06-01:○ローゼイト・サーペント[1]
第六話:「死に化粧」
section01「ローゼイト・サーペント」
私の名前は「アリミア・パウ・シュトロイン」
本名「カル・ジャンヌ」
帝国トポリ領北部に位置する「ピピン」の繁華街で生まれた。
父の名前は「アイリス・タウーザ」
帝国史上最大のテロリスト集団と言われた「ファルクラム」に所属していた父は、ピピン一帯を取り仕切るリーダーとして、その悪名を帝国中に轟かせていた人物だ。
母の名前は「マリー・ダディ・ジャンヌ」
貧しい身分の出身でありながら、その美貌と歌声で街の踊り子として生計を立てていた母は、父との出会いから人生が一変、次第にその身を死臭の漂う過酷な闇事業へと投じる事になる。
2人とも、私が幼い頃に戦死した。
私は物心付く前から、父に裏の世界で生きていくことを強要され、3歳の頃からすでに工作員としての戦闘訓練を受けていた。
私の記憶の中で、一番古い記憶はと言えば、薄暗い地下室の射撃場で、ひたすらに標的を狙ってトリガーを引いている自分の姿と、その傍らで、不出来な私を激しく叱責する父の怒鳴り声だ。
幼いながらも父の怖さを身体に染み込ませ、決して父の言葉に背くような真似はしなかった。
来る日も来る日も過酷な戦闘訓練を強いられ、身体が全く動かなくなる事で、初めてその日の終わりを告げられる。
私にとって、泣き叫ぶだけで済んだ日は、まさに幸運とも言える日だった。
私がまだ幼い頃は、ずっと薄暗い地下室の中に閉じ込められ、ほとんどその部屋から出る事を許されなかった。
重く閉ざされた鉄の扉が開く時は、必ずと言っていいほど険しい表情を浮かべた父の姿があり、私がその部屋を出ることを許可されるのは、厳しい戦闘訓練へと連れられて行く時だけだった。
命令されれば当たり前のように従い、決して目上の者には逆らわない。
勿論、一度でも反抗の意思を示せば、戦闘訓練が生易しく思えるほどの拷問を強いられるのだから、幾ら不出来な私でも、逆らう事の無意味さは身に染みて解っていた。
しかし、外界との接触を一切断たれ、偏った思想教育を施されて育った私には、他の同年代の子供達が一体どんな生活を送っているのかなど、気にかけたことも無かったし、過酷な戦闘訓練でのた打ち回る毎日こそが、私にとっての日常であり、極普通な事だった。
そんな私がファルクラムの工作員として、初めて作戦に参加したのは7歳の時だ。
当時活動の最盛期であったファルクラムは、まさに猫の手も借りたい程の人手不足であり、トポリ領北部のスタルアントリオン都市部弾薬集積庫襲撃作戦を行うにあたって、略奪した武器弾薬の運び出しぐらいは出来るだろうと、父が私を後方支援部隊のメンバーに組み込んだのだ。
それまで薄暗い地下室の中のみで育って来た私にとって、初めて経験する地上での大規模作戦。
後方支援任務とは言え、周囲にはけたたましい銃声が烈火のごとく鳴り響き、人々の恐怖に慄く悲鳴が薄暗い裏路地に木霊する。
私はまだ、一人では何も出来ない子供には違いなかったが、仲間達から罵倒されながらも、初めての任務を成功させようと一生懸命になって働いた。
しかし、一歩間違えれば即死に繋がる過酷な状況にありながらも、私は惨劇に脅える恐怖心よりも、何処かお祭りに参加したようなドキドキ感を強く感じていた。
鼻を刺す異様な硝煙の匂い。そして耳を劈く程のけたたましい銃声。
私にとって、それは普段と余り変わりの無い状況であったと言えるし、見るもの全てが珍しい外界の風景に心躍らせてしまった事も確かだ。
まさかこの時、自分の命が死の危険に晒されているなど、私は愚かにも全く考えていなかったのだ。
その後、私と少し距離を置いた位置で必死に叫び声を上げていた一人の仲間が、帝国憲兵隊の砲撃によって吹き飛ばされてしまうまでは・・・。
この時、ようやくファルクラムの行動に対して、先手を打つ体勢を整えた帝国憲兵隊は、都市部郊外の弾薬集積庫へと突入したファルクラムの退路を断つため、大規模な包囲網を形成し始めていた。
そのため私の居た後方支援部隊は、真っ先に円陣を形成した帝国憲兵隊と砲火を交える事となり、私の目の前には数十人にも及ぶ憲兵隊員が雪崩れ込んできたのだ。
その時、一体何が起きたのか正確に理解する事が出来なかった私は、激しく銃弾の飛び交う通路の真ん中で、一人ポツンと立ち尽くしてしまった。
相当な手錬であるはずの仲間達が、次々と無数の凶弾の前に薙ぎ倒されていく中、私が奇跡的にも生き残る事が出来たのも、「まさかこんな幼い子供が」と言う気持ちが憲兵隊隊員達の中にあったからなのだろう。
お嬢ちゃん!早くこっちへ!危ないからこっちへ来なさい!
これがこの時、私に対して背後から投げかけられた言葉だ。
私がふと後ろを振り向くと、通路左右の建物の影に憲兵隊隊員が5人ほど潜んでおり、その内の一人が必死になって私を手招きしていた。
勿論、それが私の身を案じての行動であろう事は直ぐに解ったのだが、私の意思とは無関係に動き出した身体が、素早く右腰にぶら下げた短銃を引き抜くと、返事をする代わりに彼の顔面へと狙いを定めてトリガーを引いた。
これが私の奪った初めての命だ。
そして私は、立て続けにトリガーを4回引き絞り、残る4人の男達を撃ち倒すと、すぐさま近くの建物の影へと身を隠す。
そして、大きく打ち鳴らされた胸の鼓動に強く突き上げられ、全身を襲った激しい悪寒に震えながら、私はようやく自分が今置かれている立場を理解した。
そこが、普段慣れ親しんだ戦闘訓練場などではなく、お互いに相手の命を奪い合う戦場なのだという事を。
私は恐怖に脅える暇も与えられず、すぐさま浴びせかけられた銃弾の雨を掻い潜り、ただ無我夢中で構えた短銃のトリガーを引いた。
弾丸が尽きれば倒れている兵士の武器を奪い、相手の攻撃から身を守るために、遮蔽物となる物陰を必死に渡り歩く。
そして、目に見えたもの全てに、動くもの全てに照準を絞り、何度も何度もトリガーを引いた。
それはまさに、日々繰り返してきた戦闘訓練と、ほとんど変わりの無い行為には違いなかったが、それでも一つ、決定的に異なる点があった。
それは、私の体力が尽きてその場に倒れ込んだ時は、私と言う人間の命の終わりを告げるのだと言う事だ。
もはや私を助けてくれる仲間達の姿はどこにもない。
そして、泣きつける父の姿もそこには無い。
唯一私の直ぐ傍らにあったのは、大量の血を垂れ流してうつ伏せる、数多くの人間達の死体だけである。
私はやがて尽きかけた自分の体力に、初めて冥府への扉の存在を背後に感じてしまった。
その後のことは良く覚えていない。
迫り来る死への恐怖に駆り立てられ、どれだけ必死に駆けずり回ったのか。
朦朧とした意識の中、どれだけの人間を撃ち倒したのか。
自分が生きているのか、死んでいるのかさえも、全く解らない状態だった。
地獄の責苦にも似た過酷な試練のみが並べられた一本道を、たった一人で歩み進まねばならない状況に、私の意識は完全に飛んでしまっていたに違い無いが、それでも私が生き延びる事が出来たのは、まさにそれまで強いられてきた戦闘訓練の成果を、自分の身体が体現してくれたからなのだろう。
やがて、周囲に響き渡っていた銃撃音が次第に散発的なものへと移り変わると、私はようやく周囲の状況を冷静に見て取る事が出来た。
何年経っても脳裏の奥深くへと焼き付いて離れないその光景は、まさに地獄絵図と言うに相応しく、周囲に横たわる死体の数は、敵味方合わせてざっと50人は超えていただろう。
決して全ての人間を私が殺したわけではないだろうが、私は余りの気持ち悪さから激しい吐き気を催してしまうと、その場に力なくへたれ込んでしまった。
この時、次に私の前に現れた人間が、帝国憲兵隊の兵士であったのなら、確実に私の人生はその場で終わりを告げられていたに違いない。
しかし幸運にも、もはや戦う気力すら失ってしまった私が次に目にしたのは、数多くの部下達を従えて前線から帰還した、父の姿だった。
普段から決して甘やかす事をせず、常に厳しい態度で私を躾けて来た父だが、この時ばかりは、足元へと縋り付いて大泣きしてしまった私を、黙って優しく撫でてくれた。
父が手を上げる時は、必ずと言って良いほど殴られてきた私にとって、それはまさに今までに味わった事の無い嬉しい出来事であり、一生忘れる事の出来ない父の優しさだった。
そして父は、私に満面の笑みを浮かべながらこう言った。
よくやったな。カル。
父から投げかけられた、この優しい言葉。
私は本当に、心の底から嬉しかった。
しかし今思えば、これが悲劇の始まりだったのかもしれない。
それからの私は、年齢と共に徐々に任される任務の数も増えて行き、そして回数を重ねる度に、与えられる任務の重要性、危険性も増して行く事になるが、私は父から下される命令が、如何に過酷なものだったとしても、決して首を横には振らなかった。
どんな時でも決して逃げ出さず、決して諦めず、私はその後与えらる任務の全てを、必ず成功させるのだという強い意志を抱いて、過酷な戦場を駆けずり回った。
それは勿論、作戦任務の成功を報告した時、父が見せる喜ぶ顔を見たかったからだ。
たったそれだけの事と言ってしまえば、たったそれだけの事に過ぎない。
しかし当時の私に取ってはそれが全てであり、それ以外に何ら生きる糧として自らを奮い立たせる理由など無かった。
数え上げたらきりが無いほど数多くの作戦任務を与えられ、そしてその全てにおいて、成功と言える成果を持って父の期待に答えて見せた私は、やがて15歳になった頃には、帝国憲兵隊の兵士達から「ローゼイト・サーペント」とあだ名され、その悪魔的存在を恐れられるようにまでなっていた。
作戦任務を成功させた後に、素早く逃げ去る私の紅い髪の毛が、闇夜へと消え行く「紅い大蛇」のようにも見えた事から付けられたあだ名だ。
作戦任務を成功させるために、自らの障害となりえる邪魔者をすべて排除し、命乞いをする者も、泣いて脅える者も、時にはまだ幼い子供さえも、何のためらいも無く撃ち殺す。
心の中に存在する人間的感情を一切排除し、ただ目的を達成する為の道筋を突っ走るだけの、完全なる戦闘マシーン。
それが私だった。
そしてその後、父と母を共に失ってからも、私の中で求めるものは変わらなかった。