6
きららかな午前の日差しが民家の庭へ降り注ぐ。母屋に住む老婆と四十路の主婦が筵に杏を干しながら、その娘が洗濯物を干しながら、さらにその幼い息子が母親に纏わり付きながら、離れの前で木刀を振り回す珍妙なふたりの旅人を呆れたように眺めていた。
「あの若いの……毎日朝早くからなにやってんのかしらねえ……」
「稽古だって言ってたけど、どう見てもチャンバラの稽古よねえ?」
「なんだってオナゴにそんな稽古つけなきゃならんのか、けったいなことじゃ」
「しかもずいぶん厳しそうじゃないの? いじめかね?」
「いじめじゃ、いじめ……可哀相にのう」
呑気に噂をしている。
リュイはティセの突き出した木刀から風に舞う木の葉のように身を躱すと同時に、その喉元に木刀の先を突きつける。痣を作らぬよう、指の関節ひとつ分にも満たないぎりぎりの距離で切っ先をぴたりと止めた。ティセは「う……」と唸って固まった。
突きつけたまま囁く。
「いま死んだよ。今日何度死んでいる? おまえは剣を振るうときに隙が多すぎる。攻撃することに集中しすぎて防御が疎かになるからだ」
「……うう……」
「少しでも傷を負ったら駄目なんだ。それに、最初のひと太刀で仕留めることが重要だ」
冷ややかで的確な指導が負けん気を刺激して、ティセはどうにもこうにも悔しいのだった。
要望どおり、リュイはあの翌日、早速木刀をふたつ調達してきた。そして、ある程度基礎を身につけるまでここに滞在すると勝手に決めた。「た、旅は?」というティセの不服など聞く耳を持たない強引さだった。
毎日、早朝から夕刻に雨が降り始めるまで、特訓が続いていた。母屋の家族の呆れ気味の眼差しを受けながら、ふたりは木刀を振り回す。
「致命傷にならない効果的な負傷箇所は指から肘までの間、とくに手首や肘の関節部のように骨を直撃できる部分だ。力が弱くても骨を直撃できれば効果が大きい。もしも相手が襲いかかってきたら、伸びてきた腕を内側から掬い打つように手首を狙え」
「……こんなふうに?」
リュイが伸ばした右腕を、言われたような手つきでゆっくりと打ってみる。
「そう、そういうふうに」
それを何度もくり返し、体に覚えさせる。
「もうひとつ効果的な箇所は、膝から下だ」
「ああ、そうか、確かにここも骨だ。脛を強くぶつけると、めっちゃくちゃ痛いもんね!」
その強烈な痛みを思い出して納得の表情を返すと、リュイも相槌の笑みを返す。
「そう、足をやれば自由を奪える。おまえは足が速いのだから、自由を奪った隙に逃げ出せばいい」
足を討つ練習に取りかかる。リュイはまず手本を見せた。
目の前にいると仮定する相手と瞬間的に近間になり、一気に腰を落とす。と、ほぼ同時に木刀を振るう、振るったと思ったら、もう立ち上がり退いていた。リュイの動きは、ティセの目には速すぎて完璧には追えなかった。まるで、衣服と襟もとの薄布、長い髪が瞬間的に突風になびいただけのように見えた。疾風さながらで、唖然とする。
「……おまえ……速すぎてよく分かんなかった……」
「そう? それならもういちど、ゆっくりやろう」
今度はよく分かった。それを真似てみる。
「一気に腰を落として、すばやく討つ。……もっと低く。左足を伸ばして充分に腰を落とせ。相手の目の前から一瞬で消え失せるような気持ちで低くなれ。でなければ逆に上体を討たれてしまう」
一気に腰を落とす、木刀を振るう、すぐに立ち上がる、をくり返す。
「もっと速く落とす…………立ち上がりも遅い。すぐに立ち上がって間合いを保つんだ」
「間合い……」
「自分は攻められて、相手は攻めにくい距離が最上だ。討ったらすぐにそこまで退け」
やってみると、足腰に大変な負担だと分かる。
「こ、こんな感じ……?」
「形はそれでいい。それをもっと速くできるように」
「ひえー! 疲れるー!」
十回もくり返せば全身が汗ばんできた。
稽古をし始めると、リュイはいつになく饒舌になる。普段の寡黙さがすっかりと影を潜めてしまう。そのうえ、驚くほど活き活きとしていた。まるで、生け簀に囲っていた魚を川の流れに戻したときのように、繋いでいた駿馬を大草原に放したときのように、生がにわかに勢いを増したかに見えた。こんなにも積極的、能動的なリュイを、ティセは初めて目にするのだった。
軍隊を放棄したリュイであっても、身につけた剣術はその肉と骨に染み込んでいるのだと、ティセはしみじみと思う。まだ目にしたことはないけれど、銃器の腕前も剣術と同等か、あるいはそれ以上であるはずだ。望む望まないに拘わらず、リュイのなかでは、それらはおそらく拠りどころのようになっているのだろう。イブリアの笛を持ちながら、大樹の加護を受けながら、リュイを揺るぎなく貫くものは武器なのだ。そして、そこから引き離そうとするものこそが笛なのだ、それはなんという皮肉なのかと思わざるを得なかった。
ともあれ、こんなにもリュイが雄弁に、意欲的に、自ずから行動し、しかも楽しげであることが、ティセに大きな感慨をもたらせていた。それはほかでもない自分のためであり、懸命になってくれているのがとても嬉しかった。リュイが楽しげでいることが、なによりも嬉しかった。
だからこそ、ティセはやる気になったのだ。かつて仲間たちとした幼稚なチャンバラごっこでは王者に立っていた。それなら今度はナルジャいちの剣士…………否、隣町ジャールまでをも含むいちばんの剣士になって帰還してやる、そんな意気込みでリュイの手ほどきを受けている。
「実際に討ってみようか」
リュイはそう言って、自分の両脚の膝辺りから下と、両腕の肘から下に防具代わりの手ぬぐいを幾重にも巻きつけた。ふたりの手持ちの手ぬぐいをすべて使った。いつでも身だしなみをきちんと整えているリュイのする恰好とは思えない奇妙な姿に、つい笑いが零れてしまう。
「あはははは、変な恰好だなあ」
リュイは心持ち口を尖らせて、
「笑うなよ、僕だって当たれば痛いんだから……」
「ほんとかよ、痛いっていちども言ったことないじゃん!」
はた、と目を見開いて、
「……そ、そうだった?」
「ないよ。痛いと腹減ったはいちども聞いたことがない!」
「…………言わなくても痛いし、腹も空くに決まっているだろう」
ティセはにやにやして、
「はあい」
稽古を始めるようになってから、あのできごと以来ふたりの間に立ち込めていた沈黙やぎこちなさが一掃された。ひとことも口をきかずに歩き、互いを目に入れないように食事をしていたのが嘘だったかのように、こんな軽い会話を交わす元の状態に自然に戻ることができた。これもまたティセに最上の喜びをもたらせ、やる気の源になった。
最高の関係のどこかが狂い変容し、同じようでいてまるで違う別のものに成り果てる…………そんな想像をして、あの日の夜更けには忍び泣いた。ティセの懸念と怖れが晴れることはないにしても、とりあえずのところ安堵した。自分たちはこうでなければ、という思いをティセは強くした。
暴漢役になったリュイはティセに襲いかかる。ティセに合わせてゆっくりと動いてはいるのだが、傍から見れば少しもゆっくりには見えず、本物の暴漢と同じようだ。母屋の家族の噂のままに、いじめみたいな厳しい稽古なのだった。
凶悪さを帯びた右腕が伸びてくる。正確に時機を見計らい、ティセは木刀で手首辺りを掬い討つ。鈍い手応えがする、リュイの右手が跳ね上がる。
「そう、それでいい」
間髪を容れず、すぐさま次の手が伸びてくる。ティセはすかさず体勢を立て直し、ふたたび木刀を振るう。次は躱された。はっとする間もなく、左手が伸びてくる。
「……っ!」
空を切って乱れた上体をぱっと反転させて持ち直し、その手首の内側を掬い討つ。リュイの左手が跳ね上がる。
「さすが」
にやりと笑んだ。笑んではいるが、手ぬぐいの防具は少しは痛いはずだ。
暴漢の襲撃は続く。リュイは腰に挟んでいた木刀を手に取った。それを中段に構えれば、たちまち冷気に似た気迫を漂わせる。稽古なのに、しかも相手は自分なのに……とティセは思うが、刀剣を構えれば自ずと気迫が漂うように心と身体ができているようだった。切っ先が触れあう距離で、ふたりは睨み合う。リュイがどう動くか、息を凝らして見つめていた。
ふいに右腕を振り上げて、リュイは上から斬りかかる。ティセは一歩飛び退いてやり過ごし、次瞬間合いに踏み込み、胴を目がけて左から右に剣を薙ぐ。リュイは消えたかと紛う速さと低さで腰を落とし、ティセの一撃を頭上で軽々といなす。ヒュンと虚しい音が上がる。
「……っ」
リュイは立ち上がりざま、慌てて体勢を立て直そうとするティセに一気に迫る。ティセの右肘を左手で下方から掴むと、そのままぐいと頭上に押し上げる。ティセの右手は木刀を手にしたまま頭の上で拘束されたように固まった。剣先が哀れに青空を刺している。
「……!」
右腕を取られるとは考えていなかった、ティセはつい、
「あ、それ反則っ!」
目をじっと見下ろしながら、リュイは静かに告げる。
「なにを言う、強盗に反則はないだろう?」
リュイの木刀の先は、ティセの脇腹にやわらかく押し当てられている。
「ほら、また死んだ」
「ううううう……」
「こういう展開も考慮しないと」
「ううう……」
「もういちど」
ふたたび剣先が触れあう程度の間を取った。次はティセが先制攻撃を仕掛けた。
斬りかかるティセの木刀をリュイはひらりと躱していく。流れで正面を向けるのを見計らい、ふいに上段から斬りかかる。リュイは真横に掲げた刀身に左手を添えて、ティセの攻撃を食い止めた。二本の木刀が直角に交差する。その態勢のまま、ふたりは暫し睨み合う。
リュイは剣を受け止めたまま、じりじりとティセににじり寄る。いくらか溜を作り、ティセは飛び退くように後退、するとリュイはすばやく上段に構えようとした。
いまだ――――!
間合いに飛び込み一気に腰を落とす。降下するツバメのような敏捷さでリュイの右足を討ち、ほぼ同時に飛び退いた。すべて教えられたとおりだ。
リュイはとても嬉しそうな顔を向け、
「そう! とてもよかった。いまのを忘れないで」
誉められれば、ティセはさらにやる気になる。
「よっしゃ! もう一回!」
その意気込みを見て、リュイも口角を上げる。
木刀を振るう、躱す、討つ、飛び込む、飛び退く…………太陽はゆっくりと西へ移動していく。母屋の家族が干した杏と洗濯物を回収しに庭へ出てきて、またふたりを噂する。
「まあだやってるわよ、呆れたもんねえ」
「ちょっと、ひどいいじめじゃないかねえ!?」
「……でも、あの娘、何日か前に見たときより、ずっと巧くなってるみたいじゃない?」
「そう言われてみると、なんだかキビキビした気がするねえ……」
「あの若いの、若いのに剣術の師範かなにかなのかしら……?」
「若すぎじゃ、あやしいこっちゃ!」
家族の不審顔はますます深まる。
調子づいたティセはいっそう機敏に動いていく。攻撃が切れ味を、防御が堅固さを増していく。リュイは楽しげに口角を上げたまま討たれている。
突き出した木刀をひらりと躱すとほぼ同時、リュイはふいに右腕を振り上げた。ティセは咄嗟に刀身を真横に掲げ、先ほどのリュイの見真似で攻撃を食い止める。が、ふたりの背丈や体格は大きく違うため、リュイがしたときとは異なり、傍目には完全に圧されているように見えるのだった。
直角に交差した木刀を挟んで睨み合う、リュイは静かに囁いた。
「ティセ、それは勧めない」
「な……なんでだよ……?」
「強盗はきっと大人の男だ、力負けしてしまう」
ほらね、と言いたげに、リュイは木刀に体重を込めていく。圧倒的な力だ、すぐに両腕の筋が引き攣って、ティセには受け止めきれなくなってきた。
「うううう……」
女の力では無理だ、遠回しにそう言われたことが悔しいのと、押し潰されそうな力に耐えているのがつらいのとで、ティセは呻いた。
「ちっきしょっ!!」
吠えつつ飛び退いて難を逃れる。すぐに一歩踏み込んで、リュイの脚を悔し紛れに蹴り上げる。おっと、というふうにリュイは軽々と除けた。先ほどのティセの言につられてか、
「反則だろう?」
「なぁに言ってんだ! 強盗の被害者に反則はないだろ」
ニヤリと笑みを返し、まだまだと対峙する。
リュイが木刀を突き出した。ティセは自分の右手側に身体を反転させて回避する。
「ティセ、躱すときはできれば左手に」
稽古を重ねるごとに、指摘は詳細になっていく。
「相手の利き腕の外側へ躱せ。そのほうが相手は次の攻撃がしづらくなる」
「分かった」
次に木刀が突き出されたとき、言われたとおりリュイの右手の外側へひらりと身を躱した。躱すや否や、その右手首を討つ。
「そう、それでいい」
誉めてすぐ、次の攻撃を仕掛けてくる。振りかぶる、ふりをして注意させ、その裏をかき下方から喉を突いてきた。
「……!」
ティセはなんとか除けた。が、足さばきに失敗して大きくよろめき、不覚にも転倒した。
「わっ……」
咄嗟に受身を取ったので怪我はないが、両手と尻を地面に付けて半ば横たわった。無様なティセに、リュイはさらなる攻撃を仕掛けてくる。舞い降りる水鳥のような軽やかさで傍らに片膝をつくと、ティセの喉元に切っ先を突き立て、すんでのところでぴたりと止める。ティセはひやっとして声を詰まらせた。
「……!」
冷ややかに告げる。
「また死んだ」
「うう……」
悔しさの滲んだティセの目を見据え、リュイはことさら穏やかに囁いた。
「ティセ、転んでも防御だ」
すっと立ち上がり、ほら、と手を貸してティセを起こす。
「……きびしーなぁ、もう……」
ティセはぶつぶつと独りごちる。
朝食後すぐに始まった稽古。陽はすっかりと傾いて、黄に染まった日差しが母屋と庭を照らしていた。今日は降らないのか、雨の気配はない。
稽古を終えたティセは、ひと息入れもせずに離れを飛び出した。母屋の水浴び場にある桶を拝借し、七軒先にある氷屋へ走った。一塊の氷を手に入れ、ついでに商店へ寄って瓶入りの甘い炭酸水を二本購入。氷と炭酸水の入った桶へ冷たい井戸水を汲んで、ひと休みしているリュイのもとへ抱えて戻る。
リュイは離れの前にある丸太の腰かけに座り、ぼんやりと空を見上げていた。桶を抱えて戻ったティセを見て、小首を傾げる。
よいしょ、と桶を傍らに下ろし、
「リュイ、手」
「なに?」
「見せてみ」
言いつつ、白い袖に包まれた右腕を取り、肘辺りまで袖を引っ張り上げる。その浅黒い肌に内出血はないものの、思ったとおり、心なしか腫れているようだった。熱を帯びているに違いない。ティセはその部分を見つめながら、
「今日はいつになくたくさん叩いちゃったから、きっと腫れてると思って……」
「……問題ないよ」
「いいからいいから。両方の袖をまくって。あと、脚もね」
炭酸水の瓶を浸した氷水で、ティセは冷たい手ぬぐいをよっつ作った。それぞれを患部に当てて腫れを取る。長靴の紐を解き、膝上まで脚衣をまくったリュイの脛やふくらはぎを、そういえば初めて見たようにティセは思った。その膝下の長さ、適度に毛の生えた脛と硬く締まったふくらはぎ、骨の形がよく分かるひどく野性的な膝頭を目にして、自身の脚とはまったく違っているのだとしみじみ感じた。
「どう、気持ちいい?」
「ん……冷たくて気持ちがいい」
袖と脚衣をまくり冷たい手ぬぐいを当てて静止する姿がどうにも可笑しくて、つい小さく笑った。
「あはは、変な恰好」
リュイも可笑しくなってきたのか、ふっと吹き出して口角を上げた。そして、
「ありがとう」
シシシ……と照れ笑いを返した。
右腕に当てた冷たい手ぬぐいを、リュイはまるで心がほのぼのとしてくるものを眺めるような眼差しでじっと見つめていた。腫れが取れるころには炭酸水がきりりと冷えた。丸太の腰かけに並んで座り、茜空を見上げながら喉を潤した。
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