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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第四章
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12

「ほら、食べる?」


 歩きながら、ティセは油の滲んだ紙袋をこちらへ差し出した。ティセの、そしてリュイの好物でもある揚げ菓子だ。ひとつ摘んで口にすれば、強烈な甘さと油の旨味が口内に広がって、何故だか急にほっとする。甘いものが好きだったと、リュイは自分でも知らなかった。それは十五のころに、ティセが気づかせてくれたのだ。

 甘いものを口にするとき、ティセはなにか嬉しそうな顔をして自分を眺めている。いつでもそうだ。理由はよく分からなかったが、嬉しそうなその顔がリュイは好きだった。

 ティセは自分でも揚げ菓子を摘みかけて、ふと止めた。


「そうだ、あいつも食べるかな?」


 尋ねるように独りごち、

「ちょっと行ってくる」

 不自然な間隔を空けて歩いてくるシドルのほうへ向かって、駆け出していった。

 つねに背後にあるティセの気配がにわかに遠くなる。代わりに、切なさに似たものが胸に押し寄せて、


「…………」


 リュイをなんとも言えない気持ちにさせた。










 とある町に到着した。そこそこ大きな町で、目抜き通りの繁華街は活気に溢れている。あらゆる店が軒を争い、そのうえ屋台や露店も多く出ている。威勢のいい売り声や掛け声があちこちから上がっている。ティセの瞳がきらきらと輝いてしまう類の町だ。

「久しぶりに賑やかなとこに来たねっ!」

 調理器具の実演販売の人だかりに目を向けつつ、楽しげな声を上げた。

「しばらく静かだったからね」

「早く宿に落ち着いて、散歩しに行かないと!」

 ティセはもうそわそわし始めた。黒い瞳はすでにきらめいている。



 看板と店構えを見て適当な宿に入る。と、ティセは後ろを振り向いて、シドルの様子を覗った。ここに泊まるよ、とでも言うかのように小首をやや傾けて、同宿を促している。

 三階の客室に入り、当面必要なものを荷物から取り出す。落ち着くや否や、ティセは窓辺に駆け寄って町の全景を眺め始めた。

「うん、なかなか散歩のし甲斐がありそうだ!」

 どこまでも続く屋根に満足している。窓に寄りかかりつつ右足をトントンと小気味よく上下させ、さも楽しげに調子を取っている。リュイはその様子を可笑しく思いながら、後ろから声をかける。


「二・三日滞在しようか」

「そうだね、おまえもそろそろ本屋巡りしたいだろ?」

「そう、そろそろ読む本がなくなりそうだ」


 ふいに、ティセは窓から頭を突き出すようにして大きな声を上げる。

「あ、おーい! シドル!」

 やはり同宿したシドルが玄関から出て行くところを見つけたのだ。

「どこ行くの?」

 シドルは三階の窓を見上げて、


「市場」

「……ねえ、私も一緒していい?」

「好きにしろ」

「ちょっと待ってて!」


 ぱっと窓から離れ、リュイをちらりと見て、


「ちょうどいいから一緒に散歩してくるね」


 ぱたぱたと足音立てて部屋を出て行った。

 ティセの声と気配がなくなり、室内は急に静かになった。ことさらに静かになったとリュイは感じた。静けさのなかにひとり佇んで、束の間ぼんやりとする。


「…………」


 それからそっと窓辺へ寄った。真下の往来を見れば、ちょうどティセが玄関から飛び出して、シドルのほうへ駆けていくのが見える。ふたりは仲の良い友人のように肩を並べて歩いて行った。


 一緒に散歩してくるね、と言ったティセの瞳がリュイの目に焼きついていた。とても輝いていた。が、それは興味や好奇心に突き上げられているときの輝きとはどこか違っている。熱を含み湿り気を帯びるように潤って輝いている。最近まで、ティセのあんな瞳は見たことがなかった。その瞳はリュイをはっとさせていた。

 ふたりが小さくなって人混みに紛れて行くのを、なんとはなしに見送った。なんとも言えない思いを、またも胸に感じていた。












 ひとびとが寝静まるような時刻になっても、繁華街は眠りきらず、ときおり往来から声が上がる。夜遊びをする若者のはしゃいだ声と娼婦の嬌声、酔っぱらいの戯れ言、人力車の車夫たちの話し声、野良犬の遠吠え。宿のなかは静かだが、用を足しに部屋を出る者が稀にいて、乱暴に扉を閉める音が響き渡った。

 ティセの寝息を隣の寝台に感じながら、リュイはここしばらくのことを思い返していた。


 シドルとふたたび会って話をすることがあるなんて、信じられない思いだ。

 初めはシドルと気づかなかった。あれから五年…………五年もあれば少年が変わりゆくには充分だとしても、あまりに彼は変わっている。隆と極まった、清々しさを覚えるほど精悍な風貌をそなえた少年だった。いまのシドルの甚だしい険しさは、かつての面影を残らず覆い隠してしまっている。刺々しい目つき、角のある声音と口調、皮肉めいた笑み、どれを取ってもかつてのシドルはいない。吐き捨てるように「おまえ」と呼ぶ。その変わりようは、その後のシドルのつらい日々の証明のようで、まるでそのまま自分への恨みと憎しみの大きさに思えた。


 負傷したシドルがその後どうしたか、リュイはもちろんまったく知らない。けれど、あの怪我の状態と、ハジャプートとしての復帰は無理だろうと語った同期生の言葉から、その後の処遇を少しは想像した。兵站部に配属されたと話していた、およそ予想通りだった。

 そこでどんな日々を送っていたのか、想像は少しも及ばない。ひとつだけ分かるように思うのは、同期生から尊敬と憧憬の眼差しを受けていた彼がハジャプートを外されて、そんなところにいるという事実が、シドルには身を裂かれそうなほど不本意だっただろうということだ。どれほど強く恨まれているのか、リュイには見当もつかない。


 腰抜け脱走兵と罵られた。シドルはそれについてまだなにも言わないが、自分の負った罪を確実に知っている。シドルと目を合わせると、おまえの罪を知っていると強迫されているような気がして堪らない。眼前に突きつけられているように思えてしかたがない。いつシドルがそれを口にするか、リュイは戦々恐々としていた。リュイにとってシドルは、とても怖ろしい存在だった。


 何故再会してしまったのか、どんな偶然なのだろう、リュイは悶々とくり返す。が、一方で必然のような気もした。どこかへ導かれている、どんなに抗っても導きのとおりにしか進めない、かつてライデルの占い師が告げたとおりに。リュイは枕元に置いた笛を意識する。そして、いまだ分からない自分を導くもうひとつのものに思いを馳せる。



 ティセが寝返りを打って、寝台の軋む音がした。どんな夢を見ているのか、小さな溜め息に似た寝言を言った。


 ……ティセ……


 ちょっと行ってくる――――ティセは時となくシドルのもとへ行ってしまう。その気配がにわかに遠くなれば、代わりにひんやりとしたものが胸に広がっていく。ティセが行ってしまうたびに、心が黙っていくような気持ちになった。ちらりと振り返れば、なにか話しているふたりの姿が小さく目に入る。ティセは確かに視界にいるのに、リュイにはもう見えないほど遠くに行ってしまったように感じてならなかった。


 気づけば、ティセはシドルを見つめている。温かく潤んだ瞳をして、一途としか形容できないような眼差しで見つめている。心なしか、その瞳は普段よりも黒く大きく見える。まるで、その姿を網膜にたくさん映し込みたくて、彼のために瞳孔を余分に開いているかのように……。そしてとても切なげに、ほんのわずかに眉根を寄せている。それは、リュイには向けたことのない眼差しだ。



 ……ティセは……シドルを想っているのかもしれない…………



 胸の奥でそっとつぶやけば、冷たい風が内側に吹き荒れる。同時に、身体中のそこここがざわつくような不安に襲われた。息を苦しくさせるほどの不安だ。恐怖と言い換えてもいい。もしも、ティセがシドルを好きだと口にしたら――――……それならシドルと行けばいい…………リュイはそう返すしかないのだから。


 何故……僕ではないの……


 本音が滲み出す。リュイは胸に抱いた短剣を握り締めた。

 一方的な想いを、いままでつらいとは感じていなかった。ただひたすら愛おしく、途方に暮れるほど大切に思うだけだった。この旅が終わるまではつねにともにいられると信じていたからだ。つらいと感じるのは、触れたいと強く思うときに限られた。

 けれどいま、リュイははっきりとつらさを感じている。恋という言葉が連想させる騒がしさは自分のなかにはなく、内側は静かに張りつめている、そう感じていたのに、いま内側は細波を立てている。不穏にざわめいて、リュイを不快にさせていた。


 シドルは何故後ろを歩いてくるのだろう。行き先が同じとはいえ、自分を憎んでいるのなら目に入らないほど距離を取ればいい。わざわざ同じ宿の違う部屋に宿泊するのは、いったい何故なのか。リュイは甚だ怪訝に思う。それを考えていくと、どうしてもそこへ行き着いた。ティセだけでなく、シドルもまたティセを気にしているのではないか…………その想像はリュイをさらに不安にさせる。絶望的な気持ちにさせる。


 もしもそうであるならば、シドルはティセを攫っていくかもしれない。止める権利も、止められる強さも、自分は持っていない、なにもできやしない、リュイは唇を噛みしめた。

 シンハ熱の病はティセを奪わなかったけれど、今度こそ自分はティセを失ってしまうかもしれない…………。シドルは罪を突きつける怖ろしい存在であったが、それ以上にいまのリュイにとっては別の意味で怖ろしかった。

 リュイは首を傾けて、隣の寝台をそっと覗った。あちら側を向いていて栗色の頭だけが見えた。



 ……シドルを好きだと、決して口に出さないで……



 あの一途な眼差しを自分に向けてくれなくてもいい。だからせめて、それを口にしないでほしい。このまま胸に秘めてほしい。自分に知らないふりをさせてほしい。それならシドルと行けばいい――――その絶望の言葉を、決して自分に言わせないで…………。リュイは祈るような気持ちで訴えた。













 書肆は建物の一階部分すべてを打ち抜いた造りで、紙と埃の匂いに満ちていた。独特のその匂いに包まれていると心なし気が落ち着くようで、リュイは嫌いではなかった。壁一面が本棚のほか、長方形をした幾つもの陳列棚が狭い間隔で並んでいる。縫うように通路を移動しつつ本を物色する。客はほんの数人で、往来の賑やかさから隔絶されたように静かだった。


 読書がさほど好きではないティセは、昼食前に宿の前で落ち合おうと言い残し、シドルとともに出かけて行った。昨日同様、ふたりが雑踏に紛れて消えていくのを、リュイはつい窓から眺めてしまった。


 目に留まった本の内容をさらりと確かめる。が、いつものようには集中できなかった。どれもがつまらないように感じて、試しに目を通しても文章が頭にすっと入らない。頭は別のことを考えている。上の空だ。リュイは溜め息をついた。

 意味もなく店内を見渡しながら、ティセと書肆を訪れるときのことを思い出す。リュイが本を選んでいる間、ティセは決まって地図や図鑑の置いてある一角を探して、絵図や写真を眺めて過ごしている。文章を読むのはあまり好きではないようだが、絵図や写真を眺める黒い瞳は興味に輝いている。用事に付き合わせているだけとはいえ、リュイはともに書肆を訪れる愉しみを持っていた。


「…………」


 意思に反して頭が考えている別のことを追い払うように、リュイは首を軽く左右へ降った。




 読了した本を売り払い、小説と古い時代の見聞録と戦記を購入した。ひんやりとした店内から往来へ出ると、日差しのまぶしさに瞬間目がくるめいた。無秩序に行き交うひとびとを除けつつ目抜き通りに抜ける道を行く。羊肉の炙り焼きを売る店先から香ばしい匂いが流れていた。


 脇道を通りかかったとき、その奥にシドルを見た。道を行く誰よりもずっと背が高く、体格もいいので非常に目立つ。いやでも目に入る。その隣にティセがいる。リュイは足を止めて小道の奥をじっと見つめた。

 ふたりは店先にあるなにかを見て、議論でもしているふうだ。ティセは身振り手振りを交えて、楽しげになにかを捲したてている。シドルは背筋を伸ばして腕を組み、店先のなにかに注目し続ける。ときおりティセをちらりと見下ろして、ひと言ふた言意見していた。出会ってからまだ半月も立たないのに、ふたりは長く友人でいるかのように打ち解けて見える。が、ティセの眼差しは友人に向けるものでは決してない……。


 そのうちシドルは組んだ腕を解き、冗談半分に窘めるときのように、ティセの頭髪をぐしゃぐしゃと右手で掻き混ぜた。

 刹那、リュイは硬直した。矢のような怒りが腹の底から頭の先へ突き抜けた。目を見開いてシドルを見据える。胸の内を赤黒く染めて、震え声でつぶやいた。



 ……ティセに触れるな……!!



 両の拳を固く握り締める。突き抜けていった怒りが、リュイの呼吸を乱していった。











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