04-24:○ルアーフィッシング
第四話:「涙の理由+」
section24「ルアーフィッシング」
紅く長い髪の毛を後ろで結わえた目立たない輪ゴムを取り外すと、ようやく窮屈な世界から解き放たれたことを喜ぶかのように、一斉に空間にその身を飛び散らせて踊り狂う。
ほのかに甘い香りを周囲に振り撒きながら、薄暗い細い通路をひた歩いていたアリミアは、それまでその身を圧し続けていた空気の密度が薄くなった事で、開放感に溢れた安堵を反芻するかのように深く息を吐き出した。
パイロットスーツの中に立ち込めた熱気は、いまだ冷めやらぬ興奮の渦を形成し、研ぎ澄まされた感覚を窘めるには、今しばらくの冷却期間を必要とする程であったが、それでも通路の先でぶつかる大きなレストポートの道沿いで不思議な人物の姿を見つけると、ふいにその歩みを止めたのだった。
(ランスロット)
「いつの日も心にゆとりが必要なのさ。齷齪と働いて、働いて、それでいて一体何を楽しむのさ。たまには思い切って、ドーンと遊びに出てみようよ。新しい発見。新しい感覚。これを満喫せずに何が人生というんだい?」
(メルヴィーナ)
「・・・あ。うん。そうだね・・・。そうだけど、でもね。戦闘が終ったばかりで、怪我人とか大勢いるのよ。早く行って手当てしないと、大変な患者さんだっているんだから。・・・ね。」
ランベルク基地の地下3階に当たるこの区画には、兵士達が寛ぐためのあらゆる設備が整っており、広い空間の中に並べられたテーブルやソファーには、生き延びた仲間達とようやくありついた遅めの夕食を嗜む、数多くの兵士達の姿でごった返していた。
勿論、最近では珍しくなくなった女性兵士達の姿も数多く見受けられ、男女が組み合わせで会話をする風景は、もはや日常的に違和感を覚えるような光景ではなくなったものの、それでもアリミアは、激しく人が往来する通路の壁際で、なにやら二人だけの世界を作り出そうする一組の男女に視線を固定すると、呆れたような溜め息を付きながら視線を逸らした。
(ランスロット)
「医者の人手は足りてるって聞いてるぜ。だから君も、ここで遅めのディナーを楽しんでたって事だろう?そして、夢も希望も無い過酷な職場へと、再び借り出されていくわけだ・・・。俺はね。そんな君が許せない。そして自分を押し殺して他人のために。・・・ああ。・・・そんな君がとても愛くるしい・・・。」
(メルヴィーナ)
「え・・・?あ・・・。いや、その・・・。」
しかし、覆いかぶされるように自由を奪われていた金髪の女性の方はといえば、この男の問いかけに寧ろ迷惑そうな表情を浮かべ、何とか逃げ去りたい雰囲気を一杯に表していたのだが、それでも全くお構い無しとばかりに、男は歯の浮くような言葉を平気で並べ続けるのだ。
(ランスロット)
「君は自分のために何かをしてやることはあるのかい?いやぁ無いだろう。君は自分の事より他人の事を思いやる優しい女性。そう、君はダイヤの輝きを放つ可能性を持ちながら、黒く沈んだ社会に塗れ、ボロボロに汚されてしまった原石なのさ。磨けば眩いばかりの光を放つであろう君の存在に、俺は気付いてしまったんだ・・・。」
(メルヴィーナ)
「・・・う。・・・あ。ちょっ・・・。」
この綺麗なウェーブのかかった金髪の女性の名前は「メルヴィーナ・シャルトル」と言い、その優し気な瞳と見た目の清楚さから、男性兵士達にはすこぶる評判が良い、共和国軍所属の外科医師の一人だ。
しかし、引っ込み思案で周りに流されやすく、決して自分からは強く意思を表に出さないおしとやかな性格からか、このナンパな男の言い寄りに対して、断る事も出来ずにオロオロとしていた。
普段のアリミアであれば、他人の色恋沙汰に対して何ら感心を抱くでもなく、ただ無言のまま無視を突き通したのであろうが、彼女にとって、この窮地的状況に困惑している女性は、全くの他人と言うわけでもなく、更にその加害者男性とは、ネニファイン部隊の研修時に同じチームを組んでいた過去が有る。
そして、通路の少し離れた位置に佇んだアリミアの姿を見つけ、追い討ちをかけるように愛くるしい「助けてビーム」を放つメルヴィーナの視線に、アリミアは仕方無さそうに、もう一つ溜め息を付いて見せた。
(ランスロット)
「今度は君が愛されなければならない。そう。君は自分を愛することより、人を愛することを望んでしまう可愛そうなヒロイン。君自身が愛せなくても、俺が愛してあげるよ。だから名前と所属部署を教えて・・・。」
(アリミア)
「はい。そこまでにしなさい。ランスロット。終わりね。」
猛然と最後の追い込み体制へと入った狩人の右肩を軽くポンと叩くと、どこか疲れきった表情でランスロットの暴挙に割って入るアリミア。
そして、怪訝そうな表情で振り返るランスロットに気付かれないように、可哀想な子羊の逃亡を小さく促すと、彼の注意を引き付けるための会話を始めた。
(アリミア)
「先発もれで暇だからといって、ナンパとはぶったるんでるわよ。居残り組みは第二種戦闘配備で待機中じゃなかったのかしら。」
(ランスロット)
「おや。アリミアお姉さま。お勤めご苦労様です。ついさっき堅苦しい待機任務から解放されたところでしてね。ようやく羽を大きく伸ばして、寛ごうと思っていたところなんですよ。」
(アリミア)
「貴方が寛いでいない姿なんて、見た事もないわね。」
(ランスロット)
「あらぁ。いつになく手厳しいじゃ有りませんか、お姉さま。きっと過酷な戦場帰りで相当疲れ切っているんですね。どうです?これから、ちょいと高級なバーで疲れを癒すってのは。実はですね。今この女性と将来の共和国のあり方について、飲みながら語り合おうって意気投合していたところなんですよ。」
(アリミア)
「・・・。ふ〜ん。そうなの・・・。」
呆れるような視線を送る事しか出来ないアリミアの前で、意気揚々(いきようよう)と上半身を翻して手を差し伸ばしたランスロットだが、既にそこに彼の求めた女性の姿は無い。
(ランスロット)
「ありゃ??・・・。あぁ〜あ。名前くらい教えてっても良いのになぁ・・・。」
(アリミア)
「あそこまで盛り上がっておいて、名前も知らないなんて驚きだわ・・・。」
女性として悪寒を禁じえないであろう彼の活発的行動力であったが、アリミアがこの程度の男に恐怖を感じるようなことはありえず、突き刺した冷たい視線の上から呆れたような言葉を被せると、既に遠くへ退避する事に成功した女性の手を振る姿に、軽い笑みを返してあげた。
(ランスロット)
「あれっ?あの娘と知り合いなんですか?お姉さま。もし知り合いだったら、名前くらい教えて欲しいなぁ。」
(アリミア)
「いいわよ。別に。」
アリミアよりも1歳年上であるにもかかわらず、何故か「お姉さま」と不思議な敬語を使うランスロットに、何を思ったかアリミアは、軽々しく彼の要求を承諾して見せた。
アリミアとメルヴィーナは、昔ながらの知り合いと言うわけではなく、実はまだ出会ってから2週間ほどしか経っていない仲であったのだが、BP事件後のセロコヤーン基地へと向かう途中、大型輸送機ガーゴイルの中で負傷した右腕を治療して貰った事を切欠に、顔を会わせては少しの会話を交わすような仲にまでなったのだ。
勿論、アリミアとしても、こんな女誑しに、可愛らしい彼女を売り飛ばすつもりは毛頭ないが、それでも都合よく巡ってきた絶好の機会に、この男を釣り上げるための擬似餌がどうしても必要だったのだ。
(アリミア)
「その代わり、貴方にも少し聞きたいことがあるの。ランスロット。1時間後に待ち合わせしましょう。直ぐそこのサンドカフェでね。」
(ランスロット)
「カ・・・フェですか・・・?」
彼女の発した待ち合わせと言う言葉に、一瞬だけ目を輝かせたランスロットだが、夜も深け行くこの時間帯にあって、カフェと言う場所を指定したアリミアに、彼は思わず落胆の声を張り上げてしまった。
(アリミア)
「嫌なら別にいいわよ。私も他を当たる事にするから。ランスロットも地道に頑張りなさい。」
(ランスロット)
「いやいやいやいや・・・。お待ちを。しばしお待ちをお姉さま。このランスロット。謹んでお受けいたします。」
明らかに不機嫌そうに冷たい態度を示したアリミアを、慌てた様子でランスロットが制止する。
勿論アリミアには、彼が目の前へとぶら下げられた大きな獲物に食いつくであろう事は解っていた事であり、彼との会話を進める上で、自分が優位的立場を保ったままにしておきたかったのだ。
では何故、アリミアがこんなお調子者との会話を望むのかと言うと、それは以前の彼がDQA大会において、チーム「Black's」の一員として名を連ねていたためであり、アノ男に関する情報を、少しでも引き出したいという意図があった為だ。
やがてアリミアは、態度を軟化させてニッコリと微笑んで見せると、嬉しそうな表情で感謝の言葉を並べだしたランスロットを軽くあしらって、そそくさと仮部屋へと足を向けた。
そんなに感謝されても・・・。少し困るわね・・・。
彼女は途中、更に地下奥深くへと続くエレベーターの到着を待っている間、ランスロットの必死な表情を思い浮かべて、思わず失笑してしまった。
彼女の真実を知った時、彼は一体どんな表情をするだろう。
それでもまだ付きまとうつもりなら、私が実力で阻止すればいい訳だし、まあ普通に名前と所属部署ぐらいは教えてあげようかしら。
ただ、彼女にはもう、将来を誓い合った相手がいることは、まだ秘密よね。