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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第四章
25/71

3

 翌朝、相部屋の三人は同じような時刻にそれぞれ起床し、同じように食堂で朝食を取った。けれど、リュイと若者はただ顔だけを知っている間柄であるかのように振る舞っていて、とくに話しもせず目も合わさない。


 昨夜ちらりと尋ねたところ、若者はふたりと同じくシュウへの国境に程近い地方都市ヌワラバードを目指していると言った。ふたりはそこから西へ向かいシュウに入国する予定だが、若者は北へと歩を進めタミルカンドに向かうのだ。ヌワラバードまでは同じ道である、にも拘わらず、同行しようという気持ちはどちらにもないようだ。








 夏の朝のさわやかさを肌に感じつつ、リュイの一歩後ろを歩いて行く。ちらりと振り返れば、後を追うように歩いてくる若者の姿が小さく見える。ほんのわずかに違和感を覚える歩きかた。棘のある鳶色の瞳はリュイを見据えている。リュイは決して振り返らない、が、心の目はきっと若者を捉えている。昨日同様に、互いに強く意識し合い、挙動を見つめているだろう。


 ひどく複雑なものがふたりの間にはあるのだと、尋ねなくともティセには分かった。リュイは翳を濃くさせて沈黙に逃げている。昨日若者と出会ったときからすっかり寡黙になり、微笑みという表情を完全に消し去った。翳も寡黙さも微笑みを失った顔つきも、出会ったころのリュイのものだ。

 心が落ち着いてくるほど静かなその微笑みを思い浮かべる。と、なにかを掴み取っていったように感じた若者の微笑が鮮やかに浮かび上がり、その上に重なった。哀しみと寂しさに傾いだ微笑……右足のぎこちなさ…………にわかに、ティセは胸の内が沁みるような切なさに襲われた。するともう、たまらなくなった。

 道の先に目を向けるリュイの横顔をそっと窺う。


 …………リュイは厭がるだろうか…………


 長いこと、ティセは逡巡していた。リュイへの気兼ねと、話をしてみたいという突き上げるような欲求と、しみじみと痛む切なさの間で葛藤していた。



 太陽が子午線を目指していく。日差しが強さを増していく。大空を舞う犬鷲が、太陽にふっと重なった。一瞬の暗転、瞬きよりも速い明転、ふたたび差した陽光は一層強く目を刺して、より明るく胸の内を照らした。有様がさやかに見えた。

 そこに湧き上がるものは、誤魔化せない…………ティセは意を決した。

 眼差しを強くして、斜め一歩後ろからリュイの横顔をまっすぐに捉える。


「リュイ。…………あいつと話をしてもいい?」


 表情を少しも変えずに、リュイは暫し黙っていた。が、昨夜若者に対してした返答とまるで同じに、


「…………好きにすればいい」


 前を向いたまま、静かに素っ気なく返した。

 わずかに残ったためらいを拭うのに少しだけ時間を要したが、ティセは踵を返し、若者のほうへ向かっていった。



 ティセが近寄ってくるのを認めても、若者は険しい目を向けただけだった。歓迎の気持ちなど微塵もないのは分かったが、ティセは怯まない。話をするのにちょうどいい距離まで近寄って、ニッと笑いかける。


「……なにか用か?」


 濁りを含むのに不思議と耳に馴染む低声で、事務的に問うた。

「私の名前、覚えたか?」

「…………」

 なんだこいつは、と言わんばかりに眉根を寄せる。さらに目元が刺々しさを増す。ティセは悠々と構え、

「……覚えてないの?」

「…………」

 やや間を置いてから、


「名前くらいいちどで覚える。なんの用だ、ティセ・ビハール」


 見下ろす眼差しも言葉つきも呆れるほど不遜極まるにも拘わらず、本名を正確に覚えている。それが可笑しくも嬉しかった。思えばリュイもそうだった、完全無視をしつつも名を覚えていた。


 ティセは無意識にも友達に笑うように気さくに笑み、

「おまえ、名前は?」

 訝しげな顔をしながらも、若者は実直に答える。

「……シドル・イスハークだ」

「シドル……シドルね。歳は……あ、リュイと同じか」


 問わず語りで、ティセは自分を紹介し始めた。イリア出身の十七歳、仕立て屋をする母とふたり暮らしで、普段は食堂で働きつつ家事を担うなど…………ぴたりと並んで歩き、身振りを交えながらときおり顔を見上げ、思うままに自分を語る。

 シドルは聞いているのかいないのか、顔を見向くこともなく、なんの反応も示さずに、ただ前を見て歩いている。けれどきっと耳に届いている、ティセはほとんど安心していた。本名をきちんと覚えていたのだし、律儀にも名を教えてくれるのだから……。



 話にひと区切りついたところで、シドルはおもむろにティセを見た。その目には多大な怪訝さと、得体の知れないものに呑まれたような気後れの色が入り交じっている。


「…………で、用はなんだ……?」


 声にも目と同じ色が含まれていた。呆れて言っているのではなく、本当に用がなにか分からずに困惑しているといったふうだ。リュイと同じくらい社交性のないひとだと、ティセは呆れ半分、妙に感心してしまう。

 しかたがないので、堂々とありのままを返す。


「おまえと話をしてみたいの。それが用だ!」


 シドルは呆けたように、顔つきの険しさをふいに薄めた。峙つような体躯とまっすぐな立ち姿から放つ緊張感をも、束の間消し去った。ティセの率直な返答は、それほど思いも寄らなかったのだろう。呆気に取られて言葉も出ないようだった。

 やがて、どうにも堪えきれない、といったふうに盛大に失笑した。


「……おかしな女だな、おまえ」


 口角を鋭く上げる。失笑が場の雰囲気をひといきにやわらげた。

 険しさと緊張感を戻しつつも、ティセの要望を受け入れる気になったのか、シドルは自ら尋ねてくる。


「おまえ、あいつとどこで知り合ったんだ?」


 ティセはいっそう気さくに笑んで、


「私の村でだよ。三年ちょっと前、私が十四のころ、リュイは旅の途中でたまたま村を通ったの。そのとき私、旅に出てみたくてたまらなくってさ、リュイのあとを無理やり追いかけて家出したんだ」

「家出!?」


 たとえば駆け落ちで家出をする女は少なくないが、そんな理由で家を出たという希有な話は初めて耳にしたのだろう、シドルは目を瞠ってティセを見た。

「そ。それから一年一緒に旅して、いちど別れて…………この春からまた一緒に旅をしてるんだ」

 さらに目を見開き、呆れ返ったように言う。


「……ますますおかしな女だな……」


 ティセはシドルを見上げて、シシシと笑う。

「ねえ、シドルはシュウを出てからどこを旅してるの? 嫌じゃなかったら旅の話を聞かせてくれない?」



 シドルの旅の道筋を聞いた。横に並んだシドルの顔を見上げつつ、ときおり前を行くリュイの後ろ姿を見据えつつ…………。シドルは意外にも面倒な様子を少しも見せず、濁りを含むのに何故か心地よい声音と横柄な口調で、旅の話をしてくれた。顔を見向くこともなく、ティセのように身振りを交えたりもせずに、全身のそこここに沈着さを漂わせながらじつに淡々と話す。リュイ同様に、無駄な身動きをしない。


 ひとを見下したような態度でいるにも拘わらず、シドルにはあきらかに実直さがあった。尊大さと目つきの険しさ、嘲りや皮肉を多分に含む微笑…………それらはどうしても斜に構えているように見せるのに、シドルのもっと深い部分には、ティセの心を冴え冴えとさせるほどまっすぐなものが貫いているように感じた。その実直さはリュイの従順さと少しだけ似ているが、本質的にはまるで違うようだ。ティセはそのまっすぐなものに触れてみたい気がした。


 ハジャプートのことや訓練生時代のことには、ティセは一切触れなかった。リュイがそれについて普段あまり話したがらないように、シドルもまたそんな気持ちでいるかもしれないと思ったからだ。それだけではない、自分からそこに触れてしまうのは、リュイに対して気が咎めた。どこか後ろめたい行為のようにティセには思えた。そして、シドルとのこの会話は、少し前を歩くリュイにもしかしたら聞こえているかもしれない。

 当たり障りのない旅の話をしながら、シドルは始終リュイの後ろ姿を見据えていた。言い尽くせないほどの複雑な色を、その瞳に浮かべていた。






 午後、ティセはふたたびシドルに向かった。にこにこ顔で近寄るティセを目に留めて、また来たのか、というように眉を上下させる。けれど、迷惑そうでは決してなかった。


 旅の話の続きをしていたが、シドルはふいに口をつぐんだ。なにか考え込んでいるように黙り込む。小首を傾げるティセを見て、声を潜めて問うた。


「……おまえ、あいつをどのくらい知っているんだ?」


 ティセはどきりとした。が、悠然と目を見て、小声で答える。


「……ハジャプートのこと?」


 シドルは眉根をやや寄せて、

「…………脱走のこともか?」

「知ってる」

「そうか…………俺の話も聞いているのか?」

「聞いてないよ。……そのころのことはずうっと前にいちどだけたくさん話してくれたけど、ほとんどそれきりだからよく知らない。リュイは……そのころのことはあんまり話したがらないから、私もあんまり聞かないようにしてるんだ」

「……そうか……」


 シドルはふたたびリュイの後ろ姿を見つめる。瞳に浮かぶ複雑さは、さらに極まっていた。眼差しをそのままに、独りごとのように言う。


「…………俺とも話をしたくないようだ」


 ティセは、互いに顔だけを知っている間柄のように振る舞い続けるふたりの様子を思い、

「おまえのほうも…………リュイと話をしたくないように見えるけど……」

 つぶやくように返した。

 すると、じっと考えているような面持ちになって、どこか一点を見据えた。のち、


「そんなことはない」


 ことのほか沈着に、且つはっきりと答えた。……そうだろうか、とてもそんなふうには見えないけれど、ティセはそう思った。



 そのうち集落が近づいて、辺りに民家や小さな商店がぽつぽつと現れ始めた。道の先に、土製の竈を軒先に構えた茶屋が目に入る。ティセはにわかに小腹が減った。

「リュイー! ちょっと休憩しよう!」

 リュイはぴたりと足を止めた。

「じゃ、シドル、またあとで」

 軽く片手を上げてリュイのもとへ駆け寄ろうとした、その瞬間、シドルは疾風(はやて)のような速さと無駄のなさで腕を伸ばし、駆け出しかけたティセの右腕をすかさず取った。その手の力強さに、ティセは思わずどきりとする。


「な……なに?」


 腕を取られたまま、顔を見上げる。シドルは目つきをもう少しだけ険しくさせて、ティセを睨んでいる。右腕から手を離し、そのままティセの足元を指し示す。


「花を踏むな」


「え……」

 見るとティセの足元、名もない雑草がまばらに生えるなかに、指の先ほど小さな薄紫の花が咲いている。履き慣らした革靴の底で、いまにも踏みつけそうになっていた。小花は怯えて、花片を打ち震わせているかに見えた。そのいじらしさ、健気さが、ティセの瞳と胸の奥に一瞬にして焼きついた。


「気をつけろ」


 居丈高に命じるシドルの顔をもういちど見上げる。誰もがそこはかとなく恐ろしさを覚えるほど気魄の籠もる厳しい顔つきと、目の前で見上げるときの圧倒的な大きさが、たったいま胸に焼きついた名もなき花をさらに鮮やかにさせた。


「…………」


 胸の奥に一陣の風が吹き抜ける。余計なものがすべて吹き払われた胸の奥で、小花はなお可憐に咲いている。ティセはリュイのもとへと歩きながら、心が黙っていくのをありありと感じていた。



 道の先に見えた茶屋で軽食を取る。ティセの好物のひとつ、つぶした馬鈴薯の包み揚げは香辛料がほどよく利いていた。けれど、急に味蕾が鈍くなったみたいに味がよく分からなかった。もしや味蕾ではなく、黙りこくって戻らない心のせいかもしれなかった。心だけではなく、リュイと向かい合いながら、ティセはひとことも喋れなかった。



 花を踏むな――――……シドルが心のなかで何度でも繰り返す。



 あんなにも尊大で不遜極まる男が、威圧感を覚えるほど大きな男が、目にも入らないような小さな花を気遣った。その落差が激しい衝撃となって、ティセのなかを貫いていった。たとえば壁板に穿たれた小さな穴から差し込むひと筋の光のように、音もなく、ひたむきなほどまっすぐにどこまでも貫く、美しい衝撃だ。


 リュイは軽く目を上げてティセをそっと窺った。囁くように問う。

「どこか具合が悪いのか」

「え……」

 はっと我に返る。

「……ずっと黙っているから」

「ううん、大丈夫、なんでもないよ……」

 そう、と言う代わりにリュイは瞬きをひとつ返した。


 シドルは店先の長椅子で、同じく休憩を取っている。開け放たれた戸口から、こちらに背を向けて座っている姿が見える。ティセはその広い背中をぼんやりと見つめた。



 シドルを知りたい――――……



 黙っていた心がそうつぶやいたのを聞いた。














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