02-11:○大海を知らぬ猿達[6]@
※挿入絵は過去に描いた古い絵を使用しています。小説内容と若干細部が異なります。
第二話:「Royal Tomboy」
section11「大海を知らぬ猿達」
ようやく静けさを取り戻したその部屋は、ほんの少し前まで、何の変哲も無い宿泊施設の一室だったはずだ。
しかし、無数の銃痕と血糊によって彩られたその一室には、割られた窓ガラスの破片や、破壊されたソファー、テーブルが散乱し、更には人間の死体が4体も無造作に転がっている。
今や危険な拷問部屋のような様相を呈しているこの密室内にあって、人はいつもの平静さを保っていられるのであろうか。
それまで床に伏せるようにして、嵐が過ぎ行く様を目の当たりにしてきたシルが、ゆっくりと上体を起こしながら、この傍若無人な二人の男女を睨め付けた。
確かに、己の身へと降りかかる差し迫った危険は、一時的には取り除かれた訳なのだが、それでも彼は決して厳しい表情を崩そうとはしない。
いや、出来ないと言った方が良いのだろう。
ゆっくりとチームユニフォームの内ポケットから、タバコとジッポを取り出して、まるで一仕事終えた後の一服を嗜むように、銜えたタバコに火をつける男。
そして、不敵な笑みを浮かべたまま、チームTomboyの3人を順番に見つめる残忍な女。
彼等は一体、敵なのだろうか、味方なのだろうか。
(カルティナ)
「そんな怖い顔で睨まないでよ。助けてあげたでしょう。」
(シルジーク)
「けっ!!人売りが売り物を助けるなんて、一体、どう言う風の吹き回しだ?反吐が出るぜ。ブッ!!」
元々の騒動の発端でありながらにして、図々しくも恩着せがましく言い放ったカルティナに対して、シルは思いっきり嫌みったらしく足元に唾を吐き捨てる。
そう、彼等チームTomboyにしてみれば、どういう経緯があったにせよ、この二人は自分達をこんな目に合わせた張本人であり、脅威の元凶となる存在。
彼がそんな二人に対して、いかに助けてくれたのだとしても、おいそれと気を許すはずもない。
(ユァンラオ)
「ふ・・・。なに。少し興味があっただけだ。理由はそれだけで十分だろ。」
シルの問いに素っ気無くそう返事を返したユァンラオだが、無残に転がる軍人達の死体の前に、へたり込んで呆けるセニフの姿を凝視すると、彼の瞳の奥にえもいわれぬ好奇心という炎が宿り始めた。
(カルティナ)
「うふふ。貴方達も、とんだ爆弾を背負い込んだものね。まだ、どのぐらいの大きさか解らないけど、私の予想としては、かなり楽しめるんじゃないかしら。」
(シルジーク)
「何のことだよ。」
(カルティナ)
「ほらほら。アレよ。ア〜レ。」
そう言うとカルティナは、何か楽しそうに部屋の隅っこで蹲る、一人の少女を指差して見せた。
どこを見るでもなく。何を思うでもなく。
ただ、ぐったりとした様子で俯いたままに。
カルティナの促しにより集中した、シルの視線。アリミアの視線。カルティナの視線。ユァンラオの視線。
それらすべてに対して、まったく反応を見せない彼女は、ただひたすらに、目の前を流れる真っ赤な液体を見つめ続けていた。
未だ心の奥底から突き上げる黒い影に苛まれながら、彼女はその小さな身体を小刻みに震えさせて、拭いきれない恐怖感に必死に絶えているようだ。
「Tomboy」と言う甘い檻の中で、必死に隠しつづけてきた自分。
そして、すべてを捨て去りつつも、新しい自分という光を、集う仲間達と築いて行きたいと願っていた。
か弱い一人の少女として。小うるさくとも元気な少女として。
何気ない普段の楽しい生活に、頭までドップリつかりながら、自分の血液がすべて蒸発してしまうまでのぼせたい。
そう願っていたのに・・・。そう願っていたいのに・・・。
(ユァンラオ)
「貴様の正体を暴いてやる。もうすぐな。」
しばし部屋の中を包み込んだ静寂さを、ユァンラオが破り捨てると、彼の言葉に反応するかのように、セニフがゆっくりと頭を擡げて、虚ろな表情のまま見下ろす男に視線を宛がった。
傲慢で、ふてぶてしいまでの態度に、人を見下したような薄ら笑い。
そして、まったく人の気持ちなど意にも介さず、自分の望んだ欲望のみを追求する最低な人間。
こんな男に・・・。こんな男のために・・・。
次第に悔しさにも似た、怒りのような感情がセニフの瞳に浮かび上がると、睨みつける彼女の眼光が鋭くユァンラオの敵意に突き刺さる。
(アリミア)
「これ以上・・・貴方達の好きにはさせないわ。」
(ユァンラオ)
「ふ・・・。ふっふっふ。もう遅い。もはや貴様等猿ごときが、いくらあがいたところで、どうすることも出来ないんだよ。」
まったく彼の真意を理解するには、言葉足らずな発言であるが、不敵な彼の笑い声が妙に不気味さを醸し出している。
もしかして・・・。こいつ・・・。
(カルティナ)
「じゃぁね。今回は特別に教えてあげる。今回の依頼主の名前までは言えないんだけど、私達が情報を提供したら、こいつ等が真っ先に動きを見せたわけ。だからその事実を帝国5大貴族それぞれに開示してあげたわ。うっふふ・・・。まさか動きだしたのがロイロマール家だけなんて、あるはずないわよね。」
アリミアの前にしゃがみ込み、カルティナが優しい口調でそう説明を加えるのだが、たったこれだけの説明で、そのすべてを理解しろという方が難しい。
しかし、未だ疑念の残る思いを隠せないアリミアとシルを他所に、ユァンラオを見上げるセニフだけは、少し様子が違うようだった。
震える両肩は恐怖に脅えているからではない。
潤んだ瞳は悲しみや嬉しさから来るものではない。
普段ではありえないような怒りを、小さな身体全体で体現して、セニフは突然、ユァンラオの胸座を鷲づかみにすると、大声で彼を怒鳴りつけた。
(セニフ)
「貴様ぁぁ!!自分でした事がどういう事か解ってんのか!!貴様らの勝手で・・・!??」
しかし、怒りを込めて放ったセニフの言葉は、彼の心に響き渡ることもなく、唐突に放たれたユァンラオの拳によって簡単に閉ざされてしまう。
思いっきり顔面を殴りつけられてしまったセニフは、まるで蝶が舞うがごとく後ろに吹っ飛ばされると、硬い床に背中から打ち付けられ、胸の奥から沸き起こる喘ぎに咽び込んだ。
(セニフ)
「・・・!・・・うっ!あうっ・・・。」
(シルジーク)
「セニフ!おい!大丈夫か!?」
心配そうにセニフの元へと駆け寄り、彼女を気遣うシルだったが、苦痛に歪む彼女の目元から、ポロポロと涙が零れ始めた事に気が付くと、差し出した彼の右手が一瞬静止した。
殴られた左頬に手を宛がいながら、ひたすらに止まらぬ涙を服の袖で拭う彼女は、必死に何かをかみ締めるように、悔しそうな表情で泣き始めたのだ。
それは勿論、痛みからくるものではないのだろう。
ピーピーピー。
と、その時、ユァンラオのポケットの中から、小さなシグナル音が鳴り響いた。
それは、何かの呼び出し音なのであろうか、そのシグナル音に即座に反応を見せたユァンラオは、嫌な笑みを浮かべたまま、カルティナにディスクのようなものを一つ手渡す。
そして、少し急いだ様子で部屋の玄関の方へと歩き出した。
(ユァンラオ)
「カルティナ。依頼人からの謝礼だそうだ。暗号解読は任せる。」
(カルティナ)
「OK。任せて。ユァンラオ。昨日の埋め合わせは、また今度ね。忘れないでよ。」
そう言って、笑顔でにっこりユァンラオを送り出す彼女を尻目に、無愛想にユァンラオがその部屋を後にする。
そして、最後の捨て台詞はこれだ。
(ユァンラオ)
「たかが蟻一匹相手に、一体何頭の像が慌てふためくのか。ふっふっふっふ・・・。」
穏やかに装ってはいるが、心の中には激しく燃え盛る暗黒の炎が宿る。
それは、大きく流れる大河の関へと手をかけて、突然にその流れを乱すことに成功した自分に酔いしれているのか、それとも、流れに飲み込まれて慌てふためく人々を想像し、ほくそえんでいるのかは解らないが、彼の顔から、不気味な笑みが消えることはなかった。
やがて、鍵が付けっぱなしだった軽トラックの運転席に乗り込んだユァンラオは、即座にエンジンを始動させると、前輪が空転するほどの勢いでこのトラックを駆り出す。
そして、あたり一面に焦げ臭いゴムの擦れた様な匂いを撒き散らし、騒動を巻き起こした張本人は姿を消してしまった。
彼は一体、何を慌ててこの場を立ち去ったのだろう。
彼が本当にしたかったこととは一体・・・。
考えれば考えるほどに、いや、おそらくは部外者たる自分には、決して考えてもその答えを見つけることは出来ないのであろう。
再び訪れた静かな空気に、部屋中に広がる惨劇を眺めて溜め息を付いたシルが、泣き伏せるセニフの肩に、そっと上着をかけてやる。
セニフ・ソンロ。16歳。
破天荒で明るく無邪気な小柄な少女。
煩くて、馬鹿で、後先を考えない面倒な少女。
まったくその事実に疑いはない。
しかし、目の前に晒された本当の事実とは。
彼女は一体、何者なのだろうか。
それまで、お互いが望んで知ろうとしなかった過去。
知らないことで作り上げてきた「楽しき楽園」。
それが今、彼の心の中で静かに崩れ始めた事に気が付いた。
(セニフ)
「・・・。っく!・・・他に。・・・誰か来てるの!?・・・知ってたら教えて!教えてよ!!」
未だ殴られた時のダメージが残るのか、ガクガクと覚束ない足を踏ん張って、立ち上がろうとするセニフが、カルティナに問いかけた。
(カルティナ)
「さぁ〜ね。さっきの音は大会本部からの呼び出し音だったみたいだし、違うかもしれないけど、あの人の素振りから、かなり緊急性は高いと思うわよ。私より貴方の方が色々知っているんじゃなくて?もしかしたら、貴方が想像している通りかも知れないわねぇ。」
はぐらかす様に返答を返すカルティナだが、明らかにセニフの感情を煽り立てるような言い草。
彼女がすべての事実を把握している訳では無さそうだが、それでも涙を拭い去り、何かを決心したような表情で立ち上がったセニフにとっては、その言葉だけで十分だった。
(セニフ)
「・・・行かなきゃ。私、行かなきゃ・・・。」
(シルジーク)
「おい。無茶するなよセニフ。まだ座ってろ。」
そう優しく語りかけるシルが、セニフの右手を掴んで引き止める。
シル自身、彼女がどこへと行こうとしているのか、まったく見当も付かなかったのだが、それでも何か、彼女の醸し出す雰囲気が、彼の右手を動かしたのかもしれない。
しかし、ゆっくりとシルの方へと振り返った彼女は、物寂しそうな瞳で彼を少し見つめると、彼に聞こえない程の小さな声で呟いた。
(セニフ)
「・・・・・・さよなら・・・。」
(シルジーク)
「えっ・・・?」
(アリミア)
「だめよセニフ!!行ってはだめ!!」
名残惜しそうにも、掴まれたその手を振り解き。
一目散で部屋を飛び出して行くセニフ。
何て言ったんだ?セニフ?何て・・・?
待てよ!どこ行こうって言うんだよ!待て・・・!
その手に残された彼女の温もりに惹かれるように、セニフの後を追いかけようとするシル。
しかし、そうなると、負傷したアリミアを一人、この部屋に置き去りにしてしまうことに彼は気が付いた。
(アリミア)
「シル!!早くあの子を追いかけなさい!!何しているの!?早く!!」
(シルジーク)
「・・・って言ったって、アリミア・・・。」
(カルティナ)
「あんっ。彼女のことなら私に任せておいて。別に悪いようにはしないわ。信用して。」
妖艶な笑みをシルに投げかけつつ、人差し指を軽く齧りながら、ふざけた様な口調で話すカルティナの、一体どこを信用しろと言うのだろうか。
こんな怪しげな女の残る部屋に、アリミアを一人残していくことなんて出来やしない。
そう躊躇っていたシルに、アリミアが苦しそうな表情のまま訴えかけた。
(アリミア)
「シル。私は大丈夫だから・・・。お願い。行ってあげて・・・。」
彼女の負傷した右肩から流れ出る血は、それほど多くないとはいえ、かなりの激痛が伴うのか、彼女の表情はとても苦しそうである。
しかし、そんな激痛に耐えながらも、必死でセニフの安否を気遣っている。
シルにはもはや、そんなアリミアの思いを無視することが出来なかった。
シルは、チラリとアリミアに視線を向けると、うなずく彼女に従って、全速力でセニフの後を追い始めた。