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解放者たち 第二部  作者: habibinskii
第三章
16/71

2

 真夏を思わせる日差しが宿の中庭に降り注ぐ。幾つも立ち並んだ物干しには、たくさんの衣服や手ぬぐいや敷布が干され、微風を受けて気持ちよさげにそよいでいる。

 ティセは女将の娘アルワと楽しそうに話をしながら、ふたり分の洗濯物を干している。リュイは中庭に面した涼しい客室で、ふたりの会話を聞くともなしに耳にしつつ、読書をしていた。

 一昨日、この町に到着した。土着の信仰に根ざした風変わりな祭りが行われるという話を聞きつけて、少し寄り道をしたのだ。もちろん、ティセの希望だ。


「お祭りは三日間続くのよ。神さまの物語に出てくる登場人物たちに扮した男のひとたちが、踊りながら町を練り歩くの。山車もたくさん出るし、大通りには出店がずらーっと並んで、ほんとに楽しいんだから」

「へえ! 神さまの物語ってどんな話?」

「大地の神さまが魔神と戦って平和をもたらす物語よ。冊子になったのを持ってるから、あとで貸してあげるわ」


 アルワはティセと同い歳だ。到着したときからティセをすぐに気に入ったようで、暇さえあれば話をしにやって来る。


「ありがとう! それ読んだらもっと祭りを楽しめちゃうね」

「四年にいちどのお祭りなんだから、ティセはとっても幸運よ」


 リュイは本から目を上げて、窓の外、中庭のほうへなんとはなしに目を向けた。

 洗濯物を干すティセの傍ら、アルワは花壇の縁に腰かけている。落ち着いた色合いの男物の服を着たティセと、女らしく明るい色の伝統衣装を纏ったアルワは、とても対照的に見える。堂々とした、というよりは少々荒っぽいティセの物腰や喋りかたと、アルワのたおやかで恥じらいのあるそれは正反対で、同じ十七歳の少女とは思いがたい。

 それに……とリュイはアルワを見つめた。


 アルワの身体は成熟していて、胸も腰も充分に隆起している。彼女を見て魅力を感じない男はいないだろう。それを眺めてからティセを見遣れば、もう分かりきっているにも拘わらず、遠目にはやはりほっそりとした少年のように見えるのだった。厚みのある布を用いた胴着を、上衣(シャツ)の上に重ねて着るという装いのうえでは、ティセの胸のふくらみはほとんど分からないといっても過言ではない。すらりと細身できれいだが、凹凸には乏しい。けれど…………リュイはティセの腰のあたりに注目する。


 ティセの尻はとても小さい。女たちの尻の大きさは、しばしばリュイに厚かましさを感じさせた。どんなに優美で慎ましやかな女でも、それを目にすると、図々しさ、遠慮のなさを感じさせ、どこか恥知らずのように思えた。ティセの尻にはそれがない。むしろ、遠慮がないのも尊大なのもティセの特徴なのに、尻は小さく涼しげで、それこそ慎ましやかに見えるのだった。そして、小さくて……――――


 ……とても、まるい……


 心でしみじみとつぶやいた。










 朝の空に花火が上がる。ドン、と数発くり返し、そのたびに空気が振動する。四年にいちどの奇祭が始まった。

 昨日アルワが持ってきた神話の小冊子に目を通し、ティセは祭りを楽しむ準備を万端整えた。妖怪変化のような異様な風貌の神々の挿絵を、目をきらきらさせながら眺めていた。明日は一日中こんな瞳をしているのかと、リュイは祭りよりもそのほうが楽しみだった。


 しかし、祭りを目の前にして、ティセは顔つきを曇らせていた。なにかを耐えているように眉をしかめている。右手を腹や腰に頻繁に当てるので、月のものが訪れたのだと分かった。朝食後には、そっと薬を飲んでいたようだった。


 予定どおり外出しようとしているので、

「ティセ、少し休んでからにしたほうがいいんじゃないか」

 肩をぴくりとさせて、ティセは振り向いた。

「なんで?」

「腹が痛いんだろう。祭りを見に行くのは、薬が効いてからにしたらいい」

 途端、むっと怒ったように黙り込む。え……リュイは頭に疑問符を浮かべる。


「…………大丈夫だよ」


 なにか厭そうに、ぼそりと低く返した。


「けれど……無理に出歩かなくても、祭りは三日も続くのだし……」

「大丈夫だってば!」


 ますます怒ったように言う。頭のなかの疑問符もますます増える。


「………………」


 戸惑うリュイを、ティセは憎々しげに睨みつけ、声を凄ませる。


「……おまえ……私にそれがあるって、二度と思うな」

「え……!?」


 リュイは目を見開いた。


「…………何故?」

「なんでも! 今度口にしたらほんとに怒るぞ」

「…………分かった」


 まったく分からないが、そう答えるしかなかった。






 目抜き通りは目を瞠るような賑わいだ。道の左右に出店が立ち並び、物見に集まったひとびとで埋め尽くされている。遠方からも訪れているようで、この辺りのひととは少々異なった衣服や顔つきをしている者も交じっていた。


 隊を組んだ男たちが通りの中央を行く。先頭は太鼓や笛を奏でる楽隊、次に神話の場面を再現した装飾を施した山車が続き、そのあとを仮装した男たちの行列が奇妙に踊りながら練り歩く。一足一足、土を踏みしめていくような足取りの、大地に由来することを思わせる舞踊だ。じりじりとしか進まない。ようやく一団が過ぎると、次の一団がまたじりじりとやってくる。隊を組む男たちの眼差しは、祭りの高揚感に芯から侵されて、不気味なほど恍惚としている。


 ティセは薬が効いたのか、すっかりと明るい顔つきに戻り、興味深そうに仮装行列を眺めている。

「うわー! ほら見て! あのひとほっぺたに串を突き刺してるよ! 挿絵と同じだ」

 瞳が輝いている、リュイは頭のなかで安堵の溜め息をついた。


 ティセは今朝、何故あんなに機嫌を悪くしたのだろう。リュイにはさっぱり分からない。月のものに触れられるのは恥ずかしいということなのだろうか。それならまだ理解できる、しかし、ティセは恥ずかしがっているふうではないようだった。あきらかに怒っていた。声には凄味があった。……何故? 恥ずかしさを隠すために怒りの表情を見せたのだろうか……。それも違う気がする。もっと純粋に怒り、厭がっているふうだった。

 しかも、それがあると二度と思うなと、ティセは告げた。言うなではなく、思うなだ。触れて欲しくないならば、口にするなと告げればいい。何故、思うななのか……。


 …………思うなと言われても……女ならあるのが普通なのに、何故…………


 ティセの気持ちはいくら考えても、リュイには少しも分からなかった。










 祭りが終わると、町は途端にひとが引き、嘘のように静かになった。満室だった宿も空室ばかりになり、中庭にはためいていたたくさんの洗濯物は、一日にしてふたりのものだけになった。大通りには狂乱の名残……物見客の残していったゴミが散らばっているが、恍惚の眼差しと熱い息、弾む音が聞こえてきそうな躍動感やこだまする歓声、そういった日常を超越した祭りの余韻は跡形もなく、夢さながらに消えている。ふたりも明朝には出発する予定だ。


 今日は古書市が立つというので、リュイはひとり出かけて行った。昼過ぎに宿へ戻ると、ティセは部屋にいなかった。おおかた、アルワと買いものか散歩に出かけたのだろう。ふたりは昔なじみようにすっかり親しくしている。まるで、さんざん話に聞いたあのラフィヤカという少女のように。


 部屋へ入れば、途端に涼しい空気に包まれた。外の日差しの強さを逆に実感する。中庭に面した窓の下に腰を下ろして、購入してきた数冊の本を手に取った。どれから読もうかと、ぱらぱらめくっているうちに、遠くからティセとアルワの話し声が聞こえてきた。


 外出から戻ったふたりは中庭へ入ると、ちょうど木陰になっている花壇の縁に並んで腰かけて、そのまま雑談を続ける。自分がもう戻っていることに、ティセはきっと気づいていない。リュイは本に目を通しながら、聞くともなしにふたりの声を聞いていた。

 アルワは甘えたような声でティセに言う。


「ねえティセ、さっきの首飾りの手紙、もういちど見せてくれないかしら」

「うん、いいよ」


 例の首飾りはここのところティセの首にあり、服の内側で揺れている。しばらくして、アルワは高い声をさらに高くしてうっとりと、


「……いつでも、いつまでもきみを待っている…………ああ! 本当に素敵! どきどきしちゃう!」


 ティセの母親と同じように言った。


「そう? 臭くない? 私には冗談としか思えないけどな」

「そんなことない、素敵よ! きっと、とっても優しい男のひとよ。それで、ひとりの女を心から愛してるの……いつまでもいつまでも永遠に、心から…………きゃああ」


 感極まったように小さく叫んだ。するとティセは、


「あははははっ」


 豪快に笑い飛ばした。ティセらしい……とリュイはつい口角を上げる。

 アルワは拗ねたように唇を尖らせる。


「もう、ティセどうして笑うのよ」

「だってさー……」

「あーあ……私もこんな素敵な恋をしてみたいなぁ……。とろけちゃうような甘い恋をして、それで結婚するの……」


 恋に焦がれる少女の瞳で、アルワは宙を見つめる。が、すぐにしゅんと下を向き、


「……でも駄目ね。私のお相手はどうせ親が決めるもの……」


 ティセは面持ちを少しく真面目にさせて、アルワを見る。


「そうなの?」

「うん。うちは親戚中みんなそうなの。古くてお固い考えのひとたちばかりよ」

「……そっかぁ」


 アルワの哀しみに同調するふうに、ティセは残念そうに相槌を打つ。


「せめて、素敵な恋だけでも内諸のうちにしておかなくっちゃ」


 声を強めて意気込みを見せた。



 リュイは漫然と紙面を眺めながら頭のなかで、恋……とつぶやいた。

 いま心を満たしている想いは、恋と呼ぶものなのだろうか。どこか違うように、しっくりとこないように感じる。けれど、もしも誰かにこれはなにかと問うたとすれば、きっと恋だと返されるのだろう。違和感を覚えつつも、リュイはまずまず納得する。

 アルワが焦がれているような恋では到底ないし、小説のなかに描写されているような切なさや苦しみもない。ただひたすら愛おしく、途方に暮れるほど大切に思えるだけで、恋という言葉が連想させる騒がしさは、自分のなかにはないように思える。むしろ、静かに張りつめている。ただ、触れたいと強く思う瞬間にのみ、静けさは乱された。内側に張っている冷ややかな水面(みなも)に立った細波がほどなくして静まれば、あとにはたまらなさと遣り切れなさが水面にうっすらと漂った。


 想いを伝えようとは、リュイは微塵も考えていない。この旅が終わるまでは、つねにともにいられるのだから、それを伝える必要はどこにもない。告げたところで、ティセは困惑するだけだ。ややもすれば、この心地のいい相棒という関係が壊れてしまう。

 無事にナルジャへ送るまでそばにいられるうえ、想いを告げても告げなくても、ティセの心は自分にはないのだから、どのみち触れることは叶わない。想いはそっと内に秘め、静かに眺めていられればそれでいい。それ以上は望めない。ティセを失うことがなによりも怖いのだと、あの病の晩に痛いほど思い知ったのだから……。



 アルワは声を改めて、興味津々といったふうに言う。


「ねえ、秘密の宝物っていったいなにかしらね。やっぱりお金とか宝石かしら? ティセはどんな予想をしてるの?」

「さあねえ、なんだろな」


 ティセは無頓着に返した。


「なによ、なんの予想もしてないの? それを探しに行くんでしょ?」


 呆れたように言うアルワに、ティセは「うーん……」と唸ったのち、


「それはそうなんだけど、宝物を探すってのは、旅の建て前みたいなものなんだ」

「建て前?」

「そう。本当の旅の目的は、ただたんにあいつと一緒に歩いてくってことなんだ。だから、宝物はもちろん見てみたいけど、なかったらないでもいいし、それほど重要なことじゃないんだ」

「……ふうん……」


 分かったような分からないような返事をしていた。


 リュイは思わず微笑んでしまった。旅の本当の目当ては、ともにどこまでも歩いて行くことにある。おまえと歩いて行きたいと、互いに心から思っている。なんという相棒なのか――――……嬉しさがじわりと胸に滲み出すのを、しみじみと感じた。また愛しさが込み上げる。



 アルワの声がふたたび中庭から響く。


「それにしても……いいなあ、ティセ」

「なにが?」

「だってぇ……そんなに仲良しな男友達がいて、遠い国まで一緒に宝物を探しに行くなんて……とっても自由だし……物語とかお芝居のなかのことみたいで…………ほんとにうらやましい」


 心からうらやましそうに言った。ティセは乾いた声で、


「あはははっ」


 返答にならない返事をした。すると、ほんの少しばかり間を置いて、アルワは若干不審さの交じった声になり、遠慮気味にティセへ問うた。


「……でもぉ……ティセ……。彼とは…………ほんとにただの友達なの……?」


 ティセはきょとんとし、


「へ? そうだよ」


 どうにも納得がいかないのか、アルワは暫し黙り込んだ。のち、ためらいのある口調でさらに尋ねる。


「そう……それなら…………少しは怖くないの……?」

「怖い? なんで!?」

「だって…………あなたたち同じ部屋に泊まってるじゃない。…………男はみんな狼だって、普通そういうわ」


 リュイはどきりとして、


「…………」


 頭のなかで無言をつぶやく。

 にも拘わらず、ティセは軽く吹き出した。


「あははっ……狼? 確かにあいつ、野生動物みたいな雰囲気があるとは思うけど…………狼っていうより……むしろロバ……」


 ……ロバ……?


 またも、頭のなかでついつぶやく。

 アルワは意味が分からなかったように、


「え? なあに?」

「いや、なんでもない、あははは……」


 ティセはひとしきり独り笑いをしたあと、


「うーん…………あいつ、そういうこと興味ないように思うけど」

「……そうなの……?」

「たぶん…………それに、少なくともあいつ、私のこと女の子だってほとんど思ってないよ、きっと」

「そうかしら……」

「あんまね」


 アルワはまた暫し黙っていたが、やがてティセの全身を眺め見て、


「うーん……そうかもねぇ」


 言って、くすりと笑った。



 リュイは目を大きく見開き、固まったようになっていた。ティセの発言に言葉を失うほど愕然としていた。



 …………なにを言っているの、ティセ…………



 甚だしい思い違いだ、山を見て海だと言うくらい間違っている。すでに触れたいと思っている、欲しい気持ちを押し堪えながらそばにいる。自分たちの認識の差に、そのあまりの隔たりに、リュイは眩暈がし、気が遠のいていくようにすら思えた。


 そして、そんな気持ちをまったく知らず、ティセは自分を完全に信用しているのだということが骨身に染みるように分かってしまった。リュイは激しく困惑する。

 同時に思い至る。ティセの発言は裏を返せば、女だとは思って欲しくないということではないか。先日の「それがあると思うな」という言葉は、そんな思いからくるものだったのではないか……。ティセはそれが厭なのだ、声を凄ませるまでに、ひどく厭なのだ。



 …………そんなことを思われても……もう無理だ…………



 リュイは目を瞠ったまま、硬直し続ける。身体に巨大な釘を刺されて、身動きを封じられてしまったかのように。


 釘――――……ティセは我知らず、リュイに釘を刺したのだ。


 どのみち触れることは叶わない、静かに眺めていられればそれでいい…………もとよりリュイはそう思ってはいたが、その発言を耳にして気づいてしまったいま、それは完全に、到底叶わない夢になったも同然だった。

 にわかに疲労感を覚え、リュイは手にしていた本を無造作に脇へ押しやった。そして、荷物から短剣を取り出して、その場に横たわる。


 ……少し寝よう……


 哀しい気持ちを抱くように短剣を抱いて、不貞寝をする。




 ほどなくしてティセはアルワと別れ、部屋へ戻ってきた。寝ているリュイを見つけ、

「あれ、帰ってたんだ」

 寝顔を窺い、ニヤリと笑う。

「呑気に昼寝しちゃって……やっぱロバだな、ははは」

 悪たれ口を叩きつつも、眠るリュイにそうっと毛布をかけた。










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