07-04:○底の見えぬ穴蔵の中で
第七話:「光を無くした影達の集い」
section4「底の見えぬ穴蔵の中で」
何かを見つめているかの様でもあり、また何も見ていないかの様でもある、虚ろな瞳。
黄色い枕カバーの向こう側、無造作に放り出された赤い髪の毛の更に向こう側から覗く、薄ら寒い雰囲気を醸し出す、虚ろな瞳。
時折、ぱちくりと瞬きを奏で出しはしているものの、その視線の行く先は、薄暗い部屋の様相を一顧だにせず、ただ何処か遠くにある虚空の彼方へと、じっと据え付けられたままだ。
絶妙の弾力を有した心地よいベッドの上、サラサラと肌触りの良いシーツと、ふんわりと柔らかな毛布の間に包まれ、じっと身を横たえていた少女は、静かな眠りの淵へと吸い込まれそうになる喪失感に揺さぶられながらも、何処か鎮めようの無い、心の疼きに悶えていた。
静かに休める身体の全てが、ポカポカと温かな火照りを宿す中、たった一箇所だけ温まる事の無い、失意に喘ぐ心の冷たさが、むず痒い違和感を激しく訴えかけてくるようだ。
周囲に漂う温和な空気も、何処か酷く凍て付く様な刺々(とげとげ)しさを感じ、部屋の中をほのかに照らし出す、優しげなブラケットライトの光も、自責の念と言う黒い靄に取り憑かれた少女にとっては、鬱陶しさを増幅させる種火にしかならなかった。
完全に周囲との関わりを隔絶した意識の中で、何度も何度も深い吐息を繰り返し、必死に心を落ち着けようと試みるも、その度に沸き起こる苦々しい思いの全てが、ぽっかりと穴の開いた少女の心を激しく叩き付ける。
そして、やるせなさ、不甲斐なさ、悔しさ、うしろめたさと言った、怒りと哀しみに塗れた負たる感情によって、心に出来た穴の全てが溢れかえると、やがて、瞬きする度に零れ落ちる涙が、再び止まらなくなってしまった。
少女は不意に、ギュッとシーツを強く握り締めて、小刻みに震え出した身体を静かに捩ると、ほのかに湿り気を帯びた柔らかな枕の中に、深々と顔を埋めた。
(セニフ)
「・・・うっ。・・・うっ。・・・うっ。」
人が死ぬなんて、当たり前の事。
生れ落ちたその瞬間から、必ず死する運命を定められ、どんなに懸命に生きようとも、どんなに必死にもがこうとも、何人たりとも、決して死の恐怖から逃れる事は出来ない。
しかしそれでも、人は己の力が尽きて果てるその時まで、小さくとも儚い命の灯火を燃やし、輝かせるだけ輝かせて、必死に死から逃れようとのた打ち回る。
背後からヒタヒタと忍び寄る、真っ黒な闇の世界の存在を感じながらも。
死んだら屍。ただの屍。
呼びかけても、揺さぶっても、何の反応も示さない、ただの屍。
命と言う躍動を生み出す拠り所を失い、暖かな温もりさえも失い、人として感じる感情の全てを具象化出来なくなった、ただの屍。
優しかった笑顔も、悲しそうな泣き顔も、怒った表情も、もう二度と、見る事の出来ない、ただの屍。
それまで有していた光の全てを完全に喪失し、再び輝く事を許されぬその屍は、もはや、そこにあるだけの、単なる物としての存在以外の何者でもない。
それは、残された者達に、容易には癒えぬ心の傷を、深々と背負わせるだけの存在でしかなく、決して取り繕う事もしない、決して優しく慰めてもくれない、無慈悲なる存在でしかない。
悲しみしか生み出さぬと解りきったこの屍が、何故この世には必要なのだろうか。
人の死。人が死ぬと言う事実は、一体何の為に存在しているのだろうか。
それは、生きていると言う充実感を人の心に与える為・・・と、嘯く者がいる。
それは、必死に生きようとする人の心に活力を生み出す為・・・と、口走る者もいる。
尤もらしく聞こえはするが、結局、最後に掻き消える運命にある事を知りながら、そこに生きる意味があるのかと問われれば、良く解らないとしか答えようが無い。
儚くも消え行く新たなる命を次々に産み落とし、永遠に受け継がれて行く人の生と人の死には、一体何の意味が込められているのだろうか。
命と言う儚いおぼろげな光を、たった一つだけ与えられ、この世に産み落とされた人の多くは、一体自分が何の為に生きて、一体何の為に死んで行くのか、全く解らないままに生きている。
人は皆、全くその意味を解らないまでも、必死に生きて行こうとしている。
人は必ず皆死ぬのだと解りきっていながらも、人は皆、必死に生きて行こうとしているのだ。
では何故、人は生きたいと思うのか。
何故、人は生きたいと願うのか。
(セニフ)
「・・・うっ。・・・ううっ。・・・スン。」
人が生きようと思う心。その心を突き動かす原動力と成り得る存在。
それは勿論、人が人として感じる欲望の全てに集約された強い思いであり、それを満たしたいと渇望する人の意志が、人に生きる為の活力を与える。
何かを願い、何かを求め、何かを欲する人の感情。
生きている間に成し遂げたい、死ぬ前にやり遂げたい、それが例え、決して容易には叶わぬ願いであっても、夢や希望と言った光の導が、人に生きる為の活力を与える。
人は皆、心の中に抱いた思いや願いを叶える為に、必死になって生きているのだ。
(セニフ)
「・・・アリミア・・・。ううっ。」
しかしこの時、ほんの極僅かなりとも、叶う望みがあるならまだしも、それが決して叶わぬ望みなのだと言う、絶望的現実を突き付けられてしまった少女は、全く出口すら見えない暗黒の迷宮の只中へと落ち込み、一人寂しく喘ぐようにして泣いていた。
己の抱く望みの全てを一つに集約し、只管に心の中で祈り願っていた強い想い、心の支えとも言うべき強い想いを、根幹から挫き折らてしまった少女は、新たに生きる為の活力を奮い立たせる事も出来ずに、一人寂しく喘ぐようにして泣いていた。
一体どれ程の時間泣いていたか解らない。
一体どれ程の涙を流したのか解らない。
でも、それでも、止め処なく流れ落ちる涙は、一向に差し止まる気配を匂わせなかった。
生きて帰ってきて欲しい。そう願っていた。
お互いに生きて帰って、再び出会いたい。そう願っていた。
そして、他愛の無い会話に興じながら、アリミアと一緒に楽しい一時を過ごしたかった。
楽しく笑って、楽しくはしゃいで、また、楽しい毎日を送りたかった。
私は、楽しげに笑うアリミアの表情が好きだった。
普段から堅くてきついイメージもあったけど、私は、アリミアの笑った表情が好きだった。
アリミアの笑顔。とても綺麗だった・・・。とても優しかった・・・。
アリミアが笑った顔・・・最後に見たのは、いつだったっけか。
レストポートでチラッと見かけた時だっけか。
それとも、もっと前の、作戦会議の時に、チラッと視線が合った時だっけか。
あの時は直ぐに、私の方が視線を逸らしてしまったけど、ほんとはもっと、ちゃんと見ておきたかったんだ。アリミアの笑顔。
正直言うとね、ほんと気が動転しちゃってさ、もう、どうして良いかわかんなかったんだ。私。
馬鹿だよね。ほんと・・・。
勿論、その事は、アリミアも、解ってくれてたよね?
私ね。アリミアの笑顔が見たいんだ。
ねぇ。アリミア。もう一度、私に笑顔を見せてよ。
お願いだからさ。もう一度だけで良いから。私に笑顔を見せてよ。
私が我儘だって事ぐらい、アリミアも知っているでしょ?
だからもう一度だけ、私に笑顔を見せて。
お願いだから、私に笑顔を見せて!微笑んで見せて!
お願いだから・・・!!
私やだよ!!最後にあんな・・・。あんな顔・・・。
アリミアに、あんな顔させたままで・・・。
あんな別れ方・・・。
(セニフ)
「うあああっぁぁぁ!!・・・やだよぉ!!・・・そんなのって無いよぉ・・・。」
誰も居ない、シンと静まり返った薄暗い部屋の片隅で、胸が張り裂けそうになる程に膨らんだ、激しい後悔の念に苛まれ、やがて抱え込み切れなくなってしまったセニフが、唐突に悲痛な叫び声を上げた。
そして、身を丸め込むようにして、両手に握り締めたシーツと毛布を強引に抱き寄せ、寒さに凍える心の回りに、巻きつけるようにして引っ張った。
自分の身体が妨げとなり、それ以上引っ張れない状況にあっても、セニフは必死にシーツと毛布を引っ張り続けた。
自分が求めていたものを、必死に手繰り寄せるようにして。
死んでしまった人間と、再び出会う事なんて、出来やしないって・・・解ってる。
自らの死を選択した所で、再び出会える保障なんて、何処にも無いって・・・解ってる。
でも、本当にアリミアが死んだかどうかなんて、誰にもわかんないじゃない。
今も何処かで生きていて、誰かの助けを待っているかもしれないじゃない。
「・・・は、まだ見つかっていないようですが、巡航ミサイル発射地点と目される・・・。」
「・・・は、死亡した・・・と言うのが、諜報部の見解、いえ、軍の見解のようです。残念ですけど・・・。」
(セニフ)
「嘘だ!!嘘!!そんなの絶対、嘘に決まっている!!私、信じない!!信じないよ!!」
突然、思い立ったようにベッドから上体を起し、俄かに激しい怒りを吐き散らして見せたセニフは、徐に枕元に置かれていた空っぽの花瓶を手に取ると、思いっきり部屋の壁にぶち当てるように投げ捨てた。
ガッシャン!!
はあはあと途切れる事の無い、忙しい吐息を逐次漏らしながら、無残にも四散し行く花瓶の乾いた断末魔を聞いたセニフは、ボロボロと零れ落ちる涙を拭き取ろうともせず、ただ虚しさを増幅させるだけの、花瓶の屍へと視線を宛がった。
それまで、幾度となく繰り返されてきた同様の行為から、彼女の部屋の床一面は、破壊された小物達の屍で埋め尽くされていたが、彼女は少しもその事に気を止める様子を見せなかった。
やがて、全く無意識の内に、薄暗い部屋の片隅を順々に辿った彼女の視線が、力なく放り出された右手の掌へと落とされる。
涙に滲んだ視線の先で、ゆっくりと開かれ行く掌の中には、ずっと大事に握り締めていた、二つの紅いヘアピンがあった。
それは単に紅いだけの、非常に質素な作りの小物だったが、彼女にとって見れば、それは如何なる高価な宝石よりも、遥かに価値のあるかけがえの無い小物だった。
死んだ・・・。アリミアは死んだの。解るでしょ?
解らない!解らないよ!
絶対に嘘だよ!馬鹿にしやがって!!
残念だけど、何者かに殺されてしまったの。解るでしょ?
違うよ!違うよ!絶対に違う!
アリミアがそう簡単にやられるはず無い!
今までも私の事、ずっと守ってくれてたじゃない!
アリミアは強いんだ!死ぬはずが無い!その内絶対に帰ってくるよ!
オクラホマ空港管制施設の屋上で発見された大量の血痕。
あれ、アリミアのものなんだってね。
致死量に達する程の大量出血だって。
そんな状態で生きてられるはず無いよ。
アリミアはもう、帰ってこないの。解るでしょ?
そんなの嘘!私見てないもん!私信じないもん!
そんなの、諜報部の奴等が勝手にでっち上げた、作り話なんでしょ!?
絶対、嘘に決まっているじゃない!
なんでそんな嘘を付く必要があるの?
アリミアの死を確定付ける確固たる証拠を手に入れたって言うのに、生きているかどうかも解らない人間を捜索し続けるなんて、組織としては有り得ない話だよね。
そんなの簡単に解る話じゃないの。
違うよ!アリミアは生きている!アリミアは生きているよ!
それなのにあいつら、アリミアを捜索するのが面倒臭くなって、それで・・・!
あれだけ優秀だって言われていた人間を、諜報部が簡単に見捨てると思う?
疚しい手を使ってまで、ネニファイン部隊から引き抜こうとした奴等だよ?
出来る事なら何とか救い出して、また困難な作戦任務を任せたいって、そう思うのが普通だよね?
彼等は知ってしまったの。彼女が死んでしまったと言う事実をさ。
そんな事言ったって!信じられない!
アリミアが死ぬ所を直接見た訳でも無いのに!信じられる訳ないじゃない!
それは単に、信じたくないだけの、一方的な思い込みじゃない。
突き付けられた現実を受け止める事が出来ず、いつまでも駄々を捏ね続けるだけでさ。
子供みたいに幼稚な、自分勝手な我儘じゃない。
解ってるよそんな事!!そんな事解ってる!!
そうだよ!!我儘だよ!!
そんな事、自分でも解ってるんだ!!
私は我儘な人間なの!!
いつもいつも自分勝手に、好き放題に自分を表現してさ。
他人の思いなんか、全然関係ないって感じで、自分だけの殻に閉じ篭ってさ。
アリミアが、あんなに必死になって、私の事を考えてくれてたって言うのに。
アリミアが、あんなに一生懸命になって、手を差し伸べてくれてたって言うのに。
全く見向きもしないで、一人だけ被害者ぶっちゃってさ。
アリミアにだけ全部罪を擦り付けて、自分だけ楽になろうなんて、都合の良い事ばっか考えてさ。
少しもアリミアの事を考えてあげる事が出来なかったなんて、ほんと最低!この我儘女!この卑怯者!この弱虫!この臆病者!
アリミアがどんなに苦しい日々を送ってきたか、どんなに悲しい日々を送ってきたか、それを知ろうともしないで、ただ無意味に無茶苦茶な言葉だけを投げつけて、あんなにアリミアを傷つけるなんて!
最後に見た、アリミアの悲しそうな表情が忘れられない・・・。
最後に見た、アリミアの苦しそうな表情が忘れられない・・・。
「やめてよ!!私には何も話すことなんて無いよ!!もう私に関わらないで!!」
馬鹿!!馬鹿!!馬鹿!!
何でそんな事言ったのよ!!
「聞きたくないよアリミアの言葉なんか!どうせ訳の解らない理由をつけて言いくるめてやろうなんて思ってるんでしょ!?いつまでも子供だと思って馬鹿にしないでよね!」
何でそういう風にしか言えなかったのよ!!馬鹿!!ほんと馬鹿!!
「仲間だなんて軽々しく口にしないで!!私がいつアリミアに守って欲しいって頼んだの!?余計な事しないでよ!」
いや!!やめてよ!!馬鹿!!
「私の為に私の為にって、それさえ口にすれば赦されるとでも思ってるわけ!?私が、はいそうですかって、素直に応じるとでも思ってるわけ!?」
いや!!やめて!!それ以上言わないで!!
「自分の母親を殺した犯罪者達の仲間に、誰が好き好んでその身を預けるっていうのさ!?私は人殺しに同情されるほど落ちぶれていないよ!!一体、今までどれだけの人達を殺して来たか知らないけどさ!!そんな人間に・・・。」
いやぁぁぁぁぁ!!駄目!!それ以上言わないで!!
「そんな人間に見られてるんだって思うと、背筋がゾッとしちゃうよ!!殺人鬼に付き纏われてるんだって思うと、気持ち悪くて夜も眠れないよ!!」
やめて!!やめて!!やめて!!もうやめて!!お願いだからやめて!!
「人の気持ちを知りもしないでさ!!自分勝手に人を殺して!!全然平気なんでしょ!?人を殺す事に何の躊躇いもないんでしょ!?人を殺すのが好きなんでしょ!?この人殺し!!その内きっと、私の事も平気で殺すんでしょ!!近寄らないでよ!!この人殺し!!」
お願いだからやめて!!やめて!!それ以上言わないで!!
私はそんな言葉まで投げつけるつもりはなかったの!!
そんな酷い事まで言うつもりはなかったの!!
ほんと!!本当だよ!!私は!!・・・私は・・・。
ほんとはね。・・・あんな別れ方するつもりじゃなかった・・・。
ほんとはね。・・・アリミアと話がしたかった・・・。
ほんと。・・・ほんとだよ・・・。
でもさ。私さ・・・。私・・・。あんな態度で・・・。あんな自分勝手な・・・。
ほんともう、馬鹿だよ・・・。馬鹿・・・。馬鹿・・・!馬鹿!!馬鹿!!馬鹿!!馬鹿!!馬鹿!!
もうこんな馬鹿で!自分勝手で!卑怯者の私なんて嫌だ!!もう嫌だ!!
もし、やり直せるなら・・・。あの時、あの瞬間・・・。
壊れてしまう前のあの瞬間まで、アリミアと最後に出会ったあの瞬間まで戻りたい。
そして、自分だけが可愛いと考えていた、最低の自分を後ろから蹴り飛ばしてやりたい。
我儘だって解っている。
自分勝手だって解っている。
でも、それでも、何でも良いから、どうなっても良いから、時を戻して欲しい。
お願いだから、時を戻して。
お願いだから・・・。
(セニフ)
「お願いだから、時を戻して・・・。お願いだから、時を戻して・・・。お願いだから、時を戻して・・・。お願いだから・・・。時を戻して・・・。お願い・・・。お願い・・・。」
右手に持った紅いヘアピンを、ギュッと強く握り締め、両手で顔を覆うようにしてその場に蹲ったセニフは、突き上げる激しい後悔の念に殴り付けられ、蹴り付けられ、全くどうしていいのか解らない様子で、ただ只管に涙を流し続けた。
全く落ちる場所すら解らないままに落ち続ける、真っ暗な悲しみの渦へと取り込まれてしまった彼女の心は、支えとなる取っ掛かりも、差し込む光も見つけ出す事が出来ずに、ただただ、虚空を切る様に四足をバタつかせ、もがき足掻いているだけだった。
やがて、止め処なく押し寄せる激しい後悔の念が、冷たく鋭い真空の刃となって、幾度となく彼女の心を深々と切り刻み続けると、彼女は再びその傷跡から噴出した大量の雫の重みに耐え切れなくなった。
溜まりに溜まり込んだ大量の雫を、強く閉じた瞼から一斉に振り落とし、不意に天を仰いだ彼女が言葉にならない叫び声を張り上げた。
(セニフ)
「うわぁぁぁぁああああっ!!ああああっぁぁぁぁ!!」