逸話
護衛についてきていたスパルは、連日真剣に調べるポーマス達をただ見ているだけだった。学のない彼に、力になれることなどない。だから、なんだかこの木は喧しいな、と思いながらも手伝いをしたりスクワットや腕立て伏せをしたりして時間を潰していた。
デドロンにて迎えた三日目の朝、スパルは一昨日から護衛とはまた別にロイズを起こすという役割を与えられている。ポーマス曰く、ロイズは寝起きが一番思考が止まらずに身動きが取れなくなるから、とりあえず身体を物理的に起こしてほしい、と。身体を物理的に起こすというのがどういう事なのかスパルには分からなかったが、身体が起きれば良いのでは、と考えて行動に移した。
「ロイズさーん、朝っスよ!」
声を掛けながらよいせ、とロイズの身体を抱き上げて床に立たせる。ロイズは寝る時も枷とローブを外せないので、ベッドの上でうごうごしているのを適当に捕まえて立たせるだけの簡単なお仕事だ。そうすれば、ロイズの目がパチッと開く。
「どーも。」
ロイズがニコッと目を細める。多分、挨拶だ。多分。
枷で鼻から下が、ローブで指先が封じられているロイズの朝支度は、魔法を使って小さな水の塊を出して顔にぶつけ、そのままローブの裾でごしごし拭いて終了だ。これを初めて見た時、スパルはミルシア以外の人間でもこんな風に身支度を適当に済ませる人が居るのか、と驚いた。二日目からはロイズがスパルの分も水を出してくれるので、二人してバシャンと顔に水をぶつけ、適当に拭く事で良しとしている。アリスやポーマスが見たら白目を剥くだろう。
スパルは、今彼らが何をしにデドロンへ来ているのかよく理解していない。護衛対象の行動なんぞ理解する必要はないからだ。護衛の仕事は、護衛対象を殺さず生かす事である。人を起こしたり書物を運んだりするのは護衛の範疇ではないのだが、突っ立っているだけというのは暇すぎるのでサービスという事にしている。それに、ポーマスは一つ一つの働きに別途報酬をくれるので。
「今日も調べもんスか?」
フルフル、とロイズが首を振る。その間もグイングインと揺れているのだが、酔わないのだろうか、とスパルは少しだけ気になった。
朝食を済ませると、ロイズ、アリス、ポーマスはポーマスの部屋に集まって話し合いを始めた。その間もスパルは護衛ついでにスクワットをしているしかないのだが、今日はふと気になって三人の会話が止まった時に口を開いた。
「ところでこの前から気になってたんスけど、あの大樹ん中誰か居るんスか?」
「ああ、神の子の第一子が居るのでは、とね。」
「え、じゃあずーっとそのダイイッシってのが騒いでんスか?」
「その可能性が高いね。スパルにも金属音が聞こえるのかい?」
「金属音?なんの事っスか?」
「なんだ、お前には聞こえていないのか?」
アリスが眉を寄せる。しかしスパルは首を傾げて、言った。
「や、金属音っていうか……何度も『トキハキタ』って繰り返すから、うるせーなって。」
この時、部屋の全てが止まった。グイングインしていたロイズも、ため息を吐きかけていたアリスも、苦笑して話を戻そうとしていたポーマスも。
「え、なに?なんスか?俺なんかした?」
「……スパル、嘘偽りなく答えてくれ。」
「ウソイツワリ……?」
「正直に答えてくれ。」
ポーマスが、メガネを光らせてスパルを見た。スパルは思わず背筋を伸ばして頷いた。
「君には、あの大樹から声が、言葉として聞き取れる。間違いないかい?」
「まあ、トキハキタってずーっと言ってます。」
「それはいつ気付いた?」
「一番最初に、大樹のとこに案内された時からっス。」
「何故言わなかった?」
「や、その、聞かれなかったし、ポーマスさん達もすぐ調べ物を始めたんで、余計な事言って邪魔しちまったら悪いかなって……。」
「じゃあ、何故今日になって言う気になったんだい?」
「だって今朝からどんどん煩くなってんスよ。」
スパルが少し嫌そうに耳をほじった。ロイズがスパルの傍に来て、じっとスパルを見つめる。
「い、今、今大樹はなんと!?」
「マルフィー様とシャル殿を呼んできます!」
アリスが部屋を飛び出していく。
ポーマスの問いに、スパルはキョトンと返した。
「えーと……『ワガキョーダイヲヨベ』とか『トキハキタ』とか……あ、今は『スベテヲヤリナオソウ』って言ってる!」
今更のどえらい発現である。アリスと共にシャルとマルフィーが部屋へ来た時には、スパルは半泣きで床に正座させられ、ポーマスからそれはそれは懇々と説教されていた。その膝を、ロイズがペチペチとローブの裾で叩いていた。
「いいかいロイズ、今後は少しでも気になる事があれば必ず誰かに言いなさい。分かったかい?返事は?」
「は、はい……!」
「それと、依頼書はよく読むんだ。護衛対象が何を目的にどこへ行くのかは必ず依頼書に書いてある。少なくとも、アクサネスからの依頼なら間違いなく記入されているからよく読みなさい。返事。」
「はい!」
笑顔の消え失せたポーマスの顔は、整っているだけあって妙な迫力があった。スパルは完全に叱られた犬のようになって、筋骨隆々の身体を小さくし、情けなく背を丸めるしかなかった。
「まあでも、君のおかげでかなり情報が手に入った。お手柄だよ、スパル。ありがとう、君を連れてきて良かった。」
「ほ、ほんとスか!」
単純なヤツは立ち直りも早い。ポーマスが褒めた途端目をキラキラさせるスパルに苦笑して、もう立ちなさい、とスパルの正座を解いたのだった。
「おはようございます、マルフィー様、シャル殿。先程アリスから軽く説明はあったかと存じますが、改めての説明をよろしいでしょうか。」
「構わぬ、話せ。」
ポーマスは先程スパルが話した事を伝えた。無論、自分たちは潔白であるという説明も入れて。誰だって命が優先だ。
「スパルはミルシアの代表でもあります。しかしながら彼には魔法適性はあまりなく、本人も使える魔法は初歩の肉体強化くらいだと話しておりました。一方で僕とアリス、ロイズはあなた方より遥かに劣りますが魔法を使えます。恐らくは大樹の中から響く言葉は、魔力量のない者に聞こえているのかもしれません。」
「なるほど。」
「では我々がより金属音を強く感じるのは……。」
「予想の範囲で恐縮ですが、恐らくは魔力量が邪魔しているものと考えられます。」
「確かに我が国の者達は皆妖精の祝福を受ける事で、赤子の頃より魔力が強いとされているからな。お前の論も説得力が増すというものだ。」
それぞれが真剣に頭をつき合せる中、またしてもスパルがそろりそろりと手を上げた。
「あのぅ。」
「なんだい?」
「多分、聞こえてんの、この剣のせいだと思うんスよ。」
「……剣?」
「や、ほら、さっき正座したじゃないスか。そん時剣がつっかえて邪魔だったんで床に置いたら声が聞き取りにくくなって……。」
ポーマスが、アリスが、ロイズが、マルフィーが、シャルがスパルを見た。スパルはのちに、色んな奴と戦ったけどこの時ほど謎の恐怖を感じたことは無いと語っている。
「や、あの、俺寝る時も一応護衛だから剣を握ったまま寝るようにしてて!ほんと、あの、だからずーっと声がしてて!」
「……すまない、スパル。嫌でなければその剣を握らせてもらえないだろうか。」
「ど、どぞ……!」
ポーマスが、スパルの差し出した剣を握る。その途端、本当に大樹の金属音が声に変わった。
時は来た
我が兄弟を呼べ
今一度
全てをやり直そうぞ
その後、マルフィーやシャル、アリスも剣を握って声を確認した。大樹は何度も同じ言葉を繰り返しており、念の為にとマルフィーが城の護衛の剣を握って近付いてはみたが、その時は金属音がするだけだった。
「……先程の論はなかった事に。」
「……分かった。」
真剣な顔をして的外れな論を展開した事が判明したポーマスは、穴に埋まりたいという気持ちを抑えて呟いた。マルフィーもこればかりは少しだけ空気が読めたので、頷くに留めた。
「大樹の言葉はともかく、どうしてアンタの剣だけが声を聞けるのか、だよねぇ。」
赤っ恥を晒しかけたポーマスには触れずに、アリスがスパルの持つ剣を見る。ロイズはさっきからじっと見ているばかりで、動きすら消えていた。
「その剣はどういった経緯で持っているんだい?」
どうにか立ち直ったポーマスが尋ねる。スパルは剣をす、と前に出して答えた。
「これ、逸話持ちの剣なんスよ。ミルシアでは一番強い奴が持つ事になるんで。」
「そうか、逸話持ちの剣か。」
「なるほど、大樹とは兄弟になるわけだな。」
「つまり共鳴したということでしょうか。」
話が一気に進んでいく。しかしその勢いは、シャルの言葉でまた停止した。
「ところでスパル殿。その剣はいわば国宝の剣でありましょう。護衛の際、あなたは何を使って戦うおつもりで?」
「いや、これで戦うんスけど……。」
「「「「は??」」」」
「だってこれすげーんスよ!切れ味とか!この前も邪魔な蔦とかバッサバッサ切って……、」
ポーマスだけでなく、全員がスパルの前に立った。
「正座、しなさい。」
ポーマスの声に、スパルはびゃっと半泣きになりながらまたしても正座した。邪魔になる剣を床に置こうとしたら、無言でシャルがベッドのシーツを剥いで剣の下に敷いた。無論、スパルは床に直で座っている。
この日、スパルは二時間も叱られた。叱られ過ぎて最初の内容は忘れてしまった。けれどとりあえず、この剣は戦闘で使ってはいけない、という事だけはスパルのツルツルの脳みそに叩き込まれたのだった。
スパルはポーマスに懐いていますが、怒ると物凄く怖い事も知っています。怒鳴られたり殴られたりする事には耐性のあるスパルですが、正座をして長時間話を聞かされる事に耐性がないので。尚、正座を解いて良いと言われても急に立てない事を、スパルはポーマスがそういうお仕置の魔法をかけているのだと信じています。ミルシアには行儀作法なんて文化がなく、長時間正座をすると足が痺れる、という事を知らないのです。