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バーレシアと四つの小国  作者: はと
第二章
27/29

青春

 さて、ここで一つ昔話をしよう。

 これは、デドロンの宰相、シャルの若い頃の話である。

当時、アクサネスへの留学は学歴さえ証明出来れば誰でも受け入れられていた。シャルが留学の為に初めてアクサネスへ足を踏み入れた日、彼は初めて多様な人種を目にしたのだ。多様な言語、多様な文化、多様な思考、多様な価値感……見るも聞くも触れるも全てが初めて尽くしであった。

その中で、シャルは一つの出会いを果たした。察しているだろうが、それがのちに彼の妻となる女性である。彼女はユセビアが初めて認めた留学生であり、アクサネスには言語を学びに来ていた。ユセビアに貯蔵されている古い本の解読をするのが夢なのだと、そう語ってくれた。眼鏡の奥で恥ずかしそうに笑うその顔に、シャルは初恋を捧げたのだ。

アクサネスでの学びは、シャルにとって、そして彼女にとっても革新的であり、ギャップの多いものであった。思えば、当時はデドロンもユセビアも今よりかなり閉鎖的な土地であり、古い思想がそのまま残っていた。一方アクサネスは常に新しい文化や思考を取り入れ、または生み出していく。そのスピードたるや、まだまだ若かった彼らすらついていくのがやっとだった。

しかし、とても楽しかった。朝から本を読み漁り、昼には食事をしながら誰かの論を聞き、または語り、そのまま午後は討論になだれ込んで、気づけば夜を迎える日々。アクサネスの図書館で寝落ちして、司書に睨まれた回数は数えきれない。時には全然違うジャンルの研究をしている者が飛び込みで参加して、全然違う視点からの論に振り回されることもあった。しかしそれがまた、面白いのだ。

彼女と論を交わしたのは、留学してちょうど一年が経とうかという頃だった。


「聖書の言葉を、もっとわかりやすくしたら素敵だと思うの。」

「しかし、聖書とは神の教えだろう?人の手が加わることを、信仰者は良しとするのかい?」

「だからこそよ。」


 小さな丸テーブルに対面で座って、彼女は聖書を手に、シャルはノートを手に語った。あの頃の討論は論破を目指すものではなかった。互いの思考を理解するための場であり、自身にない思考をもらう場であった。少なくともアクサネスにおいて、学生と呼ばれるうちの討論はそうであるべき、という暗黙のルールがあったのだ。だからこそ、教授たちは学生の間でどんなに拙い討論が行われていても、決して素人質問で恐縮ですがビームだけは放たなかったし、勢いで論破しようとする生徒を諫める立ち位置に居た。

 彼女との討論は、これまでのどの討論よりも楽しかった。恋に奥手な二人にとって、討論という名目を借りなければ会話も出来なかったのだ。情けないと笑われても文句は言えないが、当時の二人の精一杯だった。だから、必死に討論を引き延ばそうと言葉を重ねた。


「ああ、そろそろ閉館だ。君と話しているとすぐに時間が過ぎていく。」

「本当ね。でも、私のテーマはつまらなくなかった?」

「まさか!とても楽しいよ。妖精と共生しているデドロンでは、あまり宗教理解が深いわけではないから……。」

「なら良かった!明日は、来れる?」

「勿論。今度は僕がテーマを持ってきても?」

「ええ、是非!」


 本当に下手くそな逢瀬だった。約束を必死に取り付けて、解散する度に必死に次のテーマを探していた。あとから聞けば、彼女も同じだったらしい。ただ、教会育ちの彼女はそれこそ取り上げられるテーマが宗教関連しかなくて、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいだったと結婚してから打ち明けてくれた。

 そんな情けない逢瀬を繰り返して、三か月。シャルは意を決して、伝えたのだ。


「次のテーマなんだけど……だ、男女交際、について、とか、どうだろうか。」

「……。」

「あっ、いやっ、む、無理ならその、そう、教会法と法律の違いについて、その内容の差異を考えるのはどうだろう!?」


 一応シャルの為にも補足をするならば、これは当時アクサネスの学生間で流行っていた誘い文句がこれだった。君との未来について語りたいだとか、君と僕が付き合えるかについてだとか、勉学一辺倒の者達による決死の誘い文句なんて、こんなもんだった。だから決して、シャルのセンスが死滅しているわけではなかった。それだけは、一応ここで補足しておこう。

 彼女は、固まっていた。シャルはそれを見て、ああダメだった、と凹んだ。一気に体温が低下していくような感覚。なのに、なぜか顔からは汗がどばっと出た。挽回しなければ、と言葉を重ねてみるが、それも正解なのかは全く分からない。そのうち脳内で、人はなぜ恋をするのに手引書がないのか、と新たな疑問すら生み出していた。

 そのうち、彼女がぽつりと言った。


「男女、交際……。」

「あ……い、嫌なら、その……。」

「それは、あの……私と、あなたのことで?」

「……うん。」

「議論の詳しい内容は、その、例えば、どんな……。」

「え、あ、例え……その……き、君を喜ばせるには、どんな花を贈れば良いか、とか……。」


 苦し紛れに絞り出した、自分らしくもない気障ったらしい言葉だった。けれど彼女は、そんな似合いもしない言葉に頬を染めて、頷いてくれたのだ。


「ぜひ、お話したいです。」


 恥ずかしそうに、髪を耳にかけてそう言ってくれた彼女は、翌日かわいらしい水色のワンピースを着て待っていた。シャルはそんな彼女に、花屋で見繕ってきた淡い水色の花束を差し出した。


「君がいつも、青いペンを使っているから、選んでみたんだ。」


 故郷の海の色に似ているからつい選んでしまうのだと、その日シャルは、初めて彼女の好きな色と理由を知った。






 そんな、ちょっと情けなくも甘酸っぱい青春を共に過ごし、それから結構な試練を経て結婚まで漕ぎつけたシャルにとって、ユセビアは妻の故郷である。思えば城勤めとなり、立場が上がるにつれて彼女と共に故郷へと行く回数も減ってしまった。

 そんなことをつい考えてしまったのは、アクサネスから届いた文書のせいだろう。その文書を開いた時、シャルは一度静かに閉じた。そして、一応この文書が正式なものかどうかを目で確認し、魔法分析にも軽くかけてみた。間違いなくアクサネスの王、ポーマスからの正式な文書であることが判明した。だからこそ、改めてもう一度、かなり丁寧に開いて最初の文章を見た。


【ユセビアの薬品調査に関する人員協力の依頼。】


 よろしい。まあ内容的にはちょっと、というか結構問題がある気もするが、まあここまでは良い。とりあえず良いことにする。問題はその少しあとだ。


【デドロン国のシャル宰相にお力添えを……】


 どこからどう見ても、自分の名前が書かれているのをシャルは確認した。してしまった。

 だからこそシャルは文書を手に、しばし悩んだ。これは正式な文書である。しかも、結構急ぎのものだ。先日、大樹の件で大層世話になった義理を考えれば、これはすぐさまマルフィーの目に触れさせるべきであるし、まず間違いなくシャルはユセビアへと走るべきなのだ。

 問題は、現在マルフィーがカタリナにどうにか会える口実が作れないかと、割と真剣に悩んでいることを知っていることである。


「絶対……睨まれる……。」


 せめて妻をひそかに連れて行ければ、なんて淡い希望すら難しいだろう。今日も家で穏やかにシャルの帰宅を待ってくれているだろう最愛の妻を想いながら、シャルはのそのそとマルフィーの居る執務室へと向かった。

 窓から見える中庭の、隅に咲く青い小花がシャルの背中を押してくれているようだった。


シャルがデドロンの城に勤めて生み出した功績は、結構デカいです。例えば妖精の祝福を受ける場を教会に統一したのも彼。また、シャルは前王の代から勤めており、マルフィーの教育係でもありました。

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