piece.15-5
緊張で固まっている僕の横を通り過ぎ、その女の人は黙って部屋の中に入ってきた。
僕はどうしていいか分からず、その場に立ちすくむ。
「しないの?」
女の人が聞いてきた。
「あの、えっと、その……」
その人は小さく息をつくと、肩にかけていたショールを脱いだ。
その下には下着みたいな服しか身につけていない。
――っ!? む、胸がおっきい! すごい! セリちゃんよりおっき……じゃなくてっ!
女の人はつかつかと歩み寄ってきて、僕の手をつかんだ。
「――わっ! あの……! えっと……! その……!」
僕はベッドに連れて行かれ、女の人から押し倒されそうになる。
「ちょっと……! ちょっと待って!」
いったん落ち着きたい。ちょっと冷静になりたい。まずは話し合いが必要だ。
僕は女の人を押し返そうと手を伸ばし、あわてて手を引っ込めた。
すっごい柔らかい感触の後に、水がしみ出たような感じかしたからだ。
思わず自分の手を確認する。やっぱり少し濡れている。
「……今……胸からなんか……出た……?」
僕の言い方がおかしかったのか、女の人が笑った。
笑うとさらに若く見えた。僕とそんなに歳が変わらないのかもしれない。
「うん。出たね」
「もしかして……いま出たのって……乳?」
女の人はさらに笑った。
「うん。そうだね、当たり。でもその言い方、変だよ」
女の人の雰囲気が柔らかくなったおかげで、僕の緊張も緩んだ。
「……あの……前に、女の人でも出る人と出ない人がいるって聞いたけど、その違いってなんなの?」
「それ、ふざけて聞いてる?」
「……あ、えっと、どっちかというと、本気で質問してる……」
女の人は楽しそうに笑った。
「赤ちゃんを産むと、出るようになるんだよ」
「……え?」
赤ちゃんを産むと――。
つまり、この人には子供がいるということだ。
「その子は……いまどこにいるの?」
質問をする僕の声を、僕は別のところで聞いているような気分で耳にしていた。
「家に置いてきたよ。連れてこれるわけないじゃん。で、もうする? まだ何か質問ある?」
なんか変だ。なんか……嫌な感じがする。
レネーマに腕をつかまれた時と同じような感覚が、僕の体の中を這いずり回っている。
すごく……気持ちが悪い。
「……体を売ってお金を稼いで、歳をとったら稼げなくなって……それからはどうするの?」
にこやかだった女の人の表情が、冷たいものに変わる。
「は? なに言ってんの? それまでにお金をいっぱい稼いで、そのあとは普通に暮らすに決まってるでしょ」
なんて短絡的なんだろう。
どうしてそんな考えしかできないんだろう。
どうして他の方法を選んだりしないんだろう。
「そんなこと……できるわけない。
一人で体を売り続けたって、普通に暮らせるお金なんて……今だって実際どうなの……?」
「うるさいわね! だったら他にどうやってカネを稼げって言うのよ! 他に売るものがないからこうやって生きてるんでしょ?
じゃあアンタが私と子供を養ってくれるって言うの? 知りもしないで偉そうなこと言わないで!
アンタはさっさとすることしてアタシにカネを払えばそれでいいのよ!」
(……いつかカネがたくさん貯まったら、こんな生活から抜け出して、二人で毎日うまいもの食べて暮らそうね……)
いつかのレネーマの声が聞こえた気がした。
そんなことできるわけないんだ。
そんな日なんか、来るわけない……。
全部、嘘だ……。
「どうせ子供が大きくなったら、自分と同じことをさせるんだろ? 自分の仕事が取れなくなると子供に嫉妬するようになるんだろ?
上手くいかないことを全部子供のせいにするんだろ? そうやって子供を自分の道具みたいに、自分のモノみたいに扱うんだろ?」
そうやって僕のことを傷つけて。
僕のことをあちこちに売り飛ばして。
僕がどんなにやめてって言っても、助けてって言っても、一度だって僕の伸ばした手を取ってくれなかったくせに……!
僕の手に滴が落ちた。
女の人の流した涙だった。
我に返る。
僕の手が――。
人の首を絞めている。
僕はあわてて手を離した。
信じられなかった。
僕はまた――レネーマにしたことと同じことを、この人に……!
「ご、ごめん……っ! ごめんなさいっ!」
苦しそうに咳込む女の人を部屋に残したまま、僕は部屋から飛び出した。




