08-04:○酷暑へと至る朝方の情緒[2]
第八話:「懐かしき新転地」
section04「酷暑へと至る朝方の情緒」
パレ・ロワイヤル基地内において、最西端部に位置するこの第六格納庫は、切り立った岩壁を南北に細長く削り取って形成された、長方形型の地下格納庫であり、その東西壁際に備え付けられた整備作業ラインには、それぞれ五機づつ、合計十機ものDQを収容可能な、巨大な整備作業用ピットが立ち並んでいる。
格納庫内各所に施された様々な設備も、ほぼ申し分ない性能を有したものばかりで、多少、トゥアム共和国製製品と規格が異なる点はあったが、DQを整備すると言う同じ目的を持って建設された施設だけあって、ネニファイン部隊のDQ整備作業が著しく滞る様な事態には陥らなかった。
今現在、この格納庫内には、本日十四時よりパレ・ロワイヤル基地周辺部の哨戒任務に当たる、第17、第18哨戒ローテーション小隊所属のDQトゥマルクが六機収容されており、その機体周囲で忙しく動き回る整備作業員達の手によって、出撃に向けた準備が着々と進められている状況にある。
格納庫メインゲート側から見て一番奥に存在する四つの空き作業ピットも、十二時に帰還予定の第09哨戒ローテーション小隊受け入れ作業や何やらで、屯す整備作業員達の表情から精力的装いが消え失せる様な気配はなかった。
とは言え、DQ機体整備作業における主たる繁忙期を乗り越え、次なる作業工程へと至る過渡期にあった各作業ピットは、明らかに取り付く整備作業員達の姿が疎らであり、内に篭る様に反響していたけたたましき雑音も、何処か不思議と閑散たる雰囲気を作り出していた。
本来であれば、作業進捗の遅れを取り戻したその余勢を駆って、一気に次なる作業へと雪崩れ込みたい所ではあったが、整備作業の最後を締め括るシステムリンク作業は、そのDQに搭乗するパイロット達の存在が必要不可欠な共同作業であり、整備作業員達が如何に優秀でやる気に満ち溢れていたとしても、勝手に作業を推し進める訳にはいかなかったのだ。
整備作業の最終工程において、最も重要視される作業項目は、最終的に仕上がったDQの機体状態を、パイロット達自身の手によって確認する事にあり、その過程で浮き彫りとなった様々な問題点を、適宜修正して行く事にある。
如何に整備作業員達が完璧に近い仕上がりを持って整備作業を終えたとしても、そのDQに搭乗するパイロット達の了解が得られなければ、その作業を終わりとする事が出来ないと言う事は、彼等整備作業員達自身、良く解っている事だった。
(ルワシー)
「あ~ぁ。かたりぃなぁ。こんな天気の良い日に、小狭いコクピットの中で缶詰とはよ。偶にはゆっくり夕方まで爆睡ぶっこきてぇもんだなぁ。」
(ペギィ)
「そうよねぇ。こっちに来てから、まともに休めた日なんてないものね。毎日毎日帝国軍の相手をして、疲れて帰ったと思ったらまた出撃。ほーんともう寝不足で寝不足で、へばっちゃいそうだわ。あーっと。ルワシーはもうちょっとへばった方が良いかもね。そのぽよよ~んとしたお腹、見ててみっともないわよ。」
(ルワシー)
「何言ってやがんだ。この鍛え抜かれた肉体美が目に入らねぇってのか?ええ?」
(ペギィ)
「お生憎様。私の目にはそんな大きなお腹は入らないわよ。せめてもう三回りぐらい絞って、スマートになってもらわないとねー。」
(バーンス)
「こいつの腹を三回り絞る為には、相当の覚悟と努力が必要そうだな。何せこいつときたら、目に入った食べ物は全部残さず食べる主義だからな。」
(ルワシー)
「うっるせぇな。いつ死ぬとも解らねぇ不確かな身で、ちまちま節食なんざぁしてられっかよ。好きなもんを好きな時に好きなだけ食う。これが俺様の流儀ってもんよ。誰にも指図される言われはねぇぜ。」
(ペギィ)
「あんたの流儀なんか知ったこっちゃないんだけどさ。そのままほっといたら、その内悪い病気になっちゃうかもって思っただけ。」
(バーンス)
「はっはっは。それは言えてるな。俺もお前の流儀に難癖つけるつもりはないが、少しは体内のエネルギーを消費させる努力をしたらどうだ?今度一緒にジムで汗でも流すか?」
(ルワシー)
「よせやぁ。中年のじじぃと一緒に、二人で汗流す趣味なんてねぇぜ。」
(ペギィ)
「うっわ。ちょっとやめてよその表現・・・。気持ちの悪いじゃないの・・・。」
しかし、システムリンク作業開始予定時刻から十五分が経過した時点で、ようやく格納庫内へと姿を現したパイロット達は、そんな整備作業員達のもどかしき思いを少しも察する風でもなく、暢気な会話を悠々自適に繰り広げていた。
遅れて来た理由は?・・・と問われれば、特に然したる理由もなく遅れてきたと言う他ない彼等だが、休みなく続けられる帝国軍との攻防に、多少辟易していた事だけは間違いなかった。
ただ、めまぐるしい忙しさに忙殺されて、激しい徒労感に襲われていたのは、整備作業員達も同じ事であり、彼らにしてみればそれは、迷惑千万極まりない嫌がらせ行為に等しいものだった。
全身深緑色に塗装し直された巨大な人型兵器が並ぶ格納庫内の中央通りを、ゆっくりと練り歩く大小長短不揃えな男女六人は、それぞれの共通点を見つけ出すのが困難なほど、バラエティーに富んだ顔触れで構成されていた。
唯一そこに、何かしらの統一感を見出すとすれば、それは全員、真新しい群青色の軍服に身を包んでいたと言う事だけであろう。
先頭を歩く二人の男性は、どちらもがっしりとした体格の迫力のある風貌の持ち主で、進行方向左手側を歩く男が、顔中に無数の傷跡を携えた歴戦の勇者「バーンス・シューマッハ」である。
彼はそれほど大柄と言えるほどの体躯に恵まれていた訳ではなかったが、丸みを帯びた顔貌から覗く鋭い眼光が、彼の持つ覇気の全てを如実に誇大化させて居るようでもあり、如何なる兵が目の前に立ちはだかろうと、容易には太刀打ち出来ぬ威風を醸し出していた。
しかし、十代の半ば頃から、常に生と死の境界線上を彷徨い歩いてきた身でありながら、尋常ならざる狂気的精神に病み憑かれる事も無く、平時における彼の気質は、常に温厚と言って差支えない物柔らかさを有していた。
一方、その右手側を歩く、これまた一風変わった風貌をした男性は、「ルワシー・オスカフォード」と言う、DQA上がりのDQパイロットだ。
彼の身体は全身がっしりとした筋肉に覆われてはいるものの、横幅の広い体躯に大きく突き出た巨腹が目に堪えない形をしており、ツルツルのスキンヘッドに意味なく突き立てた、カラフルな鶏冠頭が特徴的な男性で、その性格は大雑把にして直線的、大胆でいて向こう見ずと言った、かなりお粗末なものとなっている。
ただ、彼の口から吐き出される品の無い悪言とは裏腹に、思いのほか男気に満ち溢れた行動に出る事もしばしばで、彼の存在をあからさまに毛嫌いする様な風潮は、部隊内の何処にも見られなかった。
そして、彼等二人の直ぐ後ろを付いて歩く女性が、一際馴れ馴れしい態度でネニファイン部隊内を専横する、根明者「ペギィ・サイモン」である。
彼女はネニファイン部隊内で唯一となるアブキーラ連邦出身者で、常時耳まで隠れる深い帽子を被っており、前髪の両サイドから長く垂れ落ちた水色の巻き髪が特徴的な可愛らしい人物であった。
見るからに均整のとれたしなやかな体躯と、おしとやかそうな顔立ちからは、女性らしい女性と言う一見して温和な人柄を想像してしまうが、実際に彼女が有するその人となりは、非常に開放的で人懐っこいもの・・・と言うより、非常に鬱陶しくも感じる強引さに満ち溢れたもので、部隊内でも奥手側に位置する根暗者達からは、すこぶる疎まれていた人物の一人だ。
しかし、彼女が見せるその明るく元気な立ち振る舞いの中には、陰鬱な感傷にのめりがちな兵士達の心を、多少なりと和ませる効果が含まれていた事は確かで、小煩き彼女の言動や態度を、頭ごなしに抑止する輩達の姿も特になかった。
やがて、後背でもたつく三人のパイロット達を大きく引き離し、西側に並べられたトゥマルクの足元へと辿り着いた彼等三人は、そこでいそいそと整備作業を推し進めるシルの姿を見つける事になった。
するとシルは、徐に流した視線を持って彼等三人の顔色を順々に見やり、業とらしくも初めて彼等の存在に気付いた様な素振りで、あからさまにブー垂れた表情を作り出して見せたが、やはりと言うか、遅れて登場した三人のパイロット達は、少しも悪びれる様子を見せなかった。
(ルワシー)
「おうシル。朝っぱら早くから、俺様の為にご苦労なこったぁよ。整備作業の方はどうだ?少しははかどってんのか?」
(シルジーク)
「お前らが居ないと始まらない整備作業が、どうやったらはかどるって言うんだよ。見ての通り作業は完全に停滞の一途を辿っています。」
(ルワシー)
「なぁに。そんなチンケな作業、俺様の手にかかれば、ものの三分で終わりを見ちまうぜ。期待して待ってなシル。」
(シルジーク)
「ああっ?自動システムリンク作業だけでも、最低三分はかかるって言うのに、どうやってその作業時間を短縮するつもりなんだよ。大言壮語も余りに度が過ぎると、その内誰からも相手にされなっちまうぞ。」
(ルワシー)
「はっ。そんなもん、てめぇの努力と根性で何とかせいっちゅうの。何の為の整備作業員なんだよ。」
(シルジーク)
「あのな・・・。俺達整備作業員は、至極真っ当な現実世界のお仕事を相手にしているの。どこぞのテレビアニメみたいに、魔法の杖一つで何でも出来たりしないの。」
(ルワシー)
「なぁんだ、おめぇ。魔法使えねぇのか。つまんねぇ奴だなぁ。」
(シルジーク)
「お前・・・。本当は俺の事、馬鹿にしてんだろ・・・。」
ルワシーとシル。一見して何ら目ぼしき共通点の一つも見いだせぬこの両者が、昨今かなり仲の良いやり取りを見せる様になった事は、バーンスもペギィも知っていた事だった。
そして、両者が共に得意とする毒言の吐き付け合いへと事態がエスカレートすると、延々と不毛なる会話を繰り広げる事も、最終的にどのような経路を辿り経ようとも、何ら意味なき結末しか迎え入れない事も知っていた。
勿論、バーンスにしてみても、ペギィにしてみても、こう言った言葉遊びが嫌いなタイプではなかったのだが、周囲で行き交う他の整備作業員達の白々しき視線によって、その愚行を止めに入らざるを得な立場へと追いやられてしまった訳だ。
(バーンス)
「おいおいシル。いつまでもこんな奴の埒も無い会話に、真面目に付きやってやる必要はないだろう。早いところ、さっさと整備作業に取り掛かろうぜ。」
やがて、多少呆れ気味の溜息を持って二人の前へと踊り出たバーンスが、その場にいる最年長者らしく、事態の収集を試みる言葉を発して見せる。
言うまでもなく、自分自身が遅れてきたと言う事実については、完全に素知らぬ振りを突き通した。
(ペギィ)
「そうそう。整備作業員達の皆が魔法使いに見えちゃうほど、低能な野蛮人を相手に、貴重な時間を費やす事ないわよ。馬鹿の相手はそれなりにー。ブタの相手もそれなりにー・・・ってね。」
しかし、彼の背後からひょっこりと顔を出して、小憎らしい笑みを浮かべて見せたペギィの態度は、明らかに火に油を注ぐと言った香りが漂うものであり、バーンスが強引に打ち鳴らした終幕の鐘の音は、虚しくも儚く蚊帳の外へと掻き消えてしまう事となった。
勿論、彼女が真に意図した所は、バーンスのそれと然程変わらぬものであったはずだったが・・・。
(ルワシー)
「なぁんだとペギィ。おめぇ。この俺様に喧嘩売ろうってんのか?今度その目障りな揉み上げと一緒に、チチ揉んでやろうか、チチ。馬鹿みたいに喚き散らすしか能のねぇ単細胞の分際で、いつまでもへらへらと威張り腐ってんじゃねぇよ。このツイン鼻水野郎が。」
やがて、程なくして、火を見るよりも明らかなるルワシーの反応が続き・・・。
(ペギィ)
「ツイン鼻水・・・。ツイン鼻水って何よ!あんたみたいな小汚い鶏男に言われたくないわよ!大体何なの?その悪趣味な鶏冠頭は!そんなんで一端のお洒落さん気取りですか!?ブクブクと肥えた醜い図体の上に、馬鹿みたいにカラフルなお花畑作って、まるで壊れた穀潰しみたいよ!ほーんと気持ち悪いんだから!あんた鏡で自分の姿見た事あるの!?」
ミイラになったミイラ取り・・・と言うか、元々ミイラたる素質に富んだペギィの攻撃が加え被される・・・。
この時点でもはや、事態は容易に収束しえぬ、激しい乱戦へと突入する様相を呈し始めていた。
(ルワシー)
「お花畑だぁ!?言ってくれるじゃねぇかてめぇ!このモヒカンはな!俺様の真っ直ぐな生き様を象徴する、至極のヘアスタイルなんだよ!てめぇのそのグネグネとひん曲がった鼻水ヘアとは訳が違うんだ!結局の所、おめぇのそれは、頼りないチチを覆い隠す為の飾りもんだろがよ!」
(ペギィ)
「うっわ最低!女性に向かってそんな事言うなんて、ほんと信じらんない!そんなんだからあんたは、いつもいつも低能低能って言われんのよ!どんなに頑張ったって変わり映えしない醜いトン公の分際で、ブーコラブーコラ偉そうな事言ってんじゃないわよ!大体ね!私の胸はそんなに小さくないわよ!」
(ルワシー)
「貧乳貧乳っつって怒る奴ぁな!みーんな貧乳って相場決まってんだ!幾ら必死に否定して見せたって駄目なもんは駄目なんだぁよ!このカス女が!あ~ぁ。なんてつまんねぇ女なんだなろうな。興醒めもいいとこだ。つまらんつまらん。」
(ペギィ)
「ちょっとこのブタ!あんたほんっと、いい加減にしなさいよ!」
(シルジーク)
「あーあーあーあー!!!解った解った!!もう解った!よーく解った。解ったからもうやめろお前等。頼むから早いところリンク作業に入ってくれ。」
しかし、放って置けばいつまでも際限なく積み重ねられる両者の戯言に、とうとう痺れを切らして大きな溜息を吐き付けたシルが、半ばやけ気味の態度を押し通して二人の間に割って入った。
いつ死ぬとも解らぬ戦地を目の前にして、こうも無意味な会話に興じられる精神は、全く持って異常と称す以外にない頼もしさを感じ得るものだが、周囲の者達への悪影響を鑑みれば、それは差し止めざるを得ない愚行そのものと言えた。
勿論シル自身、こう言った他愛の無い馬鹿騒ぎが嫌いな訳ではなく、過酷な作戦任務へと向かう兵士達の気分を少しでも紛らわそうと、態々(わざわざ)自らその相手を買って出る事も少なくない。
だが、流石に部隊内でも指折りの鬱陶しさを誇る暴れ馬二頭を前にして、彼は上手くその手綱を握る事が出来なかったのだ。
(シルジーク)
「ほら。お前達17ローテ小隊の機体はあっち側の作業ピットだ。アマーウがずっとお前達の事を待ってるんだから、早く行ってやれって。機体の並びは小隊メンバー登録順で、出入り口側からバーンス、ルワシー、ペギィの順になってるからな。」
(ルワシー)
「なぁんだ。こっち側じゃなかったんか。なんか無駄に馬鹿騒ぎしちまったっつう感じだぁな。」
(シルジーク)
「お前まさか・・・、あっちに行ってからも、同じ様に騒ぎ立てるつもりじゃないだろうな・・・。」
(ルワシー)
「そんなのあったりめぇだろうがよ。どんな場所でも、俺様の行く所には、必ず俺色の花を盛大に咲かせてやんねぇとな。居心地が悪くてしょうがねぇ。」
(シルジーク)
「バーンス。今度こいつが騒ぎ出したら、思いっきりぶっとばしてやっていいからな。勿論、手加減する必要なんかないぞ。」
(バーンス)
「あっはっはっは。了解した。」
やがて、次第に下火へと回り行く周囲の様相を余所に、名残惜しそうに最後の世迷言を投げ付けたルワシーが、やや強引気味に背中を押し立てるバーンスに引き連れられ、その場を後にする。
シルはここで、ようやく安堵した様子を色濃く滲ませた小さな吐息を一つ吐き出し、無駄に疲れ果てた全身の倦怠感を軽く拭い去る様に、小首を二、三回左右へと傾げた。
騒ぎ立てるだけ騒ぎ立てて、周囲に何ら益を齎さぬ、その傍若無人振りは、云わば巨大なハリケーンとも言うべき、理不尽さを感じ得るものだが、それが過ぎ去った後の爽快感もまた格別の味わいがあった事も確かで、シルは、不思議とねちっこい後味の悪さを感じていななかった。
しかし、本来であれば、いの一番で彼の元へと到達するはずの本命たる大嵐、小煩い赤毛の少女の存在が、今だ全く感じられないと言う奇妙なる事態に気付くと、彼は不思議そうな面持ちを持って周囲へと視線を這わせる事になる。
つい先ほど彼が確認した限りでは、格納庫内へと姿を現したDQパイロット達は、全部で六人いたはずで、勿論その中に、彼が担当する18ローテ小隊のメンバー達も含み込まれていた事は確かだ。
先行した三人のパイロット達より、やや遅れて姿を見せたとはいえ、今し方の馬鹿騒ぎの合間に彼女達が辿り着かないはずもなかった。
もしかしてあいつら、バーンス達とは別に、あっち側の作業ピットに行ったんじゃないだろうな・・・。
シルはふと、真っ先に思い付いた思考に従い、反対側の作業ピットへと視線を投げかけると、しばし視線を右往左往させて、残る三人のパイロット達の姿を探し求めた。
パレ・ロワイヤル基地着任と共に、非正規軍人パイロット達にも支給された真新しい軍服は、格納庫内を駆け回る整備作業員達の深緑色の作業着とは異なり、非常に濃いめの群青色一色で統一されているのが特徴的で、然程意識を注意深く巡らせなくとも、一目でそれと解る代物だった。
しかし、容易に探し出せるものと高を括って見渡した彼の視界内には、東側作業ピットへと向かう大柄な男達二人の後ろ姿と、今だ直ぐ近くで別の整備作業員と話し込むペギィの姿、そして、彼の居る作業場から程近い場所で一人ぽつねんと佇んでいる、抹茶色の髪の長身女性の姿しか捉える事が出来きず、赤毛の少女と言う条件に当てはまる様な人影を見つける事が出来なかった。
やがてシルは、あからさまに無愛想な表情のまま、煙草をふかす抹茶色の髪の女性、「ジャネット・クライス・ホスノー」と不意に視線をかち合わせると、他の二人は?・・・と言わんばかりの表情を浮かび上がらせ、業とらしくも両手を左右に放り出して見せた。
するとジャネットは、何処か訝しげな表情を浮かび上がらせながら、大きく吸い込んだ煙草の煙を周囲へと撒き散らし、静かにとある方向を右手で指差して見せる。
実弟であるマリオの死から、まるで人が変ってしまったかの様に、刺々しき威風を醸し出す様になってしまった彼女だが、こうした業務的やり取りだけに関して言えば、彼女の方から一方的に無視を突き通される事は無かった。
勿論、面と向かって他愛の無い会話に興じるまでには至ってはいないものの、お互いにDQパイロットとその整備作業員と言う立場上、絶対に顔を合わせないままにして全てを済ます事など不可能であると、暗に察していたからなのかもしれない。
確かに彼女が醸し出す雰囲気、態度と言った外面的様相は、以前のものと比べ、大分異なる印象を拭い切れないものとなっていたが、全く何を言うでもなく交わされた些細なやり取りの中で、彼の意図を正確に読み取って見せた彼女の所作は、やはり以前のジャネットをほのかに感じさせるものであった。
この時彼女は、システムリンク作業を開始するにあたり、シルが一体誰の機体から手を付け始めたいのかと言う事を、既に解っていたようだった。
程なくしてシルは、ジャネットの右手が指し示す方向に素直に視線を走らせ、次第に格納庫内の奥の方、奥の方へと意識を移し替えて行くのだが、そこでようやく、彼の探し求める可愛らしい赤毛の少女「セニフ・ソンロ」の姿を見出すと、あからさまに呆れ果てた表情を浮かび上がらせる事になる。
そこは、ほぼ格納庫出入り口付近と言って差支えない壁際辺りであり、彼女はこの格納庫内に姿を現してからここ数分間の間に、たったの十数歩分程度しか歩みを進めていなかったのだ。
そして今も尚、直ぐ傍らに寄り添うように立つ、もう一人の男性パイロットと、何やら楽しげな会話を繰り広げている様子で、時折笑顔を交えて言葉を返す彼女の振る舞いからは、少しもその場を動き出そうと言う意思が感じられなかった。
あれが新しく来た新人パイロットか・・・などと、不意にありきたりな所感を脳裏に思い浮かべてしまったシルは、いつまでものんきに談笑を嗜む彼女の姿に苛立ちを覚え、俄かに大声を張り上げて彼女の名を呼んだ。
(シルジーク)
「おおい!!セニフ!!いつまでそんな所に突っ立ってるつもりだ!!早くこっち来てトゥマルクに搭乗しろ!!リンク作業お前からだぞ!!」
すると、唐突に浴びせかけられたシルの怒号に驚いたのか、やや大袈裟気味な反応を持って頭を擡げたセニフが、何処かばつの悪そうな笑顔を繰り出しながら、シルに左手を振り返してきた。
そして、最後に二、三回程、その男性パイロットと短く言葉を交わし合うと、今度は慌てた様子を垣間見せながら、全速力でシルの方へと向かって走り寄って来る。
全く・・・この糞忙しい時に、一体何を考えてるんだよあの馬鹿!
お前のリンク作業が一番時間がかかるって、あれ程言っておいただろうが!
ほんと毎回毎回、時間にルーズな奴だ!
・・・と、独り言の様にブツブツと小さくそう言葉を呟き出したシルは、心の奥底から沸き起こるイライラ感を紛らす為、大きな舌打ちに乗せて大きな溜息を吐き出して見せた。
そして、一体何をそんなに楽しく話し込んでいたのだろう・・・と言う、懐疑的思念に渦巻かれながら、もう一度その男性パイロットへと視線を投げかけた。
彼が「ロッコ・ミラマール」と言う名前で、年齢が二十三歳である事など、予め手渡された資料から読み取れる程度の情報なら、シルも既に解っていた事だったが、その人となりや物事の考え方、DQパイロットとしての資質と言った、内面的な情報に関しては、今だ何も解っていなかった。
周囲に流れる風の噂を頼りにその人となりを想像すれば、非常に温和でおっとりとした性格の好美男子と言う、良いこと尽くしの凛とした人物像が出来上がるのだが、何故かこの時、シルは彼の醸し出す雰囲気の中に、何処となく不気味な胡散臭さを感じてしまっていた。
勿論、それが何かと問われれば、彼自身、その理由を明確に説明する事が出来なかったかもしれないが、現状、DQパイロット余りの状態であるネニファイン部隊に、新人パイロットが配属される事自体、奇妙な話であるし、彼の出身地がセルブ・クロアート・スロベーヌ帝国であると言う事も、シルの疑念を増幅させる要因となっていた。
やがてシルは、主観的第一印象のみでその人を判断する愚をなるべくを避けようと、大きく天井を仰ぎ見てゆっくりと深呼吸を繰り返し、一度静かに両目を瞑った。
そして、ようやく作業が開始できるな・・・と言った、強い意気込みを心の中に滾らせて両目を見開くと、きりりとした表情に立ち返らせて前を向いた。
しかし、そんな時に限って、彼の思いを端から挫く「何か」が、彼の元へと舞い降りるのが通例で、彼はその自らの運命を呪う暇も与えられないまま、次なる対応を余儀なくされるのだ。