09-10:○白き波紋と、黒き波紋と[9]
第九話:「白き波紋と、黒き波紋と」
section10「白き波紋と、黒き波紋と」
ジャネットは、何故か見知らぬ青年と一緒に街中を歩いていた。
それは、くすんだ焦げ茶色の綺麗な長髪が特徴的な幼げな好青年で、見るからに一般人たる平凡さと大人しさを有し持った、極々普通の若者だった。
街の最北端部にある教会跡地にて再合流を果たし、非常に簡易的な祝儀事を一通り繰り広げ遣り取りし合ったセニフ達三人は、初対面であるギャロップとの自己紹介もそこそこに、取り敢えず、トゥアム共和国軍の関係者が数多く屯す街の南側まで移動しようと、直ぐに行動を開始した。
だが、事の発端となったあの花公園での出来事を、備に顧み回し返していたシルが、不意に、最初に出会った紫色の髪の女性が、ジャネットに変装していた事を思い出し、もしかしたら、ジャネットにも危険が及び至っているのではないか・・・と、そう危惧し出した為、三人はまず、ジャネットの安否を確認する事に意識を寄り向かせる事にした。
そして、丸々一時間半もの時間をかけ、ようやく彼女達三人は、繁華街の細通り内で彼女の姿を見つけ出す事になった。
(ジャネット)
「どうしたの?そんなに血相を変えて。何かあったの?・・・ああ、この人?この人はね。うっふふ・・・。私、ナンパされたの。」
全速力でジャネットの背後から駆け寄り、彼女を呼び止めた後で、直ぐにその青年の事を聞き問うた彼女達三人は、非常に愛くるしげな笑みと共に、そう言葉を返し放ったジャネットの事をマジマジと見つめ遣りながら、徐に素っ頓狂な表情を形作り、しばし凝り固まり入ってしまった。
(ジャネット)
「ところで、そちらの方は?」
当然の如く振り返された同様の問い言に対しては、「ああ、そう言えば会った事なかったっけ?今日から一緒に住む事になった、俺のおじさんなんだ。」・・・などと言う、全く持って適当過ぎる誤魔化し設定を、シルが無理矢理に繰り出し遣り、「あ、ああ・・・、そうなんだ・・・。」と言う、ジャネットの暗に察しました的な空返事を引き出す事に成功する。
そして、ほのかに周囲を警戒する素振りを垣間見せながら、「俺達、もう今日は帰らなきゃいけない時間なんだけど、ジャネットはどうするの?」と言って、そろそろ基地に帰る輸送便が到着する頃だと言う事を彼女に伝え、「ジャネットのお母さんって怖いんだろ?いつまでも遊んでばかりいると、また叱られるぞ。」と付け加えて、ほら、帰るぞ的な意図を強く匂わし入れる。
ジャネットは一瞬、どういう設定よ・・・と、呆れ返った表情を浮かべ上げたが、徐に何事も無かった様に優しげな笑みを作り拵えて見せると、直ぐに適当な感じを装い被り、会話を上手くはぐらかしかわし遣る言葉をシルに投げ返して来た。
(ジャネット)
「大丈夫。その辺の事は、貴方が上手く言い訳してくれるでしょ?私、ちょっとこの人とお茶して来るから。家の『鬼婆』さんに会ったら、よろしく言っておいてね。じゃあ、またね。セニフ。」
その後、「あ、うん。」と言って、不意に不安気な表情を浮かべ上げたセニフは、何故か不思議と一瞬だけ驚いた表情を零し漏らした茶髪の青年の視線に気付き、ほのかに小首を傾げた。
そして、「何しているの?早く行こう。」と急かし付けるジャネットに、「は、はい。」と言って、慌てて後に付き歩いて行き始める茶髪の青年の姿をじっと見遣りながら、明らかに、さっきの奴等とは関係無さそうだなと、そう思い付き、程なくして、両脇に佇み立つ二人の男性と交互に顔を見合わせた。
どうやら、彼等二人の判断も、セニフと同じ様だった。
言うまでも無く、ジャネットの事をナンパしたと言うこの茶髪の青年は、つい先程まで、彼女の事を密かに尾行していたテヌーテなる人物その人であり、何故、彼が、今現在の様な不思議な立ち位置に及び至っているのかと言えば、話しは簡単、彼が彼女の尾行に失敗したからである。
悲しいかな、彼が持ち有する拙い尾行技術では、極々一般的な察知能力しか持たぬジャネットの事を、欺く事さえままならなかったのだ。
彼は失敗した。簡単に失敗した。
何気なく街角を折れ曲がり行った彼女の事を追い、小走りに駆け出した次の瞬間、彼は、その角裏から唐突に戻り出てきた彼女と、バッタリと鉢合わせする事になってしまった。
そして、非常に色濃い懐疑的な視線を浴びせ掛けられる中で、彼はこう言う他なかった。
「貴女の事が、どうしても忘れられなくて・・・。」と・・・。
それは、全く持って情けない話でしかなかった。
彼はその後、あからさまに場当たり的な言い逃れを只管に繰り返し、何とかしてその場を乗り切ろうと一生懸命になって画策し遣る訳だが、元々彼が持ち有する余りにも非軍人的な柔和さが見事に功を奏した形で、彼は全くと言って良い程、彼女に怪しいと思われずに済んだ様だった。
・・・ただ、この時、余りにも必死になり過ぎてしまった事が災いし、彼は思いがけずも、「うっふっふ。いいわよ。じゃあ。デートでもする?」と言う、彼女からの素敵なお言葉・・・、彼にとっては非常に有難迷惑的なお言葉を頂戴する羽目となった。
そして彼は、街中で偶然出会った美しい女性に一目惚れした純朴な青年・・・と言う、全く予想だにしていなかった分不相応な配役を必死に務め上げながら、今現在に至る・・・。
この時の彼は、一体、如何様にして逃げ出すべきかと言う事で、頭が一杯一杯だった。
セニフと言う名の少女の事が、多少気になりはしたものの、全くそれ所の話しでは無かった。
一方、取り敢えずジャネットの無事を確認し、当初の目的を完全に果たし得た感があるセニフ達三人だが、その後直ぐに、このままジャネットを一人放って、自分達だけで基地に帰るのもどうかと言う話になり、程なくして、やはり、ここは強引にでも引っ張って連れ帰るべきであろうと言う結論に至り着く事になる。
彼女達三人は、未だに先程の輩達が何かよからぬ謀を、企み巡らせているのではないかと、そう勘繰っていたのだ。
勿論、今現時点において、ジャネットが完全に事態の外側に捨て置かれている状況なのであれば、そのまま放って置いた方が彼女にとって安全・・・、何も無為に危険の渦中へと引き摺り込む必要も無い・・・と、そう考える事も出来ようものだが、相手が最後の手段とばかりに強引卑劣なる策を用いて来ない保証など何処にも無かった訳で、彼女達三人としては、出来るだけ安全な方法を優先して選択したかったのだ。
ただ、何も知らない彼女に対し、何と言って説得し付ければいいのか、直ぐに妙的思案を浮かび上がらせる事が出来なかったセニフ達三人は、その場でしばし腕組みをしながら、難しい顔を並べ揃えて黙り込んでしまう事になる・・・。
・・・が、しかし、この問題に関しては、然程多くの時間を要せずして簡単に解決してくれる運びとなった。
と言うのも、彼女達が彼是と深く思案を巡らせる間もなく、ギャロップが持つ暗号化携帯に、彼の部下である三名の諜報部員が、この街へと到着した事を知らせる連絡が舞い込んできたのだ。
それはまさしく、彼女達にとって非常に都合の良い知らせ以外の何ものでもなく、彼女達は取り敢えず、ジャネットの監視と警護を彼等に任せ、一路、街の南端部を目指して歩き向かう事にした。
そして、トゥアム共和国軍に関係する大小様々な車輌が数多く止め置かれている、軍用駐車場へと到着した彼女達は、「万全には万全を期すと言う事で、俺が乗って来た車で帰ろう。」と言う、ギャロップの言葉に誘われて、小汚い迷彩色で彩られた小型装甲車両へと乗り込む事にした。
(ギャロップ)
「ふう。これでようやく人心地ついたな。基地までの道中は、俺が責任を持って護衛役を務めてやるから、君達は安心して居眠りでもしていてくれ。疲れただろ?」
(セニフ)
「うん・・・。ありがとう。」
(シルジーク)
「セニフ。横になるなら、俺、前に行くけど。」
(セニフ)
「あ、いい。いいよ。気を使わないで。」
(ギャロップ)
「飲み物は非常用の水が後ろの収納ボックスに入っているはずだ。他に何か別な物を飲みたいって言うなら、今の内に買って来るが、どうする?食べる物も無いぞ。」
(シルジーク)
「あ、俺は大丈夫。」
(セニフ)
「私も大丈夫。」
(ギャロップ)
「そうか。それじゃ出発するぞ。多少、乗り心地は悪いが、勘弁してくれ。」
運転席へと座ったギャロップの優しげな言葉に対して、何ら当たり障りのない柔和的返答を適宜返し遣りつつ、やや硬めの後部座席シートへと腰を落ち着かせ据え付けたセニフとシルは、ようやく獲得し得た安寧安息なる一時に、思わず漏れ零れた小さな溜息を交互に吐き付け合った。
そして、静かに移動を開始した装甲車輌の動きに合わせて、シートの背凭れにドッカと身体を預け倒し遣ると、徐にお互いの表情をチラリチラリと軽く見遣り合い、バックミラー越しに映し出される運転席の男へと意識を傾け付けた。
彼がトゥアム共和国軍諜報部の工作員である事は、先程の教会跡地にて交わし合った、軽い自己紹介の中で判明した事だが、それ以外の事については未だ一切何も解り取れておらず、セニフもシルも、中々に彼の事を信用し切る事が出来ないでいた。
(ギャロップ)
「その様子じゃ。まだ俺の事を信用していないって感じだな。まあ、ついさっきあんな事があったばかりじゃ、それもまた致し方なしか。」
(シルジーク)
「そう言えば・・・、あんた一体何者なんだ?諜報部の工作員だって言ってたけど、何故、俺達の事を知っている?一体、何が目的なんだ?」
(ギャロップ)
「ふーむ。・・・一体、何から説明すればいいのか、少し迷う所だが、端的に言えば、俺の目的は、惚れた女の最後の願いを成し叶えてやる事だ。そして、それを成す過程で君達の事を知り、君達の元へとやって来た・・・。」
(セニフ)
「惚れた女?」
(シルジーク)
「最後の願いを叶えてやるって・・・、全然話しが見えてこないな。一体、俺達に何の関係が・・・。」
(ギャロップ)
「彼女の名前はアリミア・パウ・シュトロイン。君達も良く知っている人物だろ?」
(セニフ)
「アリミア!?」
(シルジーク)
「あんた、アリミアの仲間なのか?」
(ギャロップ)
「ああ。・・・オクラホマ攻略作戦で共に戦った仲間だ。」
アリミア・・・と言う名前を聞いて、後部座席の二人は徐に声を弾ませ上げたが、程無くして、直ぐに到着し得た検問所らしき場所で装甲車輌を停車させたギャロップは、軽く左手を後方に翳し付けて会話を途切れさせ、運転席側の分厚い窓ガラスを開け放った。
そして、徐に近付き寄って来た検問所の警備員にパスカードを手渡し、二、三、適当な世間話を軽くかわし入れ遣ると、行く手を遮るゲートバーが上がり始めたのを見て、直ぐに体良く会話を切り纏め上げながら、ゆっくりと装甲車両を発進させた。
・・・と、続いて窓を閉めつつハンドルを大きく右に切り倒し、次第次第に黒身掛かり始めた夕刻時の樹海群へと装甲車両を踊り入れさせると、不意にチラリとバックミラーに視線を宛がい付け、後部座席に座る二人の様子を交互に窺い見た。
(ギャロップ)
「・・・さてと。これから先はもう、基地に着くまでは何の邪魔も入らない。ゆっくりと込み入った話が出来るな。」
(シルジーク)
「その前に。少し確認しておきたい事がある。」
(ギャロップ)
「なんだ?」
(シルジーク)
「・・・あんた。一体、アリミアに何処までの話を聞かされていたんだ?アリミアの願いを叶えたいって、それは本当なのか?アリミアの願いって言うのは何だ?」
ギャロップは勿論、折角危ない所を助けてやったのに、その言い草は無いだろう・・・などとは思わなかった。
アリミアがあれ程神経質になって事実を隠匿しようとしていた事から鑑みれば、それは至極真っ当な問い掛けだなと思い、徐に口元を軽く歪め上げた。
(ギャロップ)
「彼女の願いを叶えてやりたい。それは本当さ。ただ、彼女から直接そうして欲しいと頼まれた訳じゃないがな。彼女に言われたのは、もし、自分が帰らなかった場合、とある場所に隠した秘密の情報を覗いてみてくれと言う事だけだった。」
(シルジーク)
「・・・それで?」
(ギャロップ)
「取り敢えず、その中を覗いて見たさ。そして、その中に入っていた極一部の情報を入手した。勿論、俺は彼女が持つ情報の全てを手に入れようと躍起になったが、彼女が用意した強固な防壁網の前に手も足も出なくてな。敢え無く敗北を喫してしまったよ。」
(セニフ)
「その・・・、極一部の情報・・・って言うのは?」
(ギャロップ)
「なに。非常に瑣末な情報のみさ。かなり回りくどい隠語によって包み隠された彼女の思い・・・、『誰か』の事を必死に守りたいと思っていた彼女の強い意志だけだ。」
(セニフ)
「『誰か』の事を・・・守りたい・・・?」
(ギャロップ)
「ああ。それが彼女の望み。彼女の願いだ。」
(シルジーク)
「それだけ?・・・その他には?」
(ギャロップ)
「それだけだ。」
嘘か真か、その真偽の程は全く定かでは無かったが、彼が嘘を付いている様には見えなかった。
少なくとも、セニフは、この時そう思った。
自分が騙され易い性格である事を重々承知した上で、非常に色濃い懐疑的な色眼鏡を心の眼に掛け被せ、じっと彼の事を見ていたが、何処からどう見ても、自分達の事を騙す、陥れると言った、負たる雰囲気感は微塵も感じられなかった。
勿論、だからと言って、出会って間もないこのサングラスの男の事を、直ぐに信用し切る訳には行かなかったが、それでも、セニフの心の中に蟠っていた半信半疑なる思いの濃度は、次第次第に薄まり消え行く様相を見せ始めた様子だった。
(ギャロップ)
「アリミアが必死に守りたいと思っていた『誰か』とは・・・、セニフ。君の事で間違いないんだな。そして恐らく、君達は、自分達が何故襲われる立場にあるのか、その理由を表沙汰にする事が出来ない。そうなんだな。」
(シルジーク)
「そ、それは・・・。」
(セニフ)
「・・・うん。そう。・・・当たり。」
(シルジーク)
「おい。セニフ・・・。」
(セニフ)
「ううん。いいの。・・・アリミアがこの人の事を信用したのなら、私も信用する事にする。シルだって解ってるでしょ?もう、私達の力だけじゃ、どうにもならない所まで来ちゃってるんだって・・・。」
(シルジーク)
「それは・・・、そうだけど・・・。」
(セニフ)
「・・・あ、勿論、シルの事を全然頼りにしていないって訳じゃないよ。それは本当だよ。」
(シルジーク)
「・・・うん。解った。お前がそう言うのなら、俺も信じてみる事にする。」
(ギャロップ)
「そうか。ありがとう。」
そして、恐らくはシルも、セニフと同様の思いを抱いていたのだろう。
このサングラスの男の事を信用すると、はっきりと公言して見せたセニフの意向に、余り強く反対する素振りを垣間見せなかった。
確かにシルは、出来る事なら、全てを有耶無耶のままにして、何とかしらばっくれ逃げたいと考えていたし、これまでと同様、全ての事実を頑なに隠匿して掛かり、出来る限りひっそりと隠れ過ごし遣りたいとも考えていた。
だが、今回の一件において、シルはもはや、自分一人の力だけでは、セニフを守り通す事は出来ないのだと言う事を悟らざるを得なかった・・・、今までは単に、奴等が本気を出して挑みかかって来なかっただけ・・・、奴等がその気になれば、自分程度の障壁など、無きに等しい瑣末な紙ペラでしかないのだと言う事を、しっかと認識し取らざるを得なかった。
その為、彼は、直ぐにでも事態を解決し得る何かしらの他の要素を探し、それに上手く取り憑き利用して過ごす他手立ては無いと、そう思いを至らせ着かせたのだった。
勿論、このサングラスの男が、アリミアの元同僚であると言う事・・・、彼女の願いを叶える為、彼女の意思を引き継ぐ為に、自分達の元へとやって来たのだと言う事実も、彼女達にとっては非常に大きかった様で、二人はやがて、なるべく慎重な態度を突き崩さない様に心がけながらも、より前向きに話し合う態度を見せ示し出して行ったのだった。
(シルジーク)
「ただ、事の真相を全て話して聞かせられるかって言ったら、やっぱりそうじゃない。助けてもらっておきながら、こんな事言うのもなんだけど・・・。」
(ギャロップ)
「ああ。解っている。」
(セニフ)
「・・・って言うより、これ以上は、ほとんど何も話せないかも・・・。」
(ギャロップ)
「では、話せる部分だけで良い。二、三、俺の質問に答えてくれないか?答えられない部分は、答えられないで通してもらって構わない。」
(セニフ)
「・・・うん。」
(シルジーク)
「解った。」
(ギャロップ)
「君達の他に、この事を知っている者が、仲間内の中に居るか?」
(セニフ)
「ううん。」
(シルジーク)
「居ない。俺とセニフ、そしてアリミアだけだ。」
(ギャロップ)
「そうか。・・・では次に、君達にとって、パレ・ロワイヤル基地内は、完全に安全な場所だと言えるか?」
(セニフ)
「・・・うーん。・・・絶対に安全・・・とは、やっぱり言えないよね。」
(シルジーク)
「・・・そうだな。比較的安全な場所ではある。だけど、完全に安全な場所では無い・・・。」
(ギャロップ)
「と言う事は、基地内にも敵は居る・・・と言う事なんだな。」
(セニフ)
「それは・・・。」
(シルジーク)
「・・・居る。非常に危険な奴が一人。俺達の直ぐ傍に居る。」
(ギャロップ)
「誰だ?そいつは。そいつが元凶なのか?」
この時、セニフは徐にチラリと視線をシルに当て付けた。
そして、シルもまた、セニフへとチラリと視線を当て付けた。
彼女達二人が一瞬返答に窮し困ったのは、得体の知れない妖物魔物的存在である『奴』の名前を、無闇に表舞台へと口走り出してしまう事の危うさを、不意に感じて取ってしまった為・・・、もしかしたら、かえって事態を悪化させる要因になってしまうのではないかと懸念した為であり、どちらかと言えば、『奴』自身の名前も隠し伏せたままにして置きたかった。
だが、常に『奴』の後手を踏まされ続けると言う鬱々しき状況に悩まされ続けていた事も事実・・・、何とかしてその状況を打破し得たい思いが強かった事も事実で、シルは、左手でそっと静かにセニフの右手を握り締め遣りながら、小さく頷く仕草を奏で出した。
すると、続いてセニフも、直ぐにそれに応じ、小さく首を縦に振って見せた。
(シルジーク)
「奴自身が元凶なのかと言われれば、そうじゃない。奴は単なる実行犯で、実際には、奴の後ろに誰かが居る。」
(ギャロップ)
「で?その実行犯の名前と言うのは?」
(シルジーク)
「ユァンラオ・ジャンワン・・・。ネニファイン部隊に所属するDQパイロットの一人だ。今回の事件も、恐らく奴の仕業と見て間違いない。ただ、物的証拠は何もないし、調べたからと言って、そう簡単に尻尾を掴める奴じゃない・・・と思う・・・。」
(ギャロップ)
「ユァンラオ・ジャンワン・・・。聞いた事が無い名前だな。その世界で名を馳せた者なら、俺の耳にも入っているはずなんだが・・・。・・・先程、君が公園で見かけたと言うその女性は何者だ?そいつの仲間か?」
(シルジーク)
「うん。それは間違いない。」
(ギャロップ)
「それで、そいつの後ろに居る黒幕たる人物については、何か心当たりは?」
(シルジーク)
「それについては・・・・・・言えない。」
(セニフ)
「・・・うん。」
(ギャロップ)
「どの程度の人物なのか。何処に所属している者なのか・・・と言う事についてもか?」
(シルジーク)
「うん。言えない。」
(セニフ)
「うん。」
(ギャロップ)
「・・・そうか。・・・解った。」
ギャロップは、彼女達二人の返答があからさまに濁り篭り始めたのを機に、一旦、彼女達に質問するのを切り上げ止めた。
恐らくは、それ以上聞いても、言えない、解らないと言った答え以外に、何ら益の有る回答を得られそうにないと、そう感じだからである。
勿論、彼女の事を、今後しっかりと守り抜いて行く上で、必要な情報を全て揃え得られたかと言えばそうでは無かったし、多少、物足りない感じがしない訳では無かったが、パレ・ロワイヤル基地へと赴任して早々、その初日に守るべき対象を完全に特定し得た事、その対象者と、紛いなりにもそれなりの関係を構築し得る事が出来た事は、素直に喜ぶべき所であった。
(ギャロップ)
「取り敢えず、今後は、俺達諜報部員が君達の護衛にあたる事にする。その、ユァンラオとか言う人物の詳細についても、此方で調査してみるよ。」
(シルジーク)
「あ、いや・・・。正直な所、余り事を荒立てて欲しくないんだ・・・。」
(ギャロップ)
「解っている。大丈夫だ。君達の護衛は、信頼のおける部下数名だけで実施する。猿親父やら豚親父やらの息が掛かっていない、純粋な俺の部下達だ。君達は何も心配する事は無い。君達の普段の生活に対しても、なるべく干渉しない様に配慮するよ。」
(シルジーク)
「うーん・・・。まぁ、それなら・・・。あ、それと、ユァンラオの事を調査してみるって話だけど・・・、あいつは絶対にやばい。気を付けた方がいい。」
(ギャロップ)
「大蛇ならぬ大妖鬼が住まうかもしれない藪の中を、無闇に突き立てるものじゃない・・・と、君は言いたいのか?大丈夫だ。それについても心配するな。こう見えても俺はプロだからな。尤も、アリミアに良い様にあしらわれてしまう程度のプロでしかないが、彼女と違って俺は、正規ルートで諜報部の情報にアクセスできる資格を持っているしな。勿論、君が言う様に、彼の調査を行うに当たっては、万全に万全を期す体制を敷く事にするよ。」
(セニフ)
「あ・・・、あの・・・。」
(ギャロップ)
「ん?何だ?」
(セニフ)
「何て言うか・・・、その・・・、何で私なんかの為に、そこまで・・・って言うか、・・・そんなに、アリミアの事が好きだったの?・・・死んだ後も、その願いを叶えてやりたいって、そう思うほどに。」
(ギャロップ)
「ああ。」
(セニフ)
「・・・愛していたの?」
(ギャロップ)
「・・・そこで簡単にイエスと答えられ無いのが、非常に残念、切ない所だが・・・、愛し合う手前の入り口付近に、二人で立っていた事は確かだな。あの作戦が終わった後、俺達は付き合う予定だったんだ。」
(セニフ)
「ええっ!?」
(シルジーク)
「ええっ!?」
(ギャロップ)
「勿論、彼女自身に、その入り口をくぐる気が有ったかどうかは解らない。でも、俺自身は、くぐる気満々だったがね。」
(シルジーク)
「はーっ。・・・人は見かけによらないもんだな。あのアリミアが・・・。あのアリミアがねぇ・・・。」
(セニフ)
「そう・・・、なんだ・・・。」
思いもよらず唐突に話題を挿げ替えたセニフの質問に対し、淡々と答えを示し出して行くギャロップの姿は、アリミアと言う自身の好意を寄せ宛がう対象者が死んでしまった事に対する深い悲しみを、微塵も感じさせない素っ気なさを纏い被っている様だったが、不意に、バックミラー越しに彼の表情を備に窺い見遣り取ってしまったセニフは、徐に視線を何処かへと振り逃がし、静かに俯いてしまった。
そうする以外に、他に何もできなかった。
アリミアは、人としての・・・、女性としての幸せを手に入れる直前に、この世を去った・・・のだと、そう考えると、無性にやるせない気持ちで一杯になってしまった。
自分の事を一生懸命になって思い憂えてくれたアリミアの為に、必死になって前向きに生きるんだ、アリミアの分まで幸せになるんだと、そう強く強く心の中に決心付け、ようやく立ち直るまでに至り付く事が出来ていたセニフだが、流石にこの時ばかりは、再び心の奥底から沸き起こった重々しき鬱念を、容易には抑えきれないと言った様子だった。
だが、しばしの間、途切れ止まった会話の間隙を利用して、徐に上着のポケットから何かを取り出したギャロップが、静かな口調でそれを受け取るよう二人に促しを掛けて来たのは、そんな時だった。
(ギャロップ)
「そうだ。そう言えばこれ。君達に渡そうと思って持ってきたんだ。」
(セニフ)
「何?コレ。」
それは、色取り取りの刺繍糸によって綺麗に編み込まれた二本のミサンガで、何かのお守りか?・・・と言う以外に、何ら気の利いた所感を抱き得ない質素な代物だった。
彼女達二人は、取り敢えずそのミサンガを各々一本づつ受け取り、不思議そうにそのミサンガをマジマジと見遣り付け始める・・・。
(ギャロップ)
「それは、アリミアが持っていた物の中に含まれていたものだ。悪いが、彼女の遺品は、諜報部の方で全部片付けさせてもらった。」
(セニフ)
「これ、アリミアの?」
(ギャロップ)
「ああ。何故か同じ柄の物が全部で六本。彼女の机の引き出しの中に入っていた。」
(シルジーク)
「六本・・・。」
(セニフ)
「・・・そっか、マリオの分・・・。」
(ギャロップ)
「その内の一本は、真に勝手ながら、俺が頂戴する事にした。構わないだろ?」
(シルジーク)
「いいよな?」
(セニフ)
「うん。・・・そうしてくれた方が、アリミアもきっと喜んでくれると思う。」
(ギャロップ)
「そうか。ありがとう。残りの分は、基地に帰ったら手渡すよ。」
(セニフ)
「・・・うん。」
セニフは、受け取ったミサンガを左手の手首にクルリと巻き付け、簡単には解けない様に、決して外れ取れない様に、しっかりと紐をきつくきつく結び付けると、ほのかに眼元に涙を浮かび上がらせながら、小さな笑みを作り拵えて見せた。
そして、アリミアと一緒に過ごした楽しい二年間程の時間を静かに思い起こしながら、そのミサンガをそっと右手の人差し指で優しくなぞり擦り回し始めた。
(ギャロップ)
「さてと。これでようやく俺も、君達二人の仲間になる事が出来たって感じかな。今後とも、よろしく頼むよ。シルジーク先輩。」
(シルジーク)
「せ・・・、先輩?」
(ギャロップ)
「そうさ。『彼女の事を守ろう会』の中では、君の方が随分と年長者のはずだろ?俺は単なる新参者さ。これからも、色々とご教授願います。先輩。」
(セニフ)
「守ろう会って・・・。」
(シルジーク)
「えっと・・・、あの・・・、その先輩って言うのだけは、何とか勘弁してもらえないかな・・・。何かこう・・・、非常に心地悪いって言うか・・・、気持ち悪い感じがするんで・・・。」
(ギャロップ)
「あっはっは。冗談だよ。・・・ただ、彼女の事を守ると言う点において、俺達はお互いに協力し合わなければならない立場にある。その辺の事は、しっかりと念頭に置いておくようにな。」
(シルジーク)
「それは解っているつもりけど・・・、これ以上、話せる事は何も無いぞ。」
(ギャロップ)
「取り合えず、今の所は、それ以外の事についてだけでいい。」
(シルジーク)
「今の所は・・・、ね・・・。」
(ギャロップ)
「そしてセニフ。言うまでも無く、君の協力も必要だ。今日あった出来事から察するに、いきなり君の命を狙って来る様な事は無いだろうが・・・、それでも、何か怪しい、何か変だと感じたら、直ぐに俺か彼、もしくは、俺の部下達に知らせる様にしてくれ。」
(セニフ)
「うん。解った。」
(ギャロップ)
「・・・それからな。これは君に対する俺からの個人的なお願い事なんだが・・・。」
(セニフ)
「何?」
(ギャロップ)
「俺は、アリミアの願いを叶えてやる為に、出来る限りの事をしてやるつもりだ。だから君も、アリミアの想いに応えてやる為に、常に強く生きて行くんだと言う前向きな意志を持つようにしてくれ。」
(セニフ)
「え?あ、・・・うん。」
(ギャロップ)
「勿論、絶対に幸せになるんだと言う強い気持ちも一緒にな。恐らく、アリミアもそれを強く望んでいたはずだ。いいか。絶対に幸せになるんだぞ。セニフ。アリミアの分まで。」
(セニフ)
「・・・うん。解った。・・・私、アリミアの分まで、頑張って生きる。・・・頑張って幸せになるよ。」
最後に、そう言って、元気よく『込み入った会話』の終点部を、括り締めやって見せたセニフの表情は実に明るかった。
勿論、常日頃から自分の事を心配してくれているシルの強い思いを、決して軽んじていた訳で無いが、喧嘩別れに終わったアリミアの真なる思いを受け取り、アリミアの思いを引き継ぐギャロップの思いを新たに受け取った今の彼女の心は、確かに普段よりも軽やかさが増し得ている様子だった。
やがて、彼女は、左手首へと巻き付けたミサンガを、幾度と無く擦り触る仕草を見せながら、沸々と込み上げる嬉しさを持って、ほのかに笑みを浮かべ上げて見せると、程なくして始まった他愛無き世間話・・・、長い長い基地までの帰り道を埋める為の暇つぶし的雑談会に、意気揚々と混ざり入って行くのであった。