08-31:○飲み会[4]
第八話:「懐かしき新転地」
section31「飲み会」
何処となく疎なる雰囲気を漂わせて、穏やかな凪状態を指し示して行った店内の様相は、もはや燃え尽きた死灰に残る余熱たるや風情に完全に取り憑かれ、儚くも静かに掻き消え行く運命を、ただ只管に待っているかの様だった。
時の流れを指し示す時計の針が、最頂点部を経過し経て尚、店内に居座り続ける者、新たに入店し来る者と居た訳だが、それでも、次第に目減りし行く人の数に歯止めを掛け強いる事までは出来ず、一気に萎え萎んでしまったその場の空気感も、再び活気付く様子を少しも垣間見せなかった。
まあ、これはこれで、別に悪い気はしないかな・・・と、不意に思い付いた彼女は、一通り店内の様相へと視線をぐるりと巡り回しつつ、徐に口元へと運び付けたグラスを静かに傾けた。
そして、何気なく振り向けた視線の先で、直ぐ隣脇に座る彼の横顔をチラリと見遣った彼女は、思ったほど量が減り行かない彼のグラスに気が付き、テーブルの上のブランデーボトルへと手を伸ばす。
(シルジーク)
「ああ、いい。これ以上無理に飲むと俺も潰れちまいそうだ。」
(セニフ)
「なんだぁ?情けない男だなぁ。シルだって後から合流した口でしょ?せめてレディに合わせるぐらいしなさいよ。」
(シルジーク)
「お前のペースに合わせて飲んでたら、肝臓が幾つあっても足りないよ。」
(セニフ)
「そんな事言わないで。飲めば飲む程に楽しいよー。気分が楽になるよー。ほーれ。」
彼女はそう言って、悪乗り感満載たる作り笑いを浮かべ上げて見せると、彼のグラスに思いっきり並々とブランデーの原液を注ぎ入れてやった。
・・・が、しかし、それに対する彼の反応は、あからさまにおざなりな感に凝り固まったものでしかなかった。
(シルジーク)
「あのなぁ・・・。お前・・・。」
(セニフ)
「あーっと。じゃあさ。私のと交換。それで良いでしょ?」
(シルジーク)
「交換って・・・。」
(セニフ)
「ほらほら。ちゃんと氷もカチ盛りにしてあげるから。元気良く飲もう。一気に飲もう。」
(シルジーク)
「おいおい。頼むから自分のペースでゆっくり飲ませてくれよ。折角静かになったんだからさ。」
(セニフ)
「・・・むーん。つまんない男。」
その後、彼女は、少しだけむくれ拗ねた表情を形作って、テーブル席の背凭れへとドッカと体を凭れ掛けさせると、ツンと尖らせた可愛らしい口ばしの中に、グラスの酒をチョビリと運び入れた。
そして、明らかに先程とは何処か様子が異なる彼の素振りを静かに横目で窺い見つつ、徐に左手でクシャクシャと自分の赤髪を軽く掻き乱して見せ、やがて、大きな溜息を一つ吐き出した。
確かに話せばお互いに普通・・・、日常的に遣り取りされる会話の全ては、至って普段通りと言える代物だった。
・・・が、しかし、他の誰も居ない二人きりの空間内に、お互いが立ち入ってしまったと意識し出した瞬間、俄かに立ち込める得も言われぬ異質な抵抗感、もどかしき距離感が、二人の脳裏に忌々(いまいま)しくも色濃く蔓延り始めるのだった。
勿論、そんな煩わしき「見えない壁」を、二人の間に作り拵えたのは彼女自身、それを受け入れる態度に固執し続けていたのは彼自身である。
お互いがお互いにそれと察して形作った余所余所しき関係・・・。
それが彼女達の現状だった。
(セニフ)
「シールー。」
(シルジーク)
「なんだ?」
(セニフ)
「・・・確かにさ。私が悪いんだけど・・・。」
(シルジーク)
「ん?」
(セニフ)
「なんて言うかさ・・・。こう・・・。少し業とらしい感じがするんだよね。」
(シルジーク)
「何がだ?」
(セニフ)
「何がって・・・、私とシルの遣り取り・・・。普段は良いよ。・・・でも、こういう時、何かちょっと違うかなって・・・。」
(シルジーク)
「うーん。・・・まあ、確かに言われてみれば、そんな感じがしないでもないな。」
(セニフ)
「・・・だよね。」
それは恐らく、当の本人達にしか解り得ない、僅かながらも大きな齟齬であると言えた。
そうなるまい、そうなるまいと、もがけばもがく程に深みに嵌って行く、底なし沼の様な空気感だった。
彼女にとっては思い出したくも無い薄ら暗い過去の事実を、彼にとっては知り得たいと願う霞みおぼろげなる事実を、一つの巨大な爆弾と見立て、その直ぐ脇で、何ら気にも留めぬ素振りを突き通したまま繰り広げられる白々しき会話は、それと望んだ方にも、望まれた方にも、居心地の悪さしか感じ与えない代物だった。
(セニフ)
「私もさ。こう見えて、結構色々と考えてはいるんだよね。でも、どうやったって上手く行ってる感じがしないし、遣り取りの全部が嘘っぽく感じちゃうって言うか・・・、考えれば考えるほど、自分らしさが無くなって行く様な感じがして・・・。」
(シルジーク)
「余り考え過ぎない方が良いんじゃないか?元々そんなに考えて行動するタイプでもないだろ?」
(セニフ)
「あーそれ酷い。私だってちゃんと考える時は考えてるんですからね。シルが気付いていないだけでしょ?」
(シルジーク)
「俺もまあ・・・、言ってしまえば鈍感な方だからな。自分でも解っているよ。」
(セニフ)
「この際だから、正直に言うよ。シルってさ、私と二人きりになった時、ちょっとだけ様子が変わるじゃない。あれがさ、私、どうしても引っかかっちゃうんだよね。」
(シルジーク)
「そんなに変わるか?なるべくそう言った素振りを出さない様に心がけているんだけどな。」
(セニフ)
「それそれ。変に意識していますって感じが凄く気になっちゃって・・・。余り顔には出ないけど、目が笑ってないって言うか・・・、深刻そうな雰囲気が漂っているって言うか、なんか急に話し辛そうな感じになるし、業と普段通りの自分を演出してますってのが見え見えで・・・、私ちょっと心の中で怯んじゃうんだよね。・・・うん。どうしても・・・。」
(シルジーク)
「そっか・・・。やっぱりそう言う感じが出ちゃってるのか・・・。」
(セニフ)
「別にシルが悪いって言ってる訳じゃないよ。私が悪いんだって事はちゃんと解っているしさ。」
(シルジーク)
「・・・ごめんな。セニフ。余り気の利いた事をしてやれなくて・・・。」
(セニフ)
「だからシルが謝る様な事じゃないって。」
(シルジーク)
「うん・・・。」
(セニフ)
「・・・。」
彼女はふと、手に持つグラスの中で煌びやかに光り輝く、琥珀色の飲み物を静かに回し遊びながら数拍程度の間を置き、不意に途切れ飛ばした会話の間隙に乗じて、一気にグラスの中の酒を飲み干す勢いで天を仰ぎ見ると、思わず吐き零れた大きな溜息と共に、バツの悪い思いを紛らせにかかった。
そして、図らずも脳裏に浮かび上がった嘗ての親友の言葉を黙なる意識で読み上げる。
「茨の棘が痛いからといって、鉄の鎧を身に纏って抱き合ったって、相手の本当の温もりを感じる事はできないのよ。」
言われるまで気付かなかった・・・かと言えばそうではない。
偽りの温もりでさえ、暖かいと感じる事が出来たからこそ、そうした。
そう・・・。それはそれでよかった。
しかし、固く冷たい鉄の鎧の中に強く押し閉じ込めた、おどろおどろしき黒い影の存在を知られてしまった時、彼がそれまで同様、軽々しくも簡単に抱き付けようはずがない・・・、簡単に寄り添えようはずがない・・・と言う事は、彼女も解っていた。
無茶を承知で彼女はそれを彼に求めた。
そして彼は、それに答える素振りをしっかと見せてくれた。
拙いながらも一生懸命になって・・・。
勿論、それに対して文句を突きかける資格は、今の自分には無いのだと言う事も、彼女には解っていた。
(セニフ)
「私さ。昔の様な関係には戻れなくても、それなりにシルと楽しい一時を過ごせれば、それだけで良いって思ってたんだ・・・。でも・・・。」
言うなればそれは、酒に酔った勢いに任せて強引に吐き付けた単なる愚痴・・・、自分が悪いのだと言う事を事前に示し現してはいたものの、他人への不満のみを連ね出した、自分勝手な我儘な泣き言でしかなかった。
彼女自身、そうであると認識していながらにして、已む無く的に言わざるを得なかったのは、二人の間に蟠った鬱陶しきモヤモヤ感を、何とか払拭し得たいと言う思いに強く煽り立てられてしまったから・・・なのであろうが、かと言って彼女には、自らの心の中に仕舞い込んだ重々しき事実を、そう簡単にひけらかして見せるつもりもなかった。
彼が自分の味方である事、信用に足る人物である事は、彼女自身も良く良く理解していた事だが、話せば話した分だけ親身になって巻き込まれてくれそうな彼の事を、彼女はこれ以上近づけさせたくなかった。
とどのつまり、彼女には、何をどうする事も出来なかった。
(シルジーク)
「・・・そうだな。元々何も見てない、何も聞いてないフリを突き通すって所に無理があったのかもしれない。何も言わずにただ黙って了解しましたじゃ、本当に了解しているのかどうか解らないし、お前が気になって仕方がないって言うのも、なんとなく・・・じゃなく解る気がするよ。俺の曖昧な態度が悪かったんだろうな。」
・・・しかし、そんな彼女の思いを直ぐに察して取った彼は、別段、特に嫌な顔色を浮かべ上げるでもなく、自らの側の方にこそ非があるだと言う殊勝なる態度を示し出すと、静かに彼女の方へと向き直り、優しげな口調を持って彼女に語りかけ始めた。
彼自身、恐らくそうなのであろう事を既に予想していたし、彼女の為に何かをしてやりたいと言う思いを強く募らせていた。
勿論、一度知ってしまった事実を、簡単に忘れ去る事など出来やしない・・・、それがまた、非常に衝撃的な事実であればなおさらの事だ・・・と言う事は、彼自身が一番良く解っていた事であり、偽りの自分を演じてその場を体良くやり過ごす事が出来るほど、自分が器用な人間ではないと言う事も、彼は自覚していた。
そこで彼は、思い切って自らの思いをはっきりと彼女の目の前に示し出し、その上で、新たなる誓約をしっかと交わし入れて見せる事を思い付いた。
それは彼女自身の為だけでは無く、自分にとっても非常に利なるものだと、彼はそう確信していた。
(シルジーク)
「正直に言うとさ。俺はお前の事をもっと良く知りたい。お前が嫌がるのを承知の上で、もっと色々と聞き出したい・・・と思っているんだ。その思いに嘘はない。これは俺の本心だ。・・・だが、俺は敢えてお前にそれを聞かない事にする。強要しない事にする。約束するよ。俺は、お前が自分から話したくなるその時まで、ずっと待つ事にする。」
(セニフ)
「シル・・・。」
(シルジーク)
「だからさ。お前はもっと安心して、いつも通りのお前でいてくれ。俺だってその方が扱いやすいし、俺も、腫れ物に触る様な恐る恐る感を出さずに済むしさ。」
(セニフ)
「・・・でも、私・・・、多分、いつまで経っても話す気になんかならないと思う。」
(シルジーク)
「それはそれで良いさ。俺はただ、お前が安心して過ごせる環境を作ってやりたいだけなんだ。」
(セニフ)
「・・・。」
(シルジーク)
「ほらほら。そんなに深刻そうな顔するなって。無理にでも笑おうって言ったの、お前の方だろ?笑おうぜ。セニフ。そして楽しく飲もうぜ。」
その後、そう言いながら、あからさまに馬鹿みたいな作り笑いを浮かべ上げて見せた彼は、黙々としたままに俯く彼女の表情を覗き込む様に顔を近づけ、業とらしくお茶らけた感じで、彼女の頭をわしゃわしゃと軽く掻き乱してやった。
それは以前、彼がよく彼女にやられていた嫌がらせ攻撃と、同様の行為そのものだった。
(セニフ)
「あーん。やめてよもう。ヘアピンが飛んじゃうって。」
(シルジーク)
「あっはは。・・・どうだ?少しは気分が晴れたか?」
(セニフ)
「・・・うん。少し楽になった様な気がする。ありがとう。シル。・・・でもさ、何だかちょっと、酷く自己嫌悪だな・・・。私、シルに我儘言ってばっかり・・・。」
(シルジーク)
「良いじゃないかそのぐらい。別に大した事は無い・・・って言ったらなんだけど、俺に出来る事なら何でもしてやるつもりだからさ。」
(セニフ)
「・・・うーん。」
(シルジーク)
「・・・何だよ。何か不満でもあるのか?」
(セニフ)
「ううん。違うの。私ってさ。いつもいつもシルに借りばっか作っちゃってるみたいで・・・。ああー。私の心は借金まみれだー。」
(シルジーク)
「いいなそれ。その内、元金の倍近い利子を付けて返してくれよ。」
(セニフ)
「えー?私、そんなに返せないよ・・・。」
(シルジーク)
「・・・お前、一体俺からどれだけ借りてるつもりなんだよ・・・。」
やがて、次第に砕けふざけた冗談事が、二人の間で飛び交い合う様になると、二人の表情は、極々自然に穏やかな笑み色を、一面に滲ませ出する様になって行った。
そして、何とも居心地の良い微温湯の中に、頭の先から足の先までどっぷりと浸かり入った様なホッとなる雰囲気を、ほぼ同時に感じ得て取った二人は、不意にお互いの表情をマジマジと見つめる様な仕草を一瞬だけ垣間見せ合い、続いて、唐突に込み上げたバツの悪さを無理矢理紛らせる様にして、グラスを手に持ち、酒を飲みかわす。
勿論、この時二人が感じ得たバツの悪さは、先程感じ得たそれとは、味わいも香りも全く異なる心地良き代物であった。
(シルジーク)
「まあいいさ。別に俺はお前に貸しを作ってるつもりなんか無いんだし。・・・でも、もしお前に、それを返したいって気持ちがあるなら、ちょっとだけ俺の話しに付き合ってくれないか?」
(セニフ)
「・・・話し?・・って?」
(シルジーク)
「あー、そう身構えるな。ついさっき取り交わした約束を、いきなり自分から破る捨てるつもりなんてない。俺が話しをしたいって言うのは、これからの事についてなんだ。」
(セニフ)
「これから?」
(シルジーク)
「そうさ。過去の事については、取り敢えず蓋をして仕舞って置く事が出来るけど、これからの事については、そう簡単に投げ置く事も出来ないだろ?」
(セニフ)
「うん・・・。まあ・・・。」
(シルジーク)
「少なくとも、直近、目先の問題をどうするかぐらいは、今の内に話し合って置くべきじゃないかと思ってさ。」
そしてその後、彼はようやく自らが思い願う前向きな会話へと転じ入る構えを見せ始めた。
彼は既に、自らが歩み進もうとする道筋の近道たる通路口を、完全に封鎖する事を宣言していたが、それでも、自分がもう後戻りできない立ち位置にまで、足を踏み入れてしまっている事を自覚していた。
一度足を踏み入れてしまった世界の中で、前へ前へと歩き進む事以外にない事を悟っていた。
言うまでも無く、その行く末は、彼女自身の思いによって標される場所・・・であり、恐らくその道のりは、予想を遥かに超える険しい難道続きになるであろう事を、既に予測していたのだ。
彼としては、出来るだけ彼女の傍らに付いて歩き、それを見守ってやりたいと考えていた。
(シルジーク)
「その前に、まずは最初に言っておく事がある。セニフ。ちょっと耳を貸せ。」
(セニフ)
「なぁに?」
(シルジーク)
(これは俺からのお願いなんだがな。セニフ。・・・大声を出しても誰も助けに来ない様な場所では、絶対に一人にはなるな。いいな。)
(セニフ)
「えっ?」
(シルジーク)
(お前は狙わる側の立場だろ?もう少し自覚した方が良いぞ。特に基地内に居るからって気を抜く様な真似は絶対にするな。出来れば普段から俺に付いて離れないぐらいの意識で行動しろ。)
(セニフ)
「あっはは。それじゃまるで恋人同士みたい・・・。」
(シルジーク)
(この際、それも仕方ないだろ。十分気を付ける様にしろ。)
(セニフ)
「え?・・・・・・・・・あ、うん・・・。」
(シルジーク)
「それからさ、セニフ。ここからが本題なんだが、お前、今後、どうするつもりなんだ?何か考えているのか?」
(セニフ)
「・・・どうする?」
(シルジーク)
「このまま軍に残るつもりなのか・・・って事だよ。俺達は今、トゥアム共和国政府と取り交わした傭兵契約によって、2年間軍務を全うしなければならない立場にあるが、違約金を支払って自由の身になるって手も無い訳じゃ無い。勿論、それが簡単な話じゃない事は解っているつもりだが、お前、一体どうするつもりなんだ?」
(セニフ)
「うーん・・・。」
直後、彼女は思いっきり思案を巡らせ走らせる様な感じで徐に腕組みをし、程なくして3回ほど小首を左右に振り傾げて見せると、可愛らしき唸り声を長々と奏で上げながら、軽く下を俯いてしまった。
それはまさしく、大して考えていませんでした・・・的な反応そのものであった。
(シルジーク)
「軍に残るって事は、常に死と隣り合わせの仕事を毎日こなさなければならないと言う事だ。特にお前は、俺と違ってDQパイロットと言う立ち位置だ。危険の度合いそのものが違う。・・・かと言って、外の世界にノコノコ這い出るのも危険・・・と言えば危険だし・・・。一体、どうするのが一番良いんだろうな・・・。」
(セニフ)
「・・・結局、何処に行っても、私の居場所なんか無いしね・・・。」
(シルジーク)
「・・・無ければ作ればいい・・・なんて安易な事も、言えないもんな。」
(セニフ)
「シルはさ。どうするつもりなの?」
(シルジーク)
「俺はお前に合わせるよ。特に自分でどうこうしたいって願望も無いしさ。勿論、お前達DQパイロットが稼ぐ特別報酬の額に比べれば、俺達の報酬は微々たるものだけど、元々俺達に課せられた違約金の額は、お前達程じゃないしさ。毎日必死こいて働き続ければ、何とかなるだろ。」
(セニフ)
「・・・シル。それって・・・。」
(シルジーク)
「あー言うな。何も言うな。俺がそうしたいから、そうするだけだ。それ以上でもそれ以下でも無し。」
(セニフ)
「・・・。」
彼女はふと、思わず込み上げて来た熱き思いを、グッと堪え耐える様にして唇を真一文字に結び付け、徐に彼から視線を外し逸らすと、テーブルの上へと俯せる様に体を投げ出し、一度だけ軽く鼻をすすった。
そして、テーブルの上に組み上げた自らの両腕を枕代わりにしながら、静かに彼の方へと顔を向け据えると、白々しくも何事も無かったかの様に、再び酒を呷り飲み始めた彼の仕草を、じっと横目で窺い見遣った。
彼女の目の前にさらりと示し出された彼の言葉は、確かに彼の本心をそのままに込め入れた思いそのものであったに違いなかった。
勿論、彼女としては嬉しかった。非常に嬉しかった。
・・・だがしかし、彼の事をなるべく巻き込まない様にと思い考えていた彼女にとって、それは、容易には受け入れ応える事が出来ない重々しき代物で、素直に喜びの表現を奏で返してあげる気になれなかった。
(セニフ)
「シルってさ・・・。やっぱ優しすぎ。私の事なんか放って置いて、自分の事だけを考えていればいいのに・・・。」
(シルジーク)
「そう言う訳にも行かないさ。お前の秘密を知っている唯一の仲間・・・としてはな。」
(セニフ)
「・・・。」
(シルジーク)
「・・・とまあ、そうは言ったが、これは今すぐに答えを出さなければならない問題って訳でもないし、急がず焦らず、ゆっくりと考える事にしようか。それよりもまず、当面の間、きっちりと生き延びる事だけを考えていかないとな。・・・ほら。セニフ。これ。」
するとそんな時、明らかにしょぼくれた様子で下を俯く彼女の目の前に、徐に彼の掌がスッと差し出された。
彼の掌の上には、ほのかにくすんだ感じながらも、キラキラと小綺麗な光を放つ煌びやかなアクセサリ・・・、大小二つのリングを噛み合わせた不思議なヘッド部分と、ほそ細かに編み込まれたシンプルなチェーンとが特徴的な、銀色のネックレスが乗せ置かれていた。
(セニフ)
「何?これ?」
(シルジーク)
「何って、お守りだよ。お守り。」
(セニフ)
「お守り?」
(シルジーク)
「そう。お守り。」
そして、まさに鳩が豆鉄砲を撃ち食らいました・・・的な、面の食らい様を浮かべ上げてしまった彼女の元に、徐に顔を寄せ近付けた彼が、彼女の耳元で小さくこう囁く。
(シルジーク)
(お前、今日で17歳になるんだろ?誕生日おめでとう。)
(セニフ)
「えっ?」
それは、彼女にとって、全く予想だにしていなかった驚きの言葉だった。
確かに、少し調べ上げれば、直ぐにそれと解り得る程度の情報・・・には違いなかったが、完全に別人たり得て、それを偽り通し続けてきた彼女にとって、それは、余りに唐突過ぎる、衝撃的過ぎる、・・・そして嬉し過ぎる言葉であった。
彼女はまさか、彼が自分の本当の誕生日を祝ってくれようなどとは、少しも考えていなかったのだ。
言うまでも無くそれは、つい数年前まで、帝国国内で国民の休日的扱いを受けていた、記念すべき祝日・・・であった。
(セニフ)
「これ・・・。シルが作ってくれたの・・・?」
(シルジーク)
「ああ。整備作業の合間にコツコツとな。こう見えて俺、結構手先が器用なんだぜ。勿論、そこら辺にある工作機械を、無断で拝借しまくって作ったんだけどな。ちょっと見た目的に悪い部分もあるが、その辺は手作りって事で勘弁してくれ。」
(セニフ)
「・・・そうなんだ・・・。」
(シルジーク)
「二つのリングは大と小、長と短、広と狭、・・・に加えて、光と影、有と無、表と裏、・・・と言った両極端な二つの物を繋ぐ・・・って事を意味しているらしい。御利益は、何でも願いを叶えてくれるって話しだぜ。」
(セニフ)
「・・・。」
(シルジーク)
「本当はさ。こんな粗品じゃなくて、何処でちゃんとしたものを買ってやりたかったんだけどさ。こんな状況だろ?補給担当の知り合いに頼んでみても、どうにもならなくてさ。」
(セニフ)
「・・・。」
(シルジーク)
「そうだ。セニフ。この基地の近くに小さな街があるって事を知っているか?ついこないだまで、ストラ派の貴族が統治していた街なんだけど、パレ・ロワイヤル基地失陥と共に、何処かに逃げ出しちゃったらしくてさ。今じゃ、民衆達だけの力で成り立ってる平和的な中立地帯・・・って感じになってるらしい。外出許可が出るかどうかは解らないけど、今度もし、その街に行けたら・・・。」
(セニフ)
「・・・。」
(シルジーク)
「・・・あれ?どうした?セニフ。何処か具合でも悪いのか?・・・おーい。セニフー。・・・あれ??まさか、目を開けたまま寝てるって訳じゃ無いよな・・・。おーい。」
・・・その直後、彼女は唐突に泣き出してしまった。
人目も憚らず、その場で、思いっきり大泣きを始めてしまった。
まるで堰を切った様に一気に溢れだした涙が、彼女の思いをそのままに表現し得ている様で、止めたくても止められないと言った、もどかしき思いに苛まれる暇も無く、彼女は只管に泣いた。
何を考えるでもなく、泣き続けた。
その後、周囲の目を気にした彼に引き連れられ、店外へと出された後も、彼女は泣いていた。
そして、どうする事も出来なくなった彼が、仕方なしと彼女の部屋まで送り届けてくれる間も・・・、自分の部屋で一人きりになってからも、彼女はずっと泣いていた。
右手に受け渡された、銀色のネックレスを、しっかと強く握りしめながら。
勿論、度々投げかけられる彼の優しげな言葉に、彼女は必死に何かを訴え返そうとしていた。
・・・が、しかし、酷くしゃくりあげた様子の彼女の言葉は、まともに聞き取る事さえできない不明瞭さに塗れ憑かれたままで、何一つ最後まで思いを言い切り終える事が出来ない様子だった。
・・・が、しかし、それが「嬉しい」と言う感情を、必死に示し表そうとしていた行為だと言う事は、彼にも、良く良く解り取る事が出来ていた様だった。