24歳
作者の実体験がベースとなっております。
5月、寒暖差に振り回されるような日、男は疲れていた。
職に就いてから1年が経ち、自分の仕事には慣れていた。
しかし、4月になり後輩が出来た。
仕事に慣れたとはいえ、楽になった訳では無い、その上に後輩の教育、後輩のミスのフォロー、後輩の責任を負って、疲れ果てていた男は、8年前を思い出していた。
平日の昼間、16歳の少年は家の中で携帯を片手に力無く横になっていた。
少年は心の中でホントにコレでいいのだろうかと葛藤していた。
体調を崩しているから休んでいて当たり前なのだ、しかし少年は、その当たり前がわからなかった。
小学生の頃から体調を崩そうとも学校に登校し続けていた。
自分が休んでしまえば自分の立ち位置が誰かにまわり迷惑になってしまうだろう、不要な心配をさせてしまうだろう。
齢6歳、少年は幼くして自己犠牲を原動力に動いていた。
より幼い頃から、周りの人のことを思い過ごしていた少年は自分のことを考えることなど一切無く、疑うということも知らなかった。
言われた通りに行動し、言われるがままに受け入れた。
しかしそれが、少年の運命を狂わせた。
周りの人間の評価とクラスメイトによるイジメが彼の自尊心を低く作ったのだ。
人格が完全に形成される頃には少年は自己犠牲に対して何も疑問を抱かなくなった。
誰かの楽のために、誰かに迷惑をかけないためにと一生懸命だった、それが己の身を削っているとも知らずに。
自己犠牲を原動力に生きて、少年は16歳になった。
高校一年生、少年はこれからも自己犠牲を原動力にして進むつもりだった。
しかし、人間は彼が思うほど丈夫ではなかった。
これまで、原動力としてきた自己犠牲も限界を迎えたのである。
インフルエンザになろうとも、健康的に振る舞うことができたはずの少年は何に感染した訳でも病を発症した訳でもないのに食事をすることすら、座る姿勢を維持することすら出来なくなっていた。
そんな状態で学校に登校できる訳もなく休むこととなった。
10年も自己犠牲をし続けたのだ、壊れるのも当たり前だ。
なにも出来ない状況に少年は初めて陥り、虚無感を抱えたままスマホ開いた。
何も無い、虚無感に苛まれたままスマホを開いたところで何を得られるわけも無いのだ。
しかし、1人の人物に出会うことが出来た。
お互い顔も本名も知らない、初めての人だったが、その人は少年の心に寄り添った。少年は初めて肩の力が抜けた気がした。
虚無感が埋められていく気がした。
ずっと探していた何かを見つけられた気がした。
この時から、少年は自己犠牲をすることは無くなった。
『…もしもし?』
懐かしい気持ちに浸った男は疲れ果てた己の心を癒すために8年来の友人に電話をかけた。
他人思いと自己犠牲、自分という存在の大切さについて考えてくれると嬉しいです。