09-13:○不意の橋掛かる
第九話:「白き波紋と、黒き波紋と」
section13「不意の橋かかる」
セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国の「王都ルーアン」の程近くに有る中都市「テルアムント」は、比較的階級の低い貴族や身分の低い平民などが数多く住まい暮らし、王都ルーアンが歴史感溢れる高級都市として成り立つのを影からしっかと支える役割を担っている。
位置的には、「コンサット山脈」を支流として「ムルア海」へと流れ込む「メヌシア川」から、東方へと分流する「シネーブ川」との分岐点部に当たり、「王都ルーアン」「ラフロート都市」「ランズメアリー都市」「メヌシア都市」と言った、当地方における大都市群を繋ぐ中経路的立ち位置に存在していた事から、政府関係施設や軍関係施設などが数多く立ち並び、中々に近代的と言える仰々(ぎょうぎょう)しき形様を形作っていた。
尤も、真に近代的と呼べるのは街の中心部と、重要な軍事施設が存在する東方外端部の一部だけで、街の西方側に広がる住宅街、商業街一帯は、それなりの賑わいを伴って活気に満ち溢れていたものの、見るからにこじんまりとした古めかしい建物群が数多く軒を連ねていた。
古来より、奴隷市場が数多く存在する場所とされて来たこの街は、近代化の波が押し寄せるに連れ、徐々に徐々に悪しき風聞から逃れ行く次第へと移り変わりつつあったが、それでも尚、未だにそう言った黒々しき風潮から完全に手を切り離し切るまでには至らず、帝国の暗所たる部分を一手に担い賄う、怪しげな街として栄え華めいていたのだった。
勿論、だからと言って、そう言った類の極道畜生共ばかりが集い蔓延りのさばっていた訳では無く、普通に暮らす一般市民達や、至極真っ当な商いに勤しむ商人達が、数多く存在していた事は確かだが、王都ルーアンと言う格別上等高等なる場所を度外視して、高級貴族達や高級軍人達が一堂に会し集まるのは、非常に珍しい出来事であると言えた。
(エルポドス)
「カフカス砂漠前面に展開したトゥアム共和国軍の兵力配置は、極めて攻撃的な布陣を敷き始めつつありますな。北上を開始した敵遊撃部隊も、アルべカフカスに迫る勢いとの事だが。」
(パデ)
「北上中の遊撃部隊に関しては、カルッツァから出撃させた防衛部隊を持って、直ちに対処するよう手配を致す。貴行はトポリ要塞の防衛にのみ注力なされるがよかろう。」
(エルポドス)
「帝国軍切っての宿将たる貴殿に、北方の安全を保証して戴けるとは有り難い。貴殿の御心遣いに甘えて、私はトポリ要塞の防衛に専念する事にしよう。」
(トリストライアン)
「カフカス砂漠南端部の戦況については、どうなっている?」
(ゲイリーゲイツ)
「明らかに戦力を増強する傾向が見られますが、今の所、特に大きな動きはございません。ランズメアリー都市周辺部の防衛体制も万全ですし、差し当たり、懸念する様な事象は無いと考えます。」
(トリストライアン)
「ふむ。では、カフカス砂漠南端部の防衛任務は、引き続き貴行に任せるとしよう。」
(ゲイリーゲイツ)
「解りました。お任せください。」
(トリストライアン)
「では次に、対ビナギティア国戦線に関してだが、まず先にブランドル地方の情勢から聞かせてもらおうか?」
(フォーロ)
「はい。ブランドル地方におけるビナギティア国の戦力は、ほぼ一掃されました。現在、アマンダ川を遡ったダストギール渓谷付近に逃げ込んだ敵残党を追走中です。」
(トリストライアン)
「ほう。流石に仕事が早いな。ビナギティア艦隊の動きはどうなっている?」
(アムベルト)
「艦隊の8割がムルア海北方を東進したと言う情報を最後に消息を絶っています。」
(エルポドス)
「ふーむ。一体、何を考えているのやら・・・。」
(ウィンチェスター)
「どちらかと言えば、素直に南下して来て欲しい所でしたね。」
(トリストライアン)
「何。どちらに転んでも、我々の作戦基本方針に変わりはないよ。第7艦隊は当初の予定通り北上を開始させる。その他の作戦内容にも変更は無しだ。フォーロ将軍は、フィリプス攻略部隊の受け入れ体制を整えておくように。」
(フォーロ)
「解りました。」
そこは、軍事施設が数多く立ち並ぶ厳戒地区の真っ只中にある割と大きな建物の一室・・・、真っ白に彩られた飾り気の無い天井部に、何ら興味心を寄り付かせ得ぬ簡素な壁面に四方を囲まれた、非常に瑣末なる大会議室だった。
効率性のみを重視した味気ない蛍光灯によって照らし出されるその部屋の外観は、明らかに、人が集まり、話し合いをする事以外に何ら目的を有し持たない、単純明快なる虚空感に満ち溢れており、折り畳み式の機能的な会議テーブルとパイプ椅子以外は何も無い、恐ろしく質素控え目な様相に完全に支配されている様だった。
少なくとも、そこに集まり話し込む非常に身分の高い者達には、全く相応しくない陳腐下賤なる箱部屋だった。
(パデ)
「それでは、お次はブラシアック侯の番ですかな?サンカサロ地方の戦況はどうなっております?」
(トリストライアン)
「端から防御に徹して掛かっている為もあってか、余り芳しいと言える状況では無いな。私も、こう言う戦い方は好かんのだが、・・・それもまあ作戦の一つ。致し方あるまい。戦線は完全に膠着状態と言った格好だ。」
(エルポドス)
「では、リバルザイナ共和国軍の3度目の全面攻勢も、体良く凌ぎ切り通して見せたと言う訳ですな。流石はブラシアック侯爵殿。お見事なお手並みです。」
(トリストライアン)
「いや、なに。今回に限って言えば、私の功など全く取るに足らん瑣末なものだよ。何せ私は、後方の安全な場所で高みの見物を決め込んでいるだけで良かったのだからな。」
(ウィンチェスター)
「テブロ川での攻防戦を指揮していたのは、確かアンドレアス・リメイロ大佐でしたよね。」
(トリストライアン)
「そうだ。噂に違わぬ見事な用兵術を披露する一角の人物ぞ。貴行ほどの練達さは無いものの、中々と言うに相応しき戦術眼を持ち併せている。そう言えば確か・・・、貴行とは同期に当たるとか言っていたな。階級も同じ。貴行としても、多少なりと気になる存在なのではないかね?」
(ウィンチェスター)
「勿論です。詭計奇策を弄する事しか出来ない私などとは違い、アンドレアス大佐は、完全なる正統派ですから。私も凄く憧れています。」
(トリストライアン)
「はっはっは。奴が聞いたら喜ぶぞ。」
この部屋に集い屯した人物達の数は約三十名程であるが、見た感じでは、階級的な制限が設けられていた様子でも、身分的な括りに縛られていた様子でも無く、様々な種別、階級の人間が揃い会していた様である。
主として会話を推し進める輩達の顔触れはほぼ決まっている様だったが、それでも、特にこれと言って、堅苦しいとか、重苦しいと言った厳粛な雰囲気は然程感じられず、どちらかと言えば、自由に討議する事を目的として開かれた会議であった様だった。
部屋の中央部にこじんまりと四角く並べ置かれた会議室テーブルの中で、集まりし全員を統べ御するのに一番相応しき位置にどっしりと座り構えていたのは、帝国国内で最大の統治領土を誇る大貴族「ブラシアック家」の家主「トリストライアン・レブ・ブラシアック」その人で、会話はほぼ、この人物を中心に回り進められている様に見受けられた。
彼の周囲にはそれなり・・・と言うより、かなりの高級士官、高級貴族達が寄り座る形になっていたが、誰一人として、その事に異論を投げかける者は居なかった。
(パデ)
「・・・それはそうと、最近、ベイトロート方面の情勢が著しく悪化し始めたとの報告を耳にしているが、その真偽の程は如何なものか。」
(エルポドス)
「ロートアルアン候は如何なされたのだ?まだ御顔を御見せになられていない様だが?」
(ゲイリーゲイツ)
「それにつきましては、先程侯爵様の方から御連絡が有りました。急病により、参加を辞退させていただきたいと。」
(エルポドス)
「ほほう。それはそれは真に御労しき事で・・・。」
(トリストライアン)
「病気なものか。あの青二才めが。適当な理由をこじつけて、己の責務から逃れ果せようとしているだけだ。」
(パデ)
「ゴルバの戦車部隊は、かなり強力な最精鋭集団であると聞いている。この際、メンフィスに駐留する部隊だけでは、対処し得ない可能性を考慮しておくべきなのではないか?」
(エルポドス)
「かの地には元よりラルキウス将軍が赴任しておられる。そう心配する事も無かろう。」
(トリストライアン)
「・・・いや、パデ将軍の言にも一理ある。ラルキウス将軍は、確かに当代切っての名将、勇猛果敢な武人であるが、全くの補給無しで戦いを継続できる訳ではない。」
(エルポドス)
「全くの補給無しとは?・・・まさか。ロートアルアン候がメンフィスへの支援を拒否されると?」
(トリストライアン)
「勿論、そう言った態度をあからさまにひけらかす事まではせぬだろうよ。だが、尤もらしく手間取る風を装って、補給を滞らせる事は出来る。」
(エルポドス)
「しかし・・・、そんな事をして、一体ロートアルアン候に何の得が・・・。」
(トリストライアン)
「帝国西部方面における自らの存在が如何に大なるものであるかを誇示したいが為、自身の立場をより強化したいが為と見るべきだろうな。万事において非協力的な奴の態度がそれを物語っている。」
(パデ)
「では、如何なさいますかな?」
(トリストライアン)
「仕方あるまい。メンフィス方面の後方部に別の補給拠点を設ける事にしよう。何事に関しても、備えあれば憂え無しと言う事だ。よろしいですな。ストラントーゼ公。」
確かに、トリストライアンが持ち有する権威、統括力、発言力は、この部屋に集いし者達の中でも群を抜いていたと言えた。
・・・が、しかし、それでも最大にして最強なる一番強い力を有していたと言う訳では無かった。
この部屋の中には、彼よりも完全に格上なる権力者が、たった一人だけ存在したのだ。
それは、彼が座る席から見て、対面側に位置する場所に鎮座してた小柄な口髭男・・・、見るからに威厳ある高級な軍服に身を包み、数多くの煌びやかな勲章や装飾品などを携え下げた、白髪交じりの初老の男性・・・であり、セルブ・クロアート・スロベーヌ帝国の実権を影から操る最高権力者とも称される、ストラントーゼ家の家主「オーギュスト・レブ・ストラントーゼ」その人であった。
(オーギュスト)
「あー。よいよい。ブラシアック候の良いように。全て貴行の判断に委ね任せる。」
(トリストライアン)
「では、その様に致すとしましょうか。・・・で、誰を持ってその任に宛がわせるかと言う点についてだが、誰か手すきの者で、適任なる者はおりますかな?出来れば、ストラントーゼ公に直接御指名戴きたいのだが。」
(オーギュスト)
「うーむ。そうじゃのう・・・。だーれがいいかのうー。」
オーギュスト・レブ・ストラントーゼと言う人物から感じて取れる雰囲気の中には、確かに、威風堂々たる強大な貫禄、濃密に凝縮された激しい覇気と言った、人の上に立つ者として絶対的に持ち有するべき特別なオーラが、ぎゅうぎゅうと混じり込み入っている様だったが、彼が垣間見せる態度や仕草、その言動など、実際に見て取れる表層的な部分に関しては、そう言ったかぐわしさが全く現れ出ていない様子だった。
一見して、何処にでも居そうな人当たりの良い気さくな老翁と言った感じだった。
勿論、だからと言って、誰でも簡単に気兼ねなく話し掛けられる人物であるかと言えばそうでは無く、この場に集いし高級士官、高級身分者達と言えども、そう簡単に軽々しく声を掛けられない威容なる圧力が有った訳なのだが、それでも、全く何の気なしにさらりと会話を交わす事の出来る男性が、彼の直ぐ右手側の席にこじんまりと座っていた。
(オーギュスト)
「のう?レジェス。お前はどう思う?」
(レジェス)
「そうですねぇ・・・。私でしたら、ウィンチェスター様を推します。」
(オーギュスト)
「ほう?その心は?」
(レジェス)
「メンフィスの後方に補給拠点を設ける作業に関してだけ言えば、実務的な能力のみで事足りますが、メンフィスに、もし万が一の事態が生じた場合、直ぐにでもこれに対処できる有能な前線指揮官が必要になります。ウィンチェスター様は、前線指揮官としても、後方拠点指揮官としても、十分にこなしやって行けるだけの秀でた能力をお持ちだと思いますので。それに・・・」
(オーギュスト)
「それに?」
(レジェス)
「ウィンチェスター様程の御方が、こんな後方基地でのんびりと毎日を過ごされているなんて、勿体なさすぎます。もう少し、帝国を利する為の適切な配置を考慮して戴きたいと思います。」
直後、オーギュスト・レブ・ストラントーゼは、皺に塗れた髭面を唐突にニンマリと歪め、満面の笑み顔を形作ると、高らかなる笑い声を豪快に奏で上げ、天を仰いだ。
そして、全く言葉無くその光景を静かに見遣り流していた他の一同の反応を余所に、「そうじゃな。確かにそうじゃな。」などとのたまい呟き出しながら、味気ないパイプ椅子からすっくと身を立ち上がらせると、ゆっくりとウィンチェスターの傍まで歩み寄って行った。
(オーギュスト)
「・・・だ、そうだ。とばっちりを食らう羽目になってしまったが、貴行としても特に異存はあるまい?」
(ウィンチェスター)
「は。御命令と有らば。」
(オーギュスト)
「むっふっふ。・・・これで良いかね?ブラシアック候。」
(トリストライアン)
「問題有りません。」
言うまでも無く、大枠的にストラントーゼ派配下に納まり入っているウィンチェスターが、その派主たるオーギュスト直々の要請を断れようはずも無く、話は簡単にまとまり終わる事になったが、あからさまに素っ気なくそう答えて、早々に会話を締め括らせたトリストライアンの心は、酷く色濃い奇なる思いに強く苛まれ、疼き蠢いている様子だった。
なるべく平静さを保つよう装い通していた様だったが、無意識の内にチラチラと送り付けられる彼の視線の先には、綺麗な翡翠色の髪の青年の顔が、しっかと見捉え付けられていた様だった。
恐らく、その場にいた他の者達も皆、同様の思いを抱いていたに違いない。
オーギュスト・レブストラントーゼと言う男が、非常に気まぐれなる捉え所の無い男である事は、既に皆も良く知る周知の事実であるが、まさかまさか、こんな全くの無名なる若僧相手に、自ら進んで意見を求め、事もあろうか、それをそのままに聞き入れ遣る態度を周囲に晒し出して見せるとは、誰も予想していなかったのだ。
しかも、この青年は、軍での階級や貴族の称号など、何一つ持ち併せていない極々普通の一般人・・・、本来であれば、この場はおろか、この厳戒地区区域内に立ち入る事すら許されない立場の下賤者であり、帝国最大最強の裏総番としてその権力の大半を牛耳るストラントーゼ公爵様に対して、正面切って意見など出来る様な身分の持ち主では無い。
皆が驚くのも無理のない話であると言えた。
勿論、この場に居る者達全てが彼と初対面であったと言う訳では無く、数回程度の面識を持つ者も、中には数人混じっていたのだが、それでも、この時点で、彼の真なる素性を正確に知り掴んでいた者は誰一人としておらず、皆一様にして、手酷い懐疑心に塗れ憑かれてしまう事になった。
やがて・・・。
(オーギュスト)
「主だった報告は以上かな?ううん?・・・・・・・・・うむ。では解散するとしようかの。皆の者。ご苦労であった。」
・・・と言って、会議の最後部分を強引に締め括り終わらせたオーギュストが、翡翠色の髪の青年へと向かって、軽い一瞥を投げくれ遣ると、肩口から羽織った御大層なマントを大きく翻して見せ、直ぐに会議室を出行く方向へと足を向けた。
そして、直ぐさま帯同する素振りを見せ示し出し、席を立った翡翠色の髪の青年を背後部に従え、足早に皆の前から姿を消して行った。
・・・その後は、何処か妙に不穏当な気配が会議室内にしばし蔓延り残り、不気味に静まり返った一同の表情に鬱々(うつうつ)しき暗い影を落とす次第となった。
が、程なくして、この話題には、余り表立って触れ触らない方が良いだろうと、直ぐに悟り取り遣った数名の輩達が率先して席を立ち始めると、徐々に緩み和み始めたその場の空気感に釣られ乗せられた輩達が、一斉に退出し行く流れに転じ始めた。
真っ先に席を立ったトリストライアン・レブ・ブラシアックを筆頭に、パデ・ピブレジ、エルポドス・レブ・クルーニーケルヘン、オルカス・フォーロと続き行くその退席順は、ほぼ、彼等が持つ身分的、階級的地位をそのままに示し現した順序となっていた様で、その後に並び連なる退席者達も皆同様に、そう言った傾向に寄り固まっている様に見受けられた。
本来であれば、ナイテラーデ家の家名を背負う軍将官であるゲイリーゲイツ・トロ・ナイトも、この流れに沿って退席し行くのが通常であって、他の誰にも咎められる様な事では無かったのだが、この時、ゲイリーは敢えて、この列の最後尾が形作られるのを待っていた。
理由としては、まだ自分は将官になって間もない新参者たる身なのだから・・・、帝国五大貴族に名を連ねるナイテラーデ家の家名も、本来自分が持つべき称号では無いからと・・・言う思いが、彼の中にあったからなのだが、今後の事を見据えて、なるべく多くの人間の顔と名前を一致させたいと考えていた事もあり、彼はしばしの間、椅子に座ったままの状態で、退出し行く人々の顔触れを見眺め続けていた。
すると・・・。
(ウィンチェスター)
「やあ。ゲイリー将軍。この度は将官への昇進。おめでとう。やはり簡単に抜かれてしまったな。」
と、ストラントーゼ派の中でも割と若い部類に入る上級士官「ウィンチェスター・ボォクリューユ」が、屈託のない笑みを顔中にニンマリと浮かべ上げながら、のっしのっしと言う感じで、ゲイリーの元へと歩み寄ってきた。
ゲイリーにとっては、オクラホマ都市で開催されたビナギティア国との会談以来の対面となるが、見るからに肥えたふくよかな体躯は相変わらず、誰にでも人当たりの良い気さくな雰囲気も相変わらずと言った感じだった。
ゲイリーは、彼と以前から比較的仲が良い間柄であった。
(ゲイリーゲイツ)
「ありがとうございます。ですが、私は単に運が良かっただけで、ウィンチェスター様の様に、華々しき実績を上げた訳はありません。どうか、余りお褒めに成りませんように。」
(ウィンチェスター)
「いやいや。貴行は逆に運が悪かったのだと思うよ。」
(ゲイリーゲイツ)
「運が悪い?・・・ですか?」
(ウィンチェスター)
「そう。もし仮に、貴行が最前線の地に配属されていれば、もっと大きな功績を上げる事が出来たはずだ。貴行の能力を持ってすればね。」
(ゲイリーゲイツ)
「買い被り過ぎです。ウィンチェスター様。」
(ウィンチェスター)
「あっはっは。そう謙遜する事も無いだろう。オクラホマ都市からの後退戦で見せた貴行の手際、本当に見事なものだったよ。」
(ゲイリーゲイツ)
「ありがとうございます。」
(ウィンチェスター)
「・・・と、まあ、儀礼的挨拶事はここまでにしておいて、貴行に一つ尋ねたい事が有るんだが・・・。」
(ゲイリーゲイツ)
「何でしょう?」
(ウィンチェスター)
「オクラホマでの会談の時にも居たが、あの青年は一体何者なんだ?貴行は何か知らないか?」
(ゲイリーゲイツ)
「え?」
ゲイリーは一瞬、何故その事を自分の様な若僧に聞いて来るのか良く解らなかったが、恐らくは、自分がストラントーゼ軍配下の人間であり、何の後腐れも無く簡単に聞いてみる事が出来ると判断されたからなのであろう事を、直ぐに察し取ると、あからさまに他意無き笑顔をほのかに滲ませ上げて、正直に答えを述べ遣った。
(ゲイリーゲイツ)
「いえ。私も詳しい所までは存じ上げておりません。ただ、元々はウィルダラネス家に仕えていた者であった・・・と言う事ぐらいしか・・・。」
(ウィンチェスター)
「そうか。・・・いや、良いんだ。詮無い事を聞いたな。」
(ゲイリーゲイツ)
「いえ。」
(ウィンチェスター)
「それはそうと、今度、近い内に一緒に食事でもどうだ?近場にこれまた良い店が出来たんだ。」
(ゲイリーゲイツ)
「良いですね。お供させていただきます。」
(ウィンチェスター)
「私もこれから何かと忙しくなりそうだし、今の内に・・・と言う事でな。二、三日中には実現させる方向で調整しよう。」
(ゲイリーゲイツ)
「解りました。」
その後、軽い別れの挨拶を繰り出し遣り、そそくさとその場から去り行くウィンチェスターの後ろ姿をじっと見遣りながら、ゲイリーはふと、つい今し方聞かれた翡翠色の髪の青年の事を脳裏に思い浮かべ、軽く喉元を鳴らし上げた。
そして、ウィルダラネス家と言えば、確かギュゲルト様が配属された、アルべカフカス地方を統治する中流貴族だったか?・・・などと思いを至らせ、その思考の先に、何か上手く取り付き進めそうな記憶の断片を彼是と巡り探し始めた。
・・・が、やはりと言うべきか、彼が持ち有する程度の乏しき情報のみでは、次なる段階へと進み至る足掛かりを見出す事さえ出来なそうで、やがて、彼は、・・・そう言えば、しばらく会っていないが、ギュゲルト様はお元気だろうか・・・などと言う、全く持って埒も無い思いを渦巻かせて思考を停止させ、退出の途へと付き歩き始めた。
会議室を出ると、通路にはまだ何人かの人達が屯し話し込んでいた様子で、すれ違い様に軽い挨拶をかわし入れ遣ったゲイリーは、心の中で、この人は○○○様、この人は□□□様などと、順々にその人物の名前を確認する作業を執り行いながら、ゆっくりと建物の玄関口方面へと足を向け進めて行った。
本来であれば、こう言った作業は、会議の後に良く開催される晩餐会などで、執り行うのが一番好ましい形なのだが、本日は生憎、そう言った趣旨の会合は全く予定されていなかった。
幾ら近隣諸国との戦闘が激化拡大の一途を辿り経つつある状況にあるとは言え、これだけの人物達が一堂に介し会いながら、宴席の一つも開催されないと言うのは、非常に珍しい事であった。
勿論、彼自身、自ら率先してそれに参加したいと思っていた訳では無い・・・。
(フォーロ)
「ゲイリー将軍。」
・・・と、そんな時、ゲイリーは突然、全く意図していなかった方向から、やや抑え気味の小声を投げかけられ、そのまま真っ直ぐに突き進み行こうとしたT字路の角辺付近で、不意に足を止めた。
そして、主要通路の右手側に伸びる細い横道の奥陰に、一人の男性が佇み立っている姿を見付け、ゆっくりと歩み寄って行った。
ゲイリーに声を掛けてきたその人物は、彼も昔から良く知っていると言える旧知たる人物の一人で、見るからに厳めしい精悍な軍服姿とは相反した、非常に柔和的な顔立ちとさっぱりとした短めの茶髪が特徴的な男性だった。
彼の名前は「オルカス・フォーロ」。
嘗て、帝国皇帝専属自兵部隊「フランクナイツ」に所属していた頃、帝国軍最強と呼ばれた猛者将軍「ギュゲルト・ジェルバート」と共に、「双頭の龍」たる異名で仇名されていた人物その人だ。
彼は、会議が終了すると共に、真っ先に退出して行った先頭集団の中に混じり入っていたはずだが、どうやらその後、ずっとこの細路地の奥で、ゲイリーが来るのを待っていた様子だった。
(ゲイリーゲイツ)
「フォーロ将軍。私の事を待っていてくださったのですか?・・・しかし、何もこんな場所で・・・。」
(フォーロ)
「逆にかえって怪しまれるかもしれないか?まあ、それはそうだが、だからと言って、内緒話をしている姿を堂々と披露して見せる必要もあるまい?」
(ゲイリーゲイツ)
「それは確かにそうですが・・・。それで?内緒話と言うのは?」
(フォーロ)
「先日、君が言っていた懸念事項についての話しだ。私なりに色々と調査してみたが、やはり事前にそう言った動きがあったと見て間違いはない。会談に先んじて執り行われた部隊の配置換えでも、ストラ派所属の兵士達がなるべく後方に回るよう、特別な配慮がなされていたらしい。」
(ゲイリーゲイツ)
「・・・やはり、そうでしたか・・・。」
(フォーロ)
「私自身、余り信じたくない話ではあったんだが・・・、これまでの事態の推移が君の言を正しいと言っている。これから先、もっと状況が悪化する可能性も完全には否定できないな。」
(ゲイリーゲイツ)
「では、我々としては・・・。」
(フォーロ)
「何もできんよ。今の所はな。・・・今はただ、じっと機会が訪れるのを待つ他手立ては無い。君も余り無茶な真似はしない方がいいだろう。」
(ゲイリーゲイツ)
「解っています・・・。」
(フォーロ)
「それともう一つ。その部隊の配置換え作業を執り行っていた人物についてだが、・・・どうやらあの青年がその当事者に該当する者であるらしい。」
(ゲイリーゲイツ)
「あの青年?」
(フォーロ)
「先程の会議で、オーギュスト様の隣に座っていた、あの青年だよ。」
(ゲイリーゲイツ)
「えっ?」
(フォーロ)
「彼が一体何者なのかは全く定かでは無いが、今日のオーギュスト様の振る舞い様を見る限り、非常に大きな信頼を寄せ置いている人物である事は確かだな。もしかしたら、トリストライアン様以上に・・・。」
(ゲイリーゲイツ)
「まさか。」
(フォーロ)
「まあ、この件に関しては、私の方でもう少し詳しく調査してみる事にするよ。今後、ギュゲルトと顔を合わせる機会も多くなるだろうしな。君は余り、この件に深入りしない方が良い。」
(ゲイリーゲイツ)
「・・・解りました。お任せします。」
その後、不意に訪れたしばしの沈黙の時を経て、徐に軽い笑みを浮かべ上げ遣ったフォーロが、そっと静かにゲイリーの目の前に右手を差し出し、早々に会話を切り上げ終える意向を示し出した。
ゲイリーとしては、もう少し色々と話し込みたい思いが有ったものの、余り長話をしない方が良い・・・と、そう判断したフォーロの意図を直ぐに汲み取り、同じ様な笑み顔を形作り見せながら、差し出された右手をしっかと握りしめ返した。
お互いに、また再び元気に再会出来る事を願って・・・。
(フォーロ)
「ああ。そうだ。そう言えばもう一つ。面白い話があったんだ。」
・・・と、ここでフォーロが、唐突に何かを思い出した様にそう言った。
ゲイリーは、フォーロのその口ぶりから、余り大した事の無い世間話か何か、取るに足らない噂話か何かだろうと、そう思っていた。
勿論、フォーロ自身も、そのつもりで口を開いたに違いなかった。
だが・・・。
(フォーロ)
「これはタルナーダメイリンの元隊長筋から聞いた話なんだがな・・・。」
(ゲイリーゲイツ)
「タルナーダメイリン?」
(フォーロ)
「・・・ああ、君は知らなかったのか。ロイロマール家直属の隠密部隊の事だよ。今は解体されているがね。」
(ゲイリーゲイツ)
「ストラントーゼ家のエイリアンホースみたいな部隊ですか?」
(フォーロ)
「まあ、そんな所だ。・・・勿論、単なる噂話と受け取ってもらって良い。」
(ゲイリーゲイツ)
「はい。」
(フォーロ)
「実は、トゥアム共和国との戦争を引き起こすに至った事件・・・、BP事件の真相は、とある人物を巡る戦いであった・・・と言うのだ。」
(ゲイリーゲイツ)
「BP事件?・・・と言うと、ロイロマール派の兵士達とストラントーゼ派の兵士達が、トゥアム共和国領内で戦闘を行ったと言う、あの事件ですか?」
(フォーロ)
「そうだ。」
(ゲイリーゲイツ)
「・・・それで、その人物と言うのは?」
(フォーロ)
「それがまた奇妙な話でな。聞く所によると、まだ16歳の幼い少女と言う事らしい。名前は確か・・・セニフ・・・とか言ったかな。」
(ゲイリーゲイツ)
「ええっ??」
(フォーロ)
「まあ、その話を聞いた元隊長と言うのも、普段から何かと問題のある人物らしくてな。虚言癖もあるようだし、信憑性としてはかなり低い部類、眉唾物であるとしか言えんな。今はブランドル市内の精神病院に入院している様だが、ブランドル決起事件で・・・。」
フォーロが言い放ったその人物の名前を聞き取った瞬間、ゲイリーは、意に反して思いっきり臓が跳ね上がる思いをした。
その後もしばらくの間、フォーロが色々と何かを言っていた様子だったが、完全に上の空状態で聞き流す事以外に何も出来ないと言った様子だった。
セニフ・・・と言う名前・・。
それは正しく、以前ユピーチルから聞かされた名前・・・。
もしかしたら、帝国の皇女様・・・、セシル様かもしれないと言う疑いを掛けられた少女の名前・・・。
トゥアム共和国のネニファイン部隊に所属し、ユピーチルの敵として戦場に現れ、卓越した技術を披露したと言う凄腕のDQパイロットの名前・・・。
ロイロマール家の隠密部隊が動いていた?
BP事件は、セニフと言う名の少女を巡る戦いだった?
帝国国内の勢力構図が、一気にストラントーゼ派一色に塗り固められる切欠となった・・・、その後の一連の騒動を引き起こす切欠となった、あの事件が?
セニフと言う名前の少女??
(フォーロ)
「・・・の足しになればと思ってな。つまらん話だったかもしれないが、許してくれ。」
(ゲイリーゲイツ)
「・・・あ、・・・い、いえ・・・。」
(フォーロ)
「念の為、私が先に出よう。君はもう少し時間をおいてから出てくれ。」
(ゲイリーゲイツ)
「・・・解りました。」
ゲイリーの頭の中は、もはや何から整理して考察し出したら良いのか全く解らない程にぐちゃぐちゃな状態だった。
驚愕と言う二文字を表情に現し出す事すら忘れ、只々唖然と、自らの思考の最中へと意識を漂い彷徨わせる事しか出来なかった。
彼自身、ユピーチルの話しに非常に色濃い興味心を寄り付かせていたが、その話を完全には信じ切っていなかったのである。
当然の事と言えば、当然の事であろう。
・・・だがしかし、この時、フォーロから突発的に齎された思いがけない情報によって、彼の頭の中に何かしら確信めいた一本の橋が渡り掛かった。
確かに渡り掛かった。
全く期待などしていなかった場所に、そうであれば良い程度にしか考えていなかった場所に、確かなる橋が渡り掛かったのである。
その後、ゲイリーは、颯爽とその場を立ち去り行くフォーロの背中をじっと見遣り取りながら、ギュッと両手の拳を強く握り締め、恐ろしい程に踊り狂い始めた胸の高鳴りを必死に押さえ付けていた。
そして、一向に収まり付かぬ意識の慌ただしさを強引に捻じ伏せ抑えるかの様にして、大きく一つフーッと息を吐き出してみせると、薄暗い細通路の天井部を静かに見上げ、ふと、ユピーチルはいつ帰ってくるのだったかな・・・と、無意識の内に小さな呟きを吐き零し遣った。