04-07:○ディップ・メイサ・クロー[6]
第四話:「涙の理由+」
section07「ディップ・メイサ・クロー」
(サルムザーク)
「なんだと!?エアビへイブの進路が違うだと!!どういうことだ!?」
ディップ・メイサ上空を旋回中の旗艦「ファントム」の司令室内に、思わぬ若い士官の怒声が一つ木霊した。
それまで彼は、司令室上部へと表示された戦況を一望できる指揮官席にだらしなく腰を掛けたまま、じっと戦いの成り行きを見守っていたのだが、突然彼の元へと齎された一つの報が、彼の態度を激変させたのだった。
その時、周囲に居合わせた通信オペレーター達は、彼と出会ってから日も間もないということもあり、めったに怒りを面に出すことのない「のんびりとした指揮官」と言うイメージを作り始めていたのだが、突如として激しい怒りを露にしたこの若い上官に対して、驚いたような表情と共に戦々恐々(せんせんきょうきょう)としてしまった。
それもそのはず、メイサ・レフト4へと先行降下したネニファイン部隊には、主力部隊である戦車部隊が到着するまでの間、上空から対地支援を行う「エアビヘイブ隊」が到着する予定だったのだが、到着予定時刻を過ぎても一向に姿を現す様子も無く、挙句の果てには新たに設定された軍事目標へと、進路を変更したという報告を一方的に送りつけてきたのであった。
(チャンペル)
「三佐・・・。ヘルモア陸将から通信が入ってます。」
その時、厳しい表情で戦況を見つめていたサルムに対し、恐る恐る声をかけたのは、通信オペレーター兼秘書官の「チャンペル・シィ」である。
細く長い深緑色の髪の毛を、片側だけ掻き揚げたヘアスタイルのその女性は、猫目的に目元が釣り上がってはいるものの、温かみのある可愛らしい人物だ。
彼女はトゥアム共和国通信高大卒のエリートであり、ネニファイン部隊を創設するに当たって、カースが引き連れてきた有能な人物の一人ではあったが、時折見せる大きな「天然ボケ」だけが玉に瑕のお嬢様であった。
全く無言のまま怒りに満ちた瞳で受信許可を促すサルムの反応に、彼女は慌てた様子でオペレーターコンソールへと向き直ると、開け放った回線に通信映像を流し込む。
すると、それまでディップ・メイサ一帯の戦況を映し出していた画面が一転、良く肥えた憎たらしい肥満の中年男性が姿を現した。
(サルムザーク)
「説明していただこうか陸将!」
(ヘルモア)
「ふん。ずいぶんな挨拶だな。三佐・・・。」
ギトギトに脂ぎった銀髪に、歴戦の勇者を彷彿とさせる傷を顔中に蓄えた中年男性。
目元に光る鋭い眼光は、彼が只者ではないことを物語っていたのだが、頬や顎に付いた贅沢な肉付きが、彼の長きに渡る私生活の堕落を物語っている。
しかしこの中年男性こそが、トゥアム共和国陸軍における最高権力者、「ヘルモア・トラッド」陸将である。
今回のディップ・メイサ・クロー作戦の最高司令官でもある彼が、佐官に成り立てのド新人部隊長サルムザークに対し、直接通信回線を築くに至ったのには、それなりの理由があったからなのだが、怒りに任せて無礼にもこの中年男性を怒鳴りつけたサルムには、その彼の意図が少なからず見えて来ていたからなのかもしれない。
(ヘルモア)
「何・・・。帝国軍のメイサ・レフト4南進部隊が囮であることが判明したんでね。急遽、エアビへイブ隊には、帝国軍本体部隊を叩くよう新たな指示を出したまでだ。我が主力戦車部隊に関しても、メイサ・センターを南進してくる帝国軍主力部隊に対抗すべく、戦線を構築する事となる。」
(サルムザーク)
「な・・・。なんだとぉ・・・!」
決して聞こえない声で言ったわけではないのだが、彼としては最高司令官たる陸将に対して、それなりに礼儀を重んじる為に、しばしぐっと怒りをかみ殺すと、厳しい表情のままヘルモアに食って掛かった。
(サルムザーク)
「それではメイサ・レフト4の帝国軍戦車部隊は一体どうしろと!?幾らメイサ渓谷の両崖に阻害され、全面衝突の恐れが無いとは言え、上空支援も無いままに戦力比1:10の戦線を維持できると思うのですか!?」
(ヘルモア)
「無論、三佐の守衛ポイントもかなり重要だ。しかし、帝国軍の主力部隊がメイサ・センターを、南進してくるという情報を掴むことに成功したのは、つい先程の事なのだよ。急な作戦変更は私も望むところではないのだが、これも流動的柔軟性を持って戦術を思考せねばならない司令部の苦悩を理解してくれたまえ。戦車部隊の護衛任務に着いていた貴行の部隊は、指揮権を放棄した上で、大至急そちらの支援へと向かわせた。加えて、リトバリエジから出立した後方防衛部隊を増援として急行させる。幸いなことに、帝国軍としても完全に囮部隊となる、メイサ・レフト4方面には、全く航空兵器を投入するつもりは無いらしく、制空権に関する心配事は不要だ。貴行には防衛部隊の到着まで戦線の維持に努めて欲しい。貴行の類稀なる能力に期待している。以上だ。」
プルプルと震える身体を、強く握り締めた右拳で中和させながら、じっと通信回線から流れ来る言葉を聞いていたサルムだったが、完全に言いたいことだけ言い放った後、全く反論を許すことなく一方的に回線を切断した「豚野郎」の態度に、目の前の指揮官机を思いっきり蹴り飛ばした。
メイサ・レフト4の帝国軍南進部隊は、囮部隊とは言え大戦車部隊である。
その総部隊数は恐らく150輌を超えていると見られ、幾らメイサ崖に挟まれた狭い渓谷内での戦闘とは言え、ネニファイン部隊の持つ兵力だけでは、絶対に太刀打ちできないほどの戦力差がそこにはあるのだ。
後方から駆けつける1小隊を合わせても、彼の戦力は残りDQが13機しか残されてはいない。
如何に後方支援部隊であるリプトンサムに攻撃を要請したところで、防衛部隊が到着するまでの間、この帝国軍の大部隊の侵攻を食い止める事など、誰の目から見ても不可能なことである。
しかも、完全に撤退を決め込むにしても、既に戦闘状態へと突入してしまったネニファイン部隊のメンバー達を、劣悪な通信状況下にある戦場から無事に撤退させる事は、そう容易な事では無い。
(サルムザーク)
「糞っ・・・!!あの肥満豚野郎が!!都合の良い詭弁を並べて、俺達を食い物にするつもりか!?それなりの扱いは覚悟していたが、まさかここまでとはな!!」
(カース)
「上層部は初めからこうなる事を承知の上で、我々を送り出したのですね。恐らく我々の情報をリークしたのも彼等でしょう。囮にかかったと思わせる必要がありますから・・・。」
作戦軍曹であるカースの、淡々とした現状分析が虚しく彼等の心を吹き抜ける。
元々ネニファイン部隊が降下直後に帝国軍の奇襲攻撃を受けた時点で、話の根底には矛盾した陰謀が顔を見せ始めていたのだ。
今回の「ディップ・メイサ・クロー作戦」において、トゥアム共和国軍が目指す作戦目標が、共和国領土内へと侵攻してくる帝国軍を撃退し、副都心リトバリエジを死守することには変わりない。
そして、南進してくる帝国軍主力部隊の動きに合わせて、いつでも作戦を切り替えられるよう、予め二通りのプランを立てていた事も事実だった。
勿論、ここまではネニファイン部隊にも知らされていた情報だ。
しかしここに、一つだけ隠された事実があったとするならば、彼等軍上層部の人間達には、元々「狭いディップ・メイサ渓谷内」で戦闘を行うつもりなど、全く無かったのである。
大規模な兵力戦闘においては、如何に自軍の兵力が強大であったとしても、その持てる火力を有効的に活用しなければ何の意味も成さない。
狭いメイサ渓谷内においては、どんなに大量の兵力を投入したところで、敵軍を射程内へと収める兵力の絶対的総数が制限されてしまうのだ。
そのため軍上層部はとりあえず帝国軍主力部隊を、メイサ渓谷終端に広がるシデーロス平原付近まで侵攻させ、その上で広く布陣した戦車部隊の砲撃を持って、順次狭い渓谷内から這い出してくる帝国軍を殲滅してしまおうと考えたのだ。
戦術的思考においては、賞賛に値する素晴らしき作戦であったのだが、それを実際に実行に移すためには、根本的な問題一つだけ残されていた。
それは、準備万端で強固に築き上げた共和国軍の陣形に対し、馬鹿正直にのこのこと姿を現すような間抜け面は、精錬された帝国軍の中に居るはずも無いと言う事である。
つまりは、帝国軍主力部隊をシデーロス平原まで悠々南進させるためには、それなりに花を開かせるための種蒔きが必要であり、この時、軍上層部が事前に取った行動とは、メイサ・レフト4を南進してくる帝国軍囮部隊を、帝国軍主力部隊であると「誤認」する事であった。
そして、囮へと食いついた共和国軍を嘲笑うかのように悠々と南進してきた帝国軍主力部隊を、後戻りが出来なくなる位置までおびき寄せた時点で、これを殲滅するための陣形を形作ればよい。
勿論、これには、それ相応の演技力も必要となり、メイサ・レフト4を防衛主目標と表向きに定めた以上、囮にかかったと思わせる「何か」が必要だったのだ。
そして迷惑なことに、その「何か」に選定されてしまったのが、彼等ネニファイン部隊のメンバー達なのだ。
(サルムザーク)
「奴等の玩具になるために部隊を設立したつもりは無い!カース!即座にファントムを雲下まで降下させろ!チャンペルは複数サーチシステムを起動し、結果をメッシュリング表示が出来るよう設定を変更!リスキーマは全ての通信回線をフリーにして各小隊との連絡網を構築しろ!急げ!」
(カース)
「三佐!この輸送機で雲下に降下するのは危険すぎます!!当機は敵対空砲火に耐えうる運動性能も装甲も持ち合わせていません!!」
怒りに打ち震えながら搾り出したその指揮官の怒声を、慌てた様子でカースが静止する。
本来であれば、彼女の方が周囲に怒鳴り散らしたい気持ちもあったのだが、既に自分の指揮官が猛り狂ったような怒気を放っていたため、彼の参謀である彼女の立場としては、冷静にこの若者の暴走を食い止めねばならなかったのだ。
しかしこの時、猛烈に燃え上がる炎を宿したままに、カースへと視線をぶつけたサルムは、自らの感情を押し殺すように静かに語り始めた。
(サルムザーク)
「カース。お前には、死地に捨て置かれた部下達を、何の手を打つことも無く見捨てることが出来るのか?作戦を指揮するものとして、部隊を統率するものとして、やれるべきことをやらないのは無能なる証だ。確かに、お互い生死を賭して戦う以上、部下達を見捨てるような判断を迫られる時もあるかもしれない。だが、見捨てられる立場の人間の思いも、これで解っただろう?」
(カース)
「それは・・・。」
先ほど部隊全メンバーに対し「自分自身の為に戦え」などと鼓舞して見せた人物とは、到底思えないような彼の話し振りである。
勿論、彼女自身、2週間もの間に付きっ切りで指導してきた部下達を、このような卑劣な作戦の上にむざむざと殉職させてしまうつもりもない。
彼女は一度、真っ直ぐに自分を直視する若者から視線を外すと、大きな溜め息を一つはき捨てながら思い出すのである。
ネニファイン部隊の名前の由来を。
そして、徐にグッと握り締めた拳を高々と振りかざし、司令室全体に響き渡る透き通った声で、了解を意味する指令を高らかに発した。
(カース)
「メリアドールは現状のまま上空で待機!!ファントムはこれより雲下に降下する!!各員作業急げ!!」
持ち上げた彼女の顔に迷いはない。そしてその声にも全く淀みは無かった。