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夕刻になって養父母が揃って帰宅した。帰路、近所のひとびとに声をかけられたとみえて、折り戸を開けるまえからふたりの来訪を知っていた。養父は「ただいま」もそこそこに、「よく来たね待っていたよ」とおおらかに言いながら居間へ直行してきた。誇りだというトルクをきちりと身につけた養父のあとに、笑みを湛えた養母が続く。
リュイはたちまち緊張感を纏い、すぐさま立ち上がると、以前とまるで同じように深々と頭を下げた。
「やあやあ、よく来た。ほら、堅苦しい挨拶はよしてくれ」
二年半分だけ増えた皺を目尻と額に寄せて、養父は微笑む。リュイは背中を軽く叩かれてゆっくりと顔を上げた。
「……お久しぶりです」
「……いやあ……こりゃまた……どこの御曹司かと思うくらいだ……」
さらに立派になったと、ほとんど呆れたように言う。それから、ぺこりと一礼したティセに目を向けて、
「ティセもよく来たね。長旅でさぞ疲れたろう。是非ゆっくりしていってくれ」
「ごぶさたしてます。しばらくお世話になります」
養母は白髪が少々増えていたけれど、知的な印象は損なわれていない。前に出て、申し訳なさそうにティセを見た。
「元気そうでなりよりだわ。……ところでティセ、あなたには謝らないと…………。あのあとセレイから訊いたけど、私たち、大変な思い違いを……」
ティセは慌ててそれを制した。
「いえ、こっちこそ、ちゃんと言わなくてすみませんでした!」
「…………セレイの言うとおり、たしかに女の子だったわあ……」
半信半疑であったかのように養母はつぶやいて、「でしょう?」と言いたげに微笑むセレイと目を合わせる。養父も決まりが悪そうに笑んでいる。
セレイと養母が用意したにわかごしらえの晩餐が出来上がるころ、折り戸を開ける音とともに若い男の声がした。
「お! 羊の焼ける良い匂い! 素晴らしい! 噂どおり、客人来たる、だ!」
養父とよく似た、癖のない伸びやかな声音だ。詩でも詠うような調子で独りごちながら、セレイの義兄は帰宅した。セレイは思いがけないこととばかりに、
「義兄さん、今日は早いじゃない、ちょうどよかった」
と、つぶやいた。
義兄は居間の入り口に顔を出し、故意に大袈裟に目を見開く。濃い眉が盛り上がる。
「ようこそ! ガウリ家へ!」
ひょうきんさのある仕草と言葉つきには、客人の緊張を解きほぐそうとする思いやりばかりでなく、自身の緊張感をほぐす意味合いをも含んでいるようだった。その正直さが好ましく思える青年だ。
義兄はリュイを見て、一瞬だけはっと口をつぐんだようになった。すぐに改めると、養父と同様に美しく巻いたトルクの裾を揺らしながら、胡座を組むふたりへ寄ってきた。
「初めまして。トゥアン・ラジ・ガウリです。よろしく」
まずはティセに微笑んだ。
「ティセ・ビハールといいます。こちらこそどうぞよろしく」
それからリュイに向かい、落ち着いた調子で声をかけた。
「久しぶりだね……何年ぶりだろう。……雰囲気がずいぶん変わっていて驚いた……」
リュイはなんともいえない神妙な顔つきでトゥアンを見上げ、
「お久しぶりです……」
ただひとこと、静かに返した。
敷物の上に食事専用のムシロを敷いて、銘銘盆ではなく大皿から料理を取り分けるイブリア本来の作法での晩餐が始まった。ずらりと並んだ大皿を、全員で囲んで座る。
「明日の晩にはもっとちゃんとしたお夕飯を作るからね、今日のところはこれでね」
養母はそう言うけれど、手の込んだ料理はなくとも十分に満足のいく内容と量だ。目玉の羊肉は出来合の漬け込み肉を焼いただけだが、食べる前から目と鼻だけで唾液が溢れてくるほど美味しそうだ。
談笑はトゥアンが進行役となって進められた。
「きみたち、セレイの相手の話は聞いたのかい?」
トゥアンは二十代半ばに差しかかろうという年頃だ。おおらかそうな顔つきから声音、中肉中背の体型まで、養父にとてもよく似ている。額の生え際と四角い顎の形は養母譲りで、当然どこを眺めてもセレイと似ているところは肌の色以外ひとつもない。
ティセは羊肉のひとかけをごくりと飲み込んで、
「いえ、どんなひとなんですか」
なにやら呆れたような顔をしてトゥアンは答える。
「それがねえ、性格はいいんだが、馬鈴薯みたいな顔してるんだ」
「馬鈴薯?」
きょとんとすると、セレイが冷たい声で非難した。
「義兄さん、ひとのこと言えないでしょう。それと言いかたを間違えてるわ。馬鈴薯みたいな顔だけど性格はとてもいい、と言って」
「ね? 要するに馬鈴薯なんだよ」
「義兄さん!!」
少しも似ているところはなくとも、やりとりを見ればふたりは本当の兄妹となにも変わらない。むしろこんなにも酷似しているリュイとのほうが、以前より近しく感じられるとはいえ、まだずっと他人のように見えるのだった。
養父母は呆れ笑いを浮かべている。
「いや、ねぇ……。私のとこに来る縁談には見向きもしないから、どんな美丈夫を自分で探すつもりなのかと思っていたら……なんと平々凡々、馬鈴薯だったんだ! セレイはこんなに美人なのに!」
養父まで冗談交じりに言ってのけた。ティセは失笑してしまう。セレイが唇を尖らせると、養母は味方となって擁護した。
「見かけは平凡でも、中身は極上の青年よね」
「そうよ。男のひとは見た目じゃないでしょ!」
容姿ばかりに目がいきがちな年頃の少女らしからぬことを口にしても、背伸びをしているようには見えないほど当たりまえに言う。
ティセはつい、隣で静まりかえっているリュイを見た。聞いたか、とばかりに、
「だって!」
「……え?」
何故自分に振るのかと目を丸くした。その反応が素直で意外だったのだろう、ティセだけでなく全員が吹きだした。リュイはなにを思ったのか、なにやら切なげな眼差しになってティセを見た。
とっぷりと暮れ、裏町に響いていた生活音が止み、ときおり聞こえてくるのは野良猫の声と赤子の泣き声だけになった。養父母はすでに寝室に退き、義兄も歯を磨きに席を立った。
ふたりの訪問に備えて、少し前から日に干して用意していたという敷き布団二枚を納戸から運んでくると、セレイは自室と義兄の部屋にそれぞれを下ろした。
「ティセは私の部屋で、兄さんは義兄さんの部屋ね」
普段は同室で寝起きしているのだから別段気を使う必要はないのだが、そのほうが常識的でいいのだろう。ティセは「はあい」と返事をし、ニッとリュイへ笑いかける。
「じゃなリュイ、おやすみ」
「ん……おやすみ」
口元より瞳を微笑ませて返した。セレイはそんな兄を見て、瞬きをひとつしたのち、
「義兄さん、たまに歯ぎしりするけど我慢してね」
と笑った。
小振りの文机と小さな引き出しがふたつ付いた鏡台、衣類の入った長持がひと棹隅にあるだけの手狭なセレイの部屋は、布団をふたつ敷けばもう少しも床が見えないくらいになった。ティセは厚手の布地を用いた胴着を脱いで白シャツだけの身軽な恰好になり、布団の上で「うぅぅん」と伸びをする。セレイは俯せに寝転び頬杖をついて顔だけ上げると、伸びをするティセを横目で眺めた。
「ティセ、二年もしたらだいぶ女の子らしくなったわねえ……」
しみじみと言った。ティセはうっすらした憂鬱とうら恥ずかしさを覚え、普段は厚手の布で守られている胸のふくらみを隠すように、気持ち背を丸めてしまう。
「そ、そう……?」
「もう間違えられることほとんどないでしょ」
「……まあね……」
「手紙に書いてあったわね、ほんとのこと言ったら、兄さんとっても動揺してたって……ふふ……見てみたかった」
セレイは可笑しそうにくすくすと笑う。それから、ほっとしたような顔つきになり、隣室に漏れないよう声を潜ませた。
「兄さん……前に会ったとき別人みたいに変わったと思ったけど、また少し雰囲気が変わったわね……。前よりずっと話しやすくなった」
リュイの話になったので、改めてセレイに正面を向ける。
「そうだね、前より人間らしくなったなあって、春に再会したとき思ったよ」
「みんなあなたのおかげね。ティセ、本当にありがとう」
「いやいや!」
慌てて返したのち、芯の通らない声で本音を語る。
「…………どれだけ力になれたのか、よく分かんないよ……」
ガルナージャの森のほとりで語り合い、リュイが初めて涙を見せた――――あのときは確かにリュイの瞳にぬくもりが灯ったと感じた。内に湛えたひとを痺れさす冷水が、ただの冷たい水になったと感じた。けれど、リュイはいまだにそこはかとなく翳を滲ませ、過去を受け止められずに、薄闇のなかを彷徨っているようなのだ。リュイの流した涙に、自分のささやかな力がどれだけ作用したというのか、ティセは甚だ自信を持てないでいる。
うつむき加減になったティセに、セレイはきっぱりと断言する。
「そんなこと! こうして二度目の旅をしているくらいだもの、あなたがどんなに力になってくれたのか、この事実が証明してるじゃない」
「……そうかなあ……」
「そうよ」
セレイは即答し、それから頬杖をついたまま前を向いた。やや上目遣いになって、独りごとのような調子でそっとつぶやいた。
「…………にしても、前とは少し関係が変わってるみたい……」
言外になにか意味を含んでいた。ティセはどきりとした。以前より心の奥に抱えているわだかまりがにわかに浮き上がり、胸中を不穏にさせる。ぎゅっと口をつぐんで、心のなかだけでセレイへ問う。
…………どうして、そう思うの…………
それは、相棒という最高の関係が変容し、どこか不自然になってしまった自分たちを指しているのだろうか……。上辺だけを変わらぬように取り繕っても、判然としてある消し去れない不自然さが、ふたりの間には滲み出ているという意味だろうか。セレイの慧眼は哀しすぎるその事実を見透かしている……――――?
本当は尋ねてみたかった。何故そう感じたのか、たまらなく理由を知りたかった。けれど、もしも自分の考えているとおりの答えを返されたなら――――……そう思うと、ティセはなんだか怖くなった。尋ねられない自分の弱さを思いつつ、よく聞こえなかったふりをして、
「そろそろ寝よっか」
誤魔化した。
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