02-20:●Royal Tomboy
少し長いですが、まとまりが無くなるので分割しませんでした。すみません・・・。
第二話:「Royal Tomboy」
section20「Royal Tomboy」
Royal Tomboyとは「おてんば姫」の意味で、帝国国内では一般的に「最後の皇帝」ソヴェールの一人娘「セファニティール・マロワ・ベフォンヌ」をの事を指す。
彼女はEC380年7月4日、当時の皇帝「ソヴェール・ランス・セルブ」と、「ディユリス・ランス・コンソート」の間に生まれた第一皇女である。
当時、帝国の皇帝が女性ということで、多くの皇子は望めないであろうという思いから、皇女が元気な姿で生まれた時には、帝国全土が大きな喜びと安堵に包まれた。
その後、ソヴェール帝が崩御するまで、新たな皇子には恵まれず、皇帝血系絶命者となる皇女だが、彼女自身はあまり「皇帝」という地位に、興味を示さ無かったようである。
紅いく細い綺麗な髪の毛に、くりくりした大きい目が神々しい皇女だが、一般生徒に混じり、元気良く学問や武道に励む彼女の姿は、とても「皇女」と言う身分を感じさせなかった。
そればかりか、男子生徒と「帝国セントアンヌ学校」を派手に駆け回り、悪戯ばかりする「おてんば娘」のイメージが強かったようだ。
当時の学校内では、帝国貴族の子供達がその有り余る権力を無為に行使すると言う社会問題が起きる中、皇女は帝国最強権力を用いることもなく、全く一般生徒と同じ立場で学校生活を送っていたことから、親しみある「Royal Tomboy」として、誰からも愛される存在となっていた。
そんな元気いっぱいの「皇女」ではあったが、皇室内での生活にはかなり不満を持っていたようで、度々皇居を一人で抜け出して姿を晦ましては、従事者達の手を相当に焼かせていた。
皇女の一番の親友である「ドリュ・ル・シーフォ」は、よく夕食時を狙って訪れる皇女を密かに匿っては、母親の手料理を一緒に食べたていたという。
料理であれば一流のシェフをそろえた皇室料理の方が、絶対に美味しいと解りきっているにもかかわらず、皇女が好んでシーフォの母親の手料理を食べたがったのには、やはり、家族皆で楽しく食事をしたからだったのだろうと思われる。
大陸全土を襲った大戦が終結してから、15年余りが経過したとはいえ、まだ完全なる平和には程遠かった当時、女帝ソヴェールと皇配殿下ディユリスは、毎日のように公務に追われる忙しいを日々を送っており、ほとんど皇居に居つく暇さえなかったのだ。
少子化問題に直面した皇室内において、兄弟姉妹という一番身近な他人に接する事もなく、且つ、両親と顔を会わせるにも時間の調整が必要とされる状況下で、皇女が「愛情」に餓えていたのだとしても、決しておかしな話ではない。
人と接することにより発生する「ストレスへの免疫力」を、著しく欠いた当時の帝国貴族の子供達が、学校および家庭内で暴力的、自己中心的に荒れ狂う事件が多発する中で、帝国の皇女だからとはいえ決して例外ではなく、当時の従事者達は皇女の心理状態に対して強い不安感を抱いていた。
女神とも称される女帝ソヴェールの娘でありながら、それが決して「悪魔」と成り得ない保証はどこにも無いからである。
実際問題として女帝ソヴェールは、親子のコミュニケーション不足を気にはしていたが、皇女の世話に関しては、目付役である腹心「ギュゲルト・ジェルバート」に、すべてを任せきりになっていた。
ギュゲルトは帝国将軍の位を授与された、当時最強と歌われた武人であり、皇帝専属自兵部隊「フランクナイツ」の、ほぼ半数を指揮下に収める厳格な人物だ。
彼は御守りとなる相手が例え皇帝の娘であったとしても、その厳格な気質を一切変えることなく、厳しく皇女の生活指導、教育指導を行っていた。
時に悪戯をしでかす茶目っ気は置いておくとして、皇女が誰からも愛される人物に育ったのも、彼の功績なくしてはありえなかったとまで言われている。
更に、そんな皇女を良く可愛がり、面倒を見てくれたのが、「叔母」に当たる「ラキシス・エマヌエル・プレッソス」である。
皇室を出てタクラマカン地方へと移り住んでいた彼女には、すでに「シングロード・エル・プリンシル」という一人の息子がおり、度々皇女が訪れては二人でよく悪さをしていたようだ。
皇女を取り巻く環境は、決して恵まれたものとは言い切れなかったのだが、それでも毎日が和やかで楽しく、平穏なものだったといえよう。
勿論、それは、女帝ソヴェールが急死するまでの話である。
EC391年5月15日の昼下がり。
その日、ようやく忙しい公務に一区切りを付け、久々に皇居に戻るための帰路へと着いた女帝ソヴェールは、「王都ルーアン」のど真ん中を突っ切る第一帝道を走る車の中で、突然激しい頭痛と吐き気に襲われた。
原因は全く不明。急遽、彼女は帝国大学病院へと緊急搬送されたのだが、ほとんど有効な治療も施せないまま、2時間後には帰らぬ人となってしまった。
この女帝ソヴェールの突然の急死により、帝国全土では「暗殺されたのではないか」という、疑念が飛び交ったのだが、彼女に帯同していたボディーガードは勿論、女帝の車列を見送っていた周囲の群衆も、全くそれらしい気配を見たものもはおらず、更にはこの女帝には死因に直結するような外傷は見受けられなかった。
それに、大気中に散布するようなガスであれば、必ず周囲に帯同する者全員に影響が出るであろうし、多くの人間達が彼女を見守る中にあって、彼女一人だけを殺すことなど、不可能なことだった。
そのため、この女帝の死は一般的に「急病死」として公表されることとなるのだが、彼女の死が、帝国全土に大きな失望と不安を与えたことは確かである。
そのころの女帝は、献身的に周辺諸国との戦火縮小や自国兵団の軍備縮小、自国内の身分格差の緩和、環境破壊問題への取り組みなど、国内外問わず、あらゆる問題に立ち向かった素晴らしき人物であった。
しかしその反面、行動はワンマン的で、時に彼女が設置した帝国最高評議会の決定をも無視して、独断的政治を行っていたようで、周囲の帝国貴族達の不満は爆発寸前だったようだ。
帝国史には記録されていないが、当時、帝国貴族最大勢力であったストラ派の貴族達は、彼女の死と共に「旧帝都シュトラセ・ゼニーロ」に軍備を集中させ、密かに王都ルーアンへの出兵準備を開始していたとも言われている。
そしてそれに対抗するロイロマール家もまた、密かに軍備の増強を図っていたようで、女帝という眩き威光で押さえつけられていた「箍」が外れ、帝国国内は一気に異常な緊張状態へと陥ってしまったのだ。
しかしこの時、強大でこそあれ、多派閥に解れていたストラ派の貴族達は、うまく意思を統一することが出来ず、内戦強硬派と保守派で対立。
逆にストラントーゼ家の内部抗争をも引き起こしかねない状況となってしまっていた。
この事態に危機感を募らせた当時の家主「オーギュスト・レブ・ストラントーゼ」は、ロイロマール家と関わりの深かった「ランバリア・ノ」を遣わし、帝国皇帝に恭順の意を示した上で、とある提案を持ちかけた。
それは、かなり古典的な手法を用いた和平手段だったのだが、非常に効果的なもので、ストラ派の人間にとっても、ロイロマール派に人間にとっても有益であり、且つ、今後の皇室や帝国国民の未来をも見据えた提案であった。
それは、皇配殿下ディユリスに、新たなる后を迎えるよう、一人の人物との婚姻を薦める提案だったのだ。
その相手となる人物とは「第9代皇帝アヌバース帝」の曾孫に当たる、「クロフティア・レブサーマル・トロ・ストラ」という、当時34歳の美しい女性。
彼女はストラ派の人間ではあったが、皇配殿下ディユリスとはルーアン帝国学校時代から、共に勉学に勤しんだ旧知の仲であり、聡明で人格的にも優れた人物と称されていた。
女帝の死から、すでに次なる皇帝候補は、皇女の「セファニティール」に決定はしていたのだが、この時まだ11歳であった皇女が成人するまでの間、その皇帝位に代理として皇配殿下ディユリスが戴冠を受けることが決まっていた。
皇室に対して激しい反発心を抱いていたストラ派の多くは、ロイロマール派の人間であるディユリスが、代理皇帝の位を戴冠することに対して、非常に強い危機感を抱いており、皇室内にストラ派の人間を置く事で、この暴走しかかった意識を緩和しようと言う狙いがあったのだろう。
一方、ロイロマール派としても、帝国全土を巻き込むような、内戦への突入は絶対に避けたい気持ちが強く、帝国最大勢力ストラ派と対話によって、穏便に事態を回避できるのであれば、それはむしろ望むところであった。
つまりは、帝国最大の権力を有する皇室に、ストラ派、ロイロマール派各々の要人を配することで、皇帝の地位を継ぐべきセファニティール皇女が、成人して皇帝の座につくまでの間、「お互いに協力し合おう」と言う事なのである。
ロイロマール派寄りだった皇室内のバランスを取り、更には反皇室派、反ロイロマール派の人間達の反発心を和らげ、そして軍事衝突直前にまで緊張したお互いの関係をも改善できるこの提案に、帝国全国民の未来を突然に背負わされた皇配殿下ディユリスには、首を横に振ることが出来なかったのだ。
この皇配殿下ディユリスと新皇后クロフティアの結婚式は、代理皇帝ディユリスの戴冠式と共に実施されたのだが、いまだ女帝が崩御してから3ヶ月程しか経過していなかったこともあり、盛大な式典などは一切行われず、書類だけの入籍処理に止める事となった。
しかし、この政治的婚姻に対して、激しく反発を見せたのが「セファニティール皇女」と、女帝ソヴェールを愛した帝国国民達である。
如何に政治的に逼迫した理由があったからとはいえ、女帝の死を悲しむどころか、新しい女性を見つけて結婚してしまうなど、人としてありえない行為として、帝国国民達から一斉に非難されたのだ。
特に皇女の方はと言うと、継母であるクロフティアとは相当に仲が悪く、公務を理由に取り繕ってももらえない代理皇帝ディユリスに反発し、とうとう皇居から逃げ出してしまったのだ。
この時、次期皇帝が皇居から逃げ出したとあって、その事実を簸た隠しにしたかった皇室は、フランクナイツを動員してまで、皇女の行方を捜索する騒動にまで発展したのだが、当時「ランス」の皇室称号を破棄して、「ナイテラーデ」の貴族称号を取得していた、「ラキシス・ラント・ナイト」に保護されている事が解ると、ようやく事態は沈静化するに至る。
しかし、代理皇帝ディユリスが自ら皇女の元を訪れることは無く、全く説得に応じない皇女は、頑なに皇居に戻ることを拒否したため、結局は半年間に渡ってナイテラーデ家の家に居つく事となってしまう。
しかしその後、突然に彼女の元へ「代理皇帝が倒れた」という報せが届くと、彼女はようやく皇居へと戻るのだ。
それまで、女帝ソヴェールの手腕によって、なんとか処理されてきた公務の山は、代理皇帝ディユリスの身一つではとても賄える物でもなく、彼は昼夜を問わず目まぐるしい公務に追われていたようで、倒れた原因も「過労」によるところが大きかった。
当時、すでに第一子を身籠っていた皇后クロフティアは、出産までの間、帝国大学病院に入院しており、ようやく家族としての二人きりの時間を過ごす事が嬉しかったのか、皇女はそれまでのおてんばぶりが嘘のように、献身的に父親の看病に当たったと言う。
しかし、そんな二人の時間も、そう長くは続かなかった。
EC393年4月17日朝方。突如として皇居周辺の動きが慌しくなる。
女帝ソヴェールの死から2年が経とうとしていたこの日、帝国国内を再び激震が駆け巡った。
代理皇帝ディユリスが朝食時に、突然苦しそうな表情と共に、大量の血を吐き出して倒れたと言うのだ。
この時、皇室側近「カシミヤ」に所属し、皇帝世話役だった「シュリティア・マローナ」は、部屋の中から聞こえてくる異常な呻き声に気がつくと、必死に助けを求める皇女の指示で、すぐさま緊急医師を招聘したのだが、全くその甲斐も無く、彼は間も無く帰らぬ人となってしまったのだ。
この突然の出来事に、周囲が騒然と慌しくなる中で、皇居周辺を警備に当たっていた兵士達は、即座に厳戒態勢を敷くと、皇居に出入りしていた者すべての身柄を確保する。
この時点で皇帝が何者かに暗殺されたのではないかと言う予測の元に、犯人となる容疑者に証拠を隠滅するための時間を与えないようにするためだ。
この事件に関して、真っ先に疑いをかけられたのは、当時、代理皇帝ディユリスの一番身近で世話をしていた、第一通報者の「シュリティア・マローナ」であったが、その他にも、当日の調理担当者から、食材運搬業者、周辺警備担当者に至るまで、事件当日前後に関係したすべて人間が容疑者として身柄を確保されることとなる。
そしてそれは勿論、代理皇帝ディユリスが死亡した時に、部屋の中にいたセファニティール皇女も例外ではなかった。
それまで皇室は、完全なる聖域として選ばれた者以外の立ち入りは、厳しく制限されていたのだが、その当日中に代理皇帝ディユリスの死因が、毒殺によるものであると解ると、犯行の痕跡を調査する専門員達の手によって、徹底的に調べ上げられることとなった。
犯行当日は朝から皇居周辺に、100人近い警備員が待機していたため、恐らくは内部の者による犯行であることが予想されていたが、夜通し行われた調査の結果で、驚くべき事実が浮かび上がることとなる。
代理皇帝ディユリスの体内から検出された毒物と同じ反応が、皇女の部屋のクローゼットの中に隠してあった小さな容器から検出されたのだ。
この事実に関して、全くの無関係を強調した皇女だったが、事件当日、代理皇帝ディユリスの部屋に朝食を持ち込んだのが皇女自身であった上に、彼女の自室から犯行を決定付ける物的証拠が発見されたのである。
彼女が幾らそれを否定して見せたところで、簡単に容疑者としての疑いを晴らすことは出来なかった。
そもそも、皇居内に人が立ち入る時には、周辺警備員による厳しい身体検査と持ち物検査が実施されており、このような危険物を持ち込むことは、ほとんど不可能なことだ。
そう、それは、全くの身辺調査も無いままに、皇居を抜け出すことが出来た皇女以外には・・・。
そして、事件の真相を暴くべく急遽設立された調査審議会には、事件前々日の夜に、皇女と代理皇帝ディユリスとの間で、激しい口論があったという証言が数多く寄せられ、更には、重要参考人である「シュリティア・マローナ」が出廷した際に、事件前日に、皇居から抜け出して戻ってきた皇女が、クローゼットの中から見つかった容器と同じような物を手にしていたと証言すると、皇女の「父親殺し」の容疑は、ほぼ決定的なものとなってしまった。
物的証拠、状況証拠、そして第三者による重要な証言と、皇女自身の自白以外については、すべて犯行を裏付けるだけの証拠が出揃い、その動機についても、女帝ソヴェール死後まもなくして、皇后クロフティアを迎えた代理皇帝ディユリスに対して、皇女が強い不満を抱いていたことから、父親を毒殺するに至ったのだと判断されたのだ。
そして、帝国国民が愛した女帝ソヴェールの娘、セファニティール皇女の「父親殺し事件」は、瞬く間に帝国全土へと知れ渡り、全帝国国民に強い驚きと深い失望感を与えてしまうこととなる。
それまで次期皇帝候補として、全帝国国民から愛されてきた皇女だが、もし本当に「父親殺し」という大罪を犯したのであれば、そんな彼女に帝国の未来を任せることなど出来るわけも無く、さらに、たとえ前皇帝の娘だからとはいえ、事を穏便に済ますことも出来ない。
古来より、セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国においては、このような殺戮劇は今まで何度も繰り返されてきたことなのだが、その度に、その事件首謀者となった容疑者については、どのような理由があるにしろ、必ず極刑をもって処罰してきた経緯がある。
勿論、殺人という犯行自体、決して軽い処罰で済むはずも無いが、事に帝国の未来と国民達の平和を担うべく重要な人物を、己の欲望をに任せて殺してしまうことなど、絶対に許してはいけない行為なのだ。
しかし、この事件が公になってから、皇女に対する信頼と期待は、完全に崩れ去るかに見えたのだが、中にはまだ皇女を支持するものや、事件の真相を暴くために、必死になって捜査を続けた人達もいたと言う。
勿論、前皇帝の娘であり、次期皇帝候補である皇女を、簡単に処刑することなど出来るはずも無く、この後も事件の捜査は、しばらく続行される事となるのだが、新たに真相を解決するための糸口が発見されることも無く、3ヶ月余りが経過した。
皇女はその間、皇居の狭い一室に一人幽閉されることとなるのだが、悲しくも、ようやく迎えた13回目の誕生日と共に、処刑が決定したという報せが皇女の元へと届けられた。
この時、皇女は必死に自分の無実を主張したのだが、もはや彼女を救ってやる手立ては全く無かったのである。
そして、さらに、事件はこれだけに収まらなかった。
ナイテラーデ家の家主ラキシスの長男である「シングロード・ラント・ナイト」が、王都ルーアンのルーアン帝国学校に向かう途中、何者かに暗殺されたのだ。
未だその事件の全貌は明らかになっていないが、恐らくは彼を持ち上げたい狂信者達と、それを阻止しようとする反抗勢力とのトラブルに、巻き込まれたのではないかという説が有力だ。
彼は母親であるラキシスと共に、すでに皇室たるランスの称号を破棄してはいたのだが、前皇帝血筋に一番近い男系男子として、それを持ち上げようという輩が存在していたことは確かだ。
これに対し、母親であるラキシスは深い悲しみの意を示すと共に、これ以上の事態の悪化を避けるため、異例とも言える皇室との完全決別を宣言した。
こうなることを予測して、早々に捨て去ったはずのランスの称号だが、それは皇女の処刑という「皇室の断末魔」によって、脆くも崩れ去ってしまったのだ。
そして、皇女の処刑が決定してから2ヵ月余りが経過したEC393年9月10日。
刑の執行日すらも公にしないままに、ひっそりと皇女は処刑された。
何故この日に執行したのか。何故突然に執行しなければならなかったのか。何故公に公表しなかったのか。
当時、この皇女の処刑を断行した者達には、周囲から強い非難が浴びせかけられたが、幽閉された皇女を無理やり解放しようと企てる集団達の動きが活発化し、これ以上、刑の執行を延長できないためだと言う説明がなされた。
皇女の処刑については、その後も激しい論議が巻き起こり、帝国各地で暴動が発生するなどの事態を招きはしたが、周辺地域の警備体制を厳しく敷いた各貴族達の働きもあり、それほど大きな騒ぎには発展しなかった。
おてんば姫として人々に愛された「セファニティール・マロワ・ベフォンヌ」。
セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国「最後の皇帝」の血を受け継いだ皇女は、親しいものに見送られることも無く、最後の言葉を聞き入れてもらうことも出来ずに、悲しい13年の生涯に幕を閉じたのだった。