露店
ユセビアには一つの異変が起きていた。しかし、ポーマスとマルフィーはそれを調べてすぐにある可能性に行き着いていた。ちなみにスパルは何も分からなかった。
薬品の出処は街の露店通りにあったとカタリナは言った。しかし、露店通りは既に教会の者が見回りをしたらしいがそれらしき店も薬品も見当たらず、聞き込みをしてみたものの薬品を出していた店は一ヶ月ほど前に急に来て、三度の出店をしただけなのだと言う。
「露店通りはその名の通り、露店が並ぶ地域です。店を持つほどの資産がない者が、ここである程度の認知度と資産を貯める為にあります。」
「つまり、出店に義務や資格は不要という事か。」
「はい。教会が差別や資産なき者の排除をすることは許されませんから。」
マルフィーとカタリナの会話を聞きながら、ポーマスは静かに思考していた。
アクサネスやデドロンにも露店を出す広場や地域は存在するが、こちらは事前に商人証明書の登録が必要だ。しかしユセビアは国というより宗教都市という概念が強く、どんな者もまずは受け入れるという特性がある。無論その内情としては、質素倹約を第一にする国民性故に物盗りや乞食にすら無駄足と言わせるほど資産を持たないからでもあるのだ。薬品を持ち込んだ者も、恐らくはそれを把握した上でここを選んだのだろう。
しかし、謎はまだある。
「……薬品の価格が、あまりにも安いですね。確かにこの国では多くの資産を持たぬ事を美徳としていますから、高値ではまず手に取ってはもらえない。それでも、いくらなんでも安すぎる。これでは何年頑張ったとて赤字しか続かないでしょう。」
「ですが、格安だからこそ国民は一度にいくつもまとめ買いが出来た、と言っていました。中には、一箱買い上げた者も居ると。」
「露店に、そのように大量の荷を持ち込むのか?」
マルフィーはそう言って、周囲の露店を見渡した。どこも三箱程は木箱を持ち込んでいたが、恐らく一箱はテントや敷物などの備品を仕舞う為のものだろう。ユセビアの露店も他国同様、夕方には綺麗に全てを引き上げ、また朝になったら設置しなければならない。それぞれの設置場所も明確には決まっておらず、早い者勝ちだ。大荷物で来ればまず場所取りで出遅れてしまうし、片付けにも時間と体力がかかる。
念の為にスパルに木箱をいくつか持ってもらったが、腕力のあるスパルですらそれなりのサイズと重さのある木箱は一度に二つ抱えるのが限界で、鍛えていないただの商人がこれを複数持ち運ぶのは荷車を使ったとしても骨が折れるだろう。
「薬品売りは、この一番人気の場所に居たんですよね。」
「はい。それは他の商人や実際に買った者にも複数確認をしたので、間違いありません。」
「……ユセビアでは、勤労の時間が明確に決められていましたよね。それよりも前後の時間で勤労に関する働きは許されていなかったと記憶していますが。」
「ええ。ですから謎なのです。複数の国民がまとめ買いをしてもまだ在庫がある事も、それらを運び入れてこの一等地を獲得した事も。」
「商人達は、テントを設営する姿を見ていないのか?」
「それが……いつも、いつの間にか準備を整えてそこに居た、と。」
話にならない。
ポーマスは思わず心の中で愚痴を零した。良くも悪くもユセビアの国民は穏やかで他人の行いに緩い。犯罪というものとかなり隔絶された地域性だからなのか、それともそうある事こそが信仰なのかは分からないが、基本的に他者を疑う事を良しとしないせいで肝心な時にその場の人口と目撃者がまるで比例しないのだ。
「すみません、私はこれから外せぬ予定が一つありますので、これで。逸話の国宝については事前にご連絡した通り十三時から準備をしてありますので、それまでは自由に過ごされてください。教会にも話は通してありますから。」
「いや、急な来訪に対応してもらったのだから、気にする事はない。」
「お忙しい所を空けていただいたのですから、ありがたい限りです。」
「ご理解あるお言葉、感謝します。では、十三時に教会の入口に来てくださいね。」
カタリナが急ぎ足で教会へと戻っていく。教会はほぼ一週間の予定、一日の流れがきちんと決まっていると聞く。そこに季節ごとのイベントや信仰者達との交流、そして事情を抱えた人の保護などの雑務が並行して発生しているのだ。今回マルフィー達の急な来訪を了承してもらえただけ、奇跡に近い。
「……ポーマスよ、どう思う。」
「違和感が強いと言いますか、拍子抜けでもあると言いますか……。」
「やはりそなたもそう思うか。」
カタリナの姿が完全に消え、マルフィー達も周囲に人の居ない場所まで移動してから、二人はベンチに、スパルはその後ろに立った。
「薬品は枕に塗布する事で己の望む夢を見る事が出来る、という事だったな。」
「ええ。他にも、ハンカチに薬品を染み込ませ、それを想い人が受け取れば成就するらしいですね。」
「……子ども騙しにも程があるだろう。」
マルフィーの言葉に、ポーマスも頷いた。真剣に悩むカタリナの前では決して言えなかったが、この件はあまりにも【国民性を理解した】動きでしかない。
「え、どういう事です?」
スパルがキョトンとして、二人を見た。彼の国ではおまじないやら薬品やらはまず流行らないから、きっとこういう話題全般に理解が浅いのだろう。仕方なく、ポーマスは種明かしを始める事にした。
「例えばだけど、スパル。君が突然知らない人から、何かが染みたハンカチをあげると言われたとしよう。特に汗をかいてるわけでもないのにだ。君は受け取るかい?」
「いや、受け取らないっス。何があるか分かったもんじゃねえし。」
「では、例えば僕やアリスから渡されれば?」
「んー……使うかはともかく、受け取りはします。」
「そういう事さ。薬品を染み込ませたハンカチを渡して、受け取ってもらえれば恋が成就するなんてもの、そもそも最初から相手への好感度が高くなければ成功はしないんだ。成就した人は最初から両想いだっただけで、別に薬品が相手の気持ちに作用したわけじゃない。」
「あ、そういう事スか!?」
「噂が出回っている今ならば、たとえ雨水を付けて渡しても成就する者はするだろうな。」
つまり、この薬品は良くも悪くも素直で善良なユセビアの国民とかなり相性が良かっただけなのだ。マルフィーも口には出さなかったが、恐らく恋が成就した人の相手には、さほど好きでなくとも流行りの占いをしてまでハンカチを渡してきたという事実に胸を打たれて受け取った者も居るに違いない。
「で、でも枕に使うってのは?夢なんて、それこそどうこう出来ませんよ!?」
「それがね、出来るんだよ。」
「へ?」
「人は、望むものを夢に見ることが出来ると言われているんだ。絶対ではないけどね。」
「そうなんスか?」
「例えば、寝る前に読んだ物語の世界に夢で入った、なんて話は結構多いんだよ。」
「枕の下に好いた相手の写し絵を入れると、その相手が夢に出てくる、なんてものもあったな。くだらん戯言だが。」
やったのか。
ポーマスとスパルはマルフィーを見た。そして夢に出てこなかったんだなと察した。
「この国の人達はとても信仰心が強いんだ。そして同時に、とても素直と言える。きっと薬品の効果を心から信じて、枕に塗布しながら神様に会いたい、声が聞きたい、と願ったんじゃないかな。」
「なるほど……そんで、そのまま夢に見たんスね。」
「あくまでも可能性の話だけどね。」
「でも、それなら別に、問題なくないスか。だって誰も困っちゃいないでしょ?あ、でも教会さんは困ってたけど……。」
思い出したように声の元気がなくなるスパルを見て、マルフィーとポーマスは目を合わせた。
「ああ、本来なら問題は無い。」
「そうですね、本来なら。」
「え?違うんスか?」
「ただ買った者の幸せを見たいだけならば、見事な善人と言えただろうな。」
「そうですね。素晴らしい行いだと思います。もしそうなら、ですが。」
「え?え?なんなんすか、俺も混ぜてくださいよ!」
わかんねえよ、と喚くスパルにポーマスが苦笑する。そして、少し潜めた声で言った。
「この件、恐らくは魔薬が裏で扱われている、という事です。」
「ま、マヤク……?」
「魔法薬に使われる材料を非合法で調合した、人体への害が大きな違法薬物の事だ。」
「魔薬には様々な効能があってね。使用することで多幸感が得られたり、本来そこにはないものが、まるで本当にあるように見えたりする作用があるんだ。」
「うげぇ……!」
「そして、それらは全て異様なほどの中毒性があるとされている。」
「ちゅーどくせー……。」
「欲しくて欲しくてたまらなくなるって事だよ。魔薬の多くは最初かなりの安値で取引されるんだ。そして使用者が完全にハマると、少しずつ値を釣り上げていく。まともな人間ならそこで手を引くけれど、中毒者になると魔薬を諦めるという選択肢が一番最初に消えるらしくてね。そのうち、なんとしても魔薬を買う為にありとあらゆる手を尽くそうとする。」
「物盗り、家族を売る、臓器を売る……依頼殺人なども魔薬欲しさに引き受けると聞く。」
「手に入らなければどんどん気が狂って、その時点で周囲に気付かれて通報される。けれど上手いことお金を準備出来れば魔薬が買える。魔薬を取り入れると一時的に多幸感に溢れて、人柄も優しくなってむしろ良い人のように振る舞う者も居るんだよ。」
「な、なら、それなら別に、」
「だが、どちらにせよ行き着く先は廃人だ。」
ひゅっ、とスパルが息を飲む。
「魔薬はね、一度取り入れると除去にかなりの手間と時間がかかるんだ。それでも初期ならかなり楽に除去出来るけど、初期のうちは自覚もない。大抵の場合発覚するのは、末期に近い中期後半以降なんだよ。」
それ、かなりやべーんじゃね。
スパルのあまりよろしくない頭でも、危険性が理解出来た。どう転んでも廃人になるなんて、恐ろし過ぎる。しかしマルフィーとポーマスの二人は、仕方なさそうにため息を吐いた。
「カタリナ様には申し訳ないけれど、この件は我々が頭を悩ませるべきものではないですね。」
「え、そうなんすか?でも、ヤバいんじゃ……。」
「スパル。我々はここに、国助けをしに来たのではない。逸話に触れる異変であれば手を付けるが、魔薬の横行ならば我々が管轄するものではない。」
「は?え、そんなバッサリ……?ええ……?」
混乱するスパルに、ポーマスは王としての顔で言った。
「良いかいスパル、君も一応は王なのだから覚えておくんだ。国の問題は、あくまでその国がどうにかすべきなんだよ。無論相談を受ければ知恵を貸すくらいはするが、それだけなんだ。そこにも報酬や関係の変化は付き纏うから、基本的にはどの国もおいそれと助けは求めない。デドロンがアクサネスに大樹調査を依頼したのは、それだけ事が重大だったからなんだよ。」
「そ、そうなんスね……。」
「君の所は確かに特殊だからね、依頼がくれば首を突っ込むしかない。だからこそ、しっかりとした判断が出来なければね。」
「うす……でも難しいっス……。」
「そのうち慣れるさ。何事も経験だよ。」
スパルが頭を抱えるのも無理はない。ミルシアはユセビア同様特殊な国だ。国民を持たないミルシアは、当然ながら議会にも基本的に参加はしない。だからこそマルフィーとカタリナはスパルを知らなかった。
ミルシアは、あくまでも傭兵で身を立てる男たちが集う集団でしかない。ただし、その武力は圧倒的なもので、それがどこかの国に買収されれば均衡が崩れる。それを憂いた数代前の王達が、ミルシアを国にすると制定したのだ。どこかに独占されるくらいなら、平等に。そうして出来たのがミルシアである。議会への参加権もない、これといった法もない国ではあるが、集まるのが脳筋ばかりなので問題も起きない。ある意味奇跡の国である。
「カタリナ様にはそれとなく進言しましょう。彼女も立場は弁えていらっしゃるから、納得は早いはずです。」
「ああ。」
恋に溺れていても、王としての立場を見失うことはない。こういう所は男から見れば素晴らしいの一言なのだろうが、女性から見ればつまらないだの、頭が固いだのと言われるのだろう。世の中の男女の亀裂はきっと今後も埋まらない。
「一旦話も落ち着きましたし、少し早いですが食事を済ませましょうか。」
ポーマスが立ち上がる。マルフィーとスパルもそれに続いて、教会の食堂に向かおうと歩き出した。
「きゃああああ!あなた!?あなた、どうしたの!?」
突然の悲鳴に、三人はそちらを見た。何の変哲もない家から、一人の男が出てくる。靴も履かず、まるでゾンビのように両腕を前に伸ばし、ゆらゆらと歩いていた。口からはヨダレがだらりとこぼれていて、鼻水も出ている。
「うわっ、なんスかあれ……!」
「スパル、覚えておけ。あれが、魔薬を取り入れた者の末路だ。」
ドン引きするスパルに、マルフィーが答える。男は恐らくは妻だろう女性の呼び掛けにも答えず、ふらふらとさ迷うように露店通りへ向かおうとしていた。
「あ……う……く、くすり、くすりぃぃいい!」
「薬はもうなくなったって、昨日言ってたでしょう!?お店ももう出てないって、ねえ止まっ、きゃあ!!」
男が、取り縋る妻を振り払った。手加減すらなかったのか、妻は呆気なく吹き飛ばされて転がる。そのあまりの様子に周囲の人が駆け寄り妻を抱き起こすが、男はそれすら気にならないのかふらふらと露店通りを目指すだけだった。
「あなたぁ……!」
妻の服は少し汚れていて、目の下には隈もある。もしかしたら、あの男が一箱買い上げた人物なのかもしれない。最初の一回で味を占めて、その後金を作る為に色々と売り払ったのだろうか。妻の様子を見るに、恐らくは夫に代わって献身的に仕事をして少しでも生活費を稼ごうとしていたのだろう。
だが、ああなるともう、助かる可能性はない。
「スパル、教会に『魔薬中毒者が出た』と知らせて、ここへ人を連れてくるんだ。」
「はい!」
スパルが飛び出して行く。それを見送って、ポーマスとマルフィーはその場から少し離れた。
目を離す訳にはいかないが、助ける訳にもいかない。心は痛むが、他国民であり、王たる自分達が出しゃばることはそのままこの国が二つの国に借りを作る事に繋がる。それはきっと、いずれカタリナの立場を悪くしかねない。
スパルが教会から人を連れて戻ってきたのは、すぐの事だった。男はあっという間に捕らえられ、教会へと連れて行かれた。泣き叫ぶ妻の声が聞こえないはずもないが、男は一度も振り返らず、最後まで露店通りに行こうともがくばかりだった。
マルフィーは実際とても優秀な男です。今回スパルがポーマス達を中毒者の居る場に残して教会に走ったのも、その場にマルフィーという強い人間が居たからです。もしポーマスだけだったら、彼はきっとポーマスを抱えて教会に走りました。スパルは脳筋ですが、他者の強さを察知する能力はかなり正確です。
※スパルにとってポーマスは強い人ではなく、怒らせたくない人。