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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第四章
32/71

10

 消毒薬の匂いに包まれた病室で、シドルは毎日絶望とともに目覚めた。真っ白な天井を仰ぎながら、自分の内側が漆黒に塗りつぶされているのをひしひしと感じていた。全身のそこここに包帯を巻かれているうえ、右脚を少しも動かせない。ただただ漫然と天井を見上げて過ごすだけだ。なにかを考えようものなら無意識にあの日を思い起こし、言葉を探そうとすれば絶望という二文字以外を知らないかのように、それだけが浮かんできた。同時に、焼け石のように熱いリュイに対する恨みが突き上げ、呻きそうになる。

 ならばいっそ、頭のなかをこの天井と同じほど真っ白にさせて、白痴のようになっていたほうが楽だ。院内で、シドルは固く口を閉ざし、必要最低限の受け答えしかしない日々を送った。


 右脚は最悪切断かと覚悟したが、それは免れた。しかし、補助器具なしでの歩行がふたたび可能となるか定かでない。どのみち、完全に元に戻るのは不可能だ。まだなんの命令も下ってはいないものの、あの施設に戻ることはないだろうと、シドルは諦念を固めていった。





 しばらくして脚の状態が落ち着き、歩行訓練を開始した。敏捷な獣のように、巧みな足さばきで剣を振るっていた自分が、朽ち果てそうな老爺さながらの足取りと速さでしか歩けない。無様、惨めという言葉を噛みしめながら、毎日実直に歩行訓練を続けた。


 そのうち同期生に休暇が訪れると、幾人かが連れ立って見舞いにやってきた。何故来るのか、来なくていいものを、笑うために、憐れむためにやって来たのか…………かつて抱いていた自負心を粉々に砕かれているシドルは、はらわたが煮え返るような憤りといらだち、絶え間なく滲んでくる羞恥を覚えながら、彼らと面会をした。


 すっかり暖かくなった風が院内の中庭にそよいでいた。ふたつ並んだコンクリートの長椅子に各々腰かけて、あの日以来初めて会う同志たちと話をする。彼らは外出着である上等な布地で仕立てた北部の伝統衣装をきちりと身につけ、選良(エリート)の子息さながらに威風堂々としている。清潔であるだけの簡素な院内着を纏い、不自由な右脚を投げ出すように座し、傍らに杖を置く自分の姿を、シドルは否応なく強く意識していた。


 同室だった少年が切なげに眉根を寄せて言う。


「きみのことは、皆、無念に思っている。きみもヒェンドラもとても優秀だったのに、悔しくてたまらない」

「……そうか」


 腹のなかで渦を巻く憤りを押し堪え、冷静を装って返した。少年は続ける。


「シドル……あのあと、あいつがどうしたか、きみは聞いているのかい?」


 二度と思い出したくもない名前と姿が頭を過ぎり、シドルは途端震えそうになる。ぐっと思いを呑み込み、


「いや……知らない」

「知らないのか……」


 少年が伏し目になっていったん間を置くと、別の少年がその先を続ける。


「あのあとまもなくして、僕たちは施設へ戻ったんだ。あいつは退避命令を無視したから、すぐに懲罰房へ入れられた。数日後に出てきて…………その日の晩だ、宿舎から脱走したんだ、あいつ」

「脱走!?」


 思いも寄らないことを聞き、シドルは目を見張った。


「信じられるかい? でも本当ことだ」

「……それで……見つかったのか?」


 少年は首を横に振りつつ溜め息交じりに答える。


「いや、見つからない。どこかへ消えた」

「……それなら、もうあそこにいないのか……」


 とても信じられない事実を自分に言い聞かせるように、シドルは口のなかでそう言った。


「当然、大騒ぎだったよ。いままでのご恩を仇で返すような真似をするなんて、許しがたいだろう!? 芯から腰抜けだったんだと、皆、呆れを通り越して激怒しているさ」

「教官の方々も怒りに震えていた。ほかにも後に続く者がいるかもしれないと、とんだ疑いをかけられているみたいで、あいつのせいで僕たちはとても厭な思いをしているんだ」


 少年たちは次々とリュイへの憤りを口にした。

 それを漫然と耳にしながら、頭のなかでくり返す。



 ……脱走……脱走だと……!? ようやく軍籍を授かって、栄光を手にしたばかりだというのに…………!



 その栄光は、もはやシドルの手から零れ落ちてしまった輝きだ。一瞬だけ燃えさかり美しくきらめいて、地に零れ落ちて光を失った。未練がましく掻き集めてみたところで、燃えかすが手を汚すだけなのだ。

 あろうことか、リュイは自ら手放した。集団から浮いていたとはいえ、あれだけの能力を持つのなら将来待ち受けている栄光は、ひと際輝かしいものであったかもしれないのにだ。どうということもない、と言わんばかりの静かな面持ちで、なんの未練もなさそうに手放して、そして――――……。



 莫迦な! どこへ行くというんだ……!



 故郷は連帯責任を負っている。自分たちは施設を出ても、帰れるところなどどこにもありはしない…………。休暇になれば必ず帰省していたにも拘わらず、リュイは同時に帰れる場所も手放したことになる。まったく理解できない行為だった。


 隣に座る少年が、声をいっそう荒らげた。


「腰抜けは、きっと戦場が怖くてたまらなかったんだろう、だから逃げたんだ!」

「懲罰房に入れられて、恥ずかしくて逃げたというのもあるかもしれない」


 向かいに座る少年が、ことさら真剣な眼差しでシドルを見据え、


「僕たち皆、きみとヒェンドラの件は、あいつの責任だと思っているんだ」


 シドルは少年の顔をまじまじと見る。


「ふたりとも、あいつと同じ部屋になることが多かったろう。まるで、あいつがふたりに(わざわ)いを招いたように思えるんだ」

「そう、皆そう思っているよ」

「僕ははっきりとあいつに言ってやった。責任を肝に銘じておけとね!」


 なにかよくない影響があるのを恐れているかのようにリュイを避け続けていた少年たちは、そう口を揃えた。

 シドルは冷ややかに呆れていた。莫迦莫迦しい、負傷自体は自身の不運だ、リュイの責任であるはずがないと。それと同じほどはっきりとしているのは、脱走した腰抜けに助けられて無様な姿を晒している自分がここにいる、という事実なのだった。






 たとえハジャプートの道は断たれるのだとしても、最高水準の教育を受けた軍人として国と元首に奉仕したい、しなければいけない。その一心で、来る日も口を閉ざして歩行訓練に励んだ。


 発育環境の良さにより体力、快復力などを充分に備えていたためもあってか、シドルは奇跡的な快復を見せた。補助器具なしの歩行さえ危ぶまれていたが、わずかに右脚を引き摺る程度にまで快復したのだ。しかし、それが限界だった。走る、飛び込む、飛び退くといった機敏な動作は戻らず、戦士としての未来はありえなかった。


 冷涼な北部の地にも夏の陽光が溢れるころ、退院を迎えるシドルに移動命令が下った。少ない私物を整理するため、いちどだけ宿舎へ戻った。同期生の誰とも目を合わさず口もきかず、手早く荷物をまとめて立ち去った。彼らも誰ひとり話しかけてはこなかった。ほんの数ヶ月前まで尊敬と憧憬の対象だったシドルにかつての威風はなく、侘びしさすら漂ういまの姿を目にするのが居たたまれないというふうに、誰もが見て見ぬふりをしていた。






 配属は参謀本部の兵站部だった。そこでシドルに向けられる視線は、きつく冷たく悪意さえを含むものだった。

 シドルの経歴は誰もが知っていた。ハジャプートになるための特別な教育を受けた選良(エリート)であること、そのなかでも上位の成績を修めていたこと……。そこに勤務している者たちは、特別扱いで生きてきたシドルに不満を抱いていた。気に入らないという態度をあからさまに見せていた。


 シドルのほうにも問題はあった。特別な存在だったという事実はどうしてもシドルの頭を支配していた。通常の職業軍人を下に見る気持ちを抑えられず、言動の端々にそんな気持ちがほんのわずかに表れてしまう。彼らはそれを敏感に察知した。弱冠十三才の生意気な少年兵に、ますます敵対心を募らせていった。


 長く訓練生であったが、シドルが正式に軍籍を持ったのはつい数ヶ月前だ。そこでの立場は一等下だ。彼らは正当な理由をつけて、シドルに対してさまざまな厭がらせをくり返した。

 軍隊は上下関係が支配する世界だ。周り中が愚物のように見えてしまうのに、逆らうことは絶対に許されないのも知っている。日々、殺意を抱くほどの屈辱を感じたが、シドルは堪えて服従した。唇を噛みしめるたびに、硬くした拳を震わせるたびに、嘗めた苦汁を瞳に溜め込んでいった。顔つきに、声に、言葉遣いに棘を含ませていった。


 彼らは居丈高な態度で正しく厭がらせをしたが、もしもシドルが爆発したら敵わないことも熟知していたため、なにかの折りにふたりきりになれば、触らぬ神に祟りなしといったふうに途端に神妙になった。その裏表のある不誠実な態度もまた、シドルの憤りの種となった。


 屈辱の日々を送るシドルを支えていたのは、シュウ国に仕えているという誇りと、そして、いまや持てあますほどの大きさとなったリュイへの恨み、憎しみだった。何故あのとき放っておかなかったのか、何故制止を無視して救助などしたのか…………不愉快な目に合うたびに胸のなかで怨み言を重ねていった。恥辱を覚えるたびに憎しみを募らせていった。そうすることがはけ口になり、心が折れそうになるシドルを逆に支えていたのだった。


 いつからか、頭のなかで罵るリュイは「きみ」から「おまえ」に変わり、腰抜けと呼ぶ同志と同じように呼んでいた。いつかふたたび目にすることがあれば、この手は剣を抜くだろう、そして、かつて同志たちが望んだように、今度こそ下すだろう。真冬の北部に吹き荒れる雪風のごとく激しい憎しみを意識するたびに、シドルはそう思った。











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