piece.9-2
「あの、僕……もう少しだけ食べたいんだけど、麦は少し持ってきたから、おかわり作ってもいい?」
シロさんは返事をしない。
だめとは言わないし、僕の麦を使うんだし、鍋借りておかわり作ってもいいよね?
「あの、シロさん? ロバの……乳? って、どうやって……?」
仰向けで目を閉じていたシロさんが、僕の方を見た。
真顔で見つめられると、やっぱりちょっと緊張する。
「なにお前、ロバの乳、搾ったことねえの?」
搾る?
……搾るってどこを搾るんだろう。そもそも乳ってなんだろう?
ぽかんとしている僕が、何も分からないということを察して、シロさんは説明してくれる。
「うんと甘い声で口説いてみな。お前の乳を飲ませてくれって。所詮は牝だ、喜んで出すぜ」
「……え……? ホントに……?」
ロバって人の言葉分かるの? ああ、でもたしかに返事してるもんな。
僕はロバに向かってお願いしてみた。
「えーと、あの……ロバさん? 良かったら僕に、乳を分けてくれませんか?」
『フン、そんなんでワタシがお乳を出すと思ったら大間違いよ! 甘く見ないでちょうだい! 出直しておいで!』
ロバが返事をした…………りするわけがない。
「……シロさん!」
にやにやしているシロさんのことを、僕は睨んだ。
だまされた……。ロバの声真似なんかしてさ、本当にシロさんは意地悪だ。
「……お前さあ、女を口説くときもそんなんなのか? 『あの……お姉さん、よかったら僕にお姉さんとヤラせてもらえませんか?』って? ひくわー。
あーでも、お前みたいな見た目のやつなら、割とそれでも勝率高いのかもなあ。生で見てみてえなあ」
言われてる意味はよく分からないけれど、バカにされたことだけは分かった。
「じゃあ、お手本見せてよ!」
「いいのか? 俺の手本代は高いぜ?」
シロさんはめんどくさそうに体を起こす。
「ほら、ロバリーヌ。こいつがお前の乳を飲みたいんだとよ。いいだろ? よーし、いい子だ……」
シロさんがロバをなでながら、優しげな声で話しかける。
へーえ……そんな優しそうな声、シロさんでも出るんだ。
なんて、僕が驚いていると、シロさんが舌打ちして僕を呼んだ。
「なにボサッとしてんだ。鍋出せ鍋」
シロさんは僕の手から鍋をひったくると、ロバの体の下に入れて、ジャーッと何かを注いだ。鍋には白い液体がたまっている。
「これが乳? なんだ、ここを握れば出るんならそう言ってよ」
僕はロバのお腹をのぞき込んだ。細長いのがぶら下がっている。どうやらここを握れば乳が出るらしい。
「お前なあ、女の胸を揉むときに黙ってつかむのか? 最低限の礼儀ってもんがあるだろ」
「え? ここってロバの胸なの?」
こんなちっちゃくてひょろひょろなのが? お腹にぶら下がってるのが?
「お前、なんにも知らないんだな」
あれ……ちょっと待って。じゃあ……もしかして……。
「……人の胸も、もしかして握ると乳……出るの?」
シロさんが吹き出した。
「……ああ、出るぜ。女にもよるけど、出る女は出すなあ。味はまあ……うまい方なんじゃないか? 好きなやつは好きだしなあ」
……お、おいしいんだ……。
……もしかして……セリちゃんも……出るのかな……?
どうしよう……出るのかな……気になる……。
あのおっきい胸の中に、セリちゃんの乳が満タンに……。ど……どうしよう……!
べ……別に……飲みたいとか、そんなことを考えてるわけじゃなくて……。
もし万が一、なにかの拍子に、なにかのアクシデントで……! そう、例えば……僕の手がたまたま偶然……えーっと、えーっと……!
「おーい、変なこと考えてると朝になるぞー? さっさとメシ作んなら作れよー」
シロさんが笑いをかみ殺している。
……もしかして、また、だまされた?
「へ、変なことなんか……っ、考えてないっ!!」
「そうかあ? 顔がユルッユルだぜ?」
すっごく意地悪な顔でシロさんが笑ってる。
鍋だ。鍋に集中するんだ。僕は顔に力を込めた。
そうだよね、出るわけないよね……。
危ない危ない。だまされるところだった。
いつの間にか、シロさんが自分用のお椀を出して待っている。
「……え? 食べるの? 僕の……おかわりの分なんだけど」
「俺の手本代は高いって言っただろ。半分で勘弁してやるよ」
シロさんは当然のように食べる気でいる。
「え? は……半分も?」
シロさんが僕をじっと見た。思わず背筋に緊張が走る。真顔のシロさん、怖い。
「お前さあ……ロバリーヌは誰のロバだ? 俺のロバだろ? ロバリーヌの乳を搾ったのは誰だ? 俺だろ? その火を起こしたのは誰だ? 俺だろ?
……つまり――分かったな?」
そう言ってシロさんはにっこり笑う。でも、笑顔がなんか怖い。
……僕は分かってしまった。
僕には拒否する権利がない。
たぶん嫌だと言っても、できあがった瞬間、鍋ごと強奪されてしまう気がする。だってこの鍋だって、シロさんの鍋だ。
なら、半分でいいと言ってくれてるうちに、素直に従った方が良さそうだ。
「お前は物分かりがいいなあ」
何も言い返さず、黙って鍋を煮詰めている僕を見て、シロさんは満足そうにつぶやいた。




