08-01:●魔境の森
第八話:「懐かしき新転地」
section01「魔境の森」
セルブ・クロアートスロベーヌ帝国の広大な領土を、大きく南北に分断する「コンサット山脈」は、言うまでも無く、ムーンスローブ大陸最大級の山々が連なる大山脈群であり、まさに天界と称すに相応しい、壮麗な高さを誇る山々が軒を連ねている。
中には10000メートルを遥かに超える神々(こうごう)しき山が存在する事も確認され、古来より人々は、この地に神が住まうものとして崇め敬ってきた。
しかし、科学の進歩と共に人外なる世界感が徐々に侵食されて行くと、人々の思いは、偶像崇拝なる信念よりも、より現実的な利己的欲求へと思いを馳せ始め、終には、この地に強大なる要塞基地群を建設するに至るのである。
第十一代皇帝シュヌパーリィの時代に建設されたその要塞基地群は、難攻不落の山岳都市「マリンガ・ピューロ」を中心として、山岳地帯の要所に配された、合計二十箇所もの小規模秘密基地によって構成され、南方からの侵攻勢力に対して完全無欠の強さを誇っていた。
先の大戦において、現在のリバルザイナ共和国、旧サンカサロ帝国の侵攻を、延べ二十一回に渡り撃退せしめたと言う事実は、今尚語り継がれる逸話となっている。
勿論、航空兵器の開発技術力が著しい発展を遂げたEC360年代初頭には、次第にその防衛能力に陰りが見え始め、最終的には、サンカサロ帝国の二十二回目の大攻勢を持ってして、地図上から完全にその姿を消してしまう結末を迎えるのだが、マリンガ・ピューロと言う一時代を築いた恐るべき要塞基地群は、その防衛司令官だった「ミハエル・レブ・バシュトゥルク」将軍の名と共に、伝説と呼ぶに相応しい存在であった。
その後、山岳都市マリンガ・ピューロは、グリーンクラッド作戦によってばら撒かれた、大量の人工樹木群によって完全に深緑の大海の中に埋もれ、嘗ての栄華がまるで嘘だったかのように、ひっそりとした森閑の中に包み込まれる事となる。
と言うのも、帝国国内でマリンガ・ピューロ再建の気運が高まるより以前に、コンサット山脈の西側から南進した「デルネギス・レブ・ブラシアック」の軍勢が、南方サンカサロ地方一帯を制圧してしまった為、軍事的利用価値を失ったこの地に、多額の再建費用を費やす必要性が無くなってしまったからであった。
勿論、コンサット山脈一帯に存在する、貴重な鉱物資源を掘り出す為の採掘場などは、その後も、吐いて棄てる程に数多く乱立する事になるのだが、マリンガ・ピューロを建設するのに要した多額の費用、多大な労力を鑑みれば、完全に焦土化した廃都市の再建に、二の足を踏んでしまう事は、至極当然の流れもと言えた。
そして、大戦が終了して間もなく、メルタリア海を望む北岸の辺に、「ブラシアック」なる大都市を建設する計画が取り沙汰されると、やがてこの地は、人々から完全に見放された、追憶の遺跡風情へと成り下がってしまう事となる。
延べ四百年にも及ぶ長い帝国史の中で、著しい衰退期にあった帝国の命運を、常に最前面で支え続けた強固なる南の壁「マリンガ・ピューロ」は、確かに、永遠に後世に語り継がれるであろう、神々(こうごう)しき戦果を残すに至ったが、長きに渡り続いた戦争の凄惨な記憶を、出来るだけ早く掻き消したいと願う人々の思いは強く、その英姿は、完全に深い深い森の中で、朽ち果てて行くだけの運命を定められる事となった。
その後、コンサット山脈から東方「タリオヘネス山脈」にかけての北方裾野一帯は、人智を超えて爆発的に変異成長した人工樹木群の猛威により、人跡未踏たる大自然を形成するに至る。
そして、凄惨な過去の記憶を封印せり、忌まわしき土地と言う事も相俟って、今では、決して誰も立ち入らぬ「魔境の森」として、人々の畏敬の念を集めるようになった。
しかし、そんな人の手の行き届かぬ辺鄙な土地だからこそ、逆に人目を憚らず策動できる「何か」があった事も事実であり、当時、廃墟と化したマリンガ・ピューロの工場跡地から、大量の高濃度汚染物質が漏れ出していると言う噂話が、帝国国内で大々的に喧伝されるようになったのも、この地に「関係者以外立入禁止」と言うレッテルを簡単に貼り付けたいと言う、帝国の思惑があったからだとされている。
実際、この件に関して、専門の調査団が幾度と無くマリンガ・ピューロ跡地を訪れ、現地の汚染状況を調査する次第となったが、特にこれと言って重大なる問題点を抽出するには至らなかった。
勿論、これ程広大な「魔境の森」全てを調査する事など、出来ようはずも無い実情から、その真偽の程を確かめる手段がなかった事も確かであり、半強行的にこの地を封鎖するに至った帝国の行動を、あからさまに非難する事が出来なかった事も事実である。
しかし、「魔境の森」完全封鎖に関わる一連の経緯の中に、帝国最高評議会ストラ派の意思が強く関わっていた事実が判明すると、周辺諸国も強い警戒心を抱かずにはいられなかった。
それはつまり、周辺諸国に対する強行的思想を持ったストラ派が、完全封鎖した「魔境の森」を利用して、何かしら後ろ暗い陰謀を、張り巡らしているのでは無いかと勘ぐった為であり、再び混沌とした戦乱の時代へと遡行する危険性を憂慮した為だ。
勿論、「魔境の森」を完全封鎖するに至った帝国の行動が、真に汚染物質流出と言う問題に対応する為のものであるなら、周辺諸国もこれ程までに強い反発心を見せなかったかもしれない。
しかし、その確固たる証拠を一つも提示できなかった帝国の対応が、周辺諸国との間に更なる強い軋轢を生み出してしまった事も事実で、その後、帝国は「魔境の森」に程近い南方リバルザイナ共和国、東方トゥアム共和国との間に、小さな軍事衝突を幾つも生じさせる結果となってしまった。
そして、挙句の果てには、元々帝国と険悪な関係にあったトロス王国と、もはや小競り合いと称すには大きすぎる規模の激しい地上戦、艦隊戦を繰り広げるに至り、事態はより一層深刻化した状況へと転落の一途を辿っていった。
(戦後、トロス王国が帝国との和平交渉に応じなかったのは、サンカサロ地方を制圧したブラシアック家南進軍の攻撃によって、凄惨な被害を被るに至った国そのものであったからで、その一番の被害者たる王国国民の大半が、帝国の思惑と同調する事を強く拒んだ為だとされている)
しかし 長い長い戦乱の時代を経て、ようやく手にした平和的風潮を、儚くも無残に掻き消してしまう事など、何れの陣営も望んでいなかった事だけは確かで、当時、帝国の最高権力者であった女帝ソヴェールが、自ら事態の収拾を試みて周辺諸国を奔走して回ると、事態は漸進的に回復の徴候を見せ始める。
サンカサロ地方において、激しい戦闘を繰り広げた挙句、完全に泥沼化の様相を呈してしまったトロス王国との関係については、その後も茨の道たる難道を歩む羽目になってしまうのだが、それでも、この「魔境の森」に関する一連の騒動に関しては、ある程度なだらかな緩斜面へと軟着陸させる事に成功したのだった。
第十三代皇帝ソヴェールが残した数々の功績は、確かに当時の帝国を劇的に改変させる良薬であった事は間違い無く、時に独善的とも揶揄される強引な辣腕振りも、疲弊した戦後の帝国を支えるのに非常に有効的だったと言える。
しかし、友好的関係を構築しつつあった周辺諸国との間に、深い溝を掘り込ませるに至った、この騒動に関してだけ言えば、彼女は処方する薬を取り違えたと称さざるを得なかった。
最終的に彼女は、この騒動に関する全ての責任が自らの失政にあった事を素直に認め、周辺諸国と帝国国民に対し、皇帝自ら謝罪声明文を発表する事で、ようやく事の顛末に終止符を打つ事になるのだが、元々周辺諸国に対して非常に融和的思想を持った彼女が、当初からこの件に関して賛成の意を表していたかと言えば、全くそうではなかった。
寧ろ彼女は、「魔境の森」を封鎖する事が帝国最高評議会で可決された後も、幾度と無く帝国最高権力を持って棄却しようと考えていた反対派の人間であり、この議案が可決される事によって生じる様々な問題を、予め予測出来ていた人物であった。
それでは何故、彼女がこの議案を端から棄却する事が出来なかったのか。
それは、この議案が九割五分と言う圧倒的賛成意見を収集して、可決されたものであったからで、如何に専横体制の頂点たる権力を持ってしても、簡単にこの決定を覆す事が出来なかったのだ。
言うなれば彼女は、自らが従える帝国貴族達の総意たるこの議案を棄却する事で、自らが生み出した帝国最高評議会の存在意義を、完全に失墜させてしまうのでは無いかと危惧した為で、ストラ派のみならず、他の帝国貴族達全てを敵に回した専制政治と言う愚を避けたい、と言う思いが彼女自身にあったからだ。
確かに考えてみれば、ストラ派に敵対するロイロマール派貴族達までもが、この議案に然したる物言いも付けず、大人しく賛成の意を示したと言う事実は、全く持って奇妙と称す以外に無い、珍しい現象と言うに相応しく、如何に聡明なる女帝ソヴェールを持ってしても、そうそう容易に予期し得なかった事態かもしれない。
しかし、この問題を生み出すに至った根本たる原因が、彼女自身の思い、発した言葉の中に含まれていた事は確かで、彼女がそれと気付いていたかどうか定かではないが、彼女の意思とは相反する帝国貴族達の思いが、強く滲み出た事件であった事だけは間違いなかった。
戦後間もなくして皇帝の地位に付いたソヴェールは、周辺諸国との戦火を縮小する意思を発すると共に、公の場で自国の軍備を縮小する事を宣言し、周辺諸国の親帝国感情を著しく煽り立てる事に成功した。
しかし、それは逆に、帝国国内で力を持った貴族達に、強い反発心を植え付ける結果となり、自らを誇示する軍事力が侵食される事態を恐れた帝国貴族達が、人目に付かない水面下で暗躍する切欠を作り出してしまった。
実際、帝国最高評議会で「魔境の森」を封鎖すると言う議案が可決されたのも、帝国貴族達が自家の軍事力を密かに隠匿する為の温床を欲したからだとされており、この「魔境の森」には、帝国貴族達の秘密軍事基地が幾つも存在すると言われている。
勿論、それは帝国貴族達の手に完全に帰属した私兵基地と言う訳ではなく、帝国最高評議会の公式認定を受けた軍事基地と言う範疇を超えない程度のものであったが、それでも帝国貴族達が持つ強大な軍事力を、不可視なる闇の中へと埋める効果は大いにあったと言えよう。
EC397年代にその存在が確認された「パレ・ロワイヤル基地」を始めとして、各帝国貴族達の歪んだ思想を色濃く凝縮したこの「魔境の森」は、その特異的形状を織り成す人工樹木群の姿と相俟って、その後「ミュートローズド」と呼ばれるようになった。
そして、新たなる節目を迎えた時代の流れに、おどろおどろしき影を落とす、強大な雷雲の礎石となるのであった。