5
緑の隧道を抜けると扇状に広がる平地へ出て、急に視界が開けたようになった。比較的大きな村へ到着した。日差しがやや弱まった昼下がりの畑に、ひとびとが戻り始める。夕刻の雨が降り始めるまでのいっとき、作業に精を出すために。
畑のなかから、めずらしい外国人であるふたりを見かけた農夫たちが、興味津々とばかりに手を振ってくる。軽く挨拶をしつつ村の中心を目指す。
ふいにリュイは道をはずれ、すぐそこの茄子畑から手を振っていた若い農夫のもとへ向かった。なにかを尋ねているようだった。ティセは足を止めてその様子を眺めていた。
戻ったリュイはなにも言わずに歩き始めた。宿のある場所でも尋ねたのだろうか、共同井戸のある四つ辻に差しかかると、確かな足取りで右へ折れた。水汲みの女子供が、通り過ぎるふたりを穴が空くほど見つめていた。
ほどなくして、鍛冶屋の看板が見えた。リュイはそこで足を止めた。
「用事がある、少し寄るよ」
「分かった」
煤とその匂いが染みついた店内へ入る。包丁や鉄鍋、釘や鍬など、奥の工場で作成したさまざまな製品が棚や壁に陳列されている。この道数十年といった風情の老夫が、奥から顔を出した。ふたりを見て、まぶたの垂れ下がった目を丸くした。
「おお、めずらしいお客さんだな。いらっしゃい、どこからいらした?」
「シュウです」
「ほおそうかい。遠い処からご苦労さんだ。で、なにかご入り用かな?」
なんなりと、と白髪交じりの眉を上下させた。
「短剣をいくつか見せてもらえませんか」
「お安いご用、ちょっと待ってなさいな」
店主は店内や奥の作業場を回り、短剣を掻き集める。
「おまえの短剣どうかしたの? 壊れた?」
小声で尋ねたが、リュイは「いや……」と曖昧に返した。
数本の短剣を抱えて店主は戻ってきた。台の上に整然と並べ、
「いまあるのはこれだけだ。お好みのがなければ作ることも可能だ、まあ少し時間がかかるがな」
リュイは真剣な眼差しで品定めをし始めた。すべてを手に取ってみて、形状や重さや握り具合など、ティセには分からないなにかまでを丹念に確かめている。刃と同じだけ鋭利な眼差しは、リュイを包む空気を雪の早朝ほど張りつめさせた。以前の旅でもこんなことがあったと、ティセは懐かしく思い出していた。
やがて、そのなかのひとつをもういちど手に取った。刀身が細めで、鞘や柄に無駄な装飾のない簡素な剣だ。リュイが毎晩抱いて寝る短剣よりも少々長い。そして、おもむろにティセを振り向いた。
「ティセ、持ってみて」
「え?」
「早く」
急かされて、とりあえず手に取った。よく分からないまま握った短剣を、なんの関係もないものを見るように眺める。と、リュイは短剣を握るティセの右手首を掴み、角度を微妙に変えながら凝視した。
「どう?」
リュイは囁いた。
「いや……どうって言われても……」
ティセは目をぱちぱちさせて返す。
「重さは?」
「……重さはそんなに感じないけど……」
「手のひらに吸い付くように思う?」
「は? ……分かんないよそんなの……」
「…………」
ひとしきりティセの右手と短剣を見つめる。
「分かった。もういい」
短剣を返すと、リュイは店主に告げた。
「これにします。いくらですか」
そのほかにも、なにか小さな部品のようなものを購入したようだった。
目抜き通りで声をかけてきた客引きに紹介されて、その日はある民家の離れに投宿した。掘っ立て小屋に毛が生えた、というふうな簡素な離れだ。広めの庭を挟んで母屋が建っている。四世代が同居する大家族で、まだ覚束ない足取りの男児が素っ裸で庭を駆けていた。ふたりを見ると、目を極限に見開いて暫し立ちすくんでいた。
母屋の脇にある水浴び場で水を浴びて離れに戻った。リュイは部屋の中央に、背筋をぴんと伸ばして胡座を組んでいた。まるで待ち構えていたかのように、戻ったティセをまっすぐに見た。どこか偉そうでいて、不自然なほど真面目な顔つきをしている。
「……な、なに……どうかした?」
一昨日のできごとからのリュイは少し怖いので、ティセはおずおずと尋ねた。そのとき、普段ティセが腰にしている革帯が――――拳銃を装備するための革帯で、水浴びをする前に部屋へ置いて出ていた――――リュイの右手にあるのが目に入る。ティセはすぐその異変に気づく。革帯の様子がわずかに変化しているのだ。
「あれ……なんか変わったよ、それ」
左腰にあたる部位に、いままでになかったものが取り付けられている。
リュイはゆっくりと立ち上がりティセの間近に来て、据わったような目で見下ろした。先ほど購入した短剣の鞘を握り、ティセの胸の前に差し出して、
「ティセ、おまえのものだ」
「……は?」
思わず耳を疑った。ぽかんとしていると、
「……何度も言わせるな、これはおまえのものだ」
強迫さながらに声を凄ませた。
「受け取れ」
迫るように言う。すべてが命令口調になっている。ティセはおおいに困惑する。
「な、なに言ってんのリュイ……」
リュイの目はますます据わっていく。
「これで身を守れ」
「……もう銃を持ってるじゃん、私」
すると、怒りと呆れを綯い交ぜにした声を荒らげ、
「使えなかっただろう、実際!」
「う……」
言うとおりなのだった。
「いつでも弾を込めているわけじゃないだろう。咄嗟に使えなければ意味がない。これなら咄嗟に使える。両方を持て」
水を浴びている間に、リュイは革帯に勝手に手を入れて、短剣も装備できるようにしたのだ。
「で……でも、そんなもの使ったことないし使えないよ!」
焦るティセに、リュイはことのほか冷静に、且つ揚揚と言ってのける。
「もちろん、僕が教える。……誰よりも強くしてやる」
「…………」
「おまえは運動神経だけは飛び抜けていいのだから、少し練習すればすぐに立派な剣士になれる」
確信しているかのように言う。ティセは甚だ当惑し、
「いや、でも……」
反論しかけると、リュイは居丈高な態度を急に改め、ティセに向かって深々と頭を下げた。信じられない挙動に、ティセは目を瞠り声を失った。
「…………!」
頭を下げて静止したまま、
「……頼む……」
「ちょ、ちょっとリュイ……!? やめろよおまえ、顔上げろよ!」
慌てたティセはその両肩を揺すって促したが、リュイは頭を下げ続ける。一転、今度は頼りない調子で訴える。
「頼む…………片時も目を離さずにいるなんて、できやしないのだから……。頼むから、助力してくれないか……」
「……助力……?」
ティセは口のなかでくり返す。自衛ではなく、何故、助力なのだろう……ひどく疑問に思うが、ともあれ頭を下げられたままでは困る。
「リュイ、とにかく顔を上げてよ! 柄にもないことすんなっ!」
「…………」
決して顔を上げない、堅い意志をもって頭を下げている。ティセは困り果てた。
「……わ……わ……分かったよ!! 分かったから、顔を上げてくれっ!!」
「…………聞いた」
おもむろに顔を上げ、リュイは元のとおり背筋を伸ばす。ふたたび据わった目でティセを見下ろし、
「さあ」
短剣を胸の前にいよいよ押しつけた。
「うううう……」
理不尽な思いで短剣の鞘を握る。リュイはほっとしたように顔つきを緩ませた、と思う間もなく、すぐに厳しい顔になり、
「表へ出よう」
「は? いま?」
性急さにまたも驚く。
「そう」
「……明日から」
「早く」
「おまえ……水浴びは?」
「雨が降ってきてからでいい」
ほら、と部屋の扉を開けて、強引極まる調子でティセを庭へ促した。
空は灰色の雲に覆われて、いまにも雨が降り出しそうだ。雨を予期した蛙たちがそこここから喜びの声を上げている。意志に貫かれた厳粛な顔つきをしたリュイと、渋い顔をしたティセは、離れの前に向かい合った。
リュイはいったんティセの手から短剣を取り、代わりに改造した革帯を手渡した。
「して」
渋々と腰に革帯を着けると、リュイは屈み込んで自ら短剣を取り付ける。そして、帯刀したティセの姿を上から下まで眺め渡すようにじいっと見つめ、
「……似合う」
大真面目につぶやいた。
「……なに言ってんだよ、もう……」
呆れ返るティセを無視して、リュイは静かに命じる。
「抜刀」
「…………」
不承不承に柄を取り、のろのろと鞘から引き抜く。手にした抜き身をなんとも言いがたい思いで眺める。刀身はティセの肘から指先までにやや満たないくらいの長さだ、それが鈍い光を放っている。その手首を、リュイはいきなり手刀で叩いた。
「痛っ……!」
はずみ、ティセは短剣を取り落とす。
「わああっ!!」
慌てて一歩飛び退いた。咄嗟にリュイを見遣り、
「危な……」
抗議の声をすぐさま止めた。リュイは恐ろしい目でティセを見下ろしていた。地鳴りに似た低い声でことのほか沈着に、
「何故落とす? 真面目にやれ」
ティセを睨めつけ恫喝した。
……怖い……本気だよ……
背筋が寒くなっていくのをはっきりと感じた。まずいことになったと頭のなかでつぶやいた。リュイは冷ややかに続ける。
「もういちど」
「…………」
地面に落ちた剣を拾い上げ、言われたとおり鞘へ戻す。
「抜刀」
今度は真面目に抜いてみせる。手刀が飛んできてももう取り落とさないよう、指が白くなるほどしっかりと握り締める。すると、リュイはその手をまじまじと見て、
「それでは固く握り過ぎだ。すべての指をきつく締めてしまうと手首が利かなくなる」
「……そうか……」
「中指と薬指と小指をきつく締めて、残りは少しだけ余裕を持たせて」
「……こ、こんな感じ……?」
言われたとおりにする。
「そう、持ちかたの基本だ。考えなくても自然にできるように、その感覚を覚えて」
「…………」
流れ出した水が止まらないのと同じように、リュイは続ける。
「次、構え」
「か、構え……?」
つい聞き返す。リュイは別の言いかたで言い直す。
「目の前に敵がいる。立ち向かえ」
口調がいちいち怖いと思いつつ、ティセは目の前に暴漢がいるところを想像してみた。見えないその人物に向かい、右腕を突き出し肘を軽く折り、切っ先を差し向けて脅してみる。
リュイはティセの右肩と左腕に手を当てて、体を傾けるように指示しながら、
「左足を引いて、このくらい半身になれ。相手が武装していれば尚のこと、半身になることが防御になる」
「……なるほど! ……そういやぁ……――」
初等部のころに、仲間たちと棒っ切れでチャンバラごっこに夢中になったのを思い出したのだ。が、そんなことを口にすれば、真面目にやれとまた叱られる、ティセは慌てて口をつぐんだ。
「なに?」
「なんでもない」
気に止めず、リュイはさらに続ける。
「抜刀から構えをくり返して」
ティセは素直に従った。抜刀して即構え、抜刀して即構え、幾度もくり返す。なんでこんなことに…………と頭のなかでもくり返す。リュイは腕を組み、ほんのわずかな不具合すら見逃さないといった眼差しで、その様子を見つめながら、
「もっと速く」
「握り過ぎ」
「姿勢が悪い」
「左足を引き過ぎだ」
「剣先がぶれている」
「脇を締めて」
「どこを見ている? 敵を見ろ」
鋭く畳みかける。ティセは「抜刀即構え」しか動作しないカラクリ人形にでもなった気がしてくるまで、それをくり返した。頭のなかではもう溜め息しかつぶやけない。
やがて、お許しが出た。
「よし。とてもきれいだ」
ほうっ……とティセは現実の溜め息を漏らす。が、安堵する間もなく、
「じゃあ、僕を強盗かなにかだと思って、立ち向かえ」
そう言って、ティセの正面に立ちはだかった。かすかに殺気を漂わせる。
「……はあっ?」
リュイは厳しい表情を少しも変えず、
「聞こえただろう。僕は強盗だ。おまえを襲う。立ち向かえ」
剣を鞘に収めたまま呆然としていると、はっとするような軍隊仕込みの大声で、
「抜刀!」
どきり、ティセは慌てて抜刀した。
「構え!」
光の速さで構える。が、その先が動けない。リュイは低く囁いた。
「おいで」
「…………」
束の間、ふたりを沈黙が支配した。ふたたび、低く囁いた。
「それなら、僕が行く」
言うや否や、右腕を伸ばしてティセに襲いかかろうと迫り来た。にわかに暴漢さながらの凶悪さを漂わせたその右腕に、ティセはほんの一瞬だが、本物の恐怖を覚えた。
「わああああ……!」
ずざざっと、思わず何歩も後退る。
リュイは暴漢からもの静かなひとへ戻り、呆れたように眉をしかめる。
「……ティセ。何故逃げるの? 立ち向かわないと稽古にならないだろう」
「だってだって……おまえ……こんなものひとに向けるの、怖いよ!」
泣きそうな声で訴える。
「僕は怖くない。おまえの動作は僕には止まっているように見える」
「私は怖いんだよっ!」
「おまえの振り回す刃が、僕を少しでも掠ると思うのか?」
思い上がりだと言わんばかりに吐き捨てた。人並みの自信や自尊心を持てないのかもしれないリュイが、唯一自分を信じているのはここなのだと、ティセは改めて思う。
「そういう問題じゃないの! これが普通……普通の感覚なんだよっ!」
普通と言われて、リュイは口をつぐんだ。ティセはその隙を逃さない。
「ねえリュイ、稽古なんだろう? それなら木刀かなんかでやってよ。これじゃあ怖くて稽古にならないよ!」
「…………」
そのとき、雨がぽつりと落ちてきた。
「あ!」
空を見上げれば、次々と大きな雨粒が落ちてくる。ティセを救う夕刻の雨が降り始めた。
「ほらほら、雨だよ雨! おまえ水浴び!」
したり顔で水浴びを促した。リュイは一瞬不服そうな顔をしたが、ふぅと溜め息をつき、
「……分かった」
助かったぁ……ティセは胸のなかで安堵の声を上げた。
リュイは水浴び場へ向かう間際、ティセを振り向き、
「続きは明日。今日教えたことを決して忘れるな」
眼差しは冷ややかだ。いちいち怖い……ティセは明日を怖れて身震いした。
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