04-10:○ディップ・メイサ・クロー[9]
第四話:「涙の理由+」
section10「ディップ・メイサ・クロー」
激しい高低差からなる断崖絶壁に囲まれたディップ・メイサ・クロー。
その大きな渓谷群の左から数えて4本目の通路が「メイサ・レフト4」である。
それまで、その大きな渓谷内部を悠々と南進してきた、帝国軍戦車部隊であったが、途中、大きく左右の崖が開いたN−45ポイント付近で、しばらくその歩を緩める事となった。
それは勿論、この地点を目掛けて上空より降下してきた、トゥアム共和国軍のDQ部隊と遭遇したからであったのだが、持ちえる帰下の兵力を持ってすれば、いとも簡単に共和国軍の戦線を突破できたであろうが、何故かこの時、帝国軍戦車部隊の行動は、余りに消極的なようにも見受けられた。
その圧倒的多数派である物量に物を言わせて中央突破を計るでもなく、どこか脅えたように壁際を這いずる戦車部隊を、ネニファイン部隊のパイロット達は、一体どのような思いで見つめていたのだろうか。
ほんの少しの間だけ延ばす事が許された自らの命を尊ぶように、過去に過ごしてきた楽しい日々に思い耽っていたのだろうか。
それとも、何れは訪れるであろう大部隊の攻撃に対し、激しい恐怖感に煽られて、震える身を必死に押え付けていたのだろうか。
しかし彼等は、各々の感情を各々の心の内に押し込めたまま、逃げ出したい気持ちを鞭で駆り立てて、己の現実と向き合わねばならなかったのだ。
(ユァンラオ)
「ふっふっふ。とりあえず高機か。」
そんな過酷な状況に直面した最中にありながらも、奇妙な笑みを浮かべたままの男が小さく呟いた。
そして、彼に先行して全速力で敵軍へと特攻を決め込んだ一人の女性が駆る、人型機動兵器DQアカイナンの後姿を見つめながら、彼はゆっくりと顎に生え揃った無精髭を擦って見せるのだ。
帝国軍と共和国軍、両陣営の意思とは完全に乖離した二人の行動は、まさに命知らずともいえる行為に他ならなかったのだが、彼等は全く臆することなく、前面へと展開を始めた狂気に満ちたハイエナの群れへと狙いを定めていた。
メイサ渓谷内でもかなり幅が広がるその地域は、谷底の中心部に1本の舗装された道路が存在する以外は、疎らに大きな木々が聳え立つだけの、凹凸の激しい不整地となる。
勿論彼等は、見晴らしの良い渓谷中央付近を走行して、態々(わざわざ)敵の戦車部隊の標的になるような愚行は犯さなかったものの、まさにその行動自体が愚行そのものに他ならなかった。
(ジャネット)
「来たわね・・・。やっと・・・。」
それまで、役立たずとしか称することの出来ないサーチレーダー上に、薄ぼんやりと敵機の反応が僅かに見て取れる位置まで到達すると、小さく呟いたジャネットの表情が、不意に強張りを見せた。
そして、まもなくTRPスクリーン上に映し出された白い蜘蛛が、北方で不気味な横滑りをしながら踊り狂う様に視線を据え置き、彼女は纏う鋼鉄の鎧の走行スピードを更に最大限まで引き上げ加速する。
やがて、一斉に無秩序に踊りだした10機のグアルディオアラの内の1機が、迫り来る無謀な灰色のDQ1機に狙いを定めると、前面に競り出した左腕に固定されているスタンディスチャーから、気持ちの悪い色めいた光を放った。
これは物理的実体を伴った破壊兵器ではなく、指向性エネルギー砲の一種であり、外部からの破壊を目的とした兵器がその大半を占める中で、珍しくもその機械内部の電気系統や計器類へのダメージを目的とした兵器である。
実際問題として、このような電気的衝撃波を防ぐためには、外界との絶縁処理が必要不可欠なわけだが、圧倒的稼動部分の多いDQと言う精密機械において、その全てを防ぎきることは不可能である。
現在では対DQ用兵器として、もっとも有効な火器の一つともなった「スタン系兵器」だが、この火器がかなり高価であるという事と、DQ以外の単純構造兵器の多くが、十分な対策を講じている事からも、あまり数多くは出回っていない火器であった。
勿論この時、その兵器の存在だけは知っていたジャネットは、伝え聞いた対処法を行使したに過ぎなかったが、それでもそれは、確かに効果的な対処法であったことを結果を持って示して見せた。
彼女は即座に、アカイナンの腰部分に装着してあった「デコイ」の一つを前面に射出すると、右足でフットペダルの角度を調節し、大地を削り取るように両足のエッジを利かせて急減速を試みる。
そして、直後に緊急回避行動を持って左手に大きく機体をスライドさせると、標的を見誤った電気的衝撃波を一手に引き受ける事となったデコイが、眩い閃光を放って朽ち果てた。
余りにも単純な方法だが、一度デコイを射出するタイミングを逸すれば、彼女自身がデコイと同じ運命を辿らざるを得なかったはずであり、まぐれとは言え高ぶった意識が見せた条件反射は、絶妙のタイミングで発動したのだといえよう。
しかし、今の彼女にとって見れば、そんな些細な結果に、喜びを表現している暇などあるはずもなく、兵士達の恐怖心を煽り立てるほどの相手を前に、決して恵まれてはいない己の戦闘能力をフル回転させるのだ。
彼女はアカイナンの左肩に装備された120mmミドルレンジキャノン砲と、左手に持ったグレネードガンの火器コントロールを操作しながら、右手に装備したASR-RType44を迫り来る先頭のグアルディオアラに向けると、激しく弾丸を放ちまくる。
無論、あからさまに見て解るような単調な攻撃をそのまま食らってやるほど、帝国軍パイロットの技術が劣悪なはずもない。
6本の足で起用に大地を引っ掻きながら移動速度を調節すると、グアルディオアラはまさに本物の昆虫のような気持ち悪い動きを見せ、ジャネットの攻撃を小気味良くかわして見せた。
しかしジャネットは、更に構えたグレネードガンで、この白い蜘蛛の退路を断つと、回避速度を鈍らせた相手目掛けて、大きな叫び声を吐きかけた。
(ジャネット)
「そこぉ!!」
3連続攻撃の最後を飾る120mmミドルレンジキャノンの銃口が重たく響く低音を発すると、吐き出された高威力な砲弾が吸い込まれるように、グアルディオアラの機体中心部を貫いた。
(ユァンラオ)
「ほぉぉ・・・。」
それまで水面を滑るかのように移動していていた白い蜘蛛が、被弾の衝撃で突き刺さってしまった片足を軸に弾け飛ぶと、その反動で一気に大地を転がり始める。
そして、大きな爆発を持って四散した無様な「蟲ケラ」に対し、侮蔑の意思を込めた笑みを浮かべるユァンラオが、珍しくも感嘆の声を発してしまった。
この女・・・。
DQAで見た時とは随分違う感じを受けるな。
研修時には出来もしなかった連続性ファイアーコントロールがいつのまにか出来てる。
ただ見てくれだけの能無し女ではないのか・・・?
ふと、そんな思案をめぐらせていたユァンラオは、以降低速戦闘を余儀なくされた9機のグアルディオアラが、二人の周囲を取り囲み始めようとしている最中にあっても、どこか落ち着いた雰囲気を保ったまま、しゅりしゅりと無精髭を撫で回しているのである。
威風漂う古来の武将が、大量の敵兵に囲まれながらも、自らの名を高らかに誇示するかのような態度で見回すその視線には、全く恐怖心と言うものが交えられてはいない。
(ユァンラオ)
「ふっふっふ。ジャネット。ひとつだけいい事を教えてやろう。」
そう一つ静かに言葉を発したユァンラオは、先行したジャネットのアカイナンを右手方向から、一気に急襲しようと試みたグアルディオアラに対して、ASR-RType44の弾丸を正確に撃ち込んだ。
すると、拍子抜けするほど簡単に、その弾丸の直撃を許すことになってしまった2機目の被害者は、全く言う事を聞かなくなったバランス制御を操る事も出来ないままに、ずるずると胴体部分で地面を這いずる事となってしまった。
そして、ぶすぶすと異臭立ち込める黒煙を噴出し始めた被害者に、既に興味の欠片も示さなくなったユァンラオは、そのままの口調で灰色の機体を操るジャネットに言葉を続ける。
(ユァンラオ)
「乱戦ではどれだけ多くの事象を把握しきれるか。それがすべてとも言える。味方の動き、敵の動き、敵の意識がどこにあるか。そして、それ自体もコントロールする事が必要だ。DQの操作技術に長けているなど、二の次でいい。」
彼の撃ち抜いたグアルディオアラのパイロットの意識が、特攻を始めたジャネットにあった事は確かであり、更に言えば、ジャネット自身、9機もの敵意を前にして、一体どの敵意に応じて戦闘を開始すべきか、判断に窮していた事も事実だ。
対峙する1対1の戦闘局面においては、完全に両者の持てる戦闘技術の優劣が、そのままお互いの勝敗を左右することになるのだが、多対多の戦闘局面においては、必ずしもその提言が当てはまるわけでもない。
一番手っ取り早く相手を撃破する方策としては、相手が警戒すべき意識の外からこれを制する攻撃を仕掛けてやれば、通常の数倍の確立を持ってして成功を収めることが出来るであろう。
勿論それは、言う程に容易なことではないことは、誰しもが知るところであったのだが、不思議とこの時、彼等二人を付け狙う8機の敵意が、極自然にジャネットを優先して定められている事に彼女は気が付いた。
おおよそ鋼鉄の鎧に身を包んで戦う両軍としては、お互いのパイロットの容姿や思考、技術や経験など、簡単に読み取れるはずもないのだが、それでも全く平等に与えられるべき相手の殺意に満ちた視線は、彼女の身体を好んで舐め回す様に取り憑いている様であった。
(ジャネット)
「なにそれ。私の動きが敵に読まれてるとでもいいたいの?」
(ユァンラオ)
「ふっ・・・。こういう戦場では、お前みたいに暴走するだけの馬鹿な猛牛がよく死ぬって事だ。」
普段、こんな露骨な表現を用いられると、すぐにカチンと来てしまうジャネットだが、この時の彼女はどこか妙に落ち着いていた。
それが何故なのかは、彼女にも解らない。
ただ、燃え上がるような高揚感を心の内部で燃焼させ続けながらも、どこか自分の身体から幽体離脱でもしたかのように、客観的に自分自身の姿を見つめられるほど、冷えた思考が不思議と彼女の全身を包んでいるかのようだ。
8機もの高機に囲まれたまま戦闘を続行して、簡単に生き残ろうなどと、都合の言いことを考えているわけでもない。
私はただ・・・。私はただ、帝国軍の人間を一人でも多く・・・。
帝国軍の人間を一人でも多く道連れにしてやりたいだけ!!
(ジャネット)
「うっふふ・・・。出来るなら私を止めて見せてよ。ユァンラオ。」
気持ち悪いほどの薄ら笑いを浮かべたジャネットの意識は、一体、誰へと向けられたものだったのだろうか。
ふうっと溜め息をついて見せながら、サーチレーダー上に蠢く8つの機影を視線で追った彼女だったが、決して彼等に向けられたものでは無かったのだろう。
(ユァンラオ)
「んん?一体何を止めろと言うんだ?攻撃的な意識をか?違うだろ?」
少しばかり意地悪な言い回しでジャネットの意識を促したユァンラオだが、そんな彼の言葉に左右されるでもなく、彼女は自身が産み落とした闘争心の炎を消し去るつもりは無かった。
このままこの女の死に様を見届けるのも、それはそれで楽しいかもしれないな・・・。
口には出さないまでも、ユァンラオは厭らしい程の満面の笑みを浮かべながら、目の前を駆け出すアカイナンに呼応するように、リベーダー2の強烈なバーニヤを吹き上がらせた。