薬品
ユセビアに来たマルフィー、ポーマス、そして唯一持ち出せる逸話の国宝を持つスパルは、早速ユセビアの女王カタリナと対面する。恋に揺れるマルフィーは相変わらず神がかった言葉選びのミスを連発し、ポーマスの心労は増えていく。
マルフィー、ポーマス、そしてスパルはユセビアに降り立った。スパルの同行を求めたのはポーマスだ。現状、逸話に関する国宝はスパルの持つ剣しか持ち出しが出来ない。デドロンで逸話同士の共鳴が起きた事を考えると、今回も試す価値はあると踏んだのだ。ちなみに、アクサネスでも共鳴するのかと試してはみたが、共鳴は起きなかった。
「皆様、御足労いただきありがとうございます。現在教皇と女王カタリナはミサの最中ですので、こちらで少々お待ちくださいませ。」
転移魔法陣から案内をしたのは、リタと名乗る修道女だった。通された部屋は教会らしく質素で、必要最低限のものしか置いてはいない。ソファに腰を下ろしたマルフィーにならって、ポーマスも腰を下ろす。何も無い部屋では、何もする事がないのだ。
「スパル、君も座るといい。」
「……いや、俺はここでいいっス。」
立ったままのスパルは、ポーマスが呼びかけてもリタが出ていった扉から目を離さない。まるで何かを凝視しているように、じっとそちらを見ていた。
「どうかしたのかい?」
「……まあ、ちょっと。」
なんとも歯切れの悪い返しをするスパルに理解を示したのは、マルフィーだった。
「スパル……気付いたのだな。」
「え、マルフィー様?気付いたとは?」
「ポーマスよ、そなたは存外鈍いのだな。」
「なんです?僕は何を見落としているのですか?」
マルフィーの指先がスパルを示す。
「あやつは恋に落ちたのだ。相手は案内のリタであろう。」
自信満々の言葉だった。
「いや、違うんスけど。」
そして違った。普通に違った。マルフィーがスパルを見る。ポーマスも、仕方が無いのでスパルを見た。
「恋とかじゃねえんだけど……二人とも、ここでは出来るだけ気ぃ抜かねえようにしてくださいよ。俺は多分、ここじゃまともに戦えねえ。」
「それはどういう、」
思いがけずスパルからの真剣な言葉に、ポーマスが眉を寄せる。しかし、全てを聞く前に扉が開いた。
「お待たせして申し訳ありません。ようこそユセビアへ。文書で来訪の目的は把握しております。逸話の国宝についてと異変の有無の件でしたね。」
現れたのは女王カタリナだった。この国でのトップは教皇だが、教皇は国交には一切関与しない。その為、こういう場で顔を出すのも常にカタリナの仕事になる。
「来る時間は伝えていたはずだが、流石この国は余程敬虔な信者が多いのだな。」
「……ミサは大切な時間ですので、ご容赦を。」
マルフィーは「予定していた時間にずれ込むほどここのミサは素晴らしく、国民達も真摯に祈っているのですね」と褒めたつもりである。もちろん、そんな風には受け取られない。当たり前だ。最悪の言葉選びが巡り巡って煽り要素しかない。
「お忙しい所急な訪問を持ち掛けたのはこちらですから、お久しぶりですねカタリナ様。お元気そうでなにより。」
「ポーマス様こそお変わりないようで。それから、そちらは……?」
「こちらはミルシア国の代表だよ。スパル、挨拶をどうぞ。」
「……ミルシアを纏めるスパルだ。」
「ユセビアの女王、カタリナです。教皇に代わって国交を務めております。以後お見知りおきを。」
スパルは頷きも返事もしなかった。キョーコー、コッコー、イゴオミシリオキヲ、などの意味不明ワードが処理しきれず処理落ちしていたのだ。しかしその佇まいに一切の歪みが生じなかったおかげで、さすが武人、といった風体を保つことに成功していた。
「まず逸話についての文献ですが、予め準備しておきましたのでお目通しを。」
「助かります。」
運び込まれた三つの分厚い本を、スパルが凄い速さで捲っていく。その隣でマルフィーは本に触れる事もしないので、カタリナはほんの少しそちらを見て、眉をひそめた。
「……マルフィー様はお読みにならないのですか?」
「ああ、必要ない。」
顔色ひとつ変えずにそう言い切るマルフィーに、カタリナは改めて、この人本当に苦手だわ、と思った。マルフィーはと言うと、名を呼ばれた……!と盛り上がっていた。当然表情筋は動いていなかったが。
「なるほど、こちらで話されている逸話の方は我々が認識している内容と変わりませんね。多少宗教色のある脚色はありますが、文体的にも近年の書き足しでしょう。」
「ええ、我が国では絵本にも聖書の教えを含ませておりますので。」
「なるほど、信者が増えていくわけだな。」
「……神の御心に触れる機会が多いので。」
ポーマスは思った。マルフィーは何故こうも、人の神経を逆撫でする言葉選びだけが成立するのだろうかと。しかも本人に一切の自覚がないということは、誰も指摘してこなかったのだ。恐らくは旧友であるイーティスすらも。
「で、では異変については何かありますか?」
食い違いまくる空気に耐えられず、ポーマスは話を動かした。これ以上マルフィーが言葉選びを間違え続けるのも、カタリナが不愉快を押し殺す様を見るのも心臓に悪いので。
「異変、ですか。」
「ええ、些細な事でも構いません。普段と違うことが起きたという情報はありませんか?」
「……あるには、あるのです。」
「それは、どんな内容ですか?」
カタリナが、僅かに目をそらす。しかしここで口を滑らせた時点で、もとより話すつもりはあったのだろう。彼女は一度しっかりと呼吸をして、顔を上げた。
「その……妙な薬品が出回っておりまして。」
「妙な薬品?」
「なんでもその薬品を使えば、望みが叶うのだとか。それを使用した国民が、父なる神の御声を聞いただとか、愛する者と心を通わせられたと言って教会にまで持ち込もうとしているのです。今日のミサが予定より遅れたのも、その荷物の取り締まりに時間がかかってしまって。」
「なるほど……。」
「無論、これまでもおまじないのようなものが流行ることはありました。ですが大抵は若い女性の間でのみ出回り、大半の国民には無関係だったんです。それが急に、老若男女関係なくこの話を信じ始め……お恥ずかしいことですが、最近ではミサに行くより夢で父なる神の御声を聞く方が早い、と言い出す者まで居るのです。このような事は、これまでにありません。皆の信仰心をどう取り戻すべきか、教会は頭を抱えている状況なのです。」
ポーマスは察した。先程のマルフィーの言葉は、思い切り地雷を踏み抜いていたのだと。しかし覆水は盆に返らない。そして恐らく、カタリナも踏み抜かれた地雷をそう簡単に処理させる気はないだろう。マルフィーの恋の局面は完全に終わっている。
「それは妙だが、何か問題があるのか?」
しかし、何故かマルフィーだけが無傷に近い。振られて尚この態度には恐れ入る。
「教会は信者の信仰心と寄付によって成立しています。それらが薄れるということは、この国の根幹をも揺るがしかねません。」
「だが、聖書には隣人の行いを赦せとあるだろう。その教えを尊ぶのなら、教会の悩みはズレているのではないのか。」
マルフィーの言葉に、ポーマスは少しだけ感心した。てっきり恋に溺れてろくな思考も期待出来ないかと思っていたが、そこまでではなかったらしい。
「疑念を持つべきは急に出回り出したその薬品と、持ち込んだ者だ。無論それが逸話に関係するかは謎だが、少なくとも教会の信仰を取り戻せるかを悩むのは我らがすべきことでは無い。」
ピシャリと言い放つマルフィーに、カタリナが目を丸くする。あわや怒るのでは、とポーマスが僅かに身を固くした。しかし意外にも、カタリナは怒りはしなかった。
「驚きました……あなたは、聖書を読まれているのですね。デドロンではあまり教会信仰は振るわないと聞いておりましたから、てっきり。」
「そなたに関係するものだ、目を通すに決まっているだろう。」
ここにきて、突然マルフィーが大正解の言葉選びをした。ポーマスは内心ガッツポーズをした。別に他人の色恋沙汰なんぞ興味は無いが、目の前でここまで恋愛ポンコツを晒されれば多少の情も沸く。
しかし、現実とは無情である。
「デドロンにも読める聖書はあるのね……。」
せっかく百点満点のセリフを選べたマルフィーであるが、タイミングは死ぬ程悪かった。渾身のセリフは、デドロンに読める聖書がちゃんとあったという事実に対する驚きに割と簡単に負けた。
「……なんか、ドンマイ。」
これにはスパルですら、あまりに哀れだと慰めの言葉をかけた。なんなら、カタリナに驚きをもたらす言葉を吐いたのもまた、マルフィーである。自分の言葉で自分の首を絞めたのだから、最早哀れと言うべきか、なんなのか。
「……とにかく、今起きている異変がその薬品にあるとして、これが逸話と無関係かは調べる必要がある。その薬品はどこで手に入るんだ?」
流石のマルフィーもこれにはそれなりのダメージがあったらしい。小さく咳払いをして話題を戻すその姿には、王としての威厳と共に哀愁を抱く男の切なさが同居していた。
この世界の教会や宗教は、当然ながらファンタジー特有のご都合満載です。なので都合に合いそうな言葉を使っていますが、当然ながらその内容は正式なものではありません。なんせここはファンタジー。ファンタジーとはそんなもんです。