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Loyal Tomboy  作者: EN
第七話「光を無くした影達の集い」
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07-07:○何処かしらのパトロン

第七話:「光を無くした影達の集い」

section7「何処かしらのパトロン」


「・・・続きまして、只今入りましたニュースです。 元ブラックポイント防衛司令官で陸軍特別一佐官、ゼフォン・ウィリアムズ容疑者による陸軍特別国防費横領事件で、ランベルク中央保安局は、この事件に何らかの関わりがあったとされる、ランベルク都市在住の33歳男性を、重要参考人として特定したと発表しました。繰り返します。つい先ほど、ランベルク中央保安局は・・・。」


地中深くにこしらえられたとは思えぬ程の、深緑に包み込まれた地下庭園のど真ん中で、一人静かにベンチの上で寝そべっていた金髪の少年は、ほのかに漂う心地よい自然の香りを感じ取りながら、その虚ろな瞳を天井へと釘付けていた。


ファイバーを通して天井から降り注ぐ初夏の日差しは、時間的にもまだ、肌をでる様な弱々しさが残されていたが、それでも切々と休息を欲する彼の意識にとっては、眩しすぎる光だった。


「この男性は、DQ産業界最大手マムナレス・インダストリー社の営業部販売部長で、トゥアム共和国陸軍に配備されている、マムナレス社製DQ三十四機の販売に関して、不正取引をした疑いが持たれています。ランベルク中央保安局は、以前からゼフォン容疑者と、何らかの癒着があったのではないかとの見方を強め、この男性の行方を追っているとの事です。現在の所、この男性の所在については、未だ明らかになっておりませんが、 ランベルク中央保安局では、この男性の身柄を確保でき次第、事情を聞く方針との事です。以上、ニュース速報でした。引き続き、次のニュースです・・・。」


上下にジーンズ、足元にスニーカーと言うラフな格好のまま、力なくベンチの上に横たわっていた彼は、胸の内から込み上げる不快感と、ズキズキとこめかみの辺りを襲う、鬱陶うっとうしい頭痛に苛まれながらも、せめて少しだけでも睡眠を取っておこうと、徐に右手で目元を覆い隠し、静かに両目を閉じた。


そして、地下庭園の片隅に設置された巨大スクリーンから流れ来る、民間テレビ放送を無意識の内に聞き流しながら、すぐ傍らで舞う心地良い噴水の水音へと、疲れ果てた意識を漂わせた。


昨晩から朝方にかけて、絶え間なく積み上げられたアルコール分の残り香は、既に午前九時を回ろうかと言う時間帯に及んだ今も尚、一向に掻き消えてくれる様子はなく、何処か気持ちの悪い微温湯ぬるまゆの中へと漬け込まれた意識が、グラグラと揺さぶり続けられる様な不快感にあえぎ苦しんでいる。


普段であれば、心地良さの一つも感じる小鳥達のさえずりも、今はただ、無意味に尖った神経を刺激する一因にしかならならず、彼はやがて、中々に眠りの淵へと落ち込めない苛立ちから、鬱陶うっとうしさを込め入れた深い溜息と共に、恨み節な呟きを吐き出してしまった。


(シルジーク)

「畜生・・・。あいつら・・・。本当に明け方近くまで連れ回しやがって・・・。」


勿論彼は、酒に弱い性質たちでは無く、人並み以上には飲める口なのだが、流石に前日十九時頃から、ぶっ続けで十時間以上も飲み歩かされた後とあっては、酔い潰れた駄目親父張りの醜態を曝け出す自分の姿を、き止める気力すら沸き起こらないようだ。


やがて彼は、まどろんだ表情のまま、ゆっくりと上体を起こすと、ベンチの片隅に置いてあったペットボトルを手に取り、徐に開け放った口の中へと、ガボガボと水を流し込んで行く。


そして、程なくして途切れてしまった水流の余韻に、幾許いくばくかの名残惜しさを覚えながら、力なく大きな溜息を一つ吐き出すと、崩れ落ちる様に滑り落ちた右手と共に、がっくりとこうべを垂れ下ろした。


直後彼は、ヒンヤリとした水の流れが、身体の芯を辿って全身へと染み渡る心地良さを感じはしたが、それもまた、ほんの一瞬程度の糠喜ぬかよろこびに終わり、いまだ生気を欠く彼の瞳に、普段通りの光が舞い戻る様子はなかった。



午後からの演習に向けた事前会議の時間まで、まだ二時間程度程空きがある。


会議が始まる三十分前になったら、サフォークに呼びに来てくれるよう頼んではいるし、それまで、できるだけ、ゆっくり身体を休めておかないと・・・。



彼はやがて、空っぽになってしまったペットボトルを、不意に宛がった視線の先、ベンチ脇に設置されたゴミ箱へと放り投げると、その行く末を見届けぬ内に、直ぐにベンチの上へと横たわった。



ガコン!コロン。



疲れ果てた身体を真に休めたいのであれば、最初から潔く自室へと戻り、柔らかなベッドの上に横たわるのが一番であろう事は、彼自身、考えるまでもなく解りきっていた事だが、それでも尚、彼がこの地下庭園へと辿り着いてから、そこに根を下ろした様に居座ってしまったのは、何のことはない、そう言う気分だったから、と言うに他ならなかった。


酔っ払いが仕出かす行為の一つ一つに、大真面目になってその理由を問い質すのも馬鹿らしいが、敢えて一つだけ彼の心理を言いなぞらえるなら、彼は薄暗い地下通路を潜り抜けた先に辿り付いた、ランベルク地下基地の「グリーンオアシス」、この地下庭園がかもし出す、暖かな光と柔らかなざわめきの中に、不思議と心が吸い寄せられてしまったのだ。


それは、とある思考へと偏りつつあった自分の意識を、レストポート付近に数多くたむろした兵士達の喧騒さに紛れさせて、有耶無耶うやむやの内に眠りに付きたい思いがあったからであり、彼はこの時、じっと一人で考え事ができるような状況には、なるべく身を置きたくないと言う潜在的意識があったのだろう。


考えまいとすればする程に、心の奥底から強く滲み出て来る漠然とした不安感は、同じ思いを共有する仲間、心から頼りにしていた仲間の死によって、より一層その黒々しさ、禍々(まがまが)しさが増して行き、たった一人では背負い切れない程の重圧を持って、ずっしりと彼の心に圧し掛かってくる。


朝食時を過ぎた辺りから、活動期を迎えた兵士達が一人、また一人と、各々の持ち場へと姿を消し行く中で、周囲は再び閑散たる静寂の気配を取り戻しつつあったが、疲れ果てた身体がじんわりと癒され行く充実感を感じる一方で、中々寝付けずにもがいていた彼の意識は、既にその大半が、どす黒い重苦しいもやの中へと、取り込まれてしまっていた。



アリミアは死んだ。死んでしまった。


幾ら叫んでも、幾ら望んでも、もう決して帰ってはこない。


セニフと言うか弱き少女の真実を知る唯一の仲間。


自分一人だけでは決して支えきれぬ難問を前に、心の底から頼りにしていた唯一の仲間。


その仲間は、アリミアはもう、帰ってはこないのだ。


勿論、自分自身、決してそれを信じたい訳じゃない。


何かの間違いであって欲しいと願う心は、いまだ自分の中でグズグズとくすぶっている。


しかし、儚い望みに一縷いちるの願いを必死に込め入れた所で、都合良くアリミアが帰ってくるはずがないし、目の前に立ち塞がった強大な難問は、知らぬ間に自然と掻き消えてくれる程、甘く楽観的な存在では無い。


最近では、全くと言って良いほど、鳴りを潜めてしまったあの男だが、決してセニフの事を諦めた訳じゃないだろうし、それに関わり合いのある輩達を含め、今も尚、何処いずこかしらでうごめきを奏で出しているのだろう。


とすれば、今の自分に最も必要とされる事は、必死に何かを思い願う事では無く、その思いを現実のものとする為に行動を起こす事。


セニフを付け狙う奴等の前に自らが立ちはだかり、奴等に対する物理的抑止力となる事だ。


アリミアも、自分がそうなる事で、必死にセニフの事を守ろうとしていた。


アリミアが死んでしまった今、それに代われる存在は自分しかいない・・・それは解っている。


しかし、アリミアほどの能力が備わった人間ならまだしも、戦闘技術に関して、いや、その他全ての能力に関して、アリミアよりも劣る自分が、そんな大逸れた役割を担えるものなのだろうか。


セニフを付け狙う輩達の動きを正確に察知し、そしてその全てを防ぎきるなど、絶対に自分一人だけでは実現し得ない困難な行為であろうし、だからと言って、セニフの素性をつゆとも知らぬ、何処ぞの誰かに頼り切る様な真似もできない。


勿論、アリミアがそうしたように、セニフの素性を他の誰かに知られる様な行為は、絶対に避けるべきだし、如何にネニファン部隊のメンバー達と言えど、その全てを信用してかかる訳には行かないだろう。


セニフと自分以外の人間全てが敵。


そう言う見方を常に念頭に置きつつ、自分一人、たった一人でセニフを守っていかなければならない。


そう。たった一人で・・・。


それが自分に出来るかと問われれば、出来ないとしか答えられないような自信しか持てず、頼れる者が誰も居ない敵地にも等しい只中に曝されたまま、自分は一体、何をどうすればいいのだろうか。


・・・いっその事、セニフをここから連れ出して、何処か遠くへと逃げ出した方が得策なのではなかろうか・・・。


いや、どこの誰から付け狙われているかも解らない状況下で、色々と自由が利く外の世界に逃げ出す行為は、自殺行為にも等しい愚行だ。


そもそも、全てを投げ出して軍から脱走すると言う事は、その後、トゥアム共和国軍から、共和国政府からも追われる犯罪者的立場に陥る事になる。


DQパイロットとして最前線に送り込まれるセニフの事を考えれば、ここが決して安全な場所とは言えない事は解るが、それでも多くの不確定要素を切り捨てられる軍属と言う状況は、比較的安全な部類に入る場所と見るのが妥当だ。


しかし、いつまでも軍属で居る事に不安を覚えない訳じゃないし、帝国が本気でトゥアム共和国を潰そうと考えれば、瞬く間に捻り潰されてしまうであろう事は、一端のDQ整備士でしかない自分にも解る事だ。


セニフが軍との契約を解除できるだけの違約金を稼ぎ出すのを待って、勿論それは自分にも言える事だが、その後、外の世界へと逃げ出した方がいいのか。


それともこのまま、軍属のままで居る方がいいのか。


解らない・・・。どちらがより安全と言えるのだろうか・・・。


それに、もっと目先の問題もある。こちらの方がより大きな問題なのかもしれない。


セニフの素性を知るあの男の存在。まずは奴をどうにかしないと・・・。


自分はあの男に勝てるのか?


アリミアでさえ強い警戒心を抱いていた、あのユァンラオと言う男に。


いや、この際、まともに遣り合って勝とうなどと言う甘い考えは、端から捨て去ってしまった方がいいだろう。


そして今、自分に今、出来る事だけを考えるんだ。


今の自分に出来る事。それは、なるべくセニフの傍に居てやる事しかない。


セニフに何らかの危害が及びそうになった時、それを周囲に知らしめる為の警報装置になってやる事ぐらいだ。


全く情けないったらありゃしない・・・。


セニフの素性を知ったあの日から、全く何ら変わらぬ思考を幾度と無く巡らせるだけで、少しも進歩しないつたない方策しか見出す事が出来ないなんて・・・。


もっと何か、いい手立ては無いのだろうか。


もっと自分に、何か出来る事は無いのだろうか。


アリミア。お前は一体、何をどうしようと考えていたんだ?


何か良い案を見つけ出していたのか?


教えてくれアリミア。


これから一体、どうすれば・・・。



(サフォーク)

「おーおー。流石に部屋に戻って爆睡ぶっこいてんのかと思いきや、まーだこんな所でのた打ち回ってたのか。お前も以外に、だらしない奴だねぇ。飲み終わったペットボトルぐらい、ちゃんとゴミ箱に捨てとけよ。使用人抱えたお坊ちゃんでもあるまいし、日々大量に吐き出されるゴミの気持ちも、少しは考えてやったらどうなんだ?行き先の解らなくなった迷子ちゃんじゃ、こいつらも困るだろ?」


やがて、薄暗い迷宮の只中をグルグルと彷徨さまよい歩いていたシルの意識に、聞き慣れた男の声色が投げかけられると、彼の目の前に一番簡単な出口へと続くしるべが姿を現した。


それは言うまでも無く、考える事を差し止める事で抜け出せる、後ろ向きな出口であった事は確かだが、現実世界に引き戻される事で、重苦しい雰囲気から逃れようと思い付いたシルは、あれからそんなに時間が経ったのか?・・・などと直ぐにその思考を切り替え、薄っすらと両目を見開いた。


そして、ベンチ脇に佇んだ一人の男にチラリと視線を投げかけた後で、不意に右手首に巻きつけた腕時計で現在の時刻を確認する。



午前九時十分・・・。



その直後、シルは直ぐに事切れた様に、僅かに持ち上げた身体をグタリと投げ出し、あからさまに大きな溜息を一つ吐き出して、再び静かに両目を瞑った。


(シルジーク)

「捨てといてくれ・・・。」


(サフォーク)

「全く情けない奴だ。くぷぷ・・・。酒にやられてへ垂れ込むなんざ男じゃないぞ。しっかりしろ。シル。」


会議が始まる三十分前に呼びに来るよう頼んだ覚えはある。確かにある。


しかし今はまだ、会議まで二時間程余裕がある空白の時間帯であり、真に休息を欲する身体が、ようやく静かなる安らぎの淵へと誘われし時頃ときごろだ。


勿論、最後の最後の所で、脳裏へとへばり付いた刺々(とげとげ)しい思考の渦に巻き込まれ、中々に眠りの境地まで達し切れて居なかった事は事実だが、それでも、じっと意識を静かに落ち着ける事で、午後からの軍事演習に向けた鋭気を少しでも養いたい所ではあった。


普段から時間にルーズで、決まった時間に姿を現す事など滅多にない性分の癖に、何故でこんな時ばかり、予定を大幅に繰り上げて姿を現すのだろうか。


ここぞとばかりにニヤ付いたサフォークの垂れ目がしゃくに障る。


もしかして、新手の嫌がらせか?・・・とも思ってしまったシルだが、怒鳴り付ける気力すら沸き起こらず、ただゆっくりと持ち上げた右手を、フルフルと左右に振りかざして見せる事しか出来なかった。


やがて、呆れたように軽い溜息を付いて見せたサフォークは、拾い上げたペットボトルを無造作にゴミ箱の中へと放り投げると、笑うに笑えない醜態振りをひけらかす仲間の姿を見つめながら、再度シルの意識を揺り起こそうと試みる。


(サフォーク)

「もう、しょうがない奴だな。ほら。起きろ。お前に何か用事があるって、外からお客さんが来てるんだぜ。」


(シルジーク)

「ああ?・・・外からお客さんが来てるだぁ?・・・今日は面会謝絶だって言って追い返してくれ。俺は眠い。死にそうなぐらい眠い。面白くもないお前の冗談に付き合ってる暇はないんだよ。俺は寝る。もう寝る。・・・寝かせてくれ。」


するとシルは、サフォークが繰り出す鬱陶うっとうしい絡み付きを、軽くはぐらかすような返事を返し、ゆっくりと彼に背を向けるように、ベンチの上で寝返りを打った。


そして、今度は丁度上向きに収まっていた左手を使い、サフォークのわずらわしいたわむれを強引に振り払うかのような仕草を奏で出すと、「あっち行け」「話しかけるな」と言うサインを出した。


ランベルク基地内の誰か、それもネニファイン部隊内の関係者に限った話であれば、シルも少なからず何かしらの反応を見せたのだろうが、彼にはランベルク基地の外から訪れた人間に、名指しで呼び出しされる様な覚えも無く、彼はその後、世迷言よまいごとの塊ともおぼしきサフォークの虚言を、当分無視してやる事を決め込んだ。


(リッキー)

「おやおや。これはまた、だいぶ飲まれたようですね。大丈夫ですか?」


しかしその直後、シルの決意とは裏腹に、全く聞き覚えの無い男性の声が、硬く閉ざしたはずの彼の耳元に届けられた。


思いがけずも虚を突かれてしまったシルは、直ぐに驚いたように上体を起き上がらせると、キョロキョロとその虚ろな瞳を周囲に巡らせる。


すると、何処か呆れたように口元をほころばせたサフォークの背後で、草臥くたびれた灰色のスーツをまとった中年男性の姿を見つける事になった。


それほど上背がある訳でもなく、かと言って小柄でもない、太っている訳でも、痩せている訳でもないその中年男性は、一見して強面こわおもてな印象を受けてしまうが、ほのかに温和な雰囲気を添え付ける垂れた目じりが特徴的で、何処か憎めない表情を形作っており、優しげな話し口調からも見ても、明らかに人当たりの良さそうな大人の男性だった。


(シルジーク)

「ええと・・・・・・。どちらさまで?」


シルはこの時、何処か心ここに在らずと言った表情のまま、この中年男性の頭の天辺てっぺんから足の先まで、視線を二度ほど往復させると、中年男性がかもし出す、余りにも一般的サラリーマン風の姿容しように、懐疑的思念を渦巻かせ、直ぐにその問いを彼に投げかけた。


トゥアム共和国内でも主要軍事基地に指定される、このランベルク基地は、普通の一般市民が好き勝手に自由に歩きまわれる様な開放的な施設ではなく、軍関係者以外、一切立ち入る事が許されない軍の重要施設である。


勿論、軍から特別に許可された場合に限り、限定された一部区画内への立ち入りが許される例はあるが、それでもそうそう滅多に見かけるものではない。


(リッキー)

「いやいや。これは失礼しました。実は私、こういうものでして。」


すると、その中年男性は、行儀良くベンチの上に座り直したシルの目の前に、スーツの内ポケットから取り出した一枚の名刺を差し出し、優しげな表情の上に更に一目見てそれと解る笑みを浮かべて、シルの顔を覗き込んだ。



ランベルク中央保安局捜査部第二課


捜査保安官 リッキー・コーラス



(シルジーク)

「はぁ・・・。」


受け取った名刺に記載された内容を、頭の中だけで静かに読み上げたシルは、不意に見上げた視線をこの中年男性の表情へと据え付け、何処かおざなりな返事を返すと、再び手渡された名刺へと視線を落とした。



軍の関係者じゃないのか?


保安局の捜査官?



(シルジーク)

「で、警察の方が、俺に何か用ですか?」


(リッキー)

「いやぁ。別に大した事ではないのですがね。少しだけ、シルさんとサフォークさんに聞きたい事がありましてな。こうして面倒な手続きを経て、ランベルク基地を訪れた訳なんですよ。」


(サフォーク)

「え?俺もなのかよ・・・。」


中年男性は穏やかな口調を保ったまま、そう二人に軽い説明を施すと、シルが座るベンチの片隅へと静かに腰を下ろし、徐にスーツのポケットから、くしゃくしゃになったタバコと安物のライターを取り出した。


そして、キョトンとした表情を浮かべたまま、しばし言葉を失ってしまった二人の若者を他所に、彼はゆっくりと一本のタバコを口にくわえ入れ、何度も何度も付きの悪い安物ライターのフリントホイールを回す。


やがて、十数回ほど軽い摩擦音が響き渡った後、ようやく火種を受け入れたタバコが赤々とした光を放ち始めると、彼はどっかりとベンチに背中をもたれ掛けながら、気持ち良く煙を吸い込んで、気持ち良く煙を吐き出した。


(リッキー)

「いやぁ。こう言った開放的空間の中で、堂々とタバコが吸えると言うのは、非常にありがたいものですな。なにね。最近では何処の施設に行っても、タバコが吸える場所と言うのが無くなってきてましてな。施設によっては、まだ喫煙所を残している所もあるのですが、非常に狭苦しい隔離部屋ばかりですし、何かこう、少し寂しい思いをしておったのですよ。お二人はタバコはお吸いになられない?そうですか。そうですか。健全な事ですね。良い事です。」


(シルジーク)

「はぁ・・・。」


まさか、こんな場所まで、タバコを吸いに来た訳じゃないよな・・・と、全く的外れな思い付きを持って、気分を紛らわせようとしたものの、チラリと中年男性の横顔に視線を宛がったシルは、何処かいぶかしげな表情を浮かべ、先ほど中年男性から投げかけられた「聞きたい事」と言う言葉を脳裏に反芻させた。


勿論シル自身、何か警察に追われるような犯罪的行為を仕出かした覚えはないのだが、態々(わざわざ)小面倒くさい申請手続きを経て、この基地を訪れた事からも解る通り、中年男性は単に世間話をしに来た訳でもないのだろう。



・・・とすると、自分の身の回りに居る誰かが、警察に目を付けられる様な事を仕出かしたのだろうか。


・・・まさか。セニフに関係のある事じゃないだろうな・・・。



(リッキー)

「いや、なにね。私も口下手なものでして、一体何からお話すれば良いのか、迷っておるんですよ。いつもならうちの若いのが話を進めてくれるんですが、今日は生憎あいにく、別件で駆り出されてましてな。」


(シルジーク)

「はぁ・・・。」


(サフォーク)

「・・・。」


そう言って、右手で額の辺りをポリポリと引っ掻いて見せた中年男性は、再びゆっくりとタバコの煙を吸い込みながら、返答にきゅうしてしまった二人の若者へと、交互に視線を投げかけた。


何処からどう見ても、有能な保安官である威容を感じない彼の態度は、警察と言う肩書きから来る意味なき畏怖いふ心を、ある程度和らげる効果はあったものの、穏やかな喋り口調ながら不思議と心にまとわり付く様な粘り気のある彼の雰囲気に、シルは、のけぞらせた心を中々に舞い戻す事が出来なかった。


やがて中年男性は、吸い込んだ煙を大きく天に舞い上げるかの様に勢い良く吐き散らすと、両膝の上に両肘を突いて、静かに口を開き始めた。


(リッキー)

「お二人は以前まで、LNR社と言う、DQ部品製造会社に勤められてたのですよね。確かトゥアム共和国内でも有数の大企業マムナレス・インダストリー社系列の会社でしたかな?」


(サフォーク)

「大企業って・・・。マムナレス社系列と言っても、DQ部品リサイクルが本業の単なるジャンク屋ですぜ。」


(リッキー)

「まあ、それでも、そのマムナレス社との取引はあった訳ですよね。」


(シルジーク)

「あったとは思いますけど、余り詳しくは・・・。」


(サフォーク)

「マムナレス社との取引は、全部オーナーが取り仕切ってたからな。」


(リッキー)

「では、その時、マムナレス社の営業担当だった方は、どなただったか覚えてますか?」


(シルジーク)

「営業担当って・・・。サフォーク、知ってるか?」


(サフォーク)

「シャナちゃん?あの細身で可愛い感じのお姉さんだろ?よくオーナーの部屋に来てたぜ。見た事無いのか?シル。」


(シルジーク)

「ああ・・・。あの人、マムナレス社の営業だったのか・・・。」


(リッキー)

「ふむふむ。シャナさん・・・と。では、お二人の言うシャナさんと言うのは、この写真に写っている方で間違いないですな。」


中年男性は、まるでテレビドラマでよく見るワンシーンを、忠実に再現するかの様にそう言葉を連ねると、徐にスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出し、二人の目の前へと差し出した。


その写真は、何処いずこかの高級ホテルの玄関前を背景とし、黒い高級外車から身を乗り出す可愛らしい女性の姿をとらえたもので、LNR社を訪れた時とは、全く似ても似付かぬ高級な衣装に身を包んでいたが、二人は確かに、この女性がシャナと言う人物で間違いない事を確信した。


(サフォーク)

「おおぅー。我が愛しきシャナちゃーん。やっぱ綺麗だなぁ。あの。この写真、貰ってもいいですか?」


(シルジーク)

「・・・。確かにこの人で間違いないです。・・・けど、彼女がどうかしたんですか?」


(サフォーク)

「もしかして、不倫調査で関係者に聞き込みとか・・・。」


(シルジーク)

「馬鹿。もうお前は黙ってろよ。」


一度調子に乗り出すと歯止めが利かないと解り切ったサフォークの言動を、端からくびり潰すように釘を刺して見せたシルは、軽い溜息を吐き出すと同時に、サフォークの手から写真を奪い取ると、直ぐにベンチの左手側に座る中年男性へと視線を舞い戻した。


この中年男性が一体何を聞こうとしているのか、いまだシルには皆目見当も付かなかったが、それでも不意に神妙な面持ちを浮かべて、遠くの方へと視線を投げ出した中年男性の表情から、何かしら重大な事実を含み込んだ不吉な言葉が飛び出してきそうな予感がした。


(リッキー)

「実はですね・・・。彼女、二週間ほど前に、ランベルク工業地帯のとある貸倉庫内で、変死体で発見されましてね・・・。」


(シルジーク)

「はあっ!!?」


(サフォーク)

「はあっ!!?」


この時、予め予測しえた範囲内を遥かに超える衝撃的事実を突き付けられ、二日酔いから来る気持ちの悪さすら完全に失念してしまったシルは、驚愕きょうがくと言う二文字によって形容する以外に無い驚きの表情を持って、サフォークと全く同じ言葉を、全く同じタイミングで繰り出してしまった。


(シルジーク)

「・・・殺されたって・・・。」


(サフォーク)

「・・・マジかよ。なんてこった・・・。」


そしてその直後、真っ先に行き着いた所感を短く呟き出しながら、驚きの余韻よいんに浸る二人を他所に、噴水が作り出すきらびやかな水の幾何学模様へと、じっと視線を据え付けていた中年男性は、全く間髪を置かず、直ぐに立て続けとなる悲劇的事実を並べ立てた。


(リッキー)

「そして、お二人がオーナーと呼ぶ人物、ラックス・ムーズさんも、その事件の二日後に、ランベルク都市中心街の裏路地で、射殺体となって発見されました。」


(シルジーク)

「え・・・。」


(サフォーク)

「へ・・・。」


あんぐりと大きく口を開け放ったまま、完全に次に発するべき言葉を失ってしまった二人は、やがて、ゆっくりとお互いの顔を見遣った後で、一つ生唾を飲む様な仕草を奏でると、再びそのままの表情を中年男性へと差し向けた。


殺された?オーナーが?まさか?誰に?何かの間違いではないのか?・・・などと、何処か疑り深い思いを強く滲ませたて、中年男性の横顔を窺い見たシルだが、この時、中年男性がかもし出す重々しい雰囲気の中には、そんな冗談事を面白半分で吹聴ふいちょうしている様な気配は、一切感じられなかった。


(シルジーク)

「何かの冗談・・・。では無いですよね・・・・。」


(サフォーク)

「怖えぇぇー。本当にあんのかよ、そんな話・・・。」


(リッキー)

「ああ、勿論、この事件に関して、お二人の事を疑っている訳ではないのですよ。事件発生当日前後に、お二人が軍務に携わっていたと言う、複数人からの証言も取れてますし、今日私がこうして参ったのは、お二人が少しでも事件解決の糸口と成り得る、有益な情報をお持ちなのではないかと思いましてね。どんな些細な事でもいいのですが、この二人の被害者の身の回りで、何か不審な点などございませんでしたか?」


二人の若者を相手にして、全く紳士的態度を崩さない中年男性の口振りは、出会った当初から相も変わらず温厚な色合いをちりばめたものだったが、二人に面と向かった彼の表情は非常に真剣そのものと言った様相で、適当な会話ではぐらかす様な真似は出来ないな・・・と感じたシルは、直ぐに真剣な表情を浮かべて、過去の記憶を探り出した。


(シルジーク)

「うーん。最後にオーナーと連絡を取ったのは、確かBP事件発生直後、軍への入隊手続きに必要な書類を揃えてもらった時か・・・。サフォーク。あれ以来、オーナーとは連絡取ってるのか?」


(サフォーク)

「いんや。全く音沙汰無しってやつさ。今更オーナーに何の用事がある訳でもないし、こっちから連絡するのも、ちょっと面倒くさかったしな。あの人、連絡取ろうにも中々捕まらない人だったからな。」


(シルジーク)

「そうだよな。うーん。何か不審な点。不審な点かぁ・・・。言ってしまえば、オーナー自身が不審者だったと言えなくも無いなぁ・・・。」


(サフォーク)

「へへっ。それは確かに言えてるな。」


(シルジーク)

「貧相な格好している割に、やたらと金の羽振りは良かったし、でも、だからと言って、自分自身に金を費やしている様には見えなかった。オーナーって、一体何が楽しみで生きてたんだろうな。」


(サフォーク)

「お前、それ結構酷い言い様だぞ。」


(シルジーク)

「サフォーク。シャナちゃんについては、何か知らないのか?」


(サフォーク)

「年齢に誕生日、血液型に身長と体重、スリーサイズまでなら知ってるぜ。残念ながら、連絡先まではゲットできなかったけどな。」


(シルジーク)

「お前、結構知ってるな・・・。」


やがて、再び「うーん」と唸る様に下を俯いてしまったシルは、何の足しにもならない瑣末さまつな情報しか、ひねり出す事が出来ない自分に、多少嫌気が指した様子で、ゆっくりと腕組みをしながら、大きな溜息を吐き出してしまった。


チームTomboyに所属する以前から、ラックスには何かと世話になってきたシルだが、これまでの長い付き合いの中で、彼の事を深く知る何かしら有益な情報を、積み上げる事が出来ていたのかと言えばそうではなく、この時彼は、幾ら必死に過去の記憶を探索して見た所で、無いものは無いと言う、全くらちも無い結論しか導き出す事が出来なかった。


確かに考えれば考えるほどに、不可解な人物であった事に疑いは無く、シル自身、そこに様々な憶測を渦巻かせた記憶はある。


しかしシルは、それまで自分達自身が頑なに守り通してきた暗な制約を理由に、それらを問い質す全ての機会を意図的に看過すると、沸き起こった数々の疑念を心の奥底に深く仕舞い込んで、出来るだけ直視しない様努めていたのだ。


(リッキー)

「お二人は以前、ラックスさんが運営されていたDQAチームで、三回ほどDQA大会に参加されてますよね。確か記録では、他のスポンサー企業を一切ようさずに、単独一社で大会に参加した唯一のチームとか。私は余り、ショービジネス的な分野に詳しい方では無いのですが、DQAチームの運営には莫大な費用がかかると窺っていますし、LNR社が一体どのようにしてDQAチームを運営してきたのか、非常に興味がある所です。その辺の事について、詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?こう言って何ですが、私は中小企業でしかないLNR社に、DQAチームを運営する程の力、資金力があったのかどうか、非常に強い疑念を抱いているのですよ。」


(シルジーク)

「まあ、その点に関しては、俺もおかしいとは感じていましたけどね。チームを運営するにあたって、資金繰りに困る様な事は一度も無かったし、必要な物は全部オーナーに頼めば揃えてくれるって言う、不思議な環境だった事は間違いないです。勿論、一端いっぱしのジャンク屋風情を気取って、出来るだけ廃品を利用する様心がけてはいましたけど、でも結構金はかかってたと思います。」


(サフォーク)

「確かに不思議っちゃ不思議な状態だったよな。そんなに儲けが出る会社でも無い癖に、必要な時には必ず、何処からとも無く金が湧き出して来るんだからさ。これはもう、どっかに奇特なパトロンが存在して、俺達に資金を提供してくれてたんじゃないかって、そう考えてもおかしくない状況だよな。」


(シルジーク)

「でもさ、仮にパトロンが存在したとして、俺達に資金を提供する理由は何だ?奴らに一体何の得がある?単なるジャンク屋が趣味で始めたDQAチームに、資金援助するなんて、どぶに金を捨てるのと同じ事だぞ。そもそも、俺達がDQA大会に参加したのは、中古部品の寄せ集めDQでも、それなりに戦えるんだって事を、証明して見せたかっただけだし、DQ新製品のデモンストレーションとか、他の企業、他の団体の宣伝とかを目的としていた訳じゃない。大会で上位に食い込める程の実力も無い俺達に、好き好んで資金を提供してくれる奴らなんて、何処を探しても見つからないと思うけどな。」


(サフォーク)

「そりゃまあ、確かにお前の言う通りだがなシル。実際にオーナーは金を持っていたんだ。何も無い所から金が自然と湧き出すはずが無いし、そこにパトロンなる何かしらの存在があっても、不思議じゃねぇよな。」


(シルジーク)

「うーん。パトロンねぇ・・・。」


(サフォーク)

「じゃあさ、少し見方を変えて、こう考えてみたらどうだ?実際にパトロンは存在していた。でも奴らは、俺達の為じゃなく、もっと別の何か、パトロン自身が望む何かの為に、資金を提供していた・・・とかさ。」


(シルジーク)

「なんだそれ。パトロン自身が望む何かって、何だよ。」


(サフォーク)

「そんな事、俺に聞かれても解る訳ねぇじゃねぇか。」


やがて、全く不確かな情報をもって、不毛な会話へと突入しかけた二人は、多少途方に暮れた様子で、軽い溜息を吐き出すと、静かに中年男性の方へと視線を投げかけ、行き先を失った会話の出口をこの中年男性に求めた。


チームTomboyの中でも一番の古株である自分達二人が揃って、有益な情報の一つも見出す事が出来ないのであれば、これ以上彼是あれこれと思案を巡らせても仕方が無い事だ・・・と、彼等はそう思い至ったのだ。


(シルジーク)

「すみません。俺達何か、事件の解決に繋がりそうな情報とか、そう言うの、余り持ってないみたいで・・・。正直言って俺達、オーナーの事良く知らないって言うか、会社の事とか、DQAチームの事とかも含めて、余り良く理解していなかったんです。」


(サフォーク)

「長い間オーナーに世話になって来たって言うのに、案外薄情な奴だねぇお前も。」


(シルジーク)

「うるさい。オーナーとの付き合いはお前の方が長いだろ。」


(リッキー)

「いえいえ。十分ですよ。十分です。ありがとうございます。」


しかし、そんな二人の役立たず振りを、少しも気にする風でもなく、ほのかに満足げな笑みを浮かべて見せた中年男性は、吸い終えたタバコの吸殻を手持ちの携帯灰皿の中へと押し込め、ゆっくりとベンチから重たい腰を上げた。


そして、静かに地下庭園の天井を見上げ、肌を刺すような力強さを増してきた初夏の日差しに目を細めて見せると、二、三度軽く身体を背伸びさせるような仕草を奏で出した後で、再び二人の方へと向き直った。


(リッキー)

「余りお二人には関係ない事かも知れませんが、最後にこの写真を見ていただきたいのですが。」


すると中年男性は、スーツの内ポケットへと仕舞い込んだ携帯灰皿の変わりに、再び一枚の写真を取り出すと、まだ何かあるのか?・・・と、怪訝けげんそうな表情を浮かべた二人の前にスッと差し出した。


(リッキー)

「どうです?この写真に写っている人物に、見覚えはありませんか?」


中年男性から手渡された一枚の写真に、そう促されるままに視線を落としたシルは、そこに写し出されていた一人の男性へと焦点を絞り込み、マジマジとその風貌を観察し始める。


その男性は、周囲に屯す黒服の男達との相対関係から、割と背が低い小柄な人物である事が窺え、着込んだ高級スーツやりんとした立ち姿から、それなりの身分に属する者である威風を漂わせていたが、細く釣り上がった目元から受ける印象は、何処か酷く陰湿な色彩が交えられている様にも感じてしまった。


(シルジーク)

「いえ、全く見覚えのない人ですね。サフォークはどうだ?」


(サフォーク)

「どれどれ?・・・うーん。俺も見た事無いなぁ。」


(リッキー)

「そうですか。解りました。お手数をおかけしましたな。」


やがて、シル、サフォークと手渡されて戻ってきた写真を、いそいそとポケットの中へと押し込んだ中年男性は、再びにっこりと愛嬌あいきょうのある笑みを浮かべると、丸みを帯びた背格好のまま深々と頭を下げ、徐に持ち上げた右手で頭を数回掻いて見せた。


その写真に写し出された男性について、この中年男性から詳しい説明が施される事は無かったが、その時二人の脳裏に浮かび上がった「この人が何か?」と言う疑念もまた、この中年男性へと投げかけられる事は無かった。


(リッキー)

「それでは、私はこれで失礼させていただきます。お忙しい中、長々とお手をわずらわせて、すみませんでしたな。色々とありがとうございます。」


(シルジーク)

「いえ、こちらこそ、何の役にも立てなくてすみません。」


中年男性は、二人の若者を交互に見遣った後、丁寧な言葉遣いで最後の挨拶を施すと、礼儀正しく返事を返したシルに向けて再び頬を緩ませた。


そして、ゆっくりときびすを返し、二人の目の前に草臥くたびれたスーツの背中側を曝け出すと、のそのそと言った擬音ぎおんが良く似合う歩き方で、ゆっくりと二人の元を立ち去っていった。


見るからに何の取り得も無さそうな中年男性の後姿は、まさに哀愁が漂う駄目親父と言った様相を如実にょじつに漂わせており、時折無造作に右手で頭を掻き乱す仕草が、更にそれに拍車はくしゃをかける様で、気を抜けば、彼の持つ肩書きさえ忘れ去りそうになる程だった。


しかし、そんな印象の薄い瑣末さまつな中年男性が残した衝撃は、決して微々たるものなどではなく、まさに静かな水面の上に、突然強力な爆弾を投下したかのような威力を持って、彼等二人の心を揺さ振り続けるのだった。


やがて、ようやく静けさを取り戻した意識の中に、静かなる噴水の水音を捉え始めたシルは、一度大きく吸い込んだ息をクッと胸元に溜めて、ゆっくりと吐き出しながら言った。


(シルジーク)

「なんか、もう酔いも覚めちまったな・・・。余りに突然の話で、まだちょっと混乱しているけど、そっか・・・。オーナーも死んじまったのか。」


(サフォーク)

「生きてる人間、いつかは死ぬ。それが単に早いか遅いかってだけの話さ。まあ、オーナーもまだ、死ぬには早すぎる年齢だったとは思うけどな。」


何処か意気消沈した様な面持ちで、無意味に辺りへと視線を泳がせたシルは、直後に聞こえたサフォークの素っ気無い言い回しに対し、ふと自然と彼の方に視線を差し向けたのだが、ひねくれ者で通っている彼の性格をほのかにおもんばかってやると、全く無言なる返答を用いて、直ぐに綺麗な噴水の様相へと意識を漂わせた。


そして、たった一ヶ月の間に、見る影も無く激変してしまった周囲の状況を、一つ一つ脳裏に思い起こしてつぶさに省みながら、再び彼は大きな溜息を吐き出してしまった。


(サフォーク)

「さーて。どうすっかな・・・。」


やがて、二人の元にしばし訪れた静寂の時を突き破り、そう短く言葉を発したサフォークが、腰に両手を宛がったままの体勢で、ゆっくりと天を仰ぐ。


シルはふと、彼の言動に釣られる様に僅かに顔を傾けたのだが、それが何かの返事を期待しての言葉ではない事を察すると、またしても何も返事を返さなかった。



自分達の思いとは裏腹に、止まる事を知らぬ時の流れは、これからも容赦なく前へ前へと突き進んで行く。


決して立ち止まる事も、決して立ち返る事も許されぬ過酷な時の流れは、これからも永遠に時間軸と言う一本道を辿り経て、真っ直ぐに突き進んでいく。


しかしそれは、一本道であっても、決して一直線ではなく、人々の抱く思い、人々の抱く願い、人々の抱く望みによって右にも左にも揺れ動く、至極不安定なものだ。


一つ高い次元から世界を見下ろして、たった一つの歴史を形作る様、定められし時の流れ。


逃れようのない運命なんて言葉は嫌いだ。


絶対に何処かに、明るい未来へと続く道があるはずだ。


やがてシルは、静かに天井を見上げると、照り付ける強い初夏の日差しに押し負けない様にと、あからさまに強くひそめた眉を携えて、クッと下唇を噛み締めた。

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