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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第四章
30/71

8

 青々と晴れ渡る空、冷涼な空気に包まれた宿舎の中庭に同じ歳の少年たちが集まっている。どの少年も同じ浅葱色の北部の伝統衣装を身につけ、襟足を涼しげに刈り上げている。一般の同年齢の少年たちよりひと回り大きな体格をして、一様に背筋をぴんと伸ばし、子供らしからぬ威風堂々とした風采だ。顔立ちにはあどけなさを残しているものの、過酷な鍛錬と過密な教科学習、厳しい躾に貫かれた少年たちの表情は、すでに青年のもののように引き締まっている。

 こうして集まっていても、彼らは無邪気にはしゃいだり騒ぎ立てたりはしない。会話の声は沈着さを保ち、声変わりをした者もしない者も、北部の地に漂う静けさと緊張感を乱さぬように語らう、その術を身につけている。


 灰色の宿舎の壁には大きな張り紙がある。定期的に行われている部屋の組替えが発表されたのだ。少年たちは各々張り紙を見上げ、明日から寝起きをともにする同志を確認している。


 そのなかに、ひと際背が高く精悍な顔つきをした少年がいる。シドルの視界にはなんの障害物もなく、難なく張り紙を見ることができた。

 まただ……シドルは頭のなかでつぶやいた。右斜め後ろに佇んでいる、暗緑の瞳をしたイブリアの少年にそっと声をかける。


「リュイ・スレシュ。またきみと同じ部屋だ。よろしく」


 リュイは言葉を返さずに、ただ静かにうなずいた。もう幾度となく同室になっていた、水鏡のようにもの静かで、意欲を感じない瞳をしたこの同志と……。



 左斜め前にいた少年が張り紙に目を向けながら小声で言う。


「……今度はあいつと別の部屋だ。ほっとした」


 その横にいた別の少年が、ちらりと振り返りリュイの顔を窺ってから、その少年に耳打ちする。


「よかったな。同じ部屋に長いと、こちらまで遣る気がなくなりそうだもの」


 ふたりの少年は軽く目を合わせて同調し、くすりと小さく笑った。




 教務棟へと通じる渡り廊下から事務員がひとりやってきた。新たな張り紙を筒状にして持っている。きた……とつぶやく声が、ぽつぽつと振り出した雨音のようにひそやかに上がる。それから水を打ったように静まった。少年たちは姿勢を正して事務員に敬意を払いつつ、張り紙が掲示されるのを見守った。

 部屋割り表の隣に張り紙を貼ると、事務員は無言で立ち去った。少年たちは決して慌てる様子を見せずに、そちらのほうへそのまま移動する。


 期待と不安の入り交じった眼差しで、少年たちは張り紙を凝視する。先の学科試験の上位五十名の発表だ。上位五十名、つまり同期生の十分の一以上に自分の名があるかを確かめたいのだ。初めてそこに入った者、外れてしまった者、前回より順位が上がるか落ちた者…………さまざまな思いが渦を巻き、少年の集団は落ち着きながらも熱に漲っていた。


 シドルの周りからも感慨を込めたつぶやき声が上がる。

「初めて僕の名がある……」

 感激に震える声もあれば、

「ああ、今回は入っていない……」

「……いつか名を連ねてみたい……」

 悔しさや憧れを素直に表す声もあった。


 シドル・イスハークの名は十五位にあった。学科試験の成績はつねにその辺りに位置していた。まただ……部屋割りの発表と同じことを思う。

 いつか名を連ねてみたいとつぶやいた少年が、張り紙の左上辺りをじっと見て、


「上位五名のなかの名はいつでも変わらない……不動だ」

 隣に立つ少年がそれを受け、

「そう、順序は入れ変わっても名は変わらない、見る必要がないくらいだ」

「……にしても、その五名のなかにいつでもあいつの名があるのが、本当に気に入らない」

「まったくだ……」


 あいつ――――リュイ・スレシュのことだ。考えるまでもなく、シドルは分かった。試験でどれほどいい成績を取ろうとも、技能の腕を上げようとも、逆に剣術の手合わせなどをして敗けを取ろうとも、微塵も心を動かさず、どうということもないと言わんばかりの顔をする。その澄ましきった態度が、ほぼすべての同期生からの不評を買っていた。



 ふいに後ろから肩を叩かれた。今回の試験で首位に立ったヒェンドラだ。

「見たかシドル。有言実行、今回は首位だ」

 さも得意げに笑う。試験前、次は必ず首位に立つと意気込みを見せていたのだ。

「おめでとう。さすがだ」

「久しぶりに首位を奪回したから素直に嬉しい。次の試験でも僕は首位を守るよ」

 聡明さが滲み出ているすっきりとした目元に、ヒェンドラは意欲を光らせた。それから、ふっとはにかんだように微笑し、


「技能のほうでももっと上を目指したいところだけれど……僕にはなかなか難しい」

「学科で首位を取るほどの気概があれば、できるだろう」

「……いつの日か、きみやリュイに追いつく日が来るように頑張るよ」


 言いながら、ヒェンドラは後ろを振り向いた。が、つい先ほどまですぐ後ろにいたはずのリュイはもういなかった。


「あ……」


 見れば、リュイはひとり、少年たちの間をすり抜けて宿舎のほうへ戻っていた。その後ろ姿は、まるで空気の塊かなにかのように透明で、冷涼な風に溶けて消えてしまいそうなほど存在感が希薄に見えた。

 ヒェンドラは軽く溜め息をついて、


「リュイは前々回の試験では四位で、前回は首位だった、今回は二位だ。けれど首位を奪われても、少しも悔しくはないのだろうな……」


 言って不可解そうに首を傾げる。


「悔しいはずがない」


 小さくなっていくその後ろ姿を、シドルはなんとはなしに見つめていた。











 練兵場の一角に設けられた広い稽古場で、八班に分かれて剣術の手合わせが行われていた。木刀のぶつかり合う音、巧みな足さばきが作り出す律動的な足音、そして教官の低声が一体となって高い天井に響いている。


 ある教官が左手の懐中時計をちらと見て、右手を上げる。

「それまで!」

 それを合図に、木刀を手にして向かい合うふたりの少年――――シドルとリュイはぴたりと動きを止めた。どちらもうっすらと汗を掻き、荒めの息を吐いている。

 教官は事務的に指示を出す。

「次!」

 ふたりは互いに一礼をして、速やかにその場を退いた。傍らの、同志たちが待機する場所へ戻り腰を下ろす。代わりに、次のひと組が教官の前に出て行った。



 額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、シドルは奥歯を噛みしめる。


 ……また時間切れだ……リュイ・スレシュからは一本も取れない……


 同水準にいるほかの同志が相手なら、取ることも取られることもあった。けれど、リュイからはいちども取ったことがない。かといって、一本を許したこともない。勝負はつねに時間切れ、引き分けに終わっている。

 あちらでも自分以外の同水準が相手なら、取ることも取られることもあるのをシドルは知っている。よほど相性が悪いのか、むしろ良すぎるのか、互角から抜けられないことがわだかまりのようになって胸につかえていた。今日もまたその機会を逃して念願を果たせず、悔しくてたまらなかった。


 しかし、シドルをもっともいらだたしくさせているのは、念願を果たせなかったことではない。つねに引き分けに終わっても、リュイが少しも悔しげな素振りを見せないためだった。

 ちらりと見遣れば、リュイはもう息を落ち着けて、稽古場の窓の外にそよいでいる沙羅樹の枝葉を見つめている。冷ややかな澄んだ瞳をして、微睡みに身を任せているような眼差しで樹を眺めているのだ。ほかの同志のように、ひとの手合わせを熟視して参考にしようという意欲や向上心もない。その頭のなかには、いま行った自分との手合わせのことなど、もう微塵も浮かんではいないだろう。


 ……胸くその悪い……


 シドルは震える息を吐き出した。







 教官に一礼をして稽古が終わった。一同速やかに立ち上がり、宿舎に附属する大食堂へ移動する。

 隣を歩く少年が、言いたくてしかたがないとばかりに話しかけてくる。


「シドル! 今日もまた引き分けじゃないか。早くあいつを(くだ)してくれないか。僕は残念でたまらない!」


 シドルはいらだちを込めて、少年を横目で見下ろした。その後ろを歩く別の少年が口を挟む。


「そのとおりだ、シドル。皆、きみには期待しているんだ! 必ず先に一本取ってくれないと」


 取れも取られもしないままでいるのを、同志たちが気にしていることは知っていた。先にリュイに一本取られやしないかと、皆気を揉んでいるのだ。学科と技能、ともに優秀なシドルは同期生の尊敬と憧憬の対象であり、自らもその位置について自負していた。

 自分より下位に位置する同志の頭を押さえつけるような口調で、シドルは返す。


「ならば自分で取れ! 取れるものならな!」


 足を速めて、小癪な同期生を振り切った。



 少し前を歩いていたヒェンドラに追いついた。シドルの不機嫌な顔つきを見て、ヒェンドラは可笑しげに口角を上げ、

「シドル、また誰かに言われたろう? リュイを下せと……」

「ああ。自分で取れと言っておいた」

 ヒェンドラは呆れたように、

「無理なことを……。まあ、変に期待されても厭なものだとは思う」

「…………」

「けれど、僕もきみには期待している」

 真剣な目つきでシドルの顔を見た。

「ヒェンドラ……」

「そう厭そうな顔をするな。きみが先に一本取られたら、やはり僕も悔しいよ。頼むぞシドル!」

 と、シドルの肩に手を置いて励ました。のち、ヒェンドラは少しく落胆するように眉尻を下げて言う。


「しかし……リュイはきみに一本取られたところで、少しも動じないのだろうな。そう思うとひどく歯痒い……」


 ヒェンドラの言がもっとも過ぎて、シドルはますますいらだちを募らせた。


 取れるものならば――――……彼らの水準では到底無理だ。おそらくこの先どんなに稽古を続けても無理だろう。自分やリュイは、彼らとは生まれ持った才が…………資質が違う、シドルにはそれが分かっていた。










 夕食後から消灯時刻までの二時間あまりは、特別なことがないかぎり自習時間に充てられていた。その間に怠けている者はひとりもいない。過密極まる学習内容をこなしていくために予習と復習は必須だった。ハジャプートは特別に選ばれた人間であり、同期生のうちでも上位に立つことが最高の栄誉、そのように教え込まれている少年たちは、日中の過酷な鍛錬で疲れ切った身体をどうにか堪え、黙々と机に向かっていた。


 きちりと片付けられた殺風景な室内に、適度な間隔を空けてむっつの文机が並んでいる。それぞれの机上にランプを灯し、少年たちは胡座を組んで背筋を伸ばし、自習に取り組む。無駄話はなく、教科書などをめくる音と鉛筆を走らせる音だけがしている。消灯時刻になれば文机は隅に片付けられ、六組の寝具がわずかな乱れや狂いもなく整然と床に敷かれるのだった。



 そのうち、新しい部屋の班長に任命された少年が自習に一区切りをつけて、すっと立ち上がった。少年は片手に紙片を持って、同室のひとりひとりに声をかける。週に一度、日用品に欲しいものを尋ねて、事務室に申請する役割を担っているのだ。


 こんな手数は早く終わらせて自習に戻りたい、と言いたげな手短さで尋ねていく。

「ホム、きみはなにかある?」

 呼ばれた少年はちらりと目を上げ、同じく手短に答える。

筆記帳(ノート)と歯ブラシ」

「シドル、きみは?」

「鉛筆、赤と黒両方」

 班長の少年は言われたとおり紙片に記していく。そしてリュイに目を向けて、ほんの一瞬間を置いた。その不自然な間は、本当は話しかけたくないという気持ちの表れだと、誰もが知っている。


「……おまえは?」


 リュイは静かに目を上げて、手短というよりは言葉少なに、


「なにも……」


 口のなかで唱えるように小さく答える。

 少年は不快げに眉をややしかめてから、関わっている時間がもったいないというふうにすぐに改めた。全員から聞き記し、足早に部屋を出て行った。



 シドルは教科書に目を落としながら、昼間「リュイを下せ」と口々に言った同志たちの様子を思い浮かべ、同時にいまの少年の言葉をくり返す。


 ……おまえは?


 名前か、あるいは「きみ」と呼び合うのが通常であるのに、リュイだけが「おまえ」と呼ばれている。


 学科・技能、ともに上位数名のなかに入るリュイは、間違いなく優等生だ。シドルと同じように、同期生の尊敬と憧憬の対象であるべき訓練生だ。にも拘わらず、誰もが下位の者として、蔑みを込めて「おまえ」と呼んだ。その名を口にしたくないとばかりに、ぞんざいに「あいつ」と言った。どころか、話しかけようとする同志さえいなかった。まるで、なにかよくない影響があるのを恐れているかのように、皆、距離を置いている。いましがた班長の少年がしたように、どうしても話しかけねばならないときは、必ずや不自然な間を置いた。


 原因はすべて本人にある。上を目指して励み続ける同志たちのなかにいて、リュイはただひとり、超然と静まりかえっている。意欲も向上心も感じさせず、たとえ敗けを取っても悔しさも反省もないのか、冷たい水のおもてのように醒めている。その態度は遣る気のなさそのままに映り、静まりきった様子はひ弱さの表れのように見えた。


 けれど実際のところ、ほんの数名を除き、誰も届かないほどの実力をリュイは持っている。意欲を感じさせない者が、人並みの努力をしない者が、あれだけの成績を修めている。皆がおもしろくないと思うのは至極当然だ。才のあるシドル自身さえ、気に入らない、はっきりとそう感じていた。


 しかし、どれほど気に入らないとしても、その実力は認めるべきだ。才は才として敬意を表するべきだ、シドルはそう思っていた。だからこそ、用があれば厭わずにリュイに声をかけ、ほかの同期生と分け隔てなく「きみ」と呼んでいた。

 そもそも、実力の及ばない同志を見下すような行為は、笑い話にもならないほど滑稽だ。上位を誇る自分がすべきことではないと考えていた。リュイを見下すような態度を取る同志たちを、シドルは逆に見下していた。


 同じように考えているらしい同志が、ただひとりいる。ヒェンドラだ。

 ヒェンドラもシドル同様、リュイとは同室になることが多かった。ものごとを正当に判断できる頭を持つ彼は、リュイの能力の高さを素直に認めて敬意を表していた。気に入らないとは言いつつも、それとこれとは別として分け隔てなく接していた。リュイを「きみ」と呼び、不自然な間を置くことなく声をかけている。その公平な態度は、シドルよりも友好的でさえあった。


 いじめと形容するほどではなかったが、あきらかにリュイは疎外されていた。シュウ国の栄光のために、総統の栄誉のために、それ自体がひとつの力ある生きものになることを目的に励むハジャプート訓練生のなかで、静かに浮いていた。なにかの間違いで選ばれてここにいる異物ではないかと思えるほどに。


 けれど、リュイ自身がどう感じているのか、傍から見ていてもまるで分からなかった。たとえ疎外感を覚えているのだとしても、なにがあっても意に介さないように、心を動かさないのかもしれない、シドルにはそうとしか思えなかった。


 又隣の文机に向かうリュイをそっと窺った。開いた筆記帳の上に左手を置いている。手のひらを上にして、そこになにかをやわらかく包んで見つめていた。手のひらにすっぽりと収まる大きさの、細長い硝子のような、笛の形に似たなにかだ。ランプの灯りを反射して、あえかにきらめいている。それを見つめる暗緑の瞳は、すべての雑音を吸い取って無いものにさせるほどの、底なしの静けさを湛えているようにシドルには見えた。











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