一話 日常
夜も更け、闇に包まれた森の奥に大型のテントがいくつか建てられていた。夜の森は静寂を保っており、時折狼の鳴き声が響くだけである。そんな誰も邪魔する事の出来ない静寂を破るかのようにテントの奥で口煩そうに声を荒げる男が一人
「その話!何回聞けば良いんだ!もう数十回は軽く聞いてるだろ…」
何回も同じ話を聞かされたのだろうと一目見ただけで伝わるほどの拒絶反応を見せるそんな男、ネスクに対して縋るように声をかける
「いやいや、本当にこの部隊で俺の気持ちが分かる奴はお前だけだって」
ウザがられているのが本人も理解しているのかそこに遠慮の二文字は無い
「ったく…明日は激戦区に行くってのに何でお気楽に猫についての愚痴を聞かせられなきゃいけないんだよ。どうしてこんな人に付いてきちまったんだろうな…」
明日は重大な任務が控えており、祖国の命運を分けるほどの役を自分達は背負わされている。そんな大役な任務を国から任命されながらどうしてこの場で馬鹿らしい話を聞かされなくてはいけないのだ
「そりゃお前が、『仮に部隊を組む事があったら俺を貴方の部隊に入れて欲しい、絶対に後悔はさせない』って!懐かしいなぁ…あの頃のお前は今みたいに生意気じゃなかったのに…」
絶妙に下手くそな声真似を挟みつつ昔を懐かしむ様に目を瞑りながら酒を喉に流し込む、この男は部隊の命を背負う隊長である
「っ…!明日が来る前にここで死ぬか…?」
そんな男を置いて先程の小馬鹿にされた発言から怒りがふつふつと溜まっていく、そんな事も知らずに隊長は言葉を続ける
「すまんって!いやぁでもあの頃のお前と言ったら…隊長!隊長!って可愛かったなぁ…」
「殺す…絶対に殺す…」
素人目でも感じるほどの殺気を放ちつつ、そう言ってネスクは足先にクレートの方へ武器を取りに行く。本来であれば所持する事が許されない銃をこの部隊の人間は特別に所持を認められている。それ程までに殺傷能力が高いのだ、こんな武器を戦争で扱った日には間違いなく世界中に批判されるだろう
「お前それ…弾入ってるだろ!謝るから銃口をこっちに向けるな!」
一目で銃に実弾が入ってる事を察した男は顔を青ざめて必死に銃を降ろすように説得する。そんな騒ぎを聞きつけて数人の人影がテントの入口から様子を確認しに来る
「何ですかこの騒ぎは…ってネスク、アンタどうしてまた隊長に向けて銃を向けてるの。というか何で隊長はまた酒を呑んでいるんですか!」
「止めてくれるなサラ…こいつには灸を据えないと分からない事があるらしい」
「やべっ…お前が騒がなきゃまだ楽しく呑めたのにな…」
先程よりも一層顔が青くなる隊長、サラと呼ばれる彼女はこの部隊の副隊長であり問題児しかいない部隊の中でも唯一の常識人だ。自分の部隊の仲間が隊長に向けて銃を向けているというのにそこに慌てる事は無く、それ以上に隊長が酒を呑んでいるという事実の方に怒りが湧き出ている
「おお良い所に…お前ら早くこいつらを止めてくれよぉ…」
自らに向けられた怒りの矛先から逃れるように助けを求める、そんな今にも二人に殺されそうな様子の隊長を見て溜息を吐きながら残りの二人が言葉を発する
「どうせまた隊長が要らないこと言って逆鱗に触れたんでしょ?そんなの置いといて明日の作戦についての最終確認でもしてる方が有意義だわ」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに目の前で起こっている面倒事を無視してカリュはテントにある机に向かって行った
「僕も全く持って同意、いっそここでくたばってくれた方がマシなレベルだろうね…」
そんなカリュの後ろを追って自分も面倒事はパスという態度を取りながらヒテンは進む
「カリュ!ヒテン!見てないで早く止めるの手伝って!」
流れるようにその場を離れようとする二人にサラは声をかける。止めるというのは酒だろうか、それとも今にも発砲しそうな様子のネスクだろうか。どちらにしろ面倒なのには変わりはないだろう
「えぇ…でも手伝わないと後で色々言われそうだしなぁ…、カリュ…数秒で良いから手貸してくれない?」
「……はぁ…」
心底嫌そうな態度を取るが手伝わなかった未来の方がさらに面倒になるというのは既に経験済みなのだろう、渋々と二人は争いの場へと足を踏み進めていった
「お前ら早く‼︎ こいつマジで俺を殺そうと『今まで有難う御座いました隊長』あっ…もう一回隊長って呼んでくれない?」
「隊長!そんな事言ってる場合じゃないです!」
銃口が額に向けられて本気で焦る男に対してネスクは最後の言葉を送る、そんな絶体絶命の状況でも男は隊長と久しぶりに呼ばれた嬉しさを抑えられなかった
「どうしてこんな人がこの部隊の隊長何だろうな…」
純粋な疑問を自らに投げかけるヒテン、そんな問いに気怠そうにカリュが答える
「それは私達が一番分かってるでしょ…、こんなんなのに無駄に強いんだから…」
皆それぞれこの男に惹かれてこの部隊にやって来た。こんな状況の男を見れば大半の人間は部下に呆れられているダメ隊長というのがイメージとして真っ先に出てくるだろう
「……………………」
「待て待て待て待てお前それはマジで冗談じゃ済まないレベルの話まで行っちゃう!」
「カリュ!ヒテン!早く来て!」
今にも引き金を引きそうなネスクに酔いが冷めたのか現実に迫る死に恐怖しつつその場を納めようとする隊長。一人ではどうにもならないとサラは二人の助けを求める。そんな様子を見ながらカリュとヒテンはいつもの事だと面倒に思いながらも止めに入る
「はいはい今行きますよーっと、ユラちゃん大丈夫?」
「心配してる暇があるなら早く助けてくれ!ああこれマジでヤバイって!」
「憂鬱だ…何で貴重な睡眠時間をこんな事に…」
隊長と呼ばれる男、ユラが務めるこの部隊は俗に言う隠密部隊である。今も続いている紛争に終止符を打つ為に数年前に発足された部隊だ。戦況に多大な影響を与える存在である為、その部隊はエリートで構成されている。組織内では問題児と馬鹿にされている者達も周りの兵士と比べれば頭一つ抜けた実力を保持している。数年間続いた戦争も明日には終わる。
部隊名「C-000」その部隊を知る者は軍の極一部だという
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一悶着が済んでお互い和解しネスクとカリュが寝床についた後、残りの三人は軽い宴会を始めていた
「それじゃあ明日の任務成功を祈って乾杯っ!」
「乾杯〜」「乾杯」
ユラの掛け声に続いてヒテンとサラが声を続ける
テント周り一体が自分達の空間になったかのように辺りからは音が全くしない、まるでこの世界に生きている人間は私達だけだと神が告げているのかと錯覚するほどだ
「全く今日だけですからね、隊長は酒癖が悪いんですから…」
呆れたようにグッと酒を呑む、何だかんだ言いつつも彼女も酒を呑む事自体は嫌いでは無い
「そんな堅いこと言わずにさ、もしかしたら今日が楽しく呑める最後の日かもしれねぇんだし」
先程までの強気な態度に隠れて軽く顔を下に向ける、そんないつもは見せる事の無いユラの一面を見てヒテンは声をかける
「珍しいね、ユラちゃんがそんな弱気な事言うなんて。普段の酒の場ならサラちゃんにセクハラの一つや二つするのにね」
「別に任務が失敗するなんて思っちゃいねぇさ、ただ今までに無い程の大規模な戦闘になる。本音を出すなら俺はお前らを失うのが怖いんだよ、家族同然にも思えるお前らを失った日には俺は何を糧に生きれば良いんだろうって」
ヒテンの冗談にも反応しないほど重々しい口先から言葉が発せられる、そんなユラを前に自分の発言が軽率だったとヒテンは少し反省した
「それは私達の実力を分かった上での発言ですか、隊長」
見え見えの地雷を踏み抜いてしまったのはユラにも分かっているだろう、だがユラはそれでも言葉を続ける
「まさか!お前らの実力は疑ったことなんてこの部隊が発足してから一度もねぇよ、だからこそ怖いんだ。失うと思っていない物を失った時、人はどうなっちまうのか」
「まあ気持ちは分からなくも無い、僕だってユラちゃんと同じだよ。この部隊の仲間を失った日にはきっと家族が死ぬよりも悲しい気持ちになるんだろうね。でもね、僕らはお互い戦場では背中を預け合う仲だ、確かにユラちゃん…いや隊長は強いよ。だからって他の人の心配はしちゃいけない、背中を預ける上で片方の事を心配しちゃったら目の前の敵にすら遅れを取ることになるよ」
途中で敬称を変え、真剣な顔付きで話を進めるヒテン。その考えにはユラも苦汁を噛み締めたかのような表情しか出来ない
「そこは私も同じですね。『俺達は常に対等の関係でなければならない』そう仰ったのは他ならぬ隊長、貴方じゃないですか。」
一通りの話を横で聞いていたサラはいつもユラが自分達に向けてかけている言葉をユラに向けて返す
「まさか普段の自分の言葉に叱られるとはな…、っよし!この酒は明日の成功を祈っての酒じゃない、明日の成功を祝っての酒だ!どうせ任務が終わった後は酒呑む暇なんて無いんだしサラも許してくれるよな?」
「はは!そりゃ良いね!任務前の祝勝会とでもいこうか!」
「初めからそういう事にしとけば良かったんですよ…、改めて乾杯といきますか?隊長」
「それじゃあ今日は明日の祝勝会という事で!改めて、乾杯!」
ユラは自分の考えの甘さを知ると共に、自分が知らない所で成長していた仲間を誇らしく思った
「…時の流れは早いもんだな……」
「何か言いました?」
頭上に見える月を見てユラは言葉を溢す、後何回こうやって月を眺めるほどの平和な時間があるのだろうか
「いや、今夜は綺麗な満月だなって」
三日に一度は更新していけるよう頑張ります