産声
※本作品はあわきち尋祢is河内三比呂さんの企画「冒頭部分一緒小説」参加作品です。
(同じ冒頭二行から開始し、その後、各参加者の皆さまが自由にお話を書くことで、最後にはまったく違う作品がたくさん出来上がるという素敵な企画です!)
夢を見た。その夢は、いつもと全く違っていて。
すっかり目が覚めてしまった僕は、ゆっくりと身体を起こす。
窓の外に見える大銀杏が、サワサワと揺れる。
少し前までは水面をすべる翡翠のように青々と茂っていた葉も、今はゆたりと頭をもたげる稲穂のような黄金色だ。
夢に現れた海原は、この大銀杏の葉で出来ていたんじゃないだろうか。
吸い寄せられるように、ひたり、僕は窓硝子へ指をつける。結露した水滴が表面をつたって落ちていく。
その真っ直ぐに伸びる軌跡が、何十、何百と見た夢を思い出させた。
代わり映えもせず繰り返されるその夢は、活動写真によく似ている。
桔梗の花びらのようにやわらかな色を含んだ朝靄の中、どこまでも続く冷たい鋼の線路。薄荷水の香りがほのかにする場所で、ちゃぷちゃぷとわずかに揺れている。
僕は、ゆっくりゆっくりと鈍色に反射する線路の上を歩いている。
ただ、それだけだ。
変わらず、されど、色褪せることも、荒廃することもないそれこそが、僕にとっての安寧であった。
けれども、今日、ついにその夢が終わりを迎えたのだ。
夢を見た。その夢は、いつもと全く違っていて。
なんの前触れもなく、しかし、確かな革命前夜だと思った。
桔梗色の朝靄は、黄金色の海になり。
鋼の線路は、銀杏歯鯨が戯れる波間に消えた。
僕は、線路の果てに――僕の終着点に辿り着いていた。
渡り鳥でさえ越えては行けぬ大海に、ゆらりゆらりとおどる鯨影。絶え間なく変わり続ける海面を彼らが縫うと、波が立ち、舞い上がる。水飛沫ひとつがふたつに分かれ、ふたつがひとつに溶け合うさまは、銀杏の葉のようであり、宇宙を紐解いていくようでもあった。
「これから、どうなるのだろう」
足元をくすぐる星屑たちは、みな宝石のような色をしていた。渚はそれらの粒子でカチリカチリと微かに光を放ち、やがて潮が引くと砂塵は風にさらわれて、再び海へと還っていった。
僕も、彼らのように導かれるためにここへ来たのかもしれない。
海原の向こうに溶けるような蜂蜜色の太陽が昇る。
銀杏歯鯨がゴォーンと鐘のような鳴き声をあげる。
その度、海原がさざめいて、僕の頬を秋風が掠める。鼻先に触れる潮騒と、肌に触れる黄玉の波しぶき。
それらの感覚が、僕に語りかける。
――行こう。
夢が、呼んでいる。
僕はそっと窓を開ける。金木犀のとろけるような香りが、ふわりと銀杏の葉とともに僕のもとへと届いた。
目の前の大銀杏は、海に似ている。
「もう少し」
触れてみたい、と手が伸びる。
瞬間、生い茂る大銀杏の葉群がはっきりと大海へ変わった。
僕も鯨のように泳いでみたい。
木製の窓枠は決して頑丈ではないけれど、僕はそこへ体重をかけ、ひょいと身を乗り出した。
あぁ、ここは気持ちが良い。
優しい桔梗色はどこかへ消えいってしまったけれど、代わりにずうっとずうっと眩くて鮮烈な黄檗色に包まれていく。
ゴォーン、とどこかで銀杏歯鯨の鳴き声がした。
旅立ちの時だ。
初風が、確かにそう告げていた。
星とともに風に乗り、鯨とともに踊って海を越え、大銀杏に別れを告げる。
そうして、僕の目が光を失った頃。
絹のようになめらかな空気がふわりと僕の身体を抱きかかえた。
「はじめまして」
誰の声だろう。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
あたたかくて透明な真珠から、ほんのりと潮の香りがする。
そうか。ここが、僕の夢に見ていた場所だ。
終着点だと思っていた黄金色の海は、どうやら始発点だったらしい。
あぁ、なんて心地が良いのだろう。
僕はそれだけで胸がいっぱいになって。双眸からは自然と涙が溢れた。
波のように揺れる白い窓帷。その向こうに見えた大銀杏は、燃える極光のように空をまんべんなく照らし、どこまでもどこまでも輝いていた。
お手に取ってくださり、本当にありがとうございます。
このお話は、同じ冒頭から参加者の皆さまによって違う物語が生まれていく様子に感銘を受けて、書いたものになります。
また、書くにあたり、宮沢賢治さん「いてふの実」もオマージュさせていただきました。
企画くださったあわきちさん、企画に参加された皆さま、そしてこのお話を手に取ってくださった皆さま、本当にありがとうございました*