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Loyal Tomboy  作者: EN
第七話「光を無くした影達の集い」
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07-14:○厄事に塗れた長い一日

第七話:「光を無くした影達の集い」

section14「厄事に塗れた長い一日」


二十四時間三百六十五日、全く休む事無く働き続ける軍の基地内部にあって、不思議とシンと静かな耳鳴りのする、小狭い通路へとい出る。


そこは、雑多な雰囲気が充満した大通り沿いの脇に設けられた、資材運搬用の地下通路であり、つい数ヶ月前までは、昼夜を問わず、大量の物資と運搬作業員達が行き交っていた道だ。


ランベルク基地東方区画第五期開発が、ほぼ終局を迎えつつある今、この通路は既に、廃路とされる運命が定められていたが、それでもまだ、ほのかに足元を照らす程度の照明は残されたままだった。


大通りと通路を分け隔てる鉄の扉を閉じると、緩やかに流れていた空気の揺らぎが不意に止まり、意識の周囲にへばりつく様にまとわり付いていた騒々しさと共に、静態した水面みなもの中へと深く深く沈み込んで行く。


全く人気ひとけの無い閑散かんさんとした通路内の雰囲気は、今だグズグズと火照ほてり止まない疲れ果てた意識を、優しくなだめてくれる風にも感じられたが、シルは、鉛の様に重たくなった身体に最後の鞭を振るい入れると、直ぐに目的地へと向けて前進を開始した。


薄緑色に塗装された古めかしい通路の外壁に、全体重を預けるように何度も右手を据え付け、その場に倒れ込みたい思いを、必死に引きる様にして前へと進む彼の脳裏には、もはやただ一言「寝たい」と言う思い以外に存在しない。


それは、つい先ほどまで執り行われていた軍事演習の内容が、余りに過酷な作業の連続だったから・・・と言うのも、あながち嘘ではないだろうが、ここまで彼を疲弊させるに至った根本たる原因が、昨晩から朝方にかけての不摂生のみあるきにあった事だけは間違いなかった。



もう直ぐ・・・、もう直ぐだ・・・。


この近道を抜け出れば、もう直ぐ自室へと辿り着く事が出来る・・・。


もう夕飯なんてどうでも良い・・・。


シャワーだって浴びなくても良い・・・。


早く寝たい・・・。


早くベッドの上に倒れこみたい・・・。


今はただ、それだけだ・・・。



この時、時刻は既に夜の十二時を回ろうかと言う時頃に差し掛かっている。


本日予定されていたネニファイン部隊と、ブラックナイツ部隊との合同軍事演習も無事終わり、翌日以降の部隊運営に支障をきたさない程度の応急整備を完了させた彼は、この時間になって、ようやく本日の目まぐるしい軍務の嵐から開放される運びとなった。


昨日の朝七時に起床してから、今の今まで丸々四十時間余り、勿論、彼には全く寝る暇が無かった訳ではない。


言うなれば、それなりに仮眠を取れる余裕はあったはずだった。


しかし、悪い流れが更に悪い流れを呼び覚ます・・・と言った現象は良くある事で、彼は、無作為に降りかかってくる数々の厄事によって、それらをことごとく阻害されると、ゆっくりと落ち着いて過ごせる安息の一時を、完全に奪い取られてしまったのだ。


結果、悲しいかな、彼は疲弊し切った精神と肉体を持って、過酷な軍事演習をこなさなければならない立場へと陥ってしまい、まさに本番さながら、・・・いや、それ以上に過酷な一日を送る羽目となってしまった。


元を正せば、無計画な飲み歩きに随伴ずいはんした自分自身が悪い・・・と言う事は、全く反論の余地無くその通りであると、彼自身理解してはいるのだが、それでもやはり、自分を無理矢理に連れ回した阿呆共二人組みに対する、恨みがましい不快感は、今だ彼の脳裏にくすぶったままだった。


勿論、今更そんなせん無い事を吐き散らした所で、どうとなるものでもないと解っていた彼は、かったるそうに深い溜息を吐き出して、わずわしき思いの全てを無理矢理に振り払うと、にわかにその進む歩を早めにかかった。


そして、ようやく辿り着いた一つ目の曲がり角で、そのへり部分へと右手を付き、気だるそうにして重たい身体をのそりと右側へと折れ曲がらせる。


(シルジーク)

「ん?」


しかしこの時、新たに目の前へと現れ出た地下通路の行く先に、何やら不思議な物が一つ、転がり落ちている様を見て取ったシルは、徐に軽く喉元を鳴らしてその足を止めた。


それは、薄緑色に塗装された壁面、床面に映える、綺麗なオレンジ色を放っていた一足のサンダルであり、不思議な事に左足用とおぼしき片方しか見当たらなかった。


シルは、何故?・・・と、考え付く間もなく後ろを振り返り、誰も居ないはずの地下通路内へとぐるり視線をわせる。


すると、彼の進行方向とは逆手側、つまり、突き当たったT字路の左手側通路奥に、彼はその理由を一瞬にして説明付けるものを見つけてしまった。


悪い流れと言うものは、一度取りかれてしまうと、中々に振り解くのが困難なものであり、後はもう寝るだけと言う本日の最終段階に至っても尚、まだ彼に新たなる面倒事を押し付けて来ている様でもある。


彼の視界に捉えられた新たなる面倒事とは、薄汚い通路の壁を背に、一人ぽつねんと座り込んでいる赤毛の少女、セニフの姿であった。


シルは一瞬、意識に反して滅入めいる様な重さを全身に感じ、呆れた様に大きな溜息を吐き付けたい気分に駆られてしまったが、心の奥底でくすぶっていた真っ黒な憂心ゆうしんによって虚ろいだ意識を強くき付けられると、直ぐにハッとした表情を浮かべ、彼女の元へと小走りに駆け寄って行った。



あの馬鹿!


一体こんな所で何してやがるんだ!


自分がどんな立場に置かれているか解ってんのか?


いつ何処で、誰から狙われるとも解らない矢面やおもてに立たされていながら、たった一人で、しかもこんな人気ひとけの無い地下通路内をうろつくなんて・・・、自覚が無いにしても程がある!


もし俺が命を狙う賊の一人とかだったら、どうするんだ!


もうちょっと考えて行動しろって・・・。



いや待て・・・。ちょっと待て・・・。


まさか・・・。



シルは、通路の壁際に座り込んで全く身動みじろぎもしないセニフの様子から、唐突に沸き起こった不安感に心の臓を思いっきり突き上げられ、到着と同時に慌てて彼女の肩を揺り動かしながら強く彼女に問いかけた。


(シルジーク)

「セニフ!・・・おい!セニフ!」


(セニフ)

「・・・ふぇ?」


しかし、瞬間的に沸騰した彼の疑念も、彼女から漏らされた間抜けな返事によって、一瞬にして杞憂きゆうのものとして終わる。


彼はここで、真に疲れ果てた大きな吐息を吐き出してしまった。


(シルジーク)

「お前・・・、何だってこんな所に・・・。」


(セニフ)

「あぁあーっ。シルだー。何でこんな所にシルが居るのー?」


(シルジーク)

「馬鹿野郎。それはこっちの台詞だ。」


寝惚ねぼまなこをゴシゴシと両手で摩りながら、突然の来訪者に驚いた様な声色を流したセニフは、怪訝けげんな表情を浮かべるシルの顔色を、不思議そうにマジマジと覗き込んだ。


初夏の季節と言えど、昼夜を問わずして寒々とした空気に包まれるこの地下通路内で、何故にこんな薄ら寒い格好のまま寝入っているのかと、シルは多少呆れ気味の眼差しを持って彼女の視線に応えてやったのだが、彼女の吐き出した言葉と共に、周囲に漂い始めた異臭の存在に気が付くと、徐に鼻を摘んで顔をしかめた。


(シルジーク)

「うっ!・・・こいつ、相当飲んでやがるな・・・。酔っ払ってるのかお前は。」


(セニフ)

「なにぉー。お姉さんは酔っ払ってませんよって。シルの方こそ、レディの部屋に無断で押し入って来るなんて、かんな~~~り、酔っ払ってるんじゃなくて?」


(シルジーク)

「どこがレディの部屋なんだよ馬鹿。こんな所で寝てたら風邪ひくだろうが。」


シルは、やれやれと言った感じで、もう一度大きな溜息を吐き出し、程なくして寒そうに二の腕付近を摩るような仕草を見せたセニフの為に、直ぐに着込んでいた上着を彼女の肩からかけてやった。


そして、もう一度注意深く周囲の様相をぐるりと見渡した後で、軽く頭を掻き乱して見せると、もしかして、あれからずっと部屋で飲んだくれていた訳じゃないだろうな・・・と、心配そうに彼女の表情を窺った。


アリミアが死んだと軍上層部から報告があってから、もう五日程が経とうとしているが、その間、セニフが軍務の全てを放り出し、ずっと自室にこもりっぱなしであった事は、シルのみならず、ネニファイン部隊の全員が知っている事実である。


毎日毎日健気けなげにも彼女の部屋を訪れ、食事を差し入れていたシルでさえ、彼女の姿を目にする事は出来ず、返事すら返してもらえない有様だった。


勿論、トゥアム共和国の兵士として、ネニファイン部隊の一員として、軍の命令、上官の命令に、絶対的に従わなければならない義務を背負った彼女が、自分都合の利己的判断によって軍務をサボるなど、絶対に許されるべきではない違背いはい行為そのものと言える。


本来であれば、厳罰の対象として槍玉に挙げられても、おかしくない状況にあったのだ。


しかし今回、不思議な事に、この彼女の現実逃避行動の全ては、「療養中」と言う曖昧あいまいなカテゴリーの中で黙殺され続けている。


それが部隊長であるサルムの意思なのか、部隊メンバー全員の行動を管理するカース作戦軍曹の判断なのかは解らなかったが、彼女が犯した感情的行為を、頭ごなしに処断する様な風潮は、ネニファイン部隊内に関わらず、軍内部においても何処にも見られなかった。



まあ・・・、あのトゥマルクのオシャカ振りから見ても、そのパイロットが全くの無傷で生還したなんて、誰も思わないだろうがな・・・。



シルはふと、疲れ果てた意識の中でそう呟き出すと、「どっこらしょ」と言うジジ臭い発言と共に、その身をすっくと立ち上がらせた。


そして、久しぶりに見たように思える彼女の姿へと再び静かに視線を落とし、今だ眠たさの淵から立ち直れずにいるセニフの右手を優しく持ち上げてやった。


(シルジーク)

「ほらセニフ。寝るならちゃんと自分のベッドで寝ろよ。部屋まで連れてってやるから。」


(セニフ)

「ん・・・んー。」


(シルジーク)

「・・・ったく、しょうがない奴だ。ほら、おんぶしてやるから。」


シルは、セニフがまともに立てそうも無い事を察してやると、再びその場にしゃがみこみんで、彼女の目の前に自分の背中を差し出してやった。


彼自身、相当疲れ果てていた事は間違いなかったが、まさかこんな危険地帯に彼女を放置しておくなど出来るはずも無く、せめて彼女を部屋に連れて行く所までは面倒を見てやろうと、そう思ったのだ。


勿論、たった一人では歩く事も、立つ事もままならぬほどに、大量に酒をあおりまくったセニフの狂乱振りに、多少なりとも小言を突き刺してやりたい気分を沸き起こしてしまったが、今朝方の自身のていたらく振りを省みて口をつぐまれてしまうと、どちらの側に対するものか解らぬ、呆れ顔を浮かべてしまった。


(セニフ)

「うん・・・。ありがと・・・。」


やがて、のそのそと背中の上へとい上がってきたセニフの身体を、シルはしっかりと自分の身体に乗せ上げると、最後の気力を振り絞るようにして立ち上がる。


そして、不意にずり落ちそうになったセニフの身体を無理矢理に抱え上げようと、軽く二、三回、自分の身体を跳ね上げて、ゆっくりと静かにサンダルが落ちていた場所まで歩み寄って行った。




背中に背負った彼女の身体は思ったよりも軽かった。


勿論、彼女の体重が元より軽い事など、彼はとうに知っている。


しかしそれでも尚、彼はこの時、そう感じてしまった。


恐らくはここ数日間、毎日毎日悲しみに暮れ、泣き明かし、満足に食事を取る事すらままならなかったのだろう。


アリミアとセニフがチームTomboy内でも特に仲が良かった事は、チームメンバー全員が知る事実であり、シル自身、その事について何ら疑念を抱くつもりも無い。


例え、激しい口論を繰り広げるに至った後でも、直ぐに仲直りできる良き関係にあった事は確かだ。


あの一室での出来事から、アリミアに対して激しい反発心を抱くようになったセニフだが、やはり心の内の何処かでは、アリミアの事を強くうれいていたのだろう。


シルはふと、首元へと巻き付いたセニフの腕越しに、彼女の様子を横目で窺い見ると、柔らかな吐息を静かに吐き出して、通路内に放り出されていたオレンジ色のサンダルを拾った。


(セニフ)

「シールー。」


(シルジーク)

「ん?なんだ?」


(セニフ)

「私ねー。・・・ついさっきまで、ジャネットと一緒に飲んでたんだよ。」


(シルジーク)

「えっ?」


耳元でささやかれた彼女の声色は、深い深い眠りの淵に掻き消えてしまいそうなか弱さであったが、シルは多少驚きの色を禁じえない表情をかもし出してしまった。


(シルジーク)

「そうなのか?」


(セニフ)

「・・・うん。・・・なんかねー。暖かかったし、柔らかかったし、良い匂いがしたんだよ。・・・ほんと大きかったんだー。・・・うん。」


(シルジーク)

「・・・。一体何の話をしているんだよ。」


(セニフ)

「えっとねー。ジャネットのおっぱい。」


シルは余りにも唐突に、身も蓋も無い会話へと旅立って行ったセニフの思考に、思わず蹴躓けつまづいてしまいそうになった。


そして、まともに酔っ払いと会話をしようなどと試みた自分自身を省みて、ほのかに気恥ずかしい気持ちを沸き起こしてしまった。


(セニフ)

「私ねー。どさくさに紛れて、最後にジャネットに、思いっきり抱きついちゃったんだ。あぁー。気持ちよかったなぁー。」


(シルジーク)

「はぁ・・・全く。お馬鹿の相手は疲れるよね。お馬鹿の相手は。」


(セニフ)

「馬鹿とはなんだー馬鹿とはー。馬鹿だって一生懸命生きてるんだぞー。馬鹿にするんじゃないよーほんとー。確かにお姉さんは馬鹿かも知れないけどさー。馬鹿だって馬鹿なりに頑張って生きているんだ。そのぐらい理解して欲しいもんだねー。・・・あーっ。そっかー。そんな事も解らないシルの方こそ、馬鹿っちゃ馬鹿なんじゃーん。えーい。シルのバーカ。バーカ。」


(シルジーク)

「はいはい。俺もお馬鹿。お姉さんもお馬鹿。お馬鹿二人でお前も満足だろ?俺も疲れてるんだから、もうこのぐらいで勘弁してくれ。」


(セニフ)

「なんだーその不貞腐ふてくされた態度はー。気に入らない事があるなら、はっきり言いなさいよ。はっきりとー。お姉さんが何でも相談に乗ってあげるからさー。」


(シルジーク)

「ええと・・・。特に何も無いです。」


(セニフ)

「何も無い訳ないじゃんかー。何を言っているんだね君はー。君はジャネットのおっぱいを触りたいんでしょうがー。おっきくて、柔らかくて、良い匂いがするジャネットのおっぱいをさー。ほんと、もう・・・。うーん・・・。・・・ええいどうだ!羨ましいかシルっ!このスケベっ!」


(シルジーク)

「ええい!やめんかこの酔っ払いめ!」


シルは、激しく滅入めいる気持ちを押さえ切れない様子で声を大に荒らげ、後ろから両手を使って首元を締め付けてくるセニフを制して見せたが、それでも、彼女と繰り広げた鎮撫ちんぶな会話の中で、多少なりとも心の隙間が温かな愉悦ゆえつで満たされて行くのを感じていた。


確かに人が聞けば、情けなくなるほど低脳な世迷言よまいごとの投げ合いと、そう解釈されてもおかしくない、瑣末さまつ遊戯ゆうぎであった事は事実だが、会話したくても出来ない、会いたくても会えないと言う状況を経る事によって、彼の心の中に生み出された強い軋轢あつれきは、彼女と言う存在を思ったよりも強く渇望かつぼうしていたのだった。


勿論、彼が本当に彼女と交わしたかった会話の内容は、もっともっと根の深い所に存在する重々しきものであり、本来であれば、彼是あれこれと思考を巡らし、その手の会話へと彼女を引きり込もうと、様々な策をろうしたい所ではあった。


しかし、現時点における彼女の心情と、自身の思考の疲弊度を考慮すれば、それが自分達の許容範囲内に納まるものとは到底考え難く、世間話のたぐいに含ませて遣り取りできる内容でもなかった為、シルは、それを断念せざるを得なかった。


シルは、取り敢えず今の所はこれでいいさ・・・と、自分自身にそう言い聞かせる様に思いを巡らせると、崩れかけた彼女の身体を再び背負い直し、帰室の途へと意識を舞い戻した。


そして、せめて彼女が普段通りの自分を取り戻すまでは、なるべくせん無い形での合いの手を差し伸べてやろうと、次なる彼女の不毛な言葉を待った。


(セニフ)

「確かにさー。お姉さんは胸が足りないよー。ジャネットみたいに、大きな胸がほしいなーなんて、そう思う時もあるよー。でもさー、私だっていつまでも子供じゃないんだしー、その内胸だってきっと大きくなるんだよー。勿論、ジャネットみたいに大きくはならないだろうけどさー。せめてアリミアぐらいにはさー・・・。アリミアぐらいには・・・。」


しかし、そんなシルの思いとは裏腹に、とある固有名詞を口にしてしまったセニフが、唐突に語尾をすぼめて黙り込んでしまった。


シルは、やはり・・・と思いはしたが、静かに後ろを振り返って彼女の様子を窺い見る。


(シルジーク)

「どうした?セニフ。」


(セニフ)

「ううん。何でもない・・・。何でもない・・・。うっ・・・。何でもないったら・・・。・・・・・・・・・。」


セニフは必死に込み上げる想いを堪えている様子だった。


だがやはり、その突き上げの強さに彼女の涙腺が耐え切れるはずも無かった。


(セニフ)

「うっ・・・。ううっ・・・。ごめん・・・。・・・・・・・・・。思い出しちゃったよぉ・・・。うっ・・・。うっ・・・。」



セニフは単に悲しみの淵へと沈み込んだ思いを、酔いに任せて誤魔化ごまかしていただけだった。


拭い去ろうとしても決して拭い切れない悲痛な叫びを、明るく無邪気な振る舞いに還元して、無理矢理吐き散らしていただけだった。


セニフはその後、シルの背中で必死に声を殺して、小刻みに身体を震わせていた。


シルはその後、彼女に対して何ら気の利いた言葉を一言もかけてやる事が出来ず、ただただ自分に付き従い歩む事を止めない黒い影の中へと視線を落としていた。




なんとも情け無い男だ・・・。


悲しみに暮れる女性を目の前にして、慰めてやる事すら出来ないなんて・・・。


他人行儀な慰めの言葉なんて、セニフが欲しているとも思えないし、逆にそれで、セニフを更に痛め付ける事になってしまうかもしれない。


現に今だって、アリミアの事を少し思い出しただけで、泣き崩れてしまう様な有様だ。


今の俺には、セニフの気持ちを察してやる事しか出来ない・・・。


察した上で、それを見守ってやるぐらいの事しか出来ない・・・。


それ以外には何も、セニフにしてやれる事は無いんだ・・・。



シルはふと、脳裏に蔓延はびこる重々しき思考の渦中で、「もう少し、いい男になったら?」・・・と言う、以前アリミアに言われたその言葉を見つけ出してしまうと、軽く下唇を噛んでその場に足を止めた。



いい男・・・。いい男か・・・。


いい男って、一体どんな男の事を指して言うのだろう。


女性に対して何ら隔たり無く、その想いに応えてやる男の事だろうか。


いや・・・、それじゃ単に、手当たり次第に女性に手を出す無節操な男と言えなくも無い。


では逆説的に考えて、たった一人の女性に対してのみ、想いを寄せる一途な男の事だろうか。


いや・・・、それじゃ単に、他を全く顧みない意固地で軽薄な男と言えなくも無い。


一般的女性の言い分から推測するなら、愛する男性に切に望むものは、間違いなく後者であろう事は明白だが、前者たる資質を完全に欠落した男性が、女性から好まれない傾向にある事も確かだ。


勿論、他の女性に対して返される思いに、過度な愛情が込め入れられる事を望んでいないだろうが、それでもやはり、他者に対して少なからず友愛なる精神を垣間見せる男性の方が、より魅力的と言うに相応しい存在だろう。


つまりは、矛盾しているかも知れないが、前者も後者も全てひっくるめて抱き持つ、矛盾した男性がより好まれるいい男って事に・・・。


・・・いやいや、この際、男性である俺の考えなんてどうでも良くて、女性から見ていい男かどうかなんて事も関係なくて、要は俺が、セニフに対して何かをしてやれる、いい男になれるかどうかなんだ。


セニフが望むいい男になれるかどうかなんだ。



シルは再び、ゆっくりと歩を進めながら考えを巡らせて行く。



セニフから見て俺は、一体どんな男なのだろうか。何を望んでいるのだろうか。


これまでセニフは、何度と無く俺に対して、その抱く好意を大っぴらにひけらかしてきたが、俺はいつもいつも素っ気無くあしらって、まともに応えてやろうとしなかった。


セニフにとって一番嬉しい事とは、俺がその想いに応えてやる事なんじゃ無いだろうか。


セニフの好意を全身で受け止めて、強く抱きしめてやる事なんじゃ無いだろうか。


考えてみれば、好きな男性に抱きしめられて、喜ばない女性はいないだろうし、きっと俺はそうすべきなんだろうと、自分自身でそう思う。


確かにセニフは、馬鹿で我儘わがまま小煩こうるさい女性だ。


時折、こちらが取り扱いに困って、怒鳴り散らしてしまいたくなる程に面倒臭いと思う事もある。


しかし、その明るさと無邪気さは、確かに可愛いと称するに値するし、決して、理由無く他人から嫌われる様なものではない。


俺自身、その元気の良さに何度と無く救われた思いをした事もあるし、セニフに対する好意的感情を持て余す事だってある。


言ってしまえば俺は、セニフの事が好きなんだろうな・・・。



シルは、自身の心の中に存在する彼女への思いを、最終的にそう結論付けると、再び後ろの方へと視線を流し、不思議と大人しくなってしまったセニフの様子を覗き見た。


するとセニフは、いつの間にやら深い眠りの森へと意識をいざなわれてしまった様で、頬を伝い滴り落ちる涙をそのままに、静かに寝息をたてながら眠りに付いていた。


恐らくはこの数日間、まともに寝る事も叶わなかったのだろう。


シルは、そんなセニフに不憫ふびんなる思いを沸き起こすと、そのあゆむ足音を温和なものへとアレンジしながら、つたない光を振り撒く天井の照明を見上げた。


シルの頭の中では、前述した最終的結論が大半を占める勢力に拡大し切っていたが、それでも多少なりとも、それに対して否定的な意見を持つ自分自身も確かに存在していた。


シルはその後、思わず零れた大きな溜息を一気に吐き出しながら、自らの進み行く道先へと視線をげ替えた。




セニフの想いに応えてやりたい。


そう言った俺自身の気持ちに、全く嘘は無い。それは確かだ。



・・・しかし、上辺だけの愛情を取りつくろって見せた所で、抱きしめられた側のセニフが喜んでくれるはずも無い。


勿論、一時いっときの喜びを演出するには十分な振る舞いかも知れないが、セニフが真に欲しているものとは、心の底からセニフの事を愛する俺自身の存在であって、中身の無い外面そとづらだけの俺自身じゃない。


確かに、中身が有る様に見せかける事は、きっとそんなに難しい事じゃないと思うが、口先だけで愛しているなどとうそぶく様な人間を、俺自身、許す事が出来ない。


そう・・・。何しろ俺は、まだ・・・。




(シルジーク)「!!」


・・・と、そこまで思いをせて、自分自身に対する失望の念を禁じえなくなったシルが、不快なる重さに塗れた意識を抱え込んだまま、次なる曲がり角を左手に曲がろうとした時、唐突に痛烈なカウンターパンチを見舞われた様な、激しい卒倒そっとう感に襲われた。


それは、誰も居ないと思い込んでいた地下通路内で、思いもよらぬ人物と出くわしてしまった為であり、シルは、呆然とした表情を隠し切れない様子で、その人物の名を呼んだ。


(シルジーク)

「ユ・・・ユァンラオ!」


(ユァンラオ)

「これはこれは、青臭い双星の片割れ様じゃありませんか。こんな夜分遅くに、どちらまで?」


つい今しがた自分達が歩いて来た通路側からは全く見えない死角となる位置取りで、壁に背をもたれ掛ける様にして息を潜めて佇んでいたその男は、どっしりと腕組みをした状態でシルの方を強く睨み付けると、ほのかに不気味で寒々とする薄ら笑いを浮かべて見せた。


薄暗い地下通路内の雰囲気も相俟あいまって、奴の姿が普段より大きく見えてしまうのは気のせいだろうか・・・。


シルは、一瞬にして沸き起こった強い恐怖心を、必死に心の奥底へとじ込んで見せると、ユァンラオが放つ禍々(まがまが)しき威圧感に負けぬよう、その瞳に鋭さを宿し入れた。


(シルジーク)

「お前・・・。こんな所で何をしていたんだ?」


(ユァンラオ)

「ふっふっふ。おまえ自身、その答えが既に解っていながら、敢えてそれを人に問うのか?」


(シルジーク)

「何をしていたのかって聞いてるんだよ!」


シルは、ずっと脳裏に思い描いて来たユァンラオとの対峙シーンを、まさかこんな形で唐突に迎える事になろうとは、少しも思っていなかった。


彼の頭の中では、必死に「どうすべきか」と言う最良の道筋を模索する動きが活発化してはいたが、意識とは全く無関係に吐き散らされる大量のワーニングメッセージに阻まれ、中々にそれを見出せぬ状況に陥ってしまっていた。


考えても見れば、全く人気ひとけの無い密室たる地下通路の中で、ユァンラオと出くわしてしまう事自体、最悪のケースにより近い状況にあると言えるのだが、酷く錯乱した彼の意識は、その事にすら気付いていない様子だった。


一対一では絶対に勝ち目は無い・・・と、そう自分自身に言い聞かせてきたシルであったが、今の彼には、激しい敵意を剥き出しにして相手を牽制して見せるぐらいの事しか出来なかった。


(ユァンラオ)

「なーに。大した事は無いさ。口を開けてもいないのに、おいしそうな獲物の方から勝手に飛び込んで来たんで、丹念に舐め回してやろうか、噛み砕いてやろうか、彼是あれこれと考え込んでいた所さ。」


(シルジーク)

「なっ!!・・・貴様!!」


(ユァンラオ)

「ふっふっふ。まあ、そういきり立つな。今直ぐにお前達をどうこうしようって訳じゃない。・・・いや、少し違うか。お前達を・・・じゃなくて、その小娘を・・・だな。」


(シルジーク)

「何!?・・・てめぇ!!もし、セニフに何かあったら、その時は・・・!」


(ユァンラオ)

「その時は?」


すると、シルの放った強い怒気の色香いろかに釣られる様にして、徐に壁際から身体を突き放したユァンラオが、意地の悪そうな顔色をしこたま滲み出し、殺意にも似た低い声を放ちながら、ゆっくりとシルの前に立ちはだかる。


ギトギトに塗り固められたオールバックの黒髪と、無精髭ぶしょうひげに塗れた強面、そして両耳からぶら下がるドでかいイヤリングが、一種異様な彼の雰囲気を更に増幅させている様にも見受けられたが、シルは、それに負けじと意を決したように強く歯を食いしばると、力強く握り締めた右手の拳をユアンラオの目の前に突き出して、思いっきり激しい挑戦的意思を吐き付けてやった。


(シルジーク)

「俺がてめぇをぶっ飛ばす!!」




ユァンラオはこの時、不覚にも一瞬キョトンとした表情を浮かび上がらせてしまった。


それは、余りに単純過ぎると言うか、幼稚すぎると言うか、何の含みも無い直線的過ぎる発言であった為、彼としても思わず虚を突かれてしまったのだ。


子供の喧嘩でもあるまいし、ぶっ飛ばすとは・・・。


(ユァンラオ)

「あっはっはっは。お前も中々にいきな事を言えるのだな。立場は違えど、それなりに兄弟と称すに相応ふさわしいものがあると見える。・・・良かろう。お前が俺の目の前に立ちはだかるつもりなら、その時は俺が相手をしてやろう。もっとも、売り言葉に買い言葉程度の遣り取りもこなせぬようでは、まだまだ俺の敵としては不足・・・、と言わざるをえんだろうがな。」


ユァンラオはそう言って、激しく息巻くシルの右肩を軽く叩いてみせると、それまで垣間見せていた威圧的態度の全てを掻き消すようにして、渇いた笑いを地下通路内に響き渡らせた。


そしてその後、二人に全く何ら手出しする様子もなく、何食わぬ顔でその場を立ち去って行った。




この男・・・。本当に何を考えているのか、解らないな・・・。


「怪しい存在」と言うより、「危ない存在」である事を再認識したシルは、にわかにドッと疲れ果てた表情をかもし出し、ユァンラオが姿を消し行く通路奥から視線を切り捨てた。


そして、静かに恐る恐ると言う感じで、背後に背負ったセニフの方へと視線を流す。


彼の背中では、今も尚、静かに寝静まった吐息を繰り返すセニフが、安らかな寝顔を浮かび上がらせていた。



目を覚まさなくて良かったな・・・。



シルはふと、激しい疲労感を再び認識し始めた意識の中でそう思い付くと、やがて、何事も無かったかの様に、直ぐに目指す兵士宿舎へと足を向けた。


無論、ユァンラオとの突然の対峙劇から、新たに感じ取ったおどろおどろしき感触によって、彼はまた、様々に思考を巡らす必要性があるな・・・と、痛感せざるを得ない状況に突き当たってしまった訳だが、今の彼の脳裏には、逸早くセニフを部屋まで送り届ける事、そして、逸早く自分も眠りの淵へと落ち込んでしまいたいと言う思い以外、何者ものさばる気配を匂わせなかった。


彼はこの時、本当に疲れていた。完全に疲れきっていたのだ。


彼は、これ以上何事も起きません様に・・・と、切なる願いを小さく口元で呟き出すと、徐にその歩む速度を早めた。


そして、不意に視界に分け入ってきた地下通路の出口の存在に気付き、ようやく安堵あんどの溜息を吐き出す。


鬱陶うっとうしき厄事に塗れた長い長い一日は、彼が出口へと到達した時点を持ってして、ようやく静かなる別れを受け入れてくれたのだった。

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