07-02:○理想と現実の齟齬に塗れて[1]
第七話:「光を無くした影達の集い」
section2「理想と現実の齟齬に塗れて」
薄緑色に塗装された清潔感溢れる壁面と、綺麗に塗り固められた灰色のコンクリート床が、大きな十字架を描き出す閉鎖的通路の交差点に、その一画を球体で削り取ったかのような独特の空間が横たわっていた。
通路からその空間へと続く三段ばかり短い階段を降りると、空間の形に合わせて誂えられた、真っ赤な円形の絨毯が来訪者を迎え入れてくれ、高級感溢れるテーブルの横に三つ並んだ、小洒落た面持のソファも、何処か場違い的な雰囲気を漂わせている。
頭上から降り注ぐ人工的な光も、ほのかに穏やかなオレンジ色を滲ませており、周囲に漂うピリピリとした空気を、しばし和ませるのにも一役買っているようだった。
横に並んで三人は座れそうなフカフカのソファ上に腰を据え、カタカタと音を立てながら、自分の膝の上に乗せたノート型PCを操作する女性が一人、じっと食い入るようにモニターを覗き込んでいた。
そして、長く伸びた緑色の前髪を掻き揚げる仕草と共に、ふと手を休めた彼女は、鼻で小さく軽い溜め息を奏で出し、左手首に巻かれた可愛らしい腕時計にチラリと視線を宛がった。
ランベルク基地の地下三階に当たるこの通路は、様々な施設が集中する中央区画の程近くにあっても、それほど人通りの激しい場所ではない。
兵士達の憩いの場であるレストポートの程近くにあって、兵士宿舎とを繋ぐショートカットルートとして知られる便利な通路なのだが、下士官以下一般の兵士達で、このルートを好んで利用する者達は、軍の中でも食み出し者と称される輩達が多かった。
勿論、彼女自身は、それなりの理由があって、この通路沿いに設けられた休憩所に座っていた訳だが、彼女はその理由を知らないと言うよりも、その事実に少しも疑念を抱かぬ楽天家だった。
この時も彼女は、その通路を歩いてきた一人の中年男性に対して、何ら思う所無く優しげな笑みを投げかけると、深々と頭を下げて会釈して見せたのだが、軽く頷いて返事を返したその男性は、何処か少し眉を顰めて、訝しげな視線を彼女に据えるのだった。
やがて男は、特に何を注意するでもなく、そのまま通路を歩き去って行ったのだが、彼の胸に付けられた階級章が、一体如何なる位のものであったか、彼女は少しも気にかけない様子だった。
この通路を挟んで左右に設けられた施設の多くは、将官佐官クラスの上級仕官達が常時利用する大会議室であり、その程近くには、ランベルク基地の全てを統括する司令室がある。
言うまでも無く、それらの重要施設に立ち入る為には、複数の生体認証セキュリティチェックを受けなければならないのだが、それでも、滅多矢鱈に一般兵士達が近寄って良い場所では無いのだ。
彼女はふと、再び誰も居なくなった地下通路に漂う、しんみりとした空気の装いに身を任せると、ゆっくりと周囲の様相へと視線を投げかけた。
シンと静まり返った通路奥からは、ほのかにざわざわとした人の声が流れ込んで来ていたが、恐らくそれは、レストポートで兵士達が楽しく談笑している声なのだろうと思い付き、彼女は再びノート型PCのモニターへと意識を舞い戻した。
普段から周囲に天然ボケである事を指摘されがちな彼女だが、トゥアム共和国通信高大、情報理工学科卒のインテリお嬢様だけあって、その情報処理能力は流石の素早さを誇っている。
与えられた仕事は難なくテキパキとこなし、時に二、三人分の仕事量をもこなす彼女の能力は、全く疑いようも無く優秀な部類に入るであろう事は、ネニファイン部隊のメンバー達全員が認める事実であった。
しかしやがて、真剣な眼差しで自らの仕事と向き合っていた彼女は、不意に影を落とした暗い表情と共に、モニター画面を突き抜けた向こう側にある「何か」を見つめた。
オクラホマ攻略作戦以降、戦後処理と言う山の様に膨大な仕事量を一手に押し付けられ、溜め息を付いて呆れ返りたい彼女の心情も解らないでは無いが、この時見せた彼女の表情は、連日の激務に疲れ果てたと言う感じではなかった。
今現在、彼女が処理している作業の内容は、軍上層部並びに共和国政府に提出する、ネニファイン部隊メンバー達の死亡報告書作りである。
(チャンペル)
「さっ。仕事、仕事・・・。」
・・・と、彼女はだしぬけに発したありきたりな言葉と共に、何処かしらへと漂っていた意識を引き戻すと、有無を言わさず忙しい仕事の中へとのめり込ませた。
そして、まず一人目の報告書の作成作業へと取り掛かると、まるで機械の様な精密さと素早さを持って、次々と必要記載項目を埋め尽くしていった。
今回のオクラホマ攻略作戦において、ネニファイン部隊に与えられた任務は、帝国領南東部に位置する秘密基地パレ・ロワイヤルミサイル基地を攻略する事にあった。
作戦立案当初は非常に困難な任務であると目され、誰しもが不毛な消耗戦に陥るのではないかと懸念していたのだが、諜報部工作員達の活躍によって、中距離弾道ミサイル発射台の設置位置を含めた、同基地の所在地が判明すると、戦局の優位性は一気にトゥアム共和国軍側へと傾いた。
しかし、当然と言えば当然の事ながら、勝利者たる立場の側も、完全に損失ゼロで戦闘を終える事など出来るはずも無く、今回の作戦において、ネニファイン部隊から、三名の戦死者を出す結果となってしまった。
そして、全く奇妙な形ではあるが、諜報部の破壊工作員として、作戦に参加する事となった一人の女性パイロットもまた、何処かへと姿を晦ましたまま、行方不明となってしまっている。
トゥアム共和国軍がオクラホマ都市を占領したその日、同都市に潜入した諜報部工作員を回収すべく、投入された救出部隊の隊員達は、同都市市民達が引き起こした激しい暴動騒ぎに振り回されながらも、何とか負傷した工作員二名を救出する事に成功し、二名の遺体を回収した。
しかし、ネニファイン部隊から参加した一人の女性、アリミア・パウ・シュトロインの姿を見つけ出す事は出来ず、スパイロウ巡航ミサイルの発射地点と目される、オクラホマ空港管制施設屋上部でも、彼女が使用したと見られるミサイル発射台とその他小道具が多数、そして、塔屋小屋付近に付着した大量の血痕以外、何も発見する事が出来なかった。
・・・これほどの大量出血となれば、恐らく当の本人はもう生きていないでしょう。
恐らく彼女は、スパイロウ巡航ミサイル発射後、この屋上で何者かと遭遇し、そして殺害されたものと推測します。
他二名の工作員の遺体を放置しておきながら、何故彼女の遺体だけを持ち去ったのか、その理由は定かではありませんが、我々としては、これ以上彼女の捜索を続けるつもりはありません。
医師の判断を待つまでも無く、この大量の血痕を含めた状況証拠だけで、彼女の死亡証明書は発行出来ると思います。
鑑定の結果と遺留品については、直ぐそちらの方に配送しますので、後の処理はよろしくお願いします。
オクラホマ都市を占領した三日後。
オクラホマ空港管制施設屋上部で発見された大量の血痕が、アリミア本人のものであると鑑定結果が出されたその日、諜報部に所属する生真面目そうな中年男性に言われた言葉だった。
チャンペルは、忙しく作業に没頭する意識の中で、再び何処かもやもやとした思惟に取り憑かれると、自分の手の動きが完全に止まっている事に気付き、徐に別のウィンドウをノート型PCモニター上に展開させた。
そして、画面上に現れたネニファイン部隊メンバーリストから、今回帰らぬ人となってしまった四人の名前を探り、上から順に視線を這わせると、仕事に集中できずに苛立つ思いを振り解くかのようにして、大きく溜め息を付いて見せた。
アリミア・パウ・シュトロイン。22歳。
諜報部工作員として、オクラホマ攻略作戦に参加。
オクラホマ空港管制施設屋上部に残された大量の血痕と、そのままに放置された遺留品の状況から推測して、何者かに殺害された後に連れ去られたものと断定。
ベルトラン・ギュストリア。29歳。
ネニファイン部隊DQパイロットとして、パレ・ロワイヤル攻略作戦に参加。
同部隊メンバー達による複数の証言により、帝国軍防衛守備隊の砲撃によって爆死したと断定。
マース・チェリーズ。31歳。
ネニファイン部隊DQパイロットとして、パレ・ロワイヤル攻略作戦に参加。
同部隊メンバー達による複数の証言により、帝国軍防衛守備隊の砲撃によって爆死したと断定。
ウララ・アクイ。22歳。
ネニファイン部隊DQパイロットとして、パレ・ロワイヤル攻略作戦に参加。
同部隊メンバー達による複数の証言により、帝国軍防衛守備隊の砲撃によって爆死したと断定。
戦争と言う人の命を奪い合う事を前提とした戦いの中で、両軍共に死者を出さずに結末を迎える事など、ありはしないのだと頭では解っていても、何処かやはり、人の死に対して陰鬱な感情を沸き立たせずにはいられない。
例えそれが、ほんの二、三回程度しか会話を交わした事の無い間柄であったとしても、同じ部隊に所属する仲間が死んだとなれば、少なからず心に刻み込んだ彼等の存在が、ぐずぐずと傷を掻き乱すように疼き出してしまうのだ。
勿論、自分の両親や恋人、はたまた親友が死んだ時と比べ、こう言っては何だが、程度の軽い傷には違いないのだが、それでも改めて人の死と言うものに対して、感慨深い思考を巡らせてしまう。
人は死ぬ。簡単に死ぬ。つい先ほどまで元気だった人間が、いとも簡単に死ぬ。
老衰死を迎え入れられる段階まで生きた人間ならまだしも、重い病にかかって余命僅かと宣告された人間ならまだしも、その日その時、死するべき時を大幅に繰り上げて、突然何の予告も無く死んでいく人間達がいるのだ。
戦争で人が死ぬ事は至極当然の出来事であるが、果たして自分は、今回の戦いにおいて、彼等が死んでしまうなどと、思っていたのだろうか。
前回の戦い、ディップ・メイサ・クロー作戦の時もそうだったが、自分は身近な人間達が死んでしまう事を、少しも予期していなかったのではないか。
考えが甘いと言えば全く持って甘い。
戦後間もなくして生まれた身でありながら、何不自由なく過ごせる裕福な家庭環境で育ち、戦争と言えば、遠い国での出来事でしかないと思っていた。
戦争をするのも、戦争で死ぬのも、いつも見知らぬ人間達であり、自分達が暮らす平和な世界とは縁の無い、非現実的な物語であるとさえ思っていた。
世間知らずのお嬢様・・・と、周囲から言われるのは、そう言った自分の非現実的感覚にある事は自覚しているのだが、この期に及んで自分はまだ、戦争と言う過酷な渦中に身を投じている自身の姿を、まるで他人事の様に考えてしまっているのではないか。
確かに後方司令部勤務である自分は、最前線で戦う事を余儀なくされた兵士達に比べ、圧倒的に死ぬ確立が低いと言えるが、それでも何が起こるか解らぬ戦場で、突然降りかかった厄災により、無理矢理死後の世界へと誘われる可能性だってあるのだ。
幼い頃から温和でいて平和的な世界の中、ぬくぬくと育ってきた自分は、いま直面している過酷な現状から、反射的に目を逸らしている様な気がしてならない。
人は死ぬ。簡単に死ぬ。他人だけでなく、自分も決して例外ではない。
いつかは必ず死ぬと解っていながらも、それが明日だとも、今日だとも思っていない自分は、やはり世間知らずと言われても仕方の無い未熟者なのだろう。
子供の頃、両親や先生達の言う事はいつも正しく、解らない事は何でも教えてくれるのだと思っていた。
悪い事をすれば直ぐに保安官に捕まり、国を守る軍隊は決して負けないのだと思っていた。
誰からも尊敬される政治家達は、常に国民達の事を思って素晴らしき政策を打ち出し、彼等に出来ない事は何一つ無いのだと思っていた。
しかし、神が作り出した造形物のようにも感じていたその世界は、子供達を守る為に、大人達が必死になって作り出した、脆くも儚い虚飾の温室に過ぎなかったのだ。
一歩一歩年齢を重ね歩むたびに、ガラス張りの向こう側から透けて見え始めたものは、現実世界と言う、余りにも不安定な土台上に築き上げられた、至極あやふやな大人の世界だった。
ひょんな事から右にも左にも大きく傾く危険性を孕み、それで成り立っている事自体が、まさに奇跡的とも言える混沌とした世界だった。
大人達の作り出した温室を這い出し、ようやく大人としての第一歩を踏み出した自分は、まだ何も出来ないひよっ子同然の存在でしかない。
未だ右も左も解らぬ最中で、目まぐるしくうねり動く現実世界に振り回され、自分が一体何をしているのかさえ覚束なくなる時がある。
自分は一体何を求め、何の為に、何をすれば良いのだろうか。
この混沌とした大人の世界の中で、一体どうやって生きて行けば良いのだろうか・・・。
(サルムザーク)
「何だ?こんな所にいたのか?」
・・・と、全く埒も無い思考の渦へと意識を埋没させていたチャンペルは、突然背後から投げかけられた言葉によって、不意に現実世界へと引き戻された。
高価そうな装飾品が並ぶ壁面を背に、一人ぽつねんとソファに座っていた彼女は、それまで漂わせていた重苦しい雰囲気を一掃すると、直ぐに普段通りの明るい自分を纏い直して後ろを振り返った。
そして、振り返った先に佇んでいた若い士官の顔を見上げると、堅く強張った表情を思わず緩ませて、何処か浮き立つ気持ちを滲ませるように口を開いた。
(チャンペル)
「あ、三佐。お疲れ様です。随分と遅かったですね。」
(サルムザーク)
「ああ。全体会議の終了時間ほど当てにならないものは無いな。それよりお前、ずっとこんな所で待っていたのか?」
(チャンペル)
「はい。仕事は別に執務室でなくても出来るものもありますし、三佐に直ぐ決裁を戴かないといけない書類もありましたので、ここで仕事しながら三佐の事をお待ちしてました。三佐はこの後直ぐ、また別の会議に入られるんですよね?」
そう言って、サルムに無邪気な笑顔を振り撒いて見せたチャンペルは、直ぐに膝の上に乗せたノート型PCへと向き直り、少しばかりの操作を手際よく施すと、彼の入力を待つだけの状態としたノート型PCを、彼の前へと差し出した。
サルムは何処か少し、不思議そうな眼差しと共に彼女を見つめ、中々に度胸のある奴だな・・・などと、軽い笑みを浮かべて見せたが、それとも単にそれと気付いていない天然者の成せる業なのか・・・とも思い被せ、背後からゾロゾロと這い出して来た高官達の姿へと視線を振り向けた。
ランベルク基地で一番大きな会議室がある通路の奥から姿を現した高官達は、着込んだ軍服の上に色取り取りの勲章を並べた軍の重鎮達であり、陸軍最高司令官ヘルモア陸将を始めとする将官の一団が横を過ぎると、続いて佐官階級のお歴々(れきれき)が顔を見せ始める。
サルムは、その中でも一際砕けた表情で笑みを投げかけるピエトロ一佐に対し、軽い一瞥を投げ返してやると、彼の直ぐ隣を歩いていたグラフティ一佐の陰気な視線の存在に気付き、何処かばつの悪そうな表情を浮かべ、少し肩を竦めて見せた。
(チャンペル)
「三佐?」
(サルムザーク)
「ああ、いい。この後の会議はなくなったんだ。書類の承認作業は執務室に戻ってからやるよ。」
(チャンペル)
「あっ。そうなんですか。」
目の前を歩き去るお偉いさん方に対して敬礼を施す事も忘れ、ただ目の前に居る四歳年下の上官に、ノート型PCを差し向けていたチャンペルは、それまでの自身の行為が全くの無駄に終わってしまった事を少しも気にする風でもなく、彼に軽い返事を返すと、静かにノート型PCの蓋を閉じて、じっと彼の表情を窺った。
(サルムザーク)
「ところでチャンペル。カースはまだ帰っていないのか?」
(チャンペル)
「ええ。カース作戦軍曹は、今日の夕方までには戻る予定になってましたけど、最悪、明日の朝になるかも知れないって、先ほど連絡がありました。何か有れば直ぐに呼び戻して良いとの事でしたが、何せ子供の容態が悪化したって話でしたから・・・。」
(サルムザーク)
「そうか。」
やがて、地下通路脇に設置された風変わりな休憩室で、まるでお姉さんとその弟と言う奇妙な雰囲気を醸し出していた二人は、過ぎ去っていく大勢の人影を、サルムの作り出した沈黙と共に見送った。
そして、何やら一つ小さな溜め息を吐き出したサルムは、チャンペルが佇むソファの左隅へと腰を下ろし、何やら真剣に考え込むような表情で、背凭れに圧し掛かった。
(チャンペル)
「どうしたんです?三佐。何かあったんですか?」
(サルムザーク)
「いや、特にこれと言った問題では無いんだ。それより急な話だがチャンペル。実は明日以降三日間に渡って、大規模な軍事演習が開催される事になった。ネニファイン、ブラックナイツ、カラムス三部隊による合同演習だ。」
(チャンペル)
「へぇー。それはまた急な話ですね。」
チャンペルはこの時、サルムから投げかけられた新しい話題に対し、何か重大な事実を完全に見落としたまま、気の無い返事を返して見せると、再びゆっくりとソファの上に腰を据えた。
しかし、つい先ほど自分が言い放った言葉を、再度脳裏に浮かび上がらせると、唐突に滲ませた驚きの表情を持って、サルムの方へと向き直った。
(チャンペル)
「えーっ!?明日からですか!?もしかして・・・。」
(サルムザーク)
「そう。その軍事演習に関する事前準備を、お前にお願いしたいんだ。俺はこの後少し用事があって、夜から出かけなきゃならないし、明朝10:00までに軍事演習に関わる部隊編成と実行プランを作成してくれ。軍事演習に関する詳細事項は、追って上層部から送信されてくると思う。」
ようやく気付いたな・・・、と言うような表情でチャンペルを見返したサルムは、全く普段通りの口調を持って、彼女に新たなる仕事を依頼したつもりだった。
しかし、彼が全ての説明を終える以前に、思いっきり泣き入りそうな表情を浮かべて、俯いてしまった彼女の姿に気が付くと、何処か面を食らってしまった様な慌て振りで、必死にその場を取り繕う言葉を並べ立てた。
(サルムザーク)
「あ、いや、カースが居ないからと言って、お前一人に全てを押し付けるつもりはない。DQ機体整備に関する準備作業はシューマリアンにやらせるし、お前が今抱えている仕事はリスキーマに頼んで良い。・・・ああ、それなら始めからリスキーマに・・・。いや、やはり作業種別的に考えても、お前の方が良いだろう。本来であれば、カースが居なくなった時の事を想定して、部隊内の組織を固めて置くべきなんだろうが、中々そこまで手が回らなくてな。俺も何かと言うと、直ぐにお前とカースに頼ってばかりだが、この埋め合わせは必ず何処かでするから、頼まれてくれないか?」
二十歳にも満たない若輩者でありながらも、軍の高官達を相手に回し、全く気後れする事無くと堂々と渡り合う、やり手の最年少佐官と言う肩書きを持つ彼だが、この時彼は、不意に悲壮感を漂わせて項垂れてしまった女性を前に、極一般的な男性と同じような慌てふためき様を奏で上げてしまった。
彼とて人の上に立つべき役職に付く身ながらも、数多くの経験を積み重ねた熟練の指揮官と言う訳では無く、まだ大人の世界へと飛び出して間もない、彼女と同じ「幼芽」であるに違いないのだ。
彼女は少し、彼の垣間見せた態度に新鮮味を感じる一方で、何処か親近感にも似た暖かな感情を沸き起こすと、涙を滲ませた目元を軽く拭って、フッと小さく口元を緩ませた。
(チャンペル)
「いえ、・・・すみません。私やります。私頑張ります。大丈夫です。」
年齢の差で比較すれば自分の方が四歳も年上のお姉さんとなる。
そんな自分が子供みたいに駄々を捏ねて、大人達の世界で一生懸命頑張っている三佐を困らせる訳にはいかない。
そう強く思い直したチャンペルは、一瞬だけ下唇を噛んで見せると、顔中に満面の笑みを浮かべてサルムの方へと向き直り、不意に滲ませてしまった感情的な態度を反省した。
(サルムザーク)
「そうか。すまないな。俺も日付が変わる頃には戻ってくるつもりだし、何ならその後手伝ってやるよ。」
(チャンペル)
「あ、いえ、それはいいです。三佐が居ない方が作業が捗ると思いますし。」
・・・。
それは、様々な作業を一手に押し付けられ、日々激務に追われるチャンペルの事を、慮って発した彼の優しさであったが、直ぐに真っ向から拒否して見せた彼女の言葉によって、儚くも頭から叩き落されてしまった。
確かに思えば、何かにつけてカースとチャンペルに頼ってきた自分だが、それほど実務能力の無い人間だと思われているのだろうか・・・などと、サルムは自嘲気味な感情を沸き起こしてしまった。
そして、何もそこまではっきりと言わなくても・・・とも思ってしまったサルムは、多少呆れ気味の視線を用いてチャンペルの表情を窺い見たのだが、彼女がようやく自身の失言に気付いたのは、彼の浴びせかける白々しい視線に小首を傾げた時だった。
(チャンペル)
「あっ!いえ!違うんです!・・・そんなつもりで言ったんじゃなくて、一人でやった方が・・・じゃなくて、ええと・・・その・・・。えっと・・・。うー。・・・・・・ふぇーん。どうしよう・・・。」
この時チャンペルは、自分が抱いた想いの丈を、上手く表現する(誤魔化す)事が出来ずに、下を俯いてしまうと、再び泣き出しそうな表情を浮かべ、声を振るわせ始めた。
サルムは、そんなチャンペルの態度に、甚だ困り果てた様子で、無造作に頭を掻き乱しながら溜め息を付いてしまったのだが、もはやどうする事も出来ない自分の不甲斐なさに嫌気がさすと、やがて当て所なく通路側へと視線を逃がし、誤魔化して見せる事しか出来なかった。