
ほんの一瞬、残念そうに眉尻を下げた。すぐに明るい顔つきに戻り、
「それなら帰らないとね、今日は来てくれてありがとう、楽しかったわ」
店内に数人残っている若者たちが、片手を軽く上げて「またなー」、リュイは会釈を返す。
店を一歩出てみれば、もう陽が沈みきり街灯の青白い光が灯り始めていた。通りにはひやりとした夕風が流れている。スルジェはリュイを見送るために店先まで出て、緑色の暖簾を背にして立った。そして、どちらかといえば積極性を感じさせるスルジェにも拘わらず、そこはかとなく内気さを思わせるような、それでいてどこかおもねるような眼差しでリュイの瞳を覗き込み、控え目に言った。
「……もしよかったら、ぜひ明日も来てね。……あなたが来てくれると、みんなとても楽しそうにしてるから、私もなんだか嬉しくて……」
さながら少女がするような無垢なはにかみを見せるスルジェの佇まいを、リュイは素直に可愛らしいと感じた。
「……また」
刻一刻と闇が深さを増して、反対に街灯の灯りが煌々と輝いていく通りを足早に帰った。この時間ならまだ夕飯に間に合うかもしれない、出かけ間際に「夕飯取っておくよ」と言ったティセの笑顔を思い浮かべていた。
翌日も、昼間が少し疲れを見せるような時刻になって、リュイは件の溜まり場へ顔を出した。右手で暖簾を寄せて店内へ入ると、昨日一昨日とは異なり、まだ誰も来てはいなかった。静まりかえった殺風景な店内に、豆を煮る匂いだけが漂っている。
早く来すぎたのだろうか、出直そうか、思案していると、厠へ続く通路の奥から、生成色の上衣と腰巻きを身につけたスルジェが現れた。リュイを目に留めて、にっこりと微笑い足早に寄ってくる。
「来てくれて嬉しいわ! どうぞなかへ!」
手を引かれて、近くの席へついた。スルジェから漂う良い香りが鼻腔をふわりと撫でる。
「今日はまだみんな来てないのよ。いまお茶を淹れるわね」
話によれば、店主は奥の自宅で作業中、仲良しである店主の妹は所用で出ており、いまひとりで店番を手伝っているとのことだった。スルジェはここで給金をもらっているわけではない。友人との集まりに顔を出すついでに、よしみで手伝いをしているのだった。
香りの立ち上る湯呑みをふたつ食卓に置いたのち、スルジェは遊戯の盤を胸に抱えてリュイの向かいに腰を下ろした。
「誰か来るまで、私の相手をしてもらえない? あなたの相手になんかとてもなれないくらいの腕前だけど……」
「規則を知っているの?」
リュイは少し驚いた。いままで女が駒が指すのを、ティセ以外目にしたことがなかったからだ。年配の女性たちが実は隠れて興じているというはなしを聞いたり読んだりしてはいたが、若い女がするものではないと思っていた。
スルジェは気恥ずかしそうにしながら答える。
「まえにアミタブが気まぐれで教えてくれたの。でも……とてもおもしろいと思ってるのに、弱いからってみんな私の相手はあんまりしてくれないのよ。このままだとやりかたをすっかり忘れてしまいそうで……そうしたら残念だもの」
若干唇を尖らせて、ことさら悔しそうな顔をする。リュイは静かにうなずいて、盤を広げるように促した。
スルジェとふたりきり、盤を挟んで向かい合う。静かな店内に、豆の煮える匂いが少しずつ濃度を増していく。こんな状況は予想だにしなかった。が、同年代の女が駒を指している見慣れない光景は、リュイの目にとても新鮮に映っていた。
彫刻の施された駒を操るスルジェの手指は、果敢なげに見えるほどほっそりとしている。どうかしたら折れてしまいそうに頼りなく感じられる。覚束ない手つきと迷いのある眼差しで、自信なさげに駒を進める。進めた位置は規則に反していた。リュイは盤上からそっと目を上げて、
「そこは進めない」
「え……」
「思い出して。その駒の動きには制限がある」
冷静な指摘を受けて、スルジェは眉を寄せて考える。まもなく思い出したようで、顔つきをぱっと明るくさせた。
「……そうね! そうだった。ごめんなさい、やり直すわ」
失敗失敗、と照れくさそうに微笑う。くるくると表情をよく変えるさまが、当世風の女然としたなかにも少女の純粋さを潜ませているように思わせた。衣服の生成色が、それを身につけるスルジェ自身を、まだなんにも染まらない無垢な心の持ち主であるかのように見せるのだった。
スルジェは幾度か規則を間違えた。そのたびに静かに指摘した。リュイは正しい規則をすぐには教えず、手がかりになる助言を与えて導いた。助言に沿って記憶を辿り、スルジェは展開を考え直す。その真剣な様子は、とても好ましく感じられた。また、スルジェのほうもリュイの真摯な教えかたに感心しているようで、対局が進むにつれて一手一手にいっそう注意を注ぐようになっていった。おそらく、アミタブや他の若者たちがスルジェの相手をすることがあったとしても、大儀そうに、あるいは小莫迦にしきった態度で間違いを指摘するだけで、スルジェは不満を覚えていたのだろう。
長らく熟考していたスルジェだが、もうどんな一手も思いつかないのか、声を高くして、
「もう無理……降参しまーす!」
小さな悲鳴のように告げた。もとより勝とうなどと思っていないのは明白だ。ただ、思いがけず真剣に相手をしてもらえたことが嬉しいようで、満足そうに笑っている。リュイはゆっくりと瞬きを返し、敗北宣言を受け入れた。途端、スルジェは申し訳なさそうに眉尻を下げ、
「……間違いだらけだし下手っぴだし、手応えなくてつまらなかったでしょう? ……私は楽しかったけど……」
「いや……そんなことはない」
それなりの愉しさを感じていたので、リュイは正直にそう返した。「それならよかった……」とスルジェはほっと息を吐いた。
「ティセと対戦したりするの?」
「たまに。僕が負けることはもうないけれど、ティセもかなりの腕前を持っているよ」
「ふふ、確かに強そうね」
男勝りのティセが勝負師の眼差しで盤上を見据えている、そんな勇ましい姿を想像したのだろう、スルジェはしきりにうなずいていた。
ここへ来て小一時間ほど立っていたが、友人たちは一向に姿を見せない。来客もなく、コトコトとかすかな音を立てていた豆の煮込みもすでに火が落とされ、店内は一段と静まりかえっていた。そろそろ陽が沈みかける、リュイは席に着いたまま、戸口に掛かる暖簾の隙間から外を覗った。スルジェがやや強張った声で小さく言う。
「……今日は誰も都合がつかないのかしら……」
「……ん。それなら、今日はもう戻る」
「……そうねえ……」
椅子から立つと、スルジェも立ち上がった。
「私も帰ろうかな」
ちょうどそのとき、店主の妹が用事を終えて戻ってきた。
「遅くなってごめんねえ」
「おかえり、ちょうどよかった。私もう帰るわね」
店主の妹は大きな郵便小包を小脇に抱えて、
「店番ありがとね! おかげで父さんからの荷物ちゃんと受け取れた。また明日!」
店はカウゼン中心街の南はずれにある。セレイの自宅へ戻るにはまずは中心街に向かっていく。スルジェの自宅も途中までは同じ道だ。リュイはスルジェとともに、ひとびとの行き交う夕刻の商店街を歩き出した。
空は黄金色から藍色までの錦を織りなす。満月に近い月が東の空で黄色く染まり、等級の小さな明るい星々も瞬き始めていた。ずいぶんと賑やかな空だ。けれどほんの束の間のこと、瞬く間に深い闇が昼の名残を呑み込むだろう。代わりに繁華街は活気を増して、それこそふたたび昼間を作り出そうと、煌々と灯りを灯すのだ。ふたりは無言で歩きながら、通り過ぎていく街灯と飲食店から漏れてくる灯りに横顔や衣服を照らしていた。
うつむき加減に黙していたスルジェが、おもむろに顔を上げた。思い詰めたような真剣な瞳をしている。かすかに哀しみの入り混じった瞳の色だ。雑踏に掻き消されてしまいそうな、とても小さな声で言う。
「……もしも時間が許すなら…………ほんの少しでいいから、散歩に付き合ってもらえないかしら……」
リュイが目を向けると、こんなことを願い出る我が儘に少しばかりの罪を感じている、といったふうのしおらしさで、
「……今日は……あんまり家にいたくないの……」
さらに独りごとのようにつぶやく。
「帰りたくない……」
寂しげなスルジェの顔を見下ろしながら、リュイは少し考えた。夕飯についてはティセに言って出てきたし、帰宅を急ぐ理由はない。そして、断る理由もとくに見つからない。スルジェと話すことはなにもないけれど、それは散歩に付き合えない特別な理由ではないと思えた。
「……分かった」
スルジェは思いがけなく我が儘を許してもらえた少女のように、いたいけに微笑んだ。冷ややかな夕暮れの空気が、スルジェの周りだけ急にぬくもりをもって香ったように感じた。きれいな子だなと、リュイは思った。
スルジェの足の向くまま、ふたりは延々と続くカウゼンの繁華街をゆっくりと歩いて行く。繁華街を過ぎれば住宅街に入り、また歩くうちに別の繁華街へ抜ける。シュウ国で四番目に人口の多いこの町は、本当に大きな町なのだ。
スルジェは町の案内がてら、自分語りをする。そのなかでセレイのことにも多く触れた。セレイと通った初等部の建物に寄り、ともに何度も訪れたという雑貨屋や喫茶店の前を通り、当時の思い出を懐かしそうに語った。滅多に会えない妹を話題にするスルジェの心遣いを、リュイはそうだと気づかなかったが、少しも想像したことのない、尚かつ想像できない妹の日常の話は、大きな興味をもって聞くことができた。散歩は少しも退屈ではなかった。
セレイとの思い出をひとしきり語ったのち、リュイの顔をじっと見上げて問うた。
「旅が終わったら、また北部に戻るの? セレイのいるこの町で暮らす気はないの?」
胸のなかだけで絶句した。考えたこともない、ありえないと感じた。
「……たぶん戻る」
リュイは適当に嘘をついた。
ある商店街を抜けて小さな橋のたもとに出ると、その辺りから闇が濃くなった。街灯が途切れたせいだ。月明かりがにわかに目について、リュイは立ち止まり月を見上げた。もうだいぶ歩いただろうかと。
すると、スルジェはひどく不安そうな眼差しでその顔を覗き込む。散歩を願い出たとき以上に、思い詰めたような緊張感を孕んでいた。思いがけない反応に、リュイは少々どきりとした。
これから告げる言葉を読んだかのように、スルジェは訴える。
「あの……もう少し付き合ってもらえない……?」
断る理由は、やはりとくにない。
「ん……」
不安そうな顔をやわらげて、スルジェはほっとしたように微笑んだ。一転、熱っぽい口調になってリュイを誘う。
「少し歩くけど、ぜひ見せたい取っておきの場所があるの。今日は月が明るいから、きっととってもきれい……」
ふたりは小さな橋を渡り、郊外のほうへと並んで歩いて行った。このときから、スルジェは体温が伝わりそうな近さでもって隣を歩き始めた。リュイは少しく違和感を覚えたが、辺りが急に暗くなったため怖いのかもしれないと考えていた。
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