02-03:○ブリリアントな朝の珈琲[1]
第二話:「Royal Tomboy」
section03「ブリリアントな朝の珈琲」
大きな青空。白い雲。真っ青に生い茂る草原。
そよ風は優しく、暖かい。柔らかい膝枕。
暖かいしなやかな手に髪を撫でられながら、落ち着いた気持ちが、うとうとと暗闇に落ちて行く。
うっすらと瞼を開くと、燦々(さんさん)と光り輝く太陽が目の前の世界すべてを照り付けているようだ。
眩しい・・・。
自分を覆いつくした真っ白な世界に、意識のすべてがかき消され、まるで天の国で昼寝をしているような心地良さえ感じる。
ゆっくりと眼を細め、辺りを見渡すと、うっすらと黒い十字架のペンダントが、ゆらゆらと揺れているのが解った。
ペンダント?ああ、お母様の物だ。
優しい匂い・・・。懐かしいな・・・。
スッと眼を閉じ、再び暖かなそよ風に浸りながら、心に染み出す安堵感に包まれる。
暖かい・・・。
時間が止まったかのような、緩やかな時の流れの中。
完全に自分だけの世界感を望みながら、彼女が深い眠りの淵へと誘われた時だった。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。ゴーン。
どこからともなく響き渡る低い鐘の音。
あれ?あんな時計台あったな?
いつのまにか傾きはじめた太陽の光は弱り、それまで神秘的だった白い造形物が、次第に大きな影を形成していく。
まだ眠い眼をこすりながらも目を凝らすと、広く延々と続く草原の中にひっそりと聳え立つ白石の時計台が見えた。
その最上部中央にある円形の時計は、何故か少し歪んでいるようにも思えたが、確実に時を刻んでいる様子が見て取れる。
あれ・・・?お母様は?
不思議と流れくる冷たい空気の渦へと包み込まれると、それまで自分の直ぐ傍にあった筈の、優しい人の気配を見失ってしまった。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
時は突然に加速する。
忙しなく震える分針が、ものすごい速度で左回りに動き出し、再び歪んだ鐘の音を打ち鳴らした。
お母様!?
必死になって叫んでは見るものの、ヒタヒタと草原が終わる地平線の向こうから、真っ黒な暗闇が迫ってくる。
怖い・・・。誰か・・・。誰か助けて!
何時しかその時計台の周囲に屯す人だかり。
行き交う人すべてが真っ黒で、まったくピクリとも動くことが出来ないようだった。
隣の人と会話をするもの。冷ややかな冷笑を浮かべるもの。周囲を怒鳴り散らすもの。そして、悲しみに泣き崩れるもの。
中には手を差し伸べるものもいるようだったが、必死の思いですがったその手は、虚しくも自分の手をすり抜ける様に消え去ってしまった。
そしてまた、嘲笑うかのように鐘の音が打ち鳴らされると、唐突に黒い人影までもが、ガラスのように朽ち果てていく。
ゴーン。ゴーン。
たった一人。暗がりに映し出される、小さな世界に佇んだまま、ただ絶望感に苛まれた心だけが痛む。
消えていく・・・。
萎み行く小さな世界すら、打ち寄せる暗闇の波に飲まれ始めると、次第にその足へと取り付いた闇の魔の手が、体を徐々に侵食していく。
心までもが冷たい・・・。とても冷たいのに・・・。焼き裂かれるように熱い・・・。
ゴーン。
そして、もはや何も見えなく、何も感じない闇へと突き落とす、最後の鐘の音が鳴り響いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
熱い・・・。熱い・・・。ゾクゾクと寒気を訴える背中から、首元にかけてを電流を流し込まれたかのように弾む体が激しい吐息を奏でる。
全身汗びっしょりで、疲れきったような脱力感がとても気持ち悪い。
夢・・・?か・・・。
(アリミア)
「大丈夫?セニフ。また魘されていたみたいね。」
アリミアが心配そうな表情でセニフに語りかける。
そして、ゆっくりとベットの側まで歩み寄ると、右手に持った珈琲カップをセニフに差し出した。
寝ぼけていた眼をこすり、周囲を見渡すセニフ。
あ・・・。と、何故か頬を撫でるように流れ出す涙に気がついた。
ポタポタと毛布の上に涙の雫が滴り落ちると、部屋の窓から差し込む日差しに反射して、きらきらと光り輝いていた。
(セニフ)
「ん・・・。大丈夫・・・。うん。大丈夫だよ。」
セニフは軽く深呼吸をすると、毛布からのそのそと抜け出し、少し固めのベットに座ったまま、アリミアから珈琲カップを受け取る。
そして、沸き立つ湯気の気配を気にしつつも、ちびりと少しだけ口をつけた。
彼女達はいま、ニュートラルエリアの繁華街から、少し離れた簡易ホテルに宿泊していた。
ホテルといっても一軒家の狭い簡易住宅街であり、部屋に陳列されている家具たちも、どうやら安物のようだ。
昨晩宿を取ることも忘れ、女性達3人で夜遅くまで飲み明かしたため、きちんとしたホテルを取ることも出来ず、過去に兵士達の寮として使用されていた、粗悪な部屋を借りる羽目になってしまったのだ。
(セニフ)
「あれ?ジャネットは?」
(アリミア)
「忘れたの?今日は夕方からでしょ。ラプセルのシステム立ち上げのためにガレージに行ったわ。貴方もパングラードの立ち上げあるんでしょ。早く着替えなさい。」
セニフは「ふぅん」というような顔をした後、ベットの脇にあるサイドボックスに珈琲を置くと、再びベットの上に大の字で寝転がった。
殺伐とした天井には何もない。
単に汚らしい染みがだけが、無意味な抽象画を映し出し、セニフはその染みに何かを擬えて、ふと、何かを考え込んでいるようだった。
サイドボックスに置き放たれた珈琲からは、白い湯煙がふわふわと立ち上るだけで、少し温度が熱かったせいもあるのか、セニフは珈琲に手をつける様子はなかった。
(セニフ)
「なぁに?なんか私の顔に付いてんの?」
アリミアは返事もせず、寝室のキッチンとの敷居の上に突っ立ったまま、何かを観察するようにセニフをじっと見つめる。
そして、開けっ放しだった玄関の扉の方を、チラリと気にする素振りを見せた後、セニフの側まで歩み寄り、すっとベットに腰を降ろした。
(アリミア)
「この頃多いんじゃない?吐いてしまいなさいよ。」
セニフが放り出した可愛そうな珈琲カップを手に取りながら、器に注がれた黒い珈琲を飲むでもなく、捨てるでもなく、ただじっとそれを見つめながら、アリミアはなんとなく、遠まわしな意図を、短い言葉を込めて発した。
(セニフ)
「吐くほど飲んでいないよ。」
と、アリミアの問いかけに対して、ありきたりな返事をして見せたセニフだが、実は彼女には、問いかけの意図が解っていた。
アリミアは普段から言動が厳しく、冷たい感じもすることはあるが、本当は優しく、常に周囲の人達に気を配る人物だ。
アリミアがセニフに対して聞きたい事とは、勿論、毎晩のように魘されるセニフを気遣っての事である。
しかし、セニフはすばやくベットから起きあがると、パンツ一丁の格好のまま鏡の前まで進み、平静さを装うように、ボサボサの寝癖をブラッシングし始める。
(アリミア)
「そうじゃなくて、自分を吐くの。」
視線を珈琲からセニフに変え、真面目な目線でセニフに問いかけるアリミア。
セニフが予想した通りのアリミアの言葉だったが、鏡越しにアリミアの表情を伺いながらも、ブラッシングの手を止める事はしなかった。
(アリミア)
「たまにはお酒じゃなくて、自分に酔ってみるのも大切よ。貴方の心の内に何があるのか解らないけど、一人で抱え込んだって、苦しいだけよ。人はいくつもの自分というカテゴリを持っているの。そして、それを他人に示し、自分って言う一人の人間にまとめてもらう。他人の瞳を通して自分を作るのよ。閉じた自分という狭い壁の中に閉じこもったままだと、本当の自分だって見えやしないわ。」
アリミアはゆっくりと優しく、セニフを諭す様に話し始めた。
決してアリミアが直接セニフの「真」に触れることはないのだが、それでも彼女には、今のセニフの状態を放って置くことが出来なかったのである。
セニフが眠っている間、苦しそうに魘されるようになったのは、何もつい最近の話ではないのだ。
(アリミア)
「セニフ。貴方の・・・。」
(セニフ)
「私はそんなに弱くないよ。アリミアにとって、私はそんなに頼りなくて、弱い人間に見えるの?」
セニフはブラッシングの手をピタリと止めると、アリミアの言葉をかき消すように強い口調を重ね、じっと鏡ごしにアリミアの表情を睨み付けるように凝視した。
普段から気性が激しく、喜び、悲しみ、怒り、色々な感情を表現するセニフだが、ここまで不快感を露にすることは滅多にない。
しかし、時折アリミアがこの話題に触れようとするや否や、決まってセニフは激しく口調を荒げるのだった。
だからこそ、セニフには、自分からは絶対に吐き出せない、深い闇に包まれた「何か」があるのだと、アリミアは気づいていたのだが、彼女も強くその思いを表現することが出来ないでいた。
(セニフ)
「覚えている?私達のたった一つだけの約束。」
戦乱の時代は当の昔に終わりを告げ、ようやく訪れた平和に世間が色めきだっている中にありながらも、戦争によって国を失い、両親を失った若者達が、そう簡単に普通の生活に戻れるはずもない。
(アリミア)
「勿論、覚えているわ・・・。私達見たいに、難民のように諸外国から流れ着いた食み出し者に、寛容であれ残酷な現代社会は、キャパシティを広げようともしないし、そして、帰る場所もない。そんな私達が居場所を作るのは簡単なことじゃないわ。」
アリミアの手には、未だに珈琲カップが握られている。
熱く熱く煮えたぎりながらも、目的を果たすために処理されること無く、単に作られた珈琲カップという檻の中に閉じ込められているだけ。
水の底へと沈み追いやった黒い思いを押し殺して、ただ怒りに満ちた湯気を上らせながら。
私と同じか・・・。
アリミアは、大きく溜め息をつくと、まだ熱いであろうその珈琲を一気に飲み干し、セニフの問いに対しての返答を返した。
(アリミア)
「過去、人種、身分、性別を一切問わず、且つ、一方的な干渉、詮索を禁ず。」
(セニフ)
「それを解ってて、尋問しているんだ。」
半場、呆れたような口調で言葉を投げつけたセニフではあるが、小さく息を吐き出して俯いた彼女には、アリミアの思いは伝わっていた。
そして、その思いに答えることが出来ない自分に腹が立ち、強い口調で相手を威嚇することで、自分の思いを押さえ込んでいるだけだということも、彼女は解っていた。
(アリミア)
「ごめんなさいセニフ。そんなつもりはなかったんだけど・・・。」
アリミアが、素直にセニフに謝った。
(セニフ)
「ううん・・・。ごめんアリミア・・・。」
そして、セニフもまた、アリミアに謝る。
セニフには、これしか返す言葉が見つからなかったのだ。
自分を苦しめる黒い思い。
それを解き放つことが出来たのなら、どんなに気持ちが楽なのだろうか。
しかし、それは決して、自分という檻の中から放つことの許されない思いであり、すべてを押し殺して、すべてを覆い隠して生きていくのだと、彼女はすでに心に誓っていたのだ。
(アリミア)
「時期が悪かっただけなのかしら?何か話しをしたくなったら、いつでも聞き手になってあげるわ。大したことはしてあげられないけどね。」
(セニフ)
「うん・・・。ありがと。でも、お酒抜きじゃなきゃ、やだよ。」
この言葉に、昨晩、酒に酔って作戦を台無しにしてしまった、アリミアは苦笑するしかなかった。