05-06:○クレェアトランペ
第五話:「平行線の彼方に」
section06「クレェアトランペ」
トゥアム共和国の北部に位置する廃都市ブラックポイントは、3000メートル級の山々に囲まれた盆地地帯に存在している。
いまや見る影も無く朽ち果てた巨大な建造物の多くは、溢れんばかりの生命力を持って生い茂る木々達に飲み込まれ、徐々に風化し行く時の流れだけを、静かにその身に刻み込んでいるかのようだ。
再建を断念せざるを得ないほどに痛めつけられた都市部は、年に一回開催されるDQA大会や、トゥアム共和国陸軍の軍事演習等で使用される事はあるが、極少数の人々が暮らす一部の周域を除いて、通常では立ち入り禁止の危険地域に指定されている。
それは勿論、長きに渡り補修されぬまま放置されてきた巨大なビル群が、もはやいつ倒壊してもおかしくない状況であったためであるが、逆に人々の視線に晒される事の無い特殊な地域として、非合法的に活用できる環境を求める輩達に重宝されてきた事も事実だった。
危険極まりない猛毒によってカモフラージュされたこの都市の、真に甘美なる果汁を啜る事が出来るのは、その事実を知っている極一部の限られた人間達のみであり、彼らはまさに、共和国軍部内のみならず、共和国政府の作り出した、都合の良い盲点に潜んだ鵺のような存在であった。
(ボディーガード)
「研究施設の被害状況はまだ確認中ですが、爆発による影響で、格納庫を含め地下3階から7階までがほぼ壊滅状態。現在までに研究員10名の死亡を確認しています。シルバーストルス博士と残りの3名の研究員については、未だ行方が掴めておりません。」
そしてそんな、一般市民達の目の行き届かない特殊な施設内の一つで、何やら慌しく動き回る輩達がいた。
人数にして凡そ10人前後の男達であろうか。
鼻に付く焦げ臭い火薬の臭いと、薄っすらと幕を張ったように白煙が漂う秘密の地下施設内で、手持ちのサーチライトを必死に振り回しながら、まるで地獄絵図のように破壊されつくされた施設内を飛び回っていた。
それまで高価な機材が並んでいたのであろう部屋の中は、煤だらけの瓦礫の山に多い尽くされており、大きな亀裂の入った壁や天上からは、大量の水がボタボタと流れ落ちている。
部屋から見下ろせる格納庫とを仕切る強化ガラスも、見事なまでに全て吹き飛ばされ、時折宛がったサーチライトの光を反射して、部屋中を煌く夜空のように彩っていたのだが、無残な施設の成れの果てを見渡していた釣り目の男にとって見れば、そんな幻想的世界の慰みなど、取るに足らないガラクタ同然の現象であった。
(ボディーガード)
「それと、保管庫からノイエブリュケを運び出した形跡があります。恐らく逃走に使用した中型キャンサーに積み込んでいるものと・・・。」
(ティーラー)
「もういい。」
耳元で囁かれる淡々とした現状報告を振りほどくかのように、強引に部下の言葉を制したティーラーは、足元に転がる瓦礫の一つを軽く蹴飛ばして見せる。
一体、何故このような事をしてまで・・・。
心の中に沸き起こる彼の疑念は、自らを包み込む部屋の空気と同じく、異臭を放つ淀んだ闇の中に包まれたままだ。
幾ら思考を巡らそうとも、決して明確な答えへと辿り付く事が出来ないのだと解っていても、大きく舌打ちを奏でた彼の心は、負たる思考のスパイラルから抜け出す事が出来ずにいた。
シルバーストルス博士が目するものとは一体何なのだろうか。
サムトーテル地区に一般向け用のマムナレス社秘密開発研究施設という、迷彩を施してまで建設したこの極秘施設を、こうまでして破壊し尽くさねばならない理由とは一体・・・。
私はこれまで、博士の願望を叶える為に、出来る限りの事はしたつもりだ。
巨大な地下研究施設の建設や、必要な研究機材や研究員達の収集、更には研究にかかる莫大な費用の全てを提供する事を確約し、何一つ不自由なく自身の研究に没頭して貰うための環境を整えたのだ。
そして、それらを実現する莫大な資金を賄う為に、共和国高官や軍部高官達を取り込んで不正な資金操作を繰り返し、帝国貴族達に自社の開発技術を売り飛ばしもした。
勿論それは、自分の野望を実現するための、一つのプロセスと成り得る価値があると判断したからこそ、博士の無理な要求に悉く応じて来たのだ。
感謝されこそすれ、これほどまでの仕打ちを持って袖にされる覚えは無い。
完全に世間から追放されたその身を救い拾ってもらいながら、抱く野望を実現するための道筋を提供して貰っていながらにして尚、これがその恩人たる人間に対する見返りなのか。
右手拳を強く握り締め、暗闇の中に創作した人物を突き刺すように睨み付けたティーラーは、もはや怒気を超えた殺意めいた感情を必死に押し殺し、暗がりの中をゆっくりと歩き出した。
(ティーラー)
「格納庫の照明はまだ回復しないのか?」
(ボディーガード)
「施設内の配電盤チェックが済み次第、予備の電源を投入します。下に降りられますか?」
(ティーラー)
「いや。ここでいい。」
そして、吹き飛ばされたガラス窓の前まで歩み寄ると、左手をスーツのポケットに突っ込んだまま、部屋の向こうに広がる真っ暗な格納庫の内部を見下ろした。
シルバーストルス博士の目指した人型兵器は、現在、巷に出回っているような下賤な代物ではない。
二足歩行が可能なほどまで進化を遂げたDQだが、結局のところ、人間の運動能力を実現するレベルには至っておらず、ここ数年の間、DQ開発技術レベルが飛躍的に向上するような事も無かった。
それは、人間の動きを実現するための複雑高度な稼動部を司る、制御システム自体の処理能力限界と言う難問が立ち塞がったからであり、如何に年々高速化を見せる演算処理装置とは言え、人間の脳による瞬間的判断速度を補う事が出来なかったのだ。
そして、それを実現するために期待された超並列DNAコンピューターもまた、実用化に漕ぎ着けるほどの目処が全く立っておらず、DQ開発技術者達にとっては、まさに団栗の背比べたる僅かな差を持って、市場での凌ぎを削る以外、手立てが無かったのである。
ピーピーピー。
やがて、部屋の入り口付近へと立っていた大柄な男が、耳元で小さく打ち鳴らされた発信音を合図に、何やらティーラーに指示を仰ごうとするのだが、無言のまま軽く右手を翳した上司の行動を見るや否や、即座にその意思を汲み取る指示を伝達した。
すると間もなくして、それまで真っ黒な闇の世界に包まれていた地下施設内が、不気味な耳鳴りと共に一斉に眩い光の渦中へと誘われ、それと同時に、無残にも瓦礫の山で埋め尽くされた格納庫内部が映し出された。
綺麗な薄緑色にコーティングされていたはずの壁面は、爆発の衝撃から黒ずんで焼き爛れ、隣接する部屋との仕切りはもはや影も形も無い。
そして、高さにしてビル5階分はあろうかと言う広さを誇った格納庫内部は、ほぼ丸々1階部分を、天井から崩れ落ちた巨大な配管と鉄骨、高価な機材の瓦礫で埋め尽くされていたのだ。
金額に換算して、一体どれほどの損害額に上るのか、直ぐには検討も付かなかったが、もはやその主たる人物を失った研究施設に、再建するに見合うほどの価値は無かったのかもしれない。
(ティーラー)
「先日のLNR社の社長の件はどうした?」
(ボディーガード)
「はい。抜かりなく。」
格納庫内に隣接する最上階の一室から、じっとその瓦礫の山を見下ろしていたティーラーが小さく呟いた。
彼にとって、今や両肩へと圧し掛かった、濃密で巨大な見えない影の存在に比べれば、極々小さな不安材料の一つに過ぎなかったのだが、少しでも己を保身するために、成すべき事は怠らない気概を失ってはいなかった。
しかしそれでも、これまで築き上げてきたもの全てを、一気に崩壊させるに至る程の人為的破壊行為を前に、如何に気丈な態度で振舞って見せたところで、無意識の内に吐き出される大きな溜め息を止めようも無かった。
そしてティーラーは、もはや高価な機材の掃き溜めと化した格納庫内で、残骸の隙間から見え隠れする黒い部品に視線を宛がうと、ゆっくりと目を瞑り、長い時間黙り込んでしまった。
四散する残骸の中で、異様にもその部品だけが、特別な存在感を放っているようにも見えなくも無いが、それは彼の意識の中に、それだけ強い執着心が根付いていたという事だろう。
人型兵器の究極を追い求め、利己的な発想に終始する開発研究者や科学者達とは違い、会社の利益を第一に追求すべき立場でありながら、費用対効果という天秤の上に、巨額の費用を一方的に積み上げたのは彼自身である。
勿論それは、DQ産業界における今後の展開を見据え、多大な効果を期待しての判断であり、シルバーストルス博士の研究が、如何に人道的に非難される様な如何わしいものだったとしても、彼は業界の最先端へと再び躍り出るための手段を講じたかったのだ。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いとまで称された「マムナレス社ブランド」も、今やDQ開発技術力において、最先端を突き進むだけの能力は無く、夢や願望を交えた冒険的提案の多くは、保守的な思考へと変貌を遂げた経営者達の重い腰によって、幾度と無く踏みにじられる事となる。
勿論、それがリスクマネジメントの観点から下された判断であろう事は解っていても、業界の新たな動きを察する事も出来ず、全てに対して後手を踏まざるを得ない状況を作り出した経営者達の無能ぶりに、彼は既に愛想を尽かしていたのだ。
そして彼は、手にした富と権力を持って、新たなる行動を起こすに至った。
プロジェクト名「クレェアトランペ」
来るべき新たなる時代への幕開けを見越して、DQと言う人型兵器の概念を覆すべく想像力を駆使し、世界の全てを圧倒するほどの、より優れた技術力を求めて邁進する集団。
それはもはや、会社の利益に貢献できるような実益あるプロジェクトではなく、まさに開発技術者達の夢と理想を追い求めた、非現実的空想論の投げ合いとなる結末が目に見える、無益以上に有害なものだったのかもしれない。
しかし、それでも彼は、目先の利益を追求するばかりではなく、未来への効率的投資を目指して、極秘にこのプロジェクトを立ち上げたのだ。
勿論、マムナレス社と言う巨大企業の威を借りずしては、成り立つ事すらままならないプロジェクトであり、如何に彼が社内で多くの権力を握る立場にまで上り詰めたとは言え、湯水のように資金を投入できる訳もない。
会社経営者達を欺く事が唯一、プロジェクトを存続させるための絶対条件であったため、彼はどうしても外部に金銭面での「協力者」を必要としたのだった。
(ティーラー)
「資金面でゼフォンの手を借りたのは失敗だったか。まさかあんな形で奴が更迭されるとはな。」
数ある候補者の中からティーラーが選び出した協力者の一人。
それが、かつてブラックポイント駐留軍総司令官であるゼフォン・ウィリアムズだ。
今ではBP事件を皮切りに、檀權たる罪に問われる身となった彼だが、経緯にどういったやり取りが有ったにせよ、これまで長きに渡り、トゥアム共和国とセルブ・クロアート・スロベーヌ帝国との軋轢を緩和させるのに一役買っていた事は事実である。
噂では、かの帝国5大貴族の一角であるロイロマール家と親交が深く、そこに何かしらの薄ら暗い関係が築き上げられているのだと言われ、特佐権限を持ってして排他的効力を行使する彼の行動からも、決して聖人のように清い力だけを振り翳して、辿り着いた地位ではない事は明白であった。
ティーラーが彼を協力者として選択した理由は、まさにその相手の弱みを握れるという点と、特佐権限と言う特別な権力を行使しうる彼の立場を有益に活用できると目論んだからであり、聞こえのいい「共犯者」という肩書きを擦り付けて、金づるとしての役割を大いに担わせたのだ。
(ボディーガード)
「先日、グラスタワーオフィスに来訪した保安官はどうしますか?消しますか?」
(ティーラー)
「いや。これ以上事を荒立てて自分の立場を危うくする必要もあるまい。この研究施設も今日を持って封鎖とする。速やかに研究資料の全てを処分し、研究施設を完全に破壊しろ。勿論、決して足跡を残さずにだ。」
(ボディガード)
「解りました。」
不意に普段通りの彼らしさを取り戻したティーラーが、部下たる一人の大男にそう告げると、吐き出した言葉を再度自分で呑む込むかのように息を吸い込んだ。
そして、照り付けられる証明の光に浮かび上がる巨大な研究施設をじっと見つめながら、ゼフォンという更迭された一人の共犯者の失墜に抱き合わせて、自分をも簡単に見限ったシルバーストルス博士の行動に、激しい憎悪を抱いた視線で睨み付けるのだ。
しかしそれは、彼が常に勝者の立場で歩むために行使してきた強硬的手段と、全く差異が無い振る舞いであることは、彼自身気がついていた事だ。
いまや敗者的立場へと陥りつつある自分の境遇を噛み締めながらも、迫り来る困難に向けて立ち向かう気丈さを失わない彼の気概は、強く彼自身をも奮い立たせるに至るのだが、それでも彼の中で、それまで咲き乱れていた綺麗な花々が、儚くも一斉に散り去ってしまった事を悟ったのだった。