04-04:○ディップ・メイサ・クロー[3]
第四話:「涙の理由+」
section4「ディップ・メイサ・クロー」
セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国トポリ領東部に開ける大渓谷群「ディップ・メイサ」。
それは遥か昔にムルア岬方面へと流れていた特級河川「スーノースーシ川」を、中流より何回かに分けて「スタルアントリオン」方面へと捻じ曲げる過程で出来た、いわば人為的創造物である。
当時、シュツルシルト一帯を支配していたムルアート王国が、国家の一大プロジェクトとして実施したその転流工事は、驚異的な水量を誇るこの大河をうまくコントロールすることが出来ず、大規模な洪水を引き起こしてしまったのだ。
逃げ場を失ったその大量の水達は、荒れ果てた「ディップ大地」を激しく侵食し、カルッツァ地方へとたどり着いた頃には、大量の土砂を含んだ「陸の津波」となって、沿岸地域一帯に壊滅的打撃を与える悲劇を生み出してしまった。
現在ではトゥアム共和国リトバリエジ近郊を基点として二股に分かれ、ムルア岬とスタルアントリオン東部へと静かに流れ着く特級河川となっているものの、その間に挟まれたディップ大地には、今でもその水流が辿って出来た大きな傷跡が残され、巨大な爪で大地を引っ掻いたような地形から、「ディップ・メイサ・クロー」と呼ばれるようになったのだ。
このディップ・メイサは、元々保水力に乏しい地質上、草木の根付き辛い大地であり、赤茶色に日焼けした荒野が広がるイメージが強いかもしれないが、20年ほど前に実施された「グリーンクラッド作戦」により、今や大量の人工樹木達が鬱蒼と生い茂る、緑の大地へと姿を変貌させていた。
「未確認飛行物6機が頭上を通過。トゥアム共和国軍の空挺部隊と思われます。4:00方面からの弾幕依然切れません。」
(エムレ)
「総員戦闘レベル1種体勢を維持。突撃装甲戦車部隊はメイサ断崖の側面を進行しつつ、各々の対面する渓谷上部に意識を集中しろ。雲下は我々の対空射程に収まる距離だ。敵戦闘機の急降下攻撃に注意しつつ、慎重に行軍を続けろ。」
「少佐!左右前方メイサ上に降下する敵影確認。対空射撃間に合いません!」
ディップ・メイサ渓谷内を四列で行進する大戦車部隊の後方で、大型トレーラーのコンテナ部分に設置された移動式司令室内で、腕組みをしたまま座る小柄な男が、何やら考え込むように難しい表情を浮かべていた。
彼が今回の帝国軍南進作戦で先陣を切る戦車部隊の指揮官「エムレ・コラーデ少佐」である。
彼は元々身分の位が低い家柄の出身者であったが、帝国軍に一兵卒で入隊してから今日までの約20年間、常に周辺地域で勃発する戦場に身を投じることで、多大な功績を挙げてきた有能な人物だ。
小柄な体つきに似合わない大きな地声と、はっきりとした意思表示。
捻じ曲がった考え方を非常に嫌い、意見が合わない時は、例え相手が軍高官達だったとしても、怯むことなく立ち向かう気概を有している。
彼にはそれほど大きな戦闘を経験してきた経緯があるわけではないのだが、それでも参加した戦闘では常に先発隊に名を連ね、帝国軍内部でも非常に重宝がられる存在まで上り詰めた人物だ。
そんな帝国軍きっての「切り込み隊長」が、耳の上へと挟んでおいたペンを勢いよく弾き取ると、ペン先を横に座る部下に差し向けて質問を投げかけた。
(エムレ)
「アンダーソン軍曹。敵はかかったと思うかね。」
(アンダーソン)
「そうですね。我々南進部隊を迎え撃つには格好のエリアですが、それにしては敵の対抗勢力数が少なすぎます。迂闊にそれとは判断しない方がよろしいでしょう。もう少し様子を見られてはいかがですか?」
何気無い返答の文中に、複雑な思いの内を多数に織り込ませ、冷静に戦況を分析して見せたこの男は、エムレの部下たる作戦参謀であり、名前を「アンダーソン・フェレクス」という。
面長の顔に濃い髭を携え、ぐりぐりの天然パーマが特徴のこの中年男性は、豪胆にも感情を表に吐き散らす上官とは真逆の性格をしており、気品すら感じられるその落ち着きぶりから、逆に彼のほうが上官なのではないかと疑わせるほどの風格を持ち合わせていた。
(アンダーソン)
「メイサ上右翼に展開した共和国軍のDQ隊はサフラン大尉に一任し、我々は一気に戦線を突破してみせる空気を匂わせた方が良いでしょう。左翼側は谷底との高低差もありますし、このまま進めば谷幅が開けます。しばらく放置しても何ら問題は無いと考えます。」
(エムレ)
「ふむ。」
遥か南方から投じられた中距離支援煙幕弾が、ゆっくりと前進する戦車部隊の前面一帯に真っ白な白煙を吹き上げる中、その煙に紛れて降下してきたトゥアム共和国軍のDQ部隊は全部で12機。
大量の戦車部隊を要した帝国軍南進部隊にとって見れば大いに役不足な感は否めないが、それでもエムレは慎重に部隊を展開することを決断するのだ。
(エムレ)
「輸送車両は一時後退し、グアル部隊を降車させろ。広域エリア突入はグアル部隊に先陣を切らせる。突撃戦車部隊は早急に砲撃ラインを形成し、グアル部隊の突入を支援しろ。」
ディップ・メイサ渓谷の最左翼であるメイサ・レフト4を南進する戦車部隊の構成は、上空からざっと確認しただけでも200輌近い車両で構成されている。
メイサ崖付近をなぞるように進軍する突撃戦車が54輌。前面に横並びで展開する中重戦車が36輌。それに続く中距離砲撃装甲車両が18輌。中距離支援車両が42輌。地対空車両24輌。そして、後方に列を成す4台の大型トレーラーは、1台辺りDQ3機は搭載が可能であるであろうサイズを誇っており、少なく見積もっても10機前後のDQを保有しているであろうことが予想される。
狭いメイサ渓谷内を侵攻する部隊構成としては、少しやりすぎなぐらいの部隊構成ではあるのだが、それでもトゥアム共和国の都市まで一気に制圧してしまう事を目論んでいるのであれば、逆に少なすぎる感じも否めない。
そして、もっともその帝国軍南進部隊が不自然さを醸し出している点と言えば、彼等の周囲に航空部隊の存在が全く確認できないということであろう。
それは、セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国軍、トゥアム共和国軍双方の激しい鍔迫り合いが生み出した現象なのであろうが、未だ多くの者達がその事実の本質に気づくことは無かった。