08-22:○一時的な凪
第八話:「懐かしき新転地」
section22「一時的な凪」
EC397年7月3日は、とても清々(すがすが)しき晴天に恵まれた穏やかな一日だった。
それは、幾多幾重にも折り重なった人の死を嘆き悲しむ重々しさとさと、明日以降も変わりなく続けられるであろう過酷な毎日とを思う忌々(ゆゆ)しさとを差し引いても尚、何処か晴れやかなる気分に浸り入れる過ごし易い一日であった。
激しい戦闘が毎日の様に繰り広げられる国境付近のに密林地帯内部にあって、両陣の勢力図を示し現す歪な境界線が、まるで生き物の様に日々進退し行く中、これ程までに戦いが少なかった日は珍しいのではなかろうか。
今朝方早くに勃発した帝国軍の奇襲攻撃によって、てんやわんやとした状況に煽り倒されていた時頃が、もはや懐かしいぐらいである。
ゆったりとした時間の流れが目に見えて滑り落ち行く暗然たる夕刻の末期・・・。
パレ・ロワイヤル基地内で、いそいそと帰還兵達の受け入れ作業に従事していた整備兵達は、色濃い疲労感を如実に感じ得ながらも、徐々に落ち着きを取り戻して行った今日と言う一日に、そんな感想を抱き持ったかもしれなかった。
パレ・ロワイヤル基地周辺部で日々恒常的に勃発する遭遇戦の数は、現時刻の段階において、前日、前々日を大きく下回る結果となっており、これ以降、日付変更時を跨ぐまでの間、帝国軍が大攻勢を仕掛けてくる事態にでも見舞われなければ、一日における戦闘勃発回数の最低記録を、完全に更新しそうな勢いであった。
勿論、本日正午付近に執り行われた遥か西方の地「古都市マリンガ・ピューロ跡地」での山岳地帯戦を加味しても、その日はいつもより平和的な一日であったと言えた。
(ランスロット)
「おやまあ。赤毛の少女が自分の機体に乗って帰ってきたよ。珍しい事も有るもんだねぇ。」
(ジョハダル)
「自分の機体に乗らずに帰って来れる奴なんて、そう滅多にいやしないさ。奴はこれで、ようやくまともな人間になったって訳だ。」
(メディアス)
「だけど今回も、自分の機体に乗らずに帰って来た人間が一人いるね。彼女もまともな人間じゃないって言うのかい?」
(ジョハダル)
「奴の口やかましさは、死神にも疎まれる程の鬱陶しさって事の証明だろうさ。俺が死神なら、地獄行きの馬車の荷台に奴を乗せる事を躊躇うな。」
(ランスロット)
「そしてふと思う。せめて、次死ぬ機会に巡り合う時までに、出来るだけ善行を積み重ねておいて欲しいと。彼女には天国行きの馬車に乗ってもらう為に・・・とね。」
初夏たる時節を迎え入れし真昼時のくそ暑い最中に、過酷な基地周辺部の哨戒任務、迎撃任務へと駆り出されていた彼等兵士達もまた、仕事終わりの解放的な一時を、他愛の無い会話と和やかな笑い声によって満たしながら、ゆったりとした気分で過ごしていた。
格納庫内部全体をぐるりと見渡せる基地施設四階通路窓際付近に屯し、順次運び込まれて来る深緑色の中型DQ「TMDQ-09トゥマルク」の様相を、一機一機、備に眺め回していた彼等にとって、それは、この地へと腰を根下ろす様になってから、初めて訪れた温和なるうつろい・・・と言っても、過言では無い代物であった。
(フレイアム)
「ほぉー。これまたこっ酷くやらて帰ってきたな。一体どんな奴等とやりあったんだ?」
(デルパーク)
「聞いた話じゃ、カリッツォが3、ツィー・ハゲンが1だとよ。」
(フレイアム)
「ツィー・ハゲン?・・・あの砂漠の移動要塞か?」
(デルパーク)
「それも空飛ぶ仕様の特殊改良機だったらしい。・・・信じられるか?」
(フレイアム)
「・・・正直な所、信じたくない話である事に間違いはないな。」
(ジルヴァ)
「んー。・・・かなりの被弾を許してはいるが・・・、然したる致命傷は無し・・・か。・・・ん?」
(フレイアム)
「どうした?」
(ジルヴァ)
「あれは何だ?二番機の右胸装甲部分。不発弾の直撃でも食らったのか?」
(デルパーク)
「カリッツォと近接格闘戦をやらかして、殴り付けられたんだとよ。」
(ジルヴァ)
「はぁ!?カリッツォと近接格闘戦だぁ!?一体何考えてやがんだあいつは!」
(フレイアム)
「今度聞いてみたら?興味があるんだろ?」
(ジルヴァ)
「なっ・・・!ふっざけんな!なんで私があんな小娘に興味を持たなきゃならないんだよ!」
(フレイアム)
「はいはい。すみませんでした。」
(ジルヴァ)
「ちっ・・・!!」
そして、次なる出撃に備えて格納庫脇の小部屋で控え待っていたパイロット達や、哨戒任務ローテーション表から完全に外れた非番の兵士達も、そこに混じり集い、普段よりも適度に賑わいのある様相を醸し出していた。
本来であれば、非番に当たる兵士達は皆、休息の為に自室で睡眠を取らなければならない立場にあり、この様に、哨戒任務ローテーションの各所に配されたトゥアム共和国軍正規軍人達が一堂に会す機会など、そう滅多にある事ではないだろうと予想されていたのだが、つい三時間ほど前に、基地の防衛司令官たるサルムザーク陸等二佐によって開示された新しい哨戒ローテーション表が、余りにもルーズなスケジュールを敷き現していた為、いとも簡単に実現する次第となっていた。
確かに帝国軍の攻撃が俄かに緩み萎んだ頃合いであった事は紛れも無い事実であったが、何時何時、何処から攻撃を浴びせ掛けられるかも解らぬ混沌とした情勢下の中で、いきなり基地周辺部の哨戒任務を減らし割くのは、余りにも短絡的な早計であると言える。
・・・が、逸早く帝国軍の動向を察知する事さえ出来れば幾らでも対応は可能であると、そう考えていたサルムは、兵士達の手によって直接執り行われる哨戒索敵任務に取って代わる、それなりの代用品が揃い整えば、直ぐにでも兵士達の休息を重要視した、哨戒ローテーションスケジュールへと移行したいと考えていたのだ。
そしてこの程、ようやくその代用品が、兵士達の苦労を担い賄うだけの能力を蘇らせ、彼等の元に安寧の一時を降り齎したのだった。
(サルムザーク)
「有線索敵システムの稼動状況はどうだ?」
(チャンペル)
「問題有りません。すべて正常に稼働中です。」
(カース)
「ただ、北西エリア側の復旧率が芳しくない状況にありますので、哨戒任務担当部隊の巡回ルートを多少変更した方がよろしいかと思います。」
(サルムザーク)
「いや。あの場所は敵に突破させる為の罠エリアだ。余り警戒している風を装いたくない。索敵システムが復旧するまで、このまま放置しておく事にしよう。」
(リスキーマ)
「ナルタリア湖対岸付近ポイントW-41-66付近に敵影有り。識別不明機が3。進路方向W0230。こちら側に進撃して来る様子はありません。」
(カース)
「防衛戦車部隊のニレル三佐に連絡。西方哨戒任務中の戦車部隊の内二個小隊を、39-70付近に展開させる様にと。」
(リスキーマ)
「了解。」
(サルムザーク)
「そう言えば、オクラホマ基地のスクランブル体勢に、穴が生じるタイミングがあると言っていたな。あれは何時頃だ?」
(カース)
「明朝0450から0530までの約四十分間です。」
(サルムザーク)
「そうか。ではその時間帯に先んじて、リバルザイナ共和国空軍に、ナルタリア湖周辺部の防空警備をお願いする事にしようか。」
(カース)
「大丈夫でしょうか?」
(サルムザーク)
「朝日を拝むには持って来いの時間帯だろ?きっとドラン大佐も快諾してくれるさ。」
(カース)
「そう言う事では無くて・・・上層部がその話を受け付けてくれるかと言う事です。余り分不相応な要求ばかりなされていると、また上層部内に睨まれる種を撒く事になりますよ。」
(サルムザーク)
「睨まれるだけなら問題ないさ。奴等もこの基地の重要性を理解している事だろうしな。」
今現在のパレ・ロワイヤル基地は、ミサイル基地、秘密基地と言った、仰々(ぎょうぎょう)しき冠が完全に外れ取れてしまった状態で、帝国軍の所有物であった頃の不気味な面影も全く感じられず、単なる一前線駐留基地としての必要最低限の機能を全うするに止まっていた。
同基地が有する様々な防衛機能も、そのほとんどが、対トゥアム共和国軍、対リバルザイナ共和国軍用に、南東方向へと寄り傾けられていた代物群ばかりで、基地周辺部一帯に張り巡らされていた有線索敵網以外に、何ら再利用できるものは無いと言う状況であった。
勿論、基地周辺部に広がる地形的特性から、未だ難攻不落たる様相を多少なりと醸し出していた事は事実だが、それでも、完全に安定化したと言える戦局を維持し得るだけの体制を敷き強いるまでの行程は、それ相応の苦労を要する過酷な道のりであった事は確かだった。
同基地へと着任して以来、満足に睡眠を取る事が出来なかった者達が、特に多く屯していた作戦司令室内だが、この時ばかりは、ようやく安堵した表情で、大きな溜息と小さな軽口を吐き出す者が、チラホラと見受けられる様になっていた。
(カース)
「それはそうと、マリンガ・ピューロで回収した輸送機の積み荷の件は、その後どうなったのでしょうか?全く何の音沙汰もありませんが。」
(サルムザーク)
「何の音沙汰もないと思った方が良いぞ。回収出来た積み荷の残骸も、ほんの一部だけだったらしいしな。」
(カース)
「そうですか・・・。」
(サルムザーク)
「何だ?何かを期待していたのか?」
(カース)
「いえ。そうではありませんが、爆破と言う手段のみを行使して、直ぐに退却した帝国軍の思惑が少し気になります。我々がその残骸を回収すると言う事を考えていなかったのでしょうか。」
(サルムザーク)
「恐らく考えていただろうさ。考えた上で敢えてそうしたと見るべきだろう。帝国軍にとってはそれで十分だった・・・と言う事になるな。・・・まあ、この件に関しては、これ以上俺達が彼是と気を揉んでも仕方がない事だ。後は専門の調査機関に任せる事にしよう。」
(リスキーマ)
「先程の敵機、ポイントW-43-66付近で反転、後退行動に移りました。」
(カース)
「クラリオンベイル隊からの連絡は?」
(リスキーマ)
「今の所有りません。」
(サルムザーク)
「ふーん。後続部隊にも動きはなしか・・・。随分と慎重だな。」
(カース)
「基地の索敵システムが復旧した事を匂わせる展開を、二度も立て続けに披露して見せましたからね。流石に利くでしょう。」
(チャンペル)
「北方50-09付近に陣取っていた敵DQ部隊も引き上げていきます。哨戒部隊との戦闘も回避されました。」
(サルムザーク)
「ふー。・・・この分だと、今夜は多少酒を飲んでも問題なさそうだな。」
(カース)
「あら?二佐?お酒なんか飲みましたっけ?」
(サルムザーク)
「いや。俺の事じゃない。奴等の事さ。」
直後、作戦司令室中央部で、指揮官席の上に身体をだらしなく仰け反らせたサルムは、三日三晩の激務に耐え忍んだ部下達の労を、少しでも労ってやろうとの計らいから、直ぐにパレ・ロワイヤル基地内の非番兵士達全員に、飲酒を許可する旨の通達を出すよう指示を飛ばした。
言うまでも無く、次なる軍務に支障をきたす様な乱酒行為を固く禁じる制限を付け加えたものの、それ以外には然したる禁止事項を盛り込むでもなく、比較的自由度の高い解放的休息を与えてやったのだった。
するとその後、程なくして、パレ・ロワイヤル基地内の様相は、目に見えて異様な活気に満ち溢れ始め、過酷な軍務に精励没頭するよりも、遥かに精力的な働き振りを披露し始めた曰く付きのお調子者共が、意気揚々(いきようよう)たる雰囲気を如実にひけらかしながら、のそのそと蠢動し始めたのだった。
(サフォーク)
「よぉ。セニフ。今回も無事に帰って来れた様だな。取り敢えず、おめでとう。と言っておこうか。」
(セニフ)
「じゃあ私は、取り敢えず、ありがとう。と言っておく事にする。」
(サフォーク)
「何だ。妙に棘のある言い方だな。気分でも悪いのか?」
(セニフ)
「戦場から帰ってきて、一番最初に見た顔がサフォーク・・・ってのが、どうもね。」
(サフォーク)
「おーおー。お前も結構、酷い事をさらっと言う様になったな。昔はもっと素直で、可愛らしい女の子だったのに・・・。」
(セニフ)
「女の子女の子ってね、いつまでも私の事を子供だって思っているその見方が、いちいちカンに触るって言うの。私だってね・・・。」
(サフォーク)
「あー。別にお前の事を子供扱いして言っているつもりはない。気に障ったのなら許してくれ。今回は全くその逆なんだ。」
(セニフ)
「逆?」
(サフォーク)
「そうさ。セニフ。お前、いつぞや俺と交わした約束の事を覚えているか?」
(セニフ)
「約束?・・・約束って・・・なんだっけ?」
(サフォーク)
「あれま。これだ。これだよ全く、お前ときたら・・・。約束を直ぐに忘れちまう様な女は男から嫌われちまうぞ。」
(セニフ)
「だから何さ。約束って。私、何かサフォークと約束してたんだっけ?」
(サフォーク)
「ほーら、パレ・ロワイヤル基地攻略作戦の時、帰ってきたら皆で一緒に飲もうって話をしてただろ。本当に忘れちまったのか?」
直後、セニフは「あー。」と言う間抜けな返答を返すと共に、俄かにその表情を凝り固まらせ、突如として脳裏に蘇った過去のやり取りを一つ一つ思い返しながら、未だ多くの作業員達が右往左往する格納庫内部へと視線を巡らせた。
確かにあの時、彼女は「この作戦が終わったら、皆で一緒に飲みに行こう。」とサフォークに言われ、「うん。」と短く返答を返していた事は間違いなかった。
・・・しかし、彼女にとってそれは、「皆が無事に帰ってきたら・・・」と言う、前提条件がクリアされて初めて発動する約束事であったとの認識が強く、アリミアと言う大切な仲間が一人欠け落ちてしまった時点で、完全に御破算となって消し飛んでしまった代物だった。
(サフォーク)
「本当は昔の仲間内だけで、こじんまりとやろうと思ってたんだが、偶々横で話を聞いていたランスロットの野郎が、偉く張り切り出しちまいやがってな。もう誰彼かまわず手当たり次第って感じで人を集め始めてる。まあ、この際だからってんで、皆でワイワイ飲もうって言う話になった訳だ。どうだ?お前も参加するだろ?大人達だけの楽しいパーティーによ。」
(セニフ)
「え?・・・うーん。」
(サフォーク)
「シルも軍務が終わったら参加するって言ってたし、ジャネットも気が向いたらって、まんざらでもなさそうな顔してたし、偶には良いんじゃないか?羽目を外すのも。隊長の許可も出てる訳だしな。パーッと行こうぜ。パーッと。」
(セニフ)
「・・・うーん。」
セニフは、その後も、しばらくの間、余り乗り気では無さそうな感じで、渋い表情を携えたままだった。
勿論、確かに疲れていた・・・と言う事もある。・・・が、それ以上に、失われた者達に対する非常に色濃い哀悼の念が、彼女の心を強く押さえ付け、その行動力を縛り付けていたのだ。
アリミアやマリオを差し置いて、自分達だけが楽しくお酒を飲むなんて事・・・、本当にいいのかな・・・と。
だが、つい今しがた軍務より解放され、明日の晩まで完全非番なる身分となった彼女には、特にこれと言ってする事が無かった。
取り敢えずシャワーを浴びて、夕食を食べて、寝る・・・と言うこと以外に、何もする事が無かった。
それに、いつまでもしょぼくれたままでいては、アリミアを心配させるだけだ・・・と、そうも思っていた彼女は、「じゃあ私も、気が向いたらで・・・。」と言う、曖昧な返答をサフォークに投げ返し、一時的にその場をやり過ごす事にした。
シルと一緒にお酒を飲むのが嫌、と言う訳じゃない。
ジャネットと一緒にお酒を飲むのが嫌、と言う訳じゃない。
サフォークとだって、一緒に楽しくお酒を飲んで騒ぎたい、と言う思いはある。
皆で楽しく飲んで、馬鹿みたいにはしゃぎたい、と言う思いは確かにある。
でも・・・。
彼女はふと、未だに見慣れぬパレ・ロワイヤル基地内の様相を静かに眺め回しながら、一つ、小さな溜息を吐き出した。
そして、嘗て、チームTomboyの仲間達六人で楽しく騒いでいたあの頃の記憶を備に思い返しながら、自室へと向かう通路をゆっくりと歩き始めた。