06-35:○貴方を殺す為に生きてきたというのに[2]
第六話:「死に化粧」
section35「貴方を殺す為に生きてきたというのに」
黒く淀んだ鋭い殺気に満ち溢れた閉鎖的空間。
それは、コンクリート製の手摺り壁によって四方を囲われた、全く逃げ場の無い闘技場を連想させる限定的な世界だ。
オクラホマ軍事空港の一角にある、民間空港機管制施設の屋上部は、南北に長く伸びた長方形を形成しており、下階へと続く非常階段を取り囲う塔屋小屋は、その屋上の北東部に位置している。
そして、屋上の中央部から南方部にかけて、大きな貯水タンクが四基、ある程度の距離を隔てて立ち並び、北側に位置する開放的空間の多くは、大量に積み上げられた資材の山々によって埋め尽くされていた。
周囲を真っ暗な闇のベールで包み込まれたその屋上部は、オクラホマ空港南側に広がる近代的大都市の放つ眩い威光によって、微かに薄っすらと照らし出されているようにも見受けられるが、それでも遮蔽物の陰に潜む何かを正確に捉え見るのは、ほぼ不可能であると言えた。
お互いに身を隠す事の出来る数多くの遮蔽物に恵まれた中で、相手の隙を見出す事は、中々に簡単な事ではないが、それまで両者が辿り経た幾多の戦場を、あたかも全て掻き集めて再現したかのような様相に、アリミアは、激しく高揚する意識の熱を感じていた。
熱といっても、熱過ぎてはならず、だからと言って冷え過ぎてもならず、強い攻撃意識を心の中心部で激しく燃え上がらせながらも、出来る限り冷静に第三者的視点に立ち返り、周囲を見渡す事を念頭に置く。
そして、視界には捉えられない殺意の蠢きを察しては、素早く構えた短銃のトリガーを、適宜引き放つのだ。
頭上で光り輝く綺麗な星々の瞬きも、心地の良い香りを漂わせる涼やかな風の装いも、完全に意識の外へと放り出し、相手の醸し出す一挙手一投足にのみ、感覚を鋭く研ぎ澄ませた状態。
それは、自分が自分ではない感覚、とでも言うのが正しいだろうか。
常に意識の影たる存在として、自らの思いを体現する鈍重な五体の呪縛を解き放ち、勝手に暴走した意識だけが、次なる展開を求めて、前へ前へと疾走して行くような、そんな物憂い錯覚が、彼女を包み込んでいた。
薄っすらと額に滲み出る汗を左手の甲で拭い去り、瞬きする時間すら惜しむように、資材置き場の方へと視線を括り付けていたアリミアは、それは私の動きが鈍いからじゃない・・・と、心に生じた葛藤を捩じ伏せると、静かに息を殺して暗がりに潜む男の気配を窺った。
そして、二つ目に取り付いた貯水タンクの裏側から、僅かに身を乗り出して、一発の牽制弾を撃ち放つと、すぐさま意を決したように三つ目の貯水タンク目掛けて走り出した。
パン!パン!
すると、約一拍ほどの時を置いたタイミングで、反撃に転じたノインが、軽い銃声を二つほど撃ち鳴らし、屋上南側を横切るアリミアへと弾丸を浴びせかけた。
アリミアが駆け出すと同時に、攻撃を繰り出すのならまだしも、優秀な戦闘員である彼にしては、異常に遅いと感じられる反応であったが、それもそのはず、彼から見て南側屋上付近は、オクラホマ都市の放つ強い光に妨げられ、体勢を低くして突っ走るアリミアの姿が、南側手摺り壁の影に融け込んだ様に見えてしまっていたのだ。
結果、ノインの放った弾丸は、地の利を生かして疾走するアリミアを捕らえる事が出来ず、その何れもが虚しくも空だけを切り裂いて、手摺り壁に激突する羽目となってしまった。
やがて、塔屋小屋に一番近い貯水タンクまで到達したアリミアは、転がるように裏手側へと身体を滑り込ませると、間髪を置かずして鳴り響いた軍用ブーツの足音に反応し、直ぐにノインの行動を封じ込める動作へと移り進む。
パン!パン!
・・・と、アリミアが貯水タンクの陰から身を乗り出そうとしたその瞬間、牽制の意味を込めて放たれた二発の弾丸が、再びアリミアを襲った。
精度を度外視して放たれたその弾丸は、言うまでも無く、アリミアに脅威を成すような存在ではなく、虚しく貯水タンクの外壁を叩き付けると、鈍い金属音と共に、小さな閃光を連続して産み落とした。
聞こえ来る足音の様子から察するに、ノインがアリミアの方へと向かって、走り寄って来たのではない事だけは解ったが、移動に際して牽制弾を撃ち放つ辺り、それなりの移動距離を駆け抜けている事は間違いなかった。
とすれば、移動の最中、継続的に牽制弾が撃ち放たれる可能性も無きにしも非ずで、アリミアはこの時、相手がノインでなければ、反撃する事を躊躇っていた所だった。
アリミアはすぐさま貯水タンク裏から上体を曝け出すと、出来る限りノインに相対する表面積少なくなるよう横身で右手を突き出し、資材置き場から塔屋小屋付近へと疾走する、ノインのシルエットに銃口を翳した。
しかし、これまた攻撃のタイミングが少し遅かったようで、トリガーを引き放つ以前に命中させる事を断念したアリミアは、威嚇を目的とした弾丸を一発、放ってやる事しか出来なかった。
やがて、直ぐに上体を貯水タンク裏側へと引き戻したアリミアは、手に持つ短銃のマガジンキャッチをスライドさせ、まだ数発の弾丸が残るマガジンをグリップの中から引き抜く。
そして、真っ赤なスーツドレスの内ポケットから、予備のマガジンを一本取り出すと、屋上床の上へと置き放った使用済みマガジンの代わりに、手際よくグリップの中に収めた。
攻撃時、トリガーを二回引いて止める癖は、まだ治っていないようね。
それは嘗て、アリミアがノインのバックアップとして狙撃手を担当していた頃、アリミアが後方から見ていて、非常に気になった彼の癖であり、彼は戦局が膠着状態に陥ると、何故か決まって攻撃時にトリガーを二回連続して引き放つのだ。
確かに考えてみれば、常に激しい動きを要求される最前線においては、正確に狙いを定めて撃てる機会の方が少ない訳で、連続的に弾丸を撃ち放つ事で、その帳尻を合わせようと言う考えも、尤もらしい理由である。
しかし、アリミアが記憶する限りでは、このようなケースにおいて、撃ち放った弾丸が二発とも相手に当たらなかった場合に限り、彼は必ず三発目の発射を見送るのだ。
アリミアはその癖に関して、過去何度もノインに指摘しようと考えていたのだが、彼の癖自体が作戦行動に悪影響を及ぼさなかった事と、相手に直ぐ感知されるような癖ではなかった事、そして何より、彼が癖を気にし過ぎて行動リズムを崩してしまう事が一番怖く、最終的にそれを断念したのだった。
(アリミア)
「イレイサー、コルトムなら残り六発。ブリッチルなら残り五発か・・・。」
アリミアは、貯水タンクに背を合わせるようにして、背後にある塔屋小屋付近へと視線を流すと、ノインが放つ短銃の発砲音とその取り回し様から、ある程度特定した銃の種類と、残りの仮想残弾数を呟き出した。
そして、強く握り締めた短銃を顔の前へと振り上げて翳し、左手でスライドを引いて、再び攻撃態勢を整えると、自身を奮い立たせるように、大きく息を吸って吐き出した。
このままお互いに撃ち合いを継続すると仮定して、ノインの弾切れを待つと言うのも一つの方法ではあるが、彼の性格上、弾丸を無駄に浪費する愚行を犯すはずはない。
しかも、ノインは普段から予備弾装を多く持ち歩く傾向にあり、恐らく着込んだ防弾チョッキの裏側に、最低四本は予備弾装を備えていると見て間違いないだろう。
ノインの弾切れを誘発する為に、遮蔽物の間を走り回って見せるにしても、かなりの回数を重ねなければならない事は確かだし、何より、ノインが弾切れの直前まで、射撃戦に付き合ってくれる保証も無い。
ノインに接近戦を挑まれた時点で、私の勝ち目が薄くなる事は解りきった事だし、とすれば、ノインを倒すチャンスは、お互いが銃に頼っている今を置いて他に無いだろう。
今、ノインが居る塔屋小屋の向こう側は、北側の手摺り壁との間に設けられた、小狭い空き地となっており、私が屋上へと立ち入った際に確認した所では、何も置き放たれていない、がらんどうとした袋小路となっていた。
しかも、手摺り壁の向こう側には、何の取っ掛かりも無く、身を置く事さえ許されない、のっぺりとした壁面が広がっているだけだった。
恐らくノインは、私が塔屋小屋から逃走するのでは無いかと勘ぐり、その袋小路へと身を潜めたのだろうが、言うなればそれは、自分で自分の逃げ道を封鎖したも同然の行為だ。
ノインが弾丸の換装作業を行うタイミングは、ほぼ決まって残弾数が二発になる直前。
私の予想が正しければ、次の攻撃を繰り出した直後、ノインは弾丸の換装作業を行うはずだ。
それを遮った上で、ノインに撃ち合いを強いる事が出来れば、ノインは少ない弾丸で私と撃ち合わなければならなくなる。
お互いに身を曝した状態での撃ち合いなら、私は絶対ノインには負けない!!
やがてアリミアは、濃密な殺気を滲ませた表情を不意に強張らせ、力を溜め込むようして体勢を低く構えると、ノインの癖である二発撃ちを誘発する為、牽制弾を塔屋小屋付近へと撃ち込んだ。
そして、彼女の誘い弾に釣られて撃ち放たれた二つの弾丸が、鈍い金属音を伴って貯水タンクを軽く振るわせた直後、彼女は意を決したように、素早く貯水タンクの裏側から身を乗り出した。
塔屋小屋の向こう側で蠢く、ノインの動き出しに細心の注意を払いながら、右手に持った短銃を、いつ何時でも発射できる姿勢を維持しながら、アリミアは全速力で、塔屋小屋の裏手側へと向かって、突っ走って行った。
防水加工を施された屋上床と、彼女の履く運動靴との摩擦音が、軽快なテンポを刻みながら遮蔽物に反響し、健常者であれば、その様を見ずとも、何者かが塔屋小屋付近へと押し迫って来るのが解ったであろう。
勿論、如何にノインの耳が聞こえないからと言って、彼がアリミアの行動に気が付かないはずはなく、アリミアは必ず、ノインが何かしらのアクションを起すであろうと予測していた。
しかしこの時、屋上部に滞留した緩やかな空気を鋭く切り裂いて、猛然と疾走し行くアリミアは、塔屋小屋付近へと差し掛かるまでの間、彼の反応を全く見て取る事が出来なかった。
・・・?
不意に彼女の脳裏に幾つかの疑念が沸き起こる。
もしかしして、弾丸の換装作業を優先させるつもりなのか。
それとも、塔屋小屋の角で出会い頭に私を撃つつもりなのか。
あるいは、直前になっていきなり飛び出し、私に掴み掛かるつもりなか。
そう簡単には・・・!!
ズザザーーーー!!
脳裏に渦巻いた数々の疑念を、一気にまとめて殴り倒すかの様にして、塔屋小屋の裏手側付近へと頭から一回転して転がり込んだアリミアは、そのままの勢いを保って体勢を立て直した直後、袋小路へと素早く翳した銃口の先で、ノインの姿をひた探す。
その間、一秒もかからずに達した答え。
(アリミア)
「!?・・・いない!?」
上か!?
全く予想だにしなかった展開から、混乱し行く思考の片隅で、微かにそう叫んだ意識に促され、アリミアは即座に塔屋小屋の上を見上げた。
しかし、誰しもが真っ先に辿り付くであろう回答の中に、彼の姿を見出す事は出来ず、綺麗に光り輝く満天の星空だけが、アリミアを嘲笑うように広がっていただけだった。
アリミアはすぐさま、幾つも積み置かれた資材置き場の方へと視線を流し、物陰の何れかに隠れ潜んだであろうノインの姿を求め、忙しく瞳を右往左往させたのだが、ひっそりと静まり返った管制施設屋上部には、緩やかに流れ行く夜風以外に何者も存在しない、無機質な雰囲気が漂ったままだった。
何処だ・・・。何処に隠れた・・・。
見失うなんて・・・。絶対にそんなはずは無い。
私がノインの反撃をやり過ごす為に、塔屋小屋付近から視線を切ったのは、僅か二秒か三秒程度だ。
その間、ノインが走り出したような足音は聞こえなかったし、塔屋小屋の上へと這い上がった様子も無い。
塔屋小屋と手摺り壁によって囲われたこの袋小路から、一体どうやって逃げ出したのか・・・。
カツッ。
その時、屋上中央部へと視線を括り付けていたアリミアの背後で、何か妙な物音が一つ、微かに奏で上げられた。
それは、夜風に舞い上げられた何かが、屋上床や手摺り壁を叩く様な音ではなく、管制施設周辺で散発的に撃ち鳴らされる銃撃音とも全く異なる音であり、何処かどす黒いピリピリとした気配を感じさせる、嫌な臭いを含んだ重たい音だった。
アリミアは即座に、その音の正体を確かめる為、後ろを振り返る。
勿論、右手に握った短銃を、直ぐに構える用意は出来ていた。
すると次の瞬間、屋上部をぐるり半周して、北側の手摺り壁方面を直視した彼女の表情が、俄かに驚愕と言う一色を持って塗りつぶされ、激しく打ち鳴らされた胸の鼓動と共に、一瞬にして粟立つ肌の震えに塗れた。
まさか!?・・・と、彼女も一瞬思ったであろう、本来そこにあるべき綺麗な夜空を掻き消し、突然、彼女の目の前に現れ出たものとは、何処かしらへと行方を晦ましていた、ノインの姿であった。
屋上部の終わりを指し示す手摺り壁の向こう側、それは何の取っ掛かりも無い、のっぺりとした壁面が広がるだけの虚空の世界であり、アリミアもまさか、ノインがそんな場所に身を潜めていよう等とは、少しも考えていなかった。
恐らくは両手の力のみで這い上がってきたであろう体勢をそのままに、一つ右足で手摺り壁を踏み拉いて見せたノインが、後ろ腰に納めたナイフを素早く引き抜き、完全に虚を突かれたアリミアへと襲い掛かる。
瞬間的に死に際を直感した意識が、目まぐるしく全ての感覚を研ぎ澄ませ行く中で、アリミアは、闇夜を切り裂いて飛びかかって来るノインの姿が、まるで宙に浮かんでいるかのような錯覚を目の当たりにした。
そして、右手に握り締めた短銃を素早く移動させ、ノインへと銃口を宛がう為の行動を、必死になって体現する。
やがて、ゆっくりと無音なる意識の中で、奏でられていた二人の瞬間的反応が、交錯する事でようやく終焉を迎える・・・。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
アリミアの翳した銃口が、ノインの姿を捕らえる方が早かったであろうか。
短銃の凹型リアサイト、凸型フロントサイトを経由して、正確に定められた照準の先に、くっきりとノインの表情を見て取る事が出来た。
恐ろしいほどの冷徹さと残忍さを滲ませたノインの眼差しが、そこにはあった。
それは間違いなく、私に対する殺意を宿した眼差しだった。
逆手に構えたナイフで一突きする事を意図したノインの挙動が、そこにはあった。
それは間違いなく、私を刺し殺す為の挙動だった。
撃て!!撃て!!撃て!!・・・。
・・・と、何回、何十回、脳裏に響き渡ったであろう、心が奏でる強い言葉。
ただトリガーを引けばいいだけの事。
たったコンマ何秒かの時間が、何故、こんなにも長く長く感じられるのだろう。
ただトリガーを引けばいいだけの事。
「・・・あの時と、・・・同じだ。」
その時不意に、アリミアの脳裏に、嘗ての記憶が蘇った。
様々な想いを絡ませて形成された、目には見えない強靭な鎖が、自らの意思を強く縛り上げる、あの不思議な感覚を・・・。