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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第五章
53/71

12

 やがて涙は引いた。胸のなかは、感情の破片がまだそこここに散らばっているけれど、ティセは心のどこかが……あるいは中心が……晴れたような覚めたような、不思議な心持ちがしていた。

 生い立ちを聞いたあのときのように、ふたりは運河を向いて座り込む。赤くなってしまった瞳を伏せ気味にして、ティセは少しだけはにかんだ。セレイはそんなティセを気遣う優しい目をしつつ、冷静に語り始める。


「ティセの本当の気持ちが分かって、私、とても安心した……あなたの様子を見てても、本当のところはどっちなのか、いまいちよく掴めなかったから……」


 ティセは無言で相槌を打つ。


「……ひとの恋に口を挟むのは、本当は好きじゃないんだけど……これは兄さんのことだから話は別よ」


 この世でもっともリュイの幸福を祈っているのは、紛れもなくセレイなのだ。眉根を寄せて困惑の色を表しながら、


「スルジェ……とても明るくなったし別人みたいにつきあいやすくなって、いまでは仲間内のひとりに違いないんだけど…………ひとつだけ困ったところがあってね……」


 言いにくそうにいったん切った。ティセは首を傾けて先を促す。


「……たとえば、いいなと思うひとが現れると、それがたとえ友達の恋人だったり好きなひとだったりしても、平気で横恋慕しちゃうの。もちろん、恋をするのは自由だけど、スルジェの場合、ほとんどが軽い気持ちというか…………心から好きなわけじゃないようなの。実際、そういう軽い気持ちで恋人や好きなひとを奪われちゃった子が何人かいてね、彼女たちはスルジェが来るからもう集まりに来なくなっちゃった。いま来てる女の子たちもそれを知っていて、自分の好きなひとは絶対にスルジェには紹介しないのよ」


 正式な婚約・婚姻関係にない間柄なら、心から好きなのであれば横恋慕も許されるかもしれない。けれどそれが軽い気持ち、ただの遊びや気まぐれに過ぎなかったとしたら、好きなひとを奪われた悔しさや悲しみは如何ばかりか…………スルジェにはそんな気持ちが想像できないのか、それとも自分の気持ちに正直に従うほうが大切なのか……セレイはそう、遣り切れないとばかりに首を横に振る。


「…………じつはね、私も去年までは、いまよりもう少しスルジェと仲良くしていたの。でも……ソヌーがスルジェと付き合うのを心配していて……申し訳ないけど私は彼が大事だから、少し距離を置くことにしたのよ」


 ソヌー……セレイの婚約者だ。


「……心配って?」


 セレイはふたたび言いにくそうに口籠もる。


「……悪い影響を受けるんじゃないかって……」

「悪い影響?」

「ん……つまり……奔放というか……わりと簡単に身体を許しちゃうようなところがあるから……」


 ティセはどきりとした。思わず顔を強張らせた。セレイは諭すように言う。


「ティセ、兄さんが欲しいって私が言ったのは、そういう意味よ。スルジェはきっと本気なわけじゃないと思う……いつだってそうだもの……」

「…………」


 ティセはふたたび動揺していた。優美という形容がよく似合うスルジェのほっそりとした身体、婀娜(あだ)めいてとりわけ美しい腰の線や女らしい胸元が頭に浮かび、しかもそれがどこか汚れているかのように思い出されるのだった。そしてそんなふうに感じてしまう自分のなかにこそ、反吐が出るほどの醜さが潜んでいる気がしてならなかった。スルジェも、自分もいや……ティセは唇を噛んだ。


「たぶん、いいと思ったひとが自分になびくことで、自信を感じるんじゃないかしら……。そんなことでなびいたって自信には繋がらないって、気づかないのかもしれない……」


 深い溜め息をついた。それから、運河の向こうに見える遠い町並みに目をやった。


「それでも……私から兄さんにとやかく言えることじゃないし、兄さんがそれでいいならしかたがないと思ってたんだけど………でも、ティセの気持ちが分かったから、もうしかたがないとは思わないわ」


 ティセを向き、目を見て告げる。


「ティセ、その気持ち、ちゃんと兄さんに伝えてね!」

「……ええっ!?」


 できるわけがない、ティセはそう思った。


「ええ、じゃないわよ!! いますぐにでもよ! あなたがいやがってるのを知れば、兄さんだってもうスルジェの友人の集まりには行かないでしょう?」

「……い……言えないよ、そんなこと……」


 セレイは驚き半分、怒り半分のようになって声を尖らせる。


「どうして言えないのよ!? 兄さんもあなたのことが好きなんだから問題ないでしょ!」

「――っ!?」

 全身が強張るほど驚いて、目を見開く。


「リュイがそんなこと言ったの!?」

「言わないわ、言うわけないじゃない」


 ティセは一気に脱力した。なんだ、という顔をしたのを見て取ると、セレイは「当たりまえでしょう」と言いたげに、こう返す。


「言わなくても見てれば分かるもの。よく見てれば誰でも分かると思うわ。兄さんはきっと、隠すつもりは少しもないんじゃないの。ここに着いた最初の日から分かったもの。あんなに愛しそうにあなたを見てて…………だから、ティセは兄さんの気持ちを知ってるんだと思ってた……」

「知らないよ! というかそんなことない、ないよ、ない!」


 言われても、ティセには到底そうは思えない。

 あの嵐の日の直後、その可能性について少しは考えたこともあった。けれど、腕の力を解いたリュイが見せた、晩秋の夕風さながらに寒々しいあの眼差しを思えば、そういう気持ちが含まれているとはとても思えなかった。あの冷えた瞳には、自分に対する憎しみが滲んでいると感じるほどだった。憎しみ――――それが表と裏を成すひとつの感情の片側であることをまだ知らないティセは、その可能性を否定せざるを得なかったのだ。

 それ以上に、いまこうしてリュイを好きだと気づいてみれば、ますますそんなことはありえないとしか思えない。リュイが急に遠くなったような――――それこそ雲の上か、いつかどこかの国境で見た、対岸が霞むほど大きな河の向こう岸にでもいるような気さえしてくるのだった。いつだって自分の傍ら……一歩斜め前を歩くリュイが、本当はどんなに手を伸ばしても届かないところに心を持っている――――……そんなふうに感じてきてならない。

 ティセはうつむき加減になって、小さく告げる。


「……リュイにそんな気持ちがあるとはとても思えないよ…………親友だと思ってくれてるとは思うけど、それ以外はない……」


 が、セレイは自信に満ちた揺るぎない口調で返す。


「私は間違いないと思う。このまえ養母さんもそう言ってた。あの子もひとを好きになるのね……って…………子供のころの兄さんを知ってるから、ひどく感慨深そうに話してたわ」

「…………」

「とにかく、勇気を出してちゃんと伝えてね。できるかぎり早いうちによ!」


 困惑しきって、ティセはますます下を向く。


「ティセ! 分かってるとは思うけど、片思いってとてもつらいのよ。兄さんを苦しませないで!」


 セレイはぴしゃりと言い切った。ティセは叱られた子供みたいに肩を小さくさせる。普段のティセからは考えられないような頼りない様子を、セレイは不満げに眺めていた。

 やがて、顔つきを改めると、大きな安堵をふたたび感じているような穏やかな目になって、喜びと期待の籠もる声で囁いた。


「ねえティセ……もしも、もしもよ……ティセがこの先も兄さんに寄り添ってくれるなら…………こんなに安心できることほかにない……私はそう思ってる……」


 ティセははっとした。兄の行く末を、セレイはずっと憂えていたのだろう。そんな憂慮とセレイの喜びは手に取るように理解できた。けれど、想いを伝えるどころか、もうリュイの顔をまっすぐに見ることなどできやしない――――……ティセはそんな思いを胸に満たしていた。




 友人たちの集まりに戻る気にはなれなかった。スルジェを見たくなかった。そして、その隣……肩が触れあうようなすぐ隣で盤上を見つめているリュイを目にするのもいやだった。セレイだけが集まりに戻っていった。

 ティセはひとり、養家へ戻った。養父母と義兄も外出しており、家のなかはシンと静まりかえっていた。セレイの部屋へ入った途端、どっと疲れが押し寄せて、倒れ込むように寝てしまった。


 日が暮れるころ、家族は申し合わせたように次々と帰宅した。休日の夕餉をともに愉しむためにだ。セレイとともに戻ったリュイは、起きたばかりのティセの顔を心配そうに覗き込んだ。少し具合が悪くなったと、セレイに伝えてもらっていたからだ。


「具合は?」

「うん、寝たらもうなんともない。大丈夫」


 そっと目を逸らし気味にして、ティセは微笑んだ。






 ティセは養母から、この町における様々な問題――――例えば女性の教育や福祉や貧困などの――――を聞きながら、シュウの料理の作りかたをいくつか教わった。養母は婦人会に参加して積極的に活動しているのだ。その横で、セレイは底の丸い片手鍋を内側に火が当たるよう逆向きに竈へかけて、鉄の肌で自家製平パンを焼く。手狭な台所、三人でお喋りをするうちに、どんどん夕飯が出来上がる。

 家族全員が揃う休日の夕餉は、銘々盆ではなく、大皿を囲んで取り分けるイブリア本来の作法で行われた。和やかに食事が済めば、また盤遊戯が始まった。先日久しぶりに駒を指して、勝負師魂をおおいに揺さぶられた養父が、待っていたとばかりに盤を広げたのだった。


「さあリュイ、今日は負ける気がしないよ」


 養父は黒い瞳に闘争心を灯してリュイを見る。トゥアンは呆れ笑いを浮かべ、


「父さん、あんまり大きなこと言うと恥をかくよ」

「うるさいな。おまえは黙って見てなさい」


 リュイは微苦笑を浮かべて、


「お手柔らかに願います」


 型通りの挨拶をした。



 仲睦まじい家族と、厭味はあっても毒のない会話と、盤遊戯、食後の茶と果物――……居心地のよい居間にゆったりと時が流れていた。祭り日の団欒を再現しているような温かなひとときだった。にも拘わらず、ティセの気分はまるで違っていた。たとえば心のなかに、初めてまぶたを開けた新しい目があって、その目がリュイを捉えて離さない。リュイが日中までとは別のひとに見えていた。


 いままでリュイに感じていた、友人としての……このうえもない相棒としての全幅の慕わしさとはまったく違う――――……むしろ正反対といってもいいような微妙な隔たりを伴う慕わしさを、ティセははっきりと覚えていた。それは、特別な異性として意識するときに感じる、異質な存在としての隔たりだ。友愛としての慕わしさを強く感じていた分だけ、かえってより鮮やかに感じられた。ティセは隔たりを思いながら、そうっと、息を潜めるみたいな心持ちと素振りで、駒を指すリュイを見据える。盤上に向ける横顔と、まっすぐに伸びた背筋の線、イブリアのなかでもとりわけ白衣の似合う肌の色と、駒を操る整った長い指……。

 ティセは初めて、そしてまざまざと思い知らされたように感じていた。いままで気づきもしなかった未知のものを、リュイはその心と身体に潜めているのではないかということを。自分にはない、分からない、未知のものを、多分に――――……。すると、ますますリュイが別のひとのように見えてくる。


 そのうえ、ティセは呆然とするほど驚いていた。いまになって知ったわけではない、それこそ出会った瞬間から分かりきっていたことなのに、リュイはこんなにも恰好いいひとだったのかと、非常な驚きをもって目に映していた。なにをいまさら……自分でも呆れ果て莫迦莫迦しいと思いながら、溜め息が出るほど切実に感じていた。



 見ていたい――――……ずっと見つめていたい――――……



 けれど、もしも目が合ってしまったら、胸のなかに火花が散ったみたいになって、息が詰まって、苦しくなって、その目をどうしたらいいのか分からない。ティセは心の底から戸惑っていた。

 セレイや口数の多いトゥアンの陰に隠れるようになって、ずっとリュイを意識していた。横顔を盗むように見つめては、リュイがこちらの視線に気づいて振り向いてしまう前に、そっと目を逸らした。逸らすたび、リュイが好き――――……胸の奥で震えるようにつぶやいた。


 そして、数日前に聞いたドゥルガの目撃談に関する疑念が、ティセのなかでさらに大きく膨れあがり、岩のように巨大なわだかまりに成長していた。墨色の靄そっくりの不安を募らせ、想像に押し潰されそうになって屏息していた。夜更けの通りを、まるで恋人同士のように寄り添って歩いていたという――――……。日中の集まりでも、肩が触れあうばかりに並んで座していた……あんな距離で、ひと目を紛らわす夜の陰のなかを寄り添っていたのだろうか。


 ……ドゥルガの話は……本当なの……リュイ……


 あの晩遅くに帰宅したリュイが示した、なにかを誤魔化しているときにするようなひどく曖昧な返答が、怖れそのものとなってティセを苛んだ。


 ……始めからふたりきりだったの……本当は嘘をついたの……?


 苦しくて、苦しくて、井戸に落ちたわけでもないのに、ティセは窒息してしまいそうだった。








 裏町は深い夜に沈んだ。瞬きの音がさやかに聞こえるほどの静けさに包まれた。雲のない夜空にひときわ白く月が輝いて、路地を明るく照らしている。野犬や野良猫さえ夢のさなかか、普段は発作のように上がる鳴き声も今宵はおとなしい。まるで、眠れないティセのために静寂を贈る、ささやかな気遣いのように……。かすかな寝息を立てるセレイの隣で、ティセは目を開けて暗い天井を見据えていた。十四のころからをゆっくりと追想していた。つぶさに思い返していた、色や音、香り、風と空気の肌触りまで、なにもかも――――……リュイと出会った瞬間と、ともに過ごした奇跡さながらの一年の、なにもかもを――――……。



 ――――いったい、いつから好きだったんだろう……――――



 幾度も自分に問うていた。その瞬間やきっかけを自分のなかに見出そうと、くり返し記憶を辿り、まさぐり、目を澄ました。

 つい数週間前まで、シドルを想っていた。それは思い違いでは決してない、紛れもなく好きだった。これが恋というものだと初めて認識した。あの恋は大事なもの、いまも心のなかの小さな額縁に飾っている。たまに思い出せば、あの横柄な態度と実直な心根の成す不調和を、いまも好ましく思い出す。

 ならば、シドルと別れてから、急にリュイを好きになったのか……。


 考えるまでもない、答えは否だ――――……。きっと、もうずっと前から好きだった。友人としてはもちろんのこと、それ以上の特別の他者として、ずっと、ずうっと……好きだったのだろう。そう――――……リュイを知りたいと初めて強く請い願った、十四のころのあの晩――――亡き兄シューナが恋人コイララと暮らしていた、ラグラダ村で迎えたあの晩――――あのときすでに、自分はリュイに恋していたのではないだろうか……。


 ティセはあの晩を思い出す。ちょうどこんなふうに、月光の降り注ぐ音が鈴の()のように琳と響いてくる、美しく静かな晩だった。未知に憧れて村を飛び出したティセ、けれどその胸にある最大の未知は、リュイそのひとだった。その事実に気づき、ティセは身悶えするほど知りたいと願ったのだ。覚えず恋をしていたように――――……。

 そう考えてみれば、完全に無視されながらもがむしゃらに冷淡な後ろ姿を追った始めの五日間は、旅に惹かれていたのと同じくらい、あるいはもっと強く、リュイそのひとに心が惹かれていたからであったような気さえしてくるのだった。ようやく知った想いに胸を苦しくさせているいまのティセには、それは確かなことに思えた。



 ……きっとそう……きっと、始めから惹かれてた……



 まぶたを閉じれば、いまでも鮮やかに思い出せる。沙羅樹の下に坐し、身じろぎひとつせず、まっすぐに自分を捉えていた十五のリュイの眼差しを……。イリアでは見ない暗緑の瞳や肌の色、異国の身なりから受けた鮮烈な印象、そして近寄りがたさすら覚えた美しい顔立ちと物腰――――目に映るリュイのすべてに惹きつけられていた。初めて耳にする不思議な笛の()を聴かせてくれた。その音色が創り上げる静寂の風景に溶け込む姿は、まるで奇跡を見ているようだった。


 だとすれば、ティセはこんなにも長く、こんなにも静かに、リュイを想い続けていたことになる。その長さは、実際にともに過ごした時間よりもずっと長い。何故、今日まで気持ちを知らずに過ごせたのだろう……。

 特別な理由がないかぎり、道中つねにともにいて、ただの一歩先を行き、向かい合って食事を取り、同じ部屋で寝息を立てている。ふたりきりでいるのが当たりまえであったからこそ、逆に気づけなかったのだろうか……。それとも、リュイがあまりにもの静かにそばにいるから、たとえば日差しや雨を遮る木陰ですっかりと安堵するように、ティセは無邪気に安んじていたのかもしれない。こんなにもはっきりと、自分はリュイを好きなのに…………自分ほどあやしいものはないのだと、初めて深く思い知った。


 あのころのままのふたりでいたい――――……再会してから強く願っていた思いは、もはやすでに打ち砕かれている。ふたりは変容してしまっている。変容してしまった自分たちの関係を元に戻す術はないだろうか、ティセはあの嵐の日以来、ずっとそれを思い巡らし考えていた。

 しかし、こうして本当の気持ちに気づいてみれば、あのころのままで居続けるなど土台無理な願い、元に戻ることも不可能なのだと分かる。十四のころの自分たちは、もう自分たちではない。ティセはもはや、頭からそれを受け入れるしかないのだと理解した。あのころのふたりはティセの記憶のなかから別人となって抜け出し、どこか手の届かないところへ楽しげに旅立って行ったように感じる。いまここにいるのは、また別の、現実のふたりだ。


 リュイのみならず、ティセ自らも関係を変容させたに等しい。それは、あのころのままを強く願っていた自分に対する裏切りに思えた。けれど、どうしようもない。あらゆる意味でリュイに一等近くいるのは、ほかの誰でもない自分でなければ絶対にいやなのだ。



 リュイの心を知りたい……――――



 まぶたをぎゅっと閉じて、胸のなかで呻く。

 セレイの言うことは本当だろうか、とてもそうは思えない。鵜呑みにするのは怖ろし過ぎる。違っているならば――――もしも打ち明けて、旅の仲間という気持ち以外はないと困惑の眼差しを向けられたなら――――……。

 背筋が凍るほどの怖ろしさに襲われて、ティセは毛布のなかで硬直した。



 もしもそう返されたら……なにもなかったような顔をして、もうリュイと歩いていけないよ…………



 何故だろう、気持ちを受け止めてくれるだけで溢れるほど嬉しいと、シドルに対しては思った。が、リュイに対してはまったく思えない。心の底が叫んでいる。自分だけを見て、名を呼んで、微笑んで、手に触れて…………悶えるまでに、リュイの心が欲しいのだと。

 ティセは絶望的な気持ちになった。そして、幼少時から幾度となく――――月のものが訪れてからはそのたびに浮かび上がる無念に似た思いが、にわかに頭をもたげた。



 ――――もしも男の子に生まれていたら、こんな厄介ことにはならずに、あのころの自分たちのままで旅を続けられただろう……――――



 ようやく気づいた恋心は、皮肉なことにティセを酔わせはしなかった。もしも男の子に生まれていたら、もっと都合良く、もっと理想的に、道の先をともに歩いて行けたのに……――――自分を生きて行けたのに……――――

 どうして男の子ではなかったのだろうと、言ってもどうしようもない、子供じみた問いかけを暗い天井に投げかける。無念に似た思いがまたひと際濃さを増して、ティセの胸に暗い影を落としていた。











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