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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第五章
49/71

8

 見事な秋晴れ、どこまでも高い空の下を、ティセはまたセレイと連れ立って市場へ向かう。今日は土着の信仰に由来する年中行事の日で、祝日ではないものの、特別な食べものを拵えて家族や親類が集う日だ。


 往来を行くひとびとは誰もが浮き浮きとしている。楽しい一日のために少しだけ良い衣服を着せられた子供たちは、ひときわ高い声ではしゃぎまわる。玄関や窓辺に取り付ける橙色の花輪を売る露店があちらこちらに出て、目抜き通りはいつにも増して色鮮やかだ。そのほか、家族が揃って祈願しながら灯す赤い蝋燭や、めでたいときの食べものとされている乳脂肪を固めた甘い菓子などを扱う屋台や露店が立ち並ぶ。それらは皆、土産売り場の民芸品さながらに美しく並べて売られている。目抜き通りは人、人、人…………その合間を放し飼いの山羊の親子や荷を背負ったロバが、人間の楽しみなど関係ないとばかりに大儀そうに歩いて行く。

 馬が肥えていく季節でも、ロバは相変わらずみすぼらしい。ティセは断然馬が好きだが、憐れみを感じずにはいられないロバの寂しげな眼差しも嫌いではない。すぐ横を行く、油の樽を両脇へ提げてうつむいたように歩くロバの背を、労いの気持ちを込めて撫でてやる。



 セレイは露店の陳列棚に並んだ甘い菓子の詰め合わせを選びながら、行事について説明する。


「もともとはシュウ人の行事で、昔はシュウ人だけがやってたというの。いまではイブリアにも広まって南部では誰もが楽しみにしてるわ。でも、北では盛んじゃないみたい、私も北にいたころは馴染みがなかったんだけど、ここに越してきてからは毎年お祝いの用意をしてるのよ」

「へえ、じゃあリュイも初めてかなあ」

「そうねえ……たぶんね」


 親指程度の大きさの白くて甘い菓子は、ひとつひとつ丹念に赤い篭のなかに積み上げられて、まるで精緻な積み木細工のようにして収まっている。篭は透けるほど薄い布にくるまれて、その上に「福」と書いた札が貼られている。篭は大小様々で、掌に乗る小さなものから、大きなものはひと抱えほどもある。セレイはそのうちのいくつかを代わる代わる手に取って、大きさや菓子に破損がないかなど、入念に品定めをしていく。そのたおやかな身振りと落ち着いた雰囲気は、すでに所帯を持った主婦さながらで、動作の端々がどうにもぞんざいなティセとはおよそ正反対だ。


「いつもはこのくらいの大きさのを用意するんだけど……今年はふたりが来てくれたから、ひとまわり大きいのにしようかしら」

「この菓子すごく甘い?」

「ええ、とっても」

「じゃあ、大きいほうのがいいよ」


 甘いものを口にしたときの、大好きなリュイのあの瞳を思い浮かべてそう言った。




 行事用の料理の食材を市場で滞りなく仕入れ、ふたりは満足しながら帰途についた。混雑している市場の通路をひとの流れに乗るように進み、半円形の門をくぐり抜けた際、知った声に出くわした。


「あ、セレイ! ティセ!」


 声のしたほうを振り向くと、先日の集まりで再会した、ドゥルガとミイシャがいた。同じく買いもの篭を片手にして手を振っている。

 化粧気のないセレイとは違い、年頃の娘らしく紅を差した唇の端をきゅっと押し上げて、ふたりはにっこりと笑いかける。


「元気? 今夜の買いもの終わった?」

「もう帰るところよ」

「私たちはまだまだこれからなのよ。ティセは今日のお祭り初めて?」

「うん、めちゃくちゃきれいだって聞いた、夜が楽しみだよ」


 闇夜に包まれた道々に幾千の蝋燭が灯るというのだ。


「とってもきれいよ。家族が集まるお祭りだし、ほんとの兄さんもティセも、ちょうどいい時季にセレイのところへ来たわね」


 ミイシャが言う。と、ドゥルガは急になにかを言いたくなったかのように、興奮気味に頬を上気させた。ミイシャとなにやらちらりと目配せをしたのち、ややくぐもった声音でセレイに尋ねる。


「ねえ、セレイ……あんたの兄さんのことだけど……」


 だしぬけに兄の話題を振られ、セレイは面食らったように大きく瞬きをした。


「な……なあに?」


 ドゥルガはいったん言いにくそうに間を置いた。それでも言わずにはおけないとばかりに続ける。


「……あんたの兄さん、もう落ちちゃったの?」

「え?」


 話の内容に察しがついたのか、セレイはわずかに眉根を寄せた。


「……どうして?」


 ティセにはなんのことだかさっぱりと分からない。きょとんとして、ドゥルガの次の言葉を待った。ドゥルガは不満げに口角を下げて、


「昨日の夜、見たのよ。だいぶ遅い時間よ…………あんたの兄さんとスルジェが北町通りをふたりきりで歩いてるのをね……。なんだか、恋人同士みたいに寄り添って歩いてたから、びっくりしちゃった……」


 さらに眉を顰めて、セレイは念を押すように問う。


「……ほ、ほんと……?」

「本当も本当よ! 暗かったけど、あれは絶対にあんたの兄さんだった。北部の身なりしてたし、トルクもしてなかったから間違いじゃないわ。だいいち、あんな恰好いいひと見間違えるはずないもの!」


 絶対に、とドゥルガは声を強くした。セレイは少なからず衝撃を受けたのだろう、顔つきを強張らせて黙り込む。ドゥルガの言を補うように、ミイシャも不満げに口を挟む。


「さっきドゥルガにそれ聞いて、私もびっくりよ。このまえの集まりからまだ四・五日しか立ってないのに、もう寄り添って歩いてるってどういうこと?」


 ティセは話がよく分からないまま、呆然と三人のやりとりを眺めていた。ただ、リュイとスルジェの噂であること、思いも寄らなかった噂話のようであること、それだけは理解できた。記憶のなかから、昨夜の移り香がかすかに立ち上って、ふうっと鼻腔を流れていったような気がした。

 ドゥルガは不満と無念を綯い交ぜにしたような、わざとらしい溜め息をつく。


「確かにスルジェはとてもきれいだけどさあ…………どんなにもの静かで真面目そうなひとでも、やっぱり男はああいう男好きする子に惹かれるのかしら……。そう思ったらなんだか少しがっかりしちゃった……」


 実の妹の前で、ドゥルガは正直にも落胆を述べた。このくらいの非礼はふたりの間の友情を少しも傷つけはしないと、安心しているのだろう。セレイは衝撃が収まらないのか黙ったままだ。ミイシャが続ける。


「でもさあ……スルジェもすごいわよねぇ。あんなに恰好よかったら、普通少しは尻込みするものでしょう? 私はむしろ感心しちゃった!」

「確かにねえ、あの物怖じのなさはすごいわ…………まあ、スルジェくらいきれいだったら、よほど自信もあるんでしょうけど」


 色恋に多大な関心を寄せる年頃そのままの様子で、ふたりはひとしきり噂話をして、


「じゃあね、また次の集まりで!」


 市場の通路の奥へと去っていった。

 ティセは、そしてセレイも、人混みに紛れていく友人たちを無言で見送った。それからどちらからともなく「行こう」、自宅を目指して歩き出す。けれど、行事の買い出しの楽しさも、それを終えた充実感も、噂話に蹴散らされてしまったように掻き消えていた。通りを戻るふたりはぎこちない空気に包まれた。ともにうつむき加減になって、黙り込んでいる。


 いままでに感じたことのない、言い表しようのない気持ちを、ティセは覚えていた。まるで問題はないはずなのに、胸の奥から不安に似たものが湧き上がり、ティセをたまらなくさせていく。こんなに落ち着かない気分に何故なるのか、自分でも理由が分からないうえに、止めかたも分からない。ほかのことを考えよう、そう思って通りの賑やかさに目を向けてはみたものの、胸の内の不穏に意識が完全に囚われていて、なんの興味も関心も持てやしなかった。どころか、不安に似たものは不気味に胸を突き上げてくるようで、ティセは昨夜と同様に、否、もっとはっきりとした動悸すら感じ始めていた。



 ……なに……どうしちゃったの自分……



 急に病気になったとしか思えない、具合の悪さに襲われた。



 やがて、柄にもなく黙り込んだティセの横顔にちらりと目を遣って、セレイは緊張した声音で問うた。


「ティセ……。兄さんは、スルジェの友達の処に行くって出て行ったんでしょう……?」


 動悸による息苦しさを押し隠し、ティセは努めて平静に答える。


「うん……そう言って出て行ったけど」


 スルジェの処ではなく、スルジェの友人の処と、リュイはそう告げて出て行った。その場面を頭のなかで何度か再現して確かめた。

 長く間を置いて、独りごとのような口調でセレイは言う。


「…………本当は、ふたりきりだったのかしら…………」

「…………」


 どう返せばいいのか、ティセは言葉に詰まってしまう。そうだとは思えないけれど、まさかとも言えない。ドゥルガの目撃談が間違っていないなら、どんな雰囲気であったにせよ、ふたりきりで歩いていたことは事実になるのだから。

 ぱっと思いついたままを、ティセは口にする。


「あるいは……友達の処から帰るときに、スルジェを家まで送ってあげたのかもよ。だいぶ遅い時間だっていうから、そうかもしれない」


 セレイは顔つきをわずかに和らげた。


「……そうね、そうかもしれない、あんなに帰りが遅かったくらいだもの」


 それから、ふたりはまた黙り込んだ。そうかもしれないと言いつつも、セレイはまだなにかを気にしているようだ。


 いかにもまともな話のように憶測を述べながら、そのじつティセは、それは違う――――……はっきりと思っていた。違うと思いながら言った、こんなにも裏腹な意見が自然に出たのは初めてで、自身驚いていた。

 夜遅くに若い女を家まで送り届ける――――普通の男なら当たりまえに持っているような、そんな常識や気遣いを、リュイが持っているとはほとんど思えなかった。もしもそういう状況になったとしても、気が回らないのではないか。女のほうから送って欲しいという申し出があれば別だが、長い付き合いのある友人同士でもないのだから、女のほうも遠慮して言い出さないはずだ。

 ならば、初めからふたりきりで、リュイは嘘を言って出て行ったのか……。それとも、思い寄らずも途中からふたりきりになったのか……。


 ティセは昨夜の、帰宅したリュイの様子を詳細に思い返す。「楽しかった?」と問うたティセに、リュイは肯定でも否定でもないような、ひどく曖昧な返答をした。そして、気になることでも思い出しているかのように、意味深げな瞬きをひとつした。いま考えれば、なにかを隠して誤魔化しているときにする反応にも思える。



 ……誤魔化す……? なにを……



 頭のなかで、咄嗟に首を横に振る。そんな莫迦な、考えすぎに決まっている、リュイが嘘を言わなければならない理由はどこにもない。嘘つきであるのは重々承知しているけれど、言う必要のない嘘を自分に言うとは思えない。発言自体は嘘ではないだろう。


 そもそも、リュイがスルジェとふたりきりで会っていたとしても、自分にはなんの関係もないことだ。なにを思うことでもないはずだし、ましてやなにか意見するようなことでもありはしない。そんなことは分かりきっている、ティセは落ち着きを取り戻そうと躍起になった。湧き上がり満ちていく不安に似たものを、全力で否定する。気を紛らわせようと、雑事をあれこれと思い浮かべた。

 けれど、恋人同士のように寄り添って歩いていたというドゥルガの言が、頭の奥のほうで幾度もくり返された。そのたびに、昨夜リュイの衣服に染みついていた移り香がよみがえり、鼻を掠めるような気がした。くり返されるたび、何故か少しずつ香りは増して、鼻に付き、余分な香りとして自己主張を強くしていくようだった。ティセは止まない動悸と、鼻腔を塞いでいくような移り香の主張に、ただただ息を苦しくさせて歩いていた。


 賑やかな商店街を、ふたりはうつむき加減で黙々と歩く。セレイはときおり顔を上げ、自分よりも深刻なティセの顔つきをそっと覗っていたが、ティセはその視線にまるで気づかない。











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