piece.3-10
バルさんを見慣れてきたせいか、僕は少しずつだけど、男の人が怖くなくなっていた。
いま目の前にいる人も、バルさんに比べればずっと細いし小さい。バルさんの方が何倍も強そうだった。
大丈夫、堂々としろ。怖がってる場合じゃない。僕はやれる……!
僕はなるべく普通な感じで、目の前にいる男の人に声をかけてみた。
「あの、僕は団長さんを探していて……あの、えっと、お礼で……」
「へ~え、お礼?」
その男の人が、にやあっと笑った。その笑顔がなんだかすごく怖くて、僕は背中が急に寒くなった。
なぜか突然、僕の体が吹っ飛んだ。
どうしてこうなったのかわけが分からないまま、吹っ飛んだ僕の体は地面にぶつかった。
激しく僕の体が地面を転がって、ようやく止まってから、脇腹に信じられないくらいの痛みが出た。
まるで刺されたみたいな痛みだった。
いつの間にか息が止まっていたみたいで、咳をしたら脇腹が破裂しそうに痛かった。
速すぎて分からなかったけど、たぶん目の前の人に蹴られたんだと思う。
信じられないくらい痛い。起き上がれないどころか体が動かせなかった。変な汗が出てきて、ポタポタと地面に落ちていく。
気づけば、勝手に涙が出てきていた。
「お礼じゃなくてお礼参りだろ。言葉は正しく使おうぜ。うちの団長様に敵討ちか? どうした? オトモダチに毒でも盛られたか?」
なんでこの人は知ってるんだろう。もしかして、僕が毒消しの薬をもらいにここに来たことにも気づいてるのかもしれない。
「……な……んで……?」
「お、すげえ。まだしゃべれるか。
まあもう一発食らうのはさすがに嫌だろ。もう帰れよ。次は死ぬぜ」
僕は首を横に振った。
「どくの……くすり……ないと……かえれ……」
頭に衝撃。今度は頭を蹴り飛ばされたみたいだ。
倒れた時に顔を思いっきり擦りむいた。燃えるように顔が熱くなる。
「人様のことよりてめえの方が大事だろ。あの程度の毒じゃ死なねえよ。ほら安心したか。だったら大人しく帰れ」
死なない……?
その一言で、僕の体が一気に緩む。
良かった。セリちゃん、死んじゃわないんだ……良かった……。
僕の目が熱くなって、周りの景色が歪む。
でもダメだ。まだ泣いてられない。
だってセリちゃんはずっと苦しそうなんだ。早く元気になってほしいんだ。僕はそのために来たんだから。
僕はクラクラする頭をなんとか持ち上げ、がんばって体を起こす。そして目の前の男の人をまっすぐに見た。目がチカチカしてよく見えなかったけれど、それでも必死で目を凝らしてその人を見た。
「……毒……消し、あるなら……ください。それを……僕はもらいに来たんです」
そう言った途端、すごく体が冷たくなった。――僕は本当に殺されるのかもしれないと思った。
それくらいに、男の人は怖い眼をしていた。
――違う。
怖いとか、そういうレベルじゃない。
冷たくて、空っぽで、なんにもない。そういう不気味な暗さが、その人の眼の中にはあった。
セリちゃんよりも、この男の人の方がよっぽど【皆殺し】という言葉が似合いそうだ。素直にそう思った。
「まだ痛めつけられたいみたいだなあ。次は手加減なしだ。さあ、どこを蹴られたい? 次あたり死ぬかもなあ……」
体が動かなくなるほど怖い笑顔というのを、僕は初めて見た。
怖かった。今まで生きてきた中で一番怖かった。
でも――。
僕は殴られるのも蹴られるのも慣れてる。セリちゃんは今、すごく苦しんでる。
「毒消し……くれるまで、何回蹴られても帰るもんか……!」
僕は覚悟を決めて相手の人を睨んだ。
だてに毎日、殴られたり蹴られたりしてないんだ僕は。
痛いのなんか……怖くない……!
やれるもんならやってみろ……!
男の人と長い間見つめ合う。
どれくらいそうしていたんだろう。
「――ぶっ!」
沈黙を破ったのは相手の方だった。突然吹き出したのだ。
「ぶは! やべえ……っ! くく……っ」
その人は何がおかしいのか、腹を抱えて笑いをこらえている。
僕はその光景を呆気にとられて眺めていたけれど、だんだん腹が立ってきた。
「……なに? 蹴らないの? なら僕、早く毒消しもらって帰りたいんだけど」
僕の言葉の何が面白かったのかさっぱり分からなかったけれど、その人はますます苦しそうに笑い出した。
「ちょっと待て……! お前最高……っ、こりゃいいや!」
笑いすぎて涙目になっている。僕には何がなんだかさっぱり分からない。
「あー、笑った笑った。……はぁ、腹いてえ……。
……ああ、なんだろうなぁ。お前の方が何倍もいいなあ……」
意味が分からない。何のことだろう?
その人はまだ地面に座り込んだままの僕に近づいてきて、腰をかがめると僕に向けて手を伸ばしてきた。
悔しいけど思わず体がこわばり、僕は目をつぶってしまった。
歯を食いしばって殴られる痛みに備える。
僕の頭の上にその人の手が乗った。意外にも優しく――ふわっと。
「しゃあねえなぁ。やるよ、やるやる。お前のその眼に免じてな」
僕の髪をぐしゃぐしゃとかき回して、その人は笑った。
――――セリ……ちゃん……?
僕はその笑顔を見て、なぜか初めてセリちゃんと会ったときのことを思い出していた。




