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Loyal Tomboy  作者: EN
第四話「涙の理由+」
78/245

04-25:○流れ落ちる涙のバスルーム[1]

第四話:「涙の理由+」

section25「流れ落ちる涙のバスルーム」


程よい暖かさを保った細かなしずくが降り注ぐ幻想的な霧の中で、甘く強いフローラルの香りが漂う空間に一人きり。


滴り落ちる水の音だけが響き渡る、静かでいて温和な空気に包まれた世界に浸りながら、過酷な戦場で疲弊しきった精神を洗い流すかのように、彼女はじっと目を瞑ったまま立ち尽くしていた。


薄っすらと白いもやを沸き立たせるミストシャワーの水滴が、綺麗な素肌へとまとわり付いて、小気味良く小さく並んだ粒の絨毯じゅうたんを形成しては、次第に周囲の仲間達と身を寄せ合うように膨れ上がっていく。


ドスン!!


そして不意に、室内を揺るがすように鈍い音が打ち鳴らされると、湿気を吸って綺麗なウェーブのかかった抹茶色の髪の穂先から、一斉に彼女の心をくすぐるように水滴達が滑り落ちて行った。


その身に抱えた自身の重さに耐え切れずに。


現実と言う残酷な世界から振り落とされるように。


彼女は必死に自分の心の重さを支えるように小奇麗な壁へ右手を付くと、うつむいたままの姿勢でゆっくりと両目を開いた。



私は一体、何をしているんだろう。


私は一体、何がしたいんだろう。


たった一人。狭い空間の中に自分を押し込めて。


何もする事なんか無い癖に。


何かをする事なんて出来やしない癖に。



休む事も許されないほど断続的に押し寄せる殺意の波へとさらされ、研ぎ澄まされた氷柱で何度も突き刺されるような悪寒に震え上がりながら、必死に駆けずり回った死地での気持ち悪さに比べれば、これほどまでに温和で心地よい世界は無いというのに・・・。


戦いの果てにようやく手にした安息の一時がこれか・・・。



目に見えぬ黒い影の姿に脅え、未だ止まぬ寒気に身を震わす彼女は、一体、何に脅えているというのだろう。


一体、何が怖いというのだろう。



降り注ぐ気持ちの良い霧の中に身を沈め、次第に温まり行く身体の感触に意識を集中しながらも、どこか自分の物とは思えないほどの気だるさを着込んだ重たい心が、果てしない深遠の底へと落ちていくようだ。


そして、立ち尽くした自分の身体だけをそこに残したまま、がっくりと膝から崩れ落ちるようなイメージの中に、這いつくば卑下ひげな自分の姿を垣間かいま見ると、チョロチョロと全てを吸い込む真っ黒な排水溝の中に、恐ろしいほどに充血した一つの目を見出してしまった。


「これで貴方も仲間の一人」


確かに聞いたその低い声に、一瞬、驚いたような表情をかもし出した彼女は、慌てて狭い空間の中を見渡す。


そして、ぽかぽかと芯から温まった身体が、見えない何かに脅えて凍りついた心の寒さに震えだすと、彼女は突然、ドタバタとバスルームの扉を開いて、与えられた自分だけの仮部屋の中に注意深く視線を巡らせた。


単に寝泊りする位しか機能的役割を果たさないであろうその小さな部屋の壁際には、小さめのシングルベットが横たわっており、反対側の壁際にシンプルな椅子と机が置かれている。


そして、就寝用の薄暗いライトに照らし出された無機質な床の上には、彼女の荷物を入れた小さなカバンと、無造作に脱ぎ捨てられたパイロットスーツが散乱するだけで、当たり前の事であるが、特に何ら不審な点は見当たらなかった。


しかし、何かしら異様な雰囲気をそこに感じてしまった彼女は、慌ててバスルームの扉を強く閉めると、再び白くもやのかかる個室の中へと閉じこもり、むせつく様な湿気を帯びた空気の中、2、3軽く咳き込んでしまった。


やがて彼女は、疲れきったように肩を落として、小さなバスチェアーへと腰を下ろす。


そして、霧の濃度を上げるためにと、設定パネルへと右手を差し伸ばした時だった。


(ジャネット)

「うっ・・・。うぁ・・・。あああ・・・。」


何かべっとりとぬめる様な違和感を感じた彼女が、右のてのひらひるがえして、うめき声を上げた。


赤い・・・。赤い・・・。赤い・・・。


何コレ?何コレ?何なのコレ??


右のてのひらへと付着した、その粘性の高い真っ赤な液体は、まるで生き物のようにプルプルとうごめきながら、次から次へと止め処なく湧き出してくる。


そして、それまで周囲に漂っていた心地よい香りが、急激に鼻に付く錆び臭い刺激臭へと変貌を遂げると、漂う水滴の一つ一つが一気に赤黒い色を帯びて、彼女の肌へと取り付き始めるのだ。


「独り。寂しいんでしょ?・・・うっふふ。私達がいるじゃない。」


唖然とした表情で見据える右手を必死に動かそうとするも、じりじりと焦げ付くような熱さを感じ始めた身体が全く言う事をきかない。


まるで全身へと纏わり付いた赤黒い水滴全てが、見えざる重たい鎖のつたとなって、彼女の精神を縛り付けているかのようだ。


やがて、小刻みに震える右手の上へとせせり出した赤い液体が溢れ出すと、粘り気の強い糸を残したままにして、ドロドロと足元へと流れ落ちた。


「独り。寒いんでしょ?・・・だから同じ境遇の仲間を欲するのね。」


(ジャネット)

「違うわよ!!」


激しい怒気を交えた大声によって、その鎖のつたを振り千切ると、彼女はとっさに両手で顔を覆った。


勿論、彼女の耳元でささやかれる気持ちの悪い問いかけは、全て彼女自身の心が生み出した幻である事は解っていたが、ポカポカと温まり行く身体と乖離かいりするように、冷え固まり行く心の感情とのギャップが、彼女を激しく身悶えさせるのだった。


「結局、貴方がしている事は、貴方がされた事と同じ。刻まれた傷と同じ程度の傷を求めて、貴方はその先に何を求めているの?」


(ジャネット)

「復讐よ!!復讐!!ただそれだけよ!!死ねばいいのよ!!みんな死ねばいいのよ!!」


幾ら泣いても。幾ら悲しんでも。


どうしようもない事なのだということは解っている。


しかし、どうしようもない気持ちのやり場を探して、更にどうする事も出来ない自分を殴りつけるように、彼女は思いっきり見ざる何かに怒鳴りつけた。


何も見なくて済むように両目を強く瞑り、何も聞かなくて済むように耳を両手で塞ぐ。


そして、バスチェアーに座ったまま、身を屈めるように丸くなると、彼女は辛く切ない悲しみと怒りの突き上げが収まるのを、ただ只管ひたすらに待った。


吐き出せるだけ吐き出したはずの悲しみ。


込み上げる怒りの炎に駆り立てられて、殺すだけ殺した自分。


やりたい放題に己を振りかざし、再び自分をかえりみたところで、空虚にさらされた寂しげな心が温かみを帯びる事はない。


そんな事、既に解っていた事でしょうに・・・。


「おねぇちゃん・・・。」


真っ暗な闇の中へと自分を包み隠していた彼女の意識の中で、不意に姿を現した一人の少年が声をかける。


言葉を交わしたくても交わすことの出来ない少年が。触れたくても触れることの出来ない少年が。


必死の思いで手を伸ばして、しがみ付こうとするものの、抱き付けるのは恨めしい空想の中の自分だけ。


そんなイメージの中にこしらえた自分自身にさえ、激しい憎悪を抱きながら、やがて彼女はゆっくりと目を見開いた。



打って変わってシーンと静まり返ったバスルームの中で、暗く長いトンネルの中へと吸い込まれるように、静かに吸水口へと流れ落ちて行く水の音だけが響き渡る。


彼らは一体、どのぐらいの時間を経て、次なる光を浴びる事が出来るのだろうか。


愛する者の死から二週間を経て尚、未だ真っ暗なトンネルの中から抜け出す事の出来ない彼女の瞳からは、枯れることの無い大粒の涙が、再びボロボロと零れ始めていた。


暖かな空間の中に身を浸しながらも、決して温まる事の無い悲しみを心に抱いて、小刻みに震える自分の身体に抱きつきながら、彼女はずっと、そこに佇んだままだった。

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